第6話 共鳴
ギルド長との話を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。ヒューとマリアは宿へ戻り、一階の食堂で遅めの夕食を取っていた。机の上には、厚く切った肉の香草焼き。野菜のスープ。籠いっぱいの黒パン。昼間に大牙ウルフと戦ったせいか、ヒューはいつも以上に腹が減っていた。肉を切り分け、次々と口へ運ぶ。だが、向かいに座るマリアは、自分の食事よりもヒューの左腕を気にしていた。
「腕はどう?」
「さっきよりは痛くない」
「見せて」
「食事中だぞ」
「いいから」
「……はい」
ヒューは苦笑しながら左腕の袖をまくった。大牙ウルフに噛まれた箇所には、まだ赤く生々しい傷が残っている。昼間は深く開いていた傷口も、今では出血が止まり、かなり閉じていた。肩につけられた爪痕も同じだ。
「やっぱり、治りが早いわね」
「《戦士》を加えた影響かもしれない」
「たぶんね」
戦闘系の職業から恩恵を受ける者は、普通の人間よりも傷や疲労から回復しやすい。特に《戦士》は、腕力や耐久力だけではなく、身体そのものの強さを高める職業だ。《剣士》。《戦士》。二つの職業を同時に持つようになったことで、ヒューの回復力も以前より高まっているのかもしれない。とはいえ。傷が消えたわけではない。触れれば痛い。左腕へ強く力を入れれば、まだ鈍い痛みも走る。
「治るのが早いからって、噛まれてもいい理由にはならないからね」
「分かってる」
「本当に?」
「今日は何回聞かれたんだ、それ」
「何回聞いても心配だからよ」
マリアは呆れたように息を吐き、黒パンをちぎった。
「次は、なるべく攻撃を受けないこと」
「俺だって好きで受けてるわけじゃない」
「大牙ウルフの口に、自分から腕を差し出した人が言っても説得力がないわ」
「あのときは、ほかに止める方法がなかったんだ」
「だから怒ってるんじゃないの」
マリアがスープの匙を置いた。
「そうなる前に、私にも頼ってって言ってるの」
「……」
ヒューは返事に詰まった。今日の戦いでは、マリアの魔法に何度も助けられた。それでも、危険が迫った瞬間には、自分一人の身体で止めようとしてしまった。
「……次からは、そうする」
「約束よ」
「ああ」
ようやく納得したのか。マリアは再びスープへ手を伸ばした。
◇
食堂には、ほかにも何人もの冒険者がいた。酒を飲みながら笑う者。今日倒した魔物を自慢する者。明日の依頼について話し合う者。いつもなら。ヒューもそんな声を聞き流していただろう。だが、今夜は。一つの名前が頭から離れなかった。アーロン。銀色の髪を持つSランク冒険者。
王都を中心に活動し。複数の職業を同時に持っているのではないかと噂される男。そして、もしかすると。自分の父親。
「マリア」
「なに?」
「父のことを、もう少し話してもいいか?」
マリアは、ちぎりかけていた黒パンを皿へ戻した。
「もちろん」
「俺は」
ヒューは少し考えた。
「父が冒険者だってことは知ってた」
「そうなの?」
「ああ」
幼い頃から、父は遠くで冒険者をしている。困っている人たちを助けている。母からは、そう聞かされていた。
「でも」
ヒューは首を横に振った。
「それだけだ」
「それだけ?」
「どんな冒険者なのかも、どこで活動しているのかも、どれくらい強いのかも知らなかった」
Sランク。王都。名を知られた冒険者。そんな話は、一度も聞いたことがない。
「昔」
ヒューは記憶を辿る。
「母が持っていた肖像画を、一度だけ見たことがある」
「肖像画?」
「ああ」
古い布に包まれていた。銀色の髪をした若い男。笑っていた。
「母は、その人が俺の父親だって言ってた」
「銀色の髪……」
「ああ」
だが、詳しく聞こうとすると。母はすぐに肖像画を布へ包んだ。それ以降。ほとんど見せてはくれなかった。
「父の名前がアーロンだってことも知ってた」
