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第5話 重なる力

 翌朝。ヒューは宿の裏手にある小さな空き地で、何度目か分からないほど剣を振っていた。上段から振り下ろす。一歩踏み込みながら横へ薙ぐ。返す刃で斜めに斬り上げ、そのまま後ろへ下がって構え直す。――ヒュンッ!鋭い風切り音が響いた。

「……違う」

 剣の扱いが、突然上手くなったわけではない。十年間かけて身体へ刻み込んだ剣技そのものは、昨日までと同じだ。それでも、明らかに違う。

「身体がぶれない」

 強く踏み込んでも、足元が揺れない。剣を振り切ったあとも、身体が流れない。腕に残る重さも、以前より小さかった。ヒューは一度剣を下ろし、自分の内側へ意識を向ける。

【魂の器 2/2】

【装備職業:《剣士》《戦士》】

 《剣士》が剣を扱う技術を支える職業なら。《戦士》は、前線で戦い続けるための身体能力を支える職業なのだろう。筋力だけではない。踏ん張る力。衝撃へ耐える力。疲れても武器を振り続ける力。どれも外から見ただけでは分かりにくい。だからこそ。実際に確かめたかった。

「朝から熱心ね」

 背後から声がした。ヒューは剣を止める。振り返ると、宿の壁にもたれたマリアがこちらを見ていた。

「起こしたか?」

「いいえ。私もそろそろ