「じゃあ」
マリアの表情が少し変わる。
「ギルド長が話した人と、かなり条件が重なってるのね」
「ああ」
同じ名前。同じ銀色の髪。同じ冒険者。そして、ヒューと同じかもしれない。複数の職業。
「偶然とは思いにくい」
「そうね」
「でも」
ヒューは右手を握った。
「だから余計に分からない」
「何が?」
「父が本当にSランク冒険者なら」
言葉が、少し重くなった。
「どうして、俺たちのところへ帰ってこなかったんだ」
冒険者だから、遠くへ行く。仕事で長く家を空ける。幼い頃は、それで納得していた。いつか。帰ってくると思っていた。だが、帰らなかった。村が魔物に襲われた日も、父はいなかった。
「母は」
ヒューの拳へ力が入る。
「俺を守って死んだ」
今でも、あの日を忘れられない。迫ってきた魔物。自分の前へ立った母の背中。血。冷たくなっていった手。そして、間に合わなかったことを心から悔やみ。自分へ頭を下げた。あの冒険者。ヒューが剣を握ったのは、あの男のようになりたかったからだ。救えなかった命から目を逸らさず。
それでも、次に救える誰かへ手を伸ばす。そんな人間になりたかった。だが、自分の父親は。どうだったのだろう。
「父が本当にSランクなら」
ヒューは俯いた。
「きっと、たくさんの人を助けてきたんだろうな」
「そうでしょうね」
「町を救ったこともあるかもしれない」
「ええ」
「なのに」
声が低くなる。
「どうして、母さんと俺のところには帰ってこなかった」
Sランク冒険者。国や町から頼られるほどの存在。もし。ギルド長が話したアーロンが本当に父親なら。怪我をして動けなかったわけでも、人知れず死んでいたわけでもない。多くの人間に名を知られながら。母と。ヒューのもとには、帰らなかった。
「会いたい?」
マリアが静かに尋ねた。
「……」
すぐには、答えられなかった。
「分からない」
それが、正直な気持ちだった。
「生きているなら、会ってみたいとは思う」
「うん」
「でも」
ヒューは顔を上げた。
「会って何を言えばいいのかも分からない」
「どうして帰ってこなかったのか、聞けばいいんじゃない?」
「答えを聞いたら」
少しだけ。怖かった。
「もっと父を許せなくなるかもしれない」
「今は許せない?」
「……少しは」
父が生きている。それだけなら。喜べたかもしれない。だが、父は王都で名を知られるSランク冒険者かもしれない。なぜ帰らなかった。母が死んだことを知っているのか。村が襲われたことを知っているのか。そもそも、自分という息子の存在を。今でも覚えているのか。考え始めれば。
いくらでも疑問が浮かんでくる。マリアは、しばらく何も言わなかった。無理に慰めようともしない。きっと事情があった。そんな言葉も、口にしなかった。やがて。
「私なら」
マリアが言った。
「会いに行くわ」
「マリアなら?」
「ええ」
「どうして?」
「会わなかったら」
マリアはヒューを見た。
「これからもずっと考え続けることになるでしょう?」
なぜ帰らなかった。自分たちを捨てたのか。母を覚えているのか。答えのない問いを、ずっと抱え続ける。
「会ってみたら?」
「会ったからって、父親だと思えるとは限らないぞ」
「それも」
マリアはあっさり答えた。
「会ってから決めればいいわ」
「……」
「許すかどうかも」
まっすぐ。ヒューを見る。
「父親だと思えるかどうかも、今すぐ決めなくていいでしょう?」
「父親なのに、許せなくてもいいのか?」
「父親だから何をしても許される」
マリアの声は、はっきりしていた。
「そんなこと、あるわけないでしょう」
アーロンを擁護しない。事情があったはずだとも言わない。ただ、自分の目で確かめろ。そう言っている。
「理由を聞いて」
マリアは続けた。
「それでも許せないなら、許さなくてもいいと思う」
ヒューは、握っていた拳をゆっくり開いた。
「……そうだな」
「王都へ行く?」
「ああ」
一度頷き。少し考えた。
「でも、すぐには行かない」
「そうなの?」
「今の俺たちはFランクだ」
王都は遠い。いくつもの町。長い街道。その先にある。
「何も知らないまま急いで向かっても仕方ない」
「じゃあ?」
「まず」
ヒューは答えた。
「リーヴェンへ行こうと思う」
「交易都市リーヴェン?」
「ああ」
この町より、はるかに大きな町。複数の街道が交わり。多くの商人や冒険者が集まる。王都へ向かうなら。いずれ通ることになる場所でもある。
「そこで冒険者として経験を積む」
「いいと思う」
「それと」
「?」
「マリア」
「なに?」
「一緒に来てくれないか」
マリアの目が、少しだけ大きくなった。
「リーヴェンへ?」
「その先も」
ヒューは続ける。
「いつ王都へ着くか分からない」
「……」
「俺の父親を捜す旅になる」
自分の。個人的な目的だ。
「それでも」
ヒューはマリアを見る。
「一緒に来てほしい」
「いいわよ」
「……早いな」
「何が?」
「もう少し考えるかと思った」
「正式にパーティを組んだばかりでしょう?」
マリアは当たり前のように答えた。
「ヒューが町を移るたびに解散してたら、パーティを組んだ意味がないじゃない」
「……それもそうか」
「ただし」
マリアが指を二本立てた。
「条件が二つあるわ」
「二つ?」
「一つ目」
一本。
「立ち寄った町では、グリモアを扱ってる店を見たい」
「グリモア?」
「魔法の術式が記された本よ」
マリアは、机の横へ立てかけていた杖を軽く指で叩いた。
「私たち魔法使いは、グリモアに書かれた術式を読み解くことで、新しい魔法を覚えられるの」
「本を読めば使える?」
「そんなに簡単じゃないわ」
マリアが笑う。
「術式の意味を理解して、書かれている通りに魔力を動かして、何度も練習するの」
「なるほど」
「それに、相性が悪ければ覚えられないこともあるわ」
「買ったのに?」
「あるわよ」
「もったいないな」
「だから買う前に、どんな術式なのか確認するの」
グリモア。魔法使いにとって。新しい力へつながる知識そのもの。
「リーヴェンなら、この町よりずっと多くのグリモアが集まってるはず」
「風魔法を探すのか?」
「風だけとは限らないわ」
マリアの声が、少しだけ弾んだ。
「使えそうなら、ほかの属性も勉強してみたいもの」
「全部買うつもりじゃないだろうな」
「そんなお金ないわよ」
即答だった。
「値段を見て、買えるものだけ」
「見るだけで終わることも?」
「……もちろん」
少し、返事が遅い。欲しいものがあれば無理をするのではないか。ヒューはそう思ったが、口には出さなかった。
「分かった。リーヴェンへ着いたら探そう」
「ありがとう」
「二つ目は?」
「町から町へ移動するとき」
二本目の指。
「できるだけ護衛依頼を受けること」
「報酬を稼ぎながら移動するのか」
「そう」
ただ旅をすれば。宿代。食費。装備代。金は減る。
「でも、商隊の護衛なら報酬をもらいながら次の町へ行けるでしょう?」
「馬車に乗せてもらえることもあるか」
「そういうこと」
ただし。問題が一つ。
「俺たち、Fランクだぞ」
「そうなのよね」
「護衛依頼は?」
「Eランクから」
「なら」
ヒューは即答した。
「まずEランクだな」
「簡単に言うわね」
「今日の実績もある」
大牙ウルフ四頭。ゴブリン九体。
「あと何件か依頼をこなせば届くかもしれない」
「だからって」
マリアの目が細くなる。
「明日また大牙ウルフを探しに行くのは禁止」
「分かってる」
「本当に?」
「今度こそ本当に分かってる」
「……」
「なんだ?」
「まだ少し怪しいけど」
マリアが笑った。
「交渉成立ね」
「ああ」
王都へ向かう。父アーロンを捜す。けれど、王都だけを見て。焦って走る必要はない。まず、冒険者として力をつける。Eランク。そして、リーヴェン。一歩ずつ。進めばいい。それに、もう。
一人でもない。
◇
翌朝。ヒューの腕と肩には、まだ傷が残っていた。だが、昨日よりは明らかに良くなっている。左腕を強く動かせば、少し鈍い痛みがある。それでも、剣を振れないほどではない。
「腕は?」
宿を出る前。やはりマリアが尋ねた。
「問題ない」
「痛みは?」
「少し」
「……」
「戦えないほどじゃない」
「昨日よりは正直になったわね」
「嘘をついても見抜くだろ」
「当然よ」
マリアは巻かれた布を確認する。
「無茶しないこと」
「ああ」
二人は、朝からギルドへ向かった。
◇
Eランクへ、そして。リーヴェンへ、そのため。二人は新しい討伐依頼を受けた。
【街道外れのゴブリン討伐】
依頼書に書かれた目撃数は、十体前後。大牙ウルフほど一体一体が危険な魔物ではない。だが、群れを放置すれば。さらに数を増やし。旅人や近隣の農村を襲うようになる。目的地へ到着した二人は、岩場の陰から群れを確認した。
「……十体じゃないな」
「ええ」
マリアが一体ずつ数える。
「十五体いるわ」
錆びた短剣。木の棍棒。先端を削っただけの粗末な槍。まともな防具を身につけている個体はいない。
「どうする?」
「俺が前へ出る」
ヒューは剣を抜いた。
「マリアは後ろから援護を頼む」
「全部一人で引き受けないでよ」
「ああ」
「危なくなったら?」
「下がる」
「絶対よ」
「分かってる」
ヒューが走った。
「ギャッ!」
こちらへ気づいたゴブリンが、甲高い声を上げる。まず、五体。武器を掲げながら向かってくる。棍棒。ヒューは剣で弾いた。腕が大きく流れる。がら空きになった胸へ、一閃。一体目。横。槍。
「っ!」
半歩下がる。穂先が身体の前を通過する。左手。槍の柄を掴む。
「来い!」
強く引く。
「ギッ!?」
体勢を崩したところへ、膝。腹へ。そのまま、剣を振り下ろす。二体目。《剣士》。刃を扱う力。《戦士》。踏み込み。腕力。耐久力。
二つの力が、少しずつ。ヒューの中で馴染み始めていた。
「右!」
マリアの声。迷わない。右へ跳ぶ。
「風よ、撃て――《風弾》!」
――ドンッ!ヒューがいた場所を抜け。風の塊が、三体のゴブリンへ飛び込んだ。
「ギャッ!」
まとめて地面を転がる。
「今!」
「ああ!」
ヒューが走る。起き上がろうとした一体へ、剣。三体目。背後。
「ヒュー!」
マリア。杖を振る。
「風よ、刃となれ――《風刃》!」
短剣を振り上げていたゴブリンへ、風の刃が走る。
「助かった!」
「前を見て!」
残りの群れも、動き始めていた。一気に来る。ヒューは、前へ。敵の進路を塞ぐ。棍棒。流す。短剣。弾く。槍。以前なら。
剣で無理に受けていたかもしれない。だが、今日は。身体をずらした。穂先が、脇腹ぎりぎりを通る。当たらない。
「……よし」
傷が早く治る。だから、傷ついていいわけではない。避けられるものは、避ける。
「ヒュー、下がって!」
「ああ!」
今度は、迷わず下がった。入れ替わるように、マリアが杖を掲げる。
「風よ、流れとなって押し払え――《風払い》!」
強風。複数のゴブリンが、一方向へ押される。
「ギッ!」
「ギャッ!」
互いに身体をぶつけ。足並みが乱れた。
「今よ!」
「おおっ!」
ヒューが、そこへ飛び込む。横薙ぎ。一体。刃を返す。もう一体。別方向から向かってきた敵へ。
「《風弾》!」
マリアの風。吹き飛ぶ。後ろにいたゴブリンまで巻き込む。ヒューが、前で止める。マリアが、後ろから崩す。一人なら。十五体。まともに相手などできない。だが、二人なら。敵を分けられる。
集められる。背後を任せられる。前を任せられる。一体。また一体。確実に、数を減らしていく。やがて、最後の一体が。背中を向けた。
「逃げる!」
岩の隙間へ走る。
「風よ、撃て――《風弾》!」
足元へ、風が炸裂した。
「ギャッ!」
前のめりに倒れる。ヒューが、追いついた。剣を。振り下ろす。静かになった。
「……終わった?」
「ああ」
息を整えながら。周囲を確認する。岩場の裏。草むら。ほかに魔物の気配はない。
「十五体」
「全部ね」
「怪我は?」
「増えてない」
「よし」
「昨日より扱いがいいな」
「誰の?」
「俺の」
「当たり前でしょう」
マリアが笑った。
◇
討伐証明を回収していた。そのときだった。――ふわっ。
「……っ」
突然、ヒューの身体の内側から。熱が広がった。胸。肩。腕。脚。火傷をするような熱さではない。暖かなものが、身体の隅々へ満ちていく。戦いで溜まった疲労が、少しずつ薄れていった。顔を上げる。
少し離れた場所で、マリアも。胸へ手を当てていた。
「マリアも?」
「ええ」
二人とも、同時だった。
「神の祝福ね」
「ああ」
戦い。鍛錬。仕事。さまざまな経験を積み。大きく成長した者へ、いつか与えられるという。神々の祝福。それが、レベルという形で現れる。通常の祝福では、頭の中にレベルを告げる声までは響かない。自分で状態を確認する必要がある。ヒューがレベル10へ達したときに声が聞こえたのは、《魂の器》が変化したためだったのだろう。
ヒューは目を閉じる。自分自身へ、意識を向ける。――今の状態を知りたい。そう念じる。暗い視界の中へ、淡い文字が浮かび上がった。
【名前:ヒュー】
【レベル:11】
【職業:《剣士》《戦士》】
【魂の器:2/2】
「……十一」
「上がった?」
「ああ」
ヒューは目を開ける。
「レベル11になった」
「私も見てみる」
マリアも、目を閉じた。しばらくして。
「あ……」
「どうだった?」
「レベル10」
「おお」
マリアは、もう一度自分の状態を確認する。
「でも」
「?」
「職業は《魔法使い》のままね」
「ほかには?」
「何も表示されてない」
「……そうか」
ヒューがレベル10になったとき。《魂の器》は変化した。しかし、マリアには。同じことが起きていない。
「やっぱり」
ヒューは自分の胸へ手を当てた。
「《魂の器》は、レベル10になれば誰でも持てるものじゃないみたいだな」
「そうみたいね」
「マリアにもあれば」
少し考える。
「もう一つ職業を持てるのにな」
「気にしなくていいわ」
マリアは、回収した討伐証明を袋へ入れた。
「レベルが上がっただけでも、魔力は増えてると思うし」
「そうか」
「それより」
袋の中を見る。
「これだけ倒したんだから、Eランクへかなり近づいたんじゃない?」
「昨日の実績もある」
「もしかして昇格できる?」
「戻ったら聞いてみよう」
「受付の人」
マリアが苦笑する。
「また呆れるでしょうね」
「どうして?」
「昨日あれだけ戦った人が」
十五体分の討伐証明を見る。
「次の日にこれを持って帰るからよ」
「Eランクにならないと護衛依頼を受けられない」
「そういうところに呆れるのよ」
「?」
「もういいわ」
◇
二人は岩場を離れた。街へ向かい。緩やかな斜面を下っていく。戦いが終わったことで、緊張も少しずつ薄れていた。
「リーヴェンまで、どれくらいかかる?」
「徒歩なら数日はかかると思うわ」
「商隊なら?」
「馬車へ乗せてもらえれば、もう少し早いでしょうね」
「護衛依頼が出てるといいな」
「リーヴェンは大きな町だから」
マリアが答える。
「向かう商人も多いはずよ」
「グリモアを買う金も稼がないとな」
「私のグリモア代まで、ヒューが出す必要はないわよ」
「でも、護衛の報酬はパーティで受け取るんだろ?」
「ちゃんと分けるわ」
「そうか」
「ヒューだって」
マリアが腰の剣を見る。
「新しい武器が必要でしょう?」
「まだ使えるぞ」
「使える、というだけでしょう?」
「……」
言われて。ヒューは剣へ目を落とした。確かに、刃には細かな傷が増えている。特に。大牙ウルフの牙を受けた場所。深い傷が残っていた。今すぐ折れるとは思わない。それでも、もっと強い魔物と何度も戦えば。分からない。
「リーヴェンなら、武器屋も多いと思うわ」
「グリモアだけじゃなく、俺の剣も探すことになりそうだな」
「せっかく大きな町へ行くんだもの」
マリアが振り返った。
「それくらい楽しみがあってもいいでしょう?」
「父を探す旅なのに?」
「ずっと暗い顔をして歩いても」
彼女は、当然のように言う。
「お父さんへ早く会えるわけじゃないわ」
「……そうだな」
「途中の町を見て」
「ああ」
「いろんな依頼を受けて」
「ああ」
「美味しいものも食べて」
「そこも?」
「大事よ」
「グリモアも買って?」
「もっと大事」
「結局それか」
ヒューは笑った。父。考えれば。まだ胸が重い。それでも、すぐに答えを出す必要はない。リーヴェン。そして、その先。一歩ずつ。王都へ近づけばいい。
「あっ」
「?」
突然、マリアの身体が。前へ傾いた。地面から伸びていた木の根。靴が引っかかった。
「マリア!」
ヒューが、咄嗟に手を伸ばす。だが、わずかに間に合わない。マリアは斜面へ片膝をついた。
「大丈夫か?」
「ええ」
少し恥ずかしそうに、マリアが顔を上げる。
「怪我は?」
「ないわ」
「立てる?」
ヒューは、右手を差し出した。
「ありがとう」
マリアが、その手を取った。指先が、触れた。その瞬間。――ドクンッ!
「……っ!」
ヒューの胸の奥。《魂の器》。それが、今までにないほど強く震えた。
「ヒュー?」
《剣士》を選んだときとも、《戦士》を装備したときとも。違う。自分の中にある器が、身体の外側にある何かへ。反応している。求めている。繋がろうとしている。
「なに……これ?」
二人の重なった手。その間から、淡い光が生まれた。
「マリア……」
「私にも見える」
立ち上がることすら忘れ。二人は光を見つめた。そして、ヒューの視界へ。文字が浮かぶ。
【条件を満たした対象との接触を確認しました】
【対象との強い信頼関係を確認しました】
【対象のレベル10到達を確認しました】
【《魂の器》の共鳴条件を満たしました】
「魂の器の……」
ヒューが呟く。
「共鳴?」
「何か表示されてるの?」
「ああ」
さらに、新しい文字。
【対象:マリア】
【現在職業:《魔法使い》】
【適合職:《風術師》】
「……風術師?」
ヒューが呟いた。
「何?」
「マリアの適合職」
「私の?」
「ああ」
表示を読む。
「《風術師》」
マリアの表情が変わった。
「風術師……」
《風弾》。《風払い》。《風刃》。マリアが使ってきた魔法。その多くが、風属性。
「風魔法に特化した職業なのかもしれない」
「そうかも……」
マリアも、自分の手を見つめる。だが、表示は。まだ終わっていなかった。
【共鳴により、対象の《魂の器》を覚醒できます】
「……」
ヒューが黙った。
「どうしたの?」
「マリア」
「なに?」
「俺の《魂の器》が」
ゆっくり説明する。
「マリアの《魂の器》を目覚めさせられるらしい」
「私の?」
「ああ」
「つまり」
マリアが、少しずつ理解する。
「私も、ヒューと同じように二つの職業を持てるようになる?」
「表示を信じるなら」
ヒューは答えた。
「たぶん」
「……」
マリアが、右手を見る。一方、ヒューは。不安を感じていた。
「でも」
「?」
「危険があるかもしれない」
「危険?」
「分からない」
「分からないのね」
「ああ」
ヒューは胸へ手を当てる。
「俺の場合は、自分の中で勝手に起きた」
レベル10。《魂の器》。第二の職業。
「でも」
マリアを見る。
「今回は、俺の力でマリアの魂に何かをすることになる」
もし。失敗したら。もし。何かが壊れたら。
「強くなれるからって」
ヒューは言った。
「簡単に試していいとは思えない」
マリアは、少し考えた。
「ヒュー」
「ん?」
「《戦士》を得て、強くなった?」
「ああ」
「身体に異常は?」
「今のところない」
「なら」
迷いのない声だった。
「私は試したい」
「本当に?」
「ええ」
「何が起こるか分からないんだぞ」
「だからって」
マリアは自分の杖を見る。
「何もしない理由にはならないわ」
「……」
「私は」
ゆっくり言う。
「もっと強い魔法使いになりたい」
グリモア。新しい魔法。もっと多くの術式。
「いろんな魔法を覚えたい」
「マリア……」
「それに」
ヒューを見る。
「リーヴェンへ行く途中で、また何が起きるか分からないでしょう?」
「ああ」
「いつまでも」
杖を握る。
「ヒューだけに前を任せるつもりもないわ」
「……」
「私も」
まっすぐ。
「強くなれるなら、強くなりたい」
「でも――」
ヒューが言いかける。その言葉を、マリアが遮った。
「ヒューが」
小さく笑う。
「私に悪いことをするとは思ってないもの」
「……」
ヒューは、先ほどの表示を思い出した。
【対象との強い信頼関係を確認しました】
ただ、一緒に依頼を受けただけではない。助け。助けられ。何度も、互いに背中を預けた。だから、《魂の器》が。マリアへ反応した。
「分かった」
ヒューは頷いた。
「ただし」
「なに?」
「何か変だと思ったら、すぐにやめる」
「ヒューもよ」
「ああ」
「無理だと思ったら、途中で止めること」
「分かった」
マリアが、右手を差し出した。
「お願い」
ヒューは、一度。深く息を吸った。そして、その手を握る。再び。淡い光が生まれた。
【対象との接触を確認しました】
【《魂の器》を共鳴させます】
【対象本人の承認が必要です】
ヒューは、マリアを見る。
「本当に」
最後に、確認する。
「俺の力を受け入れるか?」
「受け入れるわ」
迷わず。マリアが頷いた。その瞬間、二人の手から溢れる光が。一気に強くなった。
【対象本人の承認を確認しました】
【マリアの《魂の器》を覚醒します】
「っ!」
ヒューの胸の奥。器が。大きく震えた。そこから、何かが。重ねた手を通じて。マリアの中へ流れていく。
「マリア!」
「大丈夫……!」
ヒューの力そのものが失われていく感覚ではない。奪われているわけでもない。自分の中にある。《魂の器》という形。その形だけを、マリアの魂へ伝えている。そんな。不思議な感覚だった。
「胸が……熱い」
「痛い?」
「ううん」
マリアが、目を閉じる。
「神の祝福を受けたときに似てる」
「……」
「でも」
胸へ手を当てる。
「もっと強い……!」
淡い光。マリアの胸元へ、集まっていく。
【覚醒に成功しました】
【マリアの《魂の器》が解放されました】
【魂の器:1/2】
【装備職業:《魔法使い》】
【第二の器:空き】
【適合職:《風術師》】
「……!」
マリアが、目を開いた。
「見える」
「マリアにも?」
「ええ」
驚いたまま。自分の胸元を見る。
「《魂の器》っていう文字が……」
「二つ目は?」
「空いてる」
「《風術師》は?」
「表示されてるわ」
ヒューは、少しだけ安堵した。
「装備するかどうかは、マリアが決められると思う」
「ヒューのときと同じ?」
「ああ」
ヒューも、《戦士》を入れるかどうか。最後は、自分で選んだ。
「……」
マリアが、目の前に浮かぶ表示を見る。迷った時間は、短かった。
「《風術師》を装備する」
【第二の魂の器へ《風術師》を装備しますか?】
「する」
【《風術師》を装備しました】
【魂の器:2/2】
【装備職業:《魔法使い》《風術師》】
次の瞬間、周囲に漂っていた風が、一斉にマリアのもとへ集まり始めた。
「マリア……!」
足元の草が外側へ倒れ、乾いた葉が地面から舞い上がる。風は渦を巻きながら、マリアの身体を包み込んでいった。銀色を帯びた淡い光が、その身体からあふれ出す。マリアの髪が大きくなびく。衣服の裾が風に持ち上げられ、杖の先に小さな光が灯った。そして、マリアの両足が、ゆっくりと地面から離れた。驚きに見開かれた瞳。淡く光り輝く身体。集まった風に抱かれるように、マリアは宙へ浮かんでいた。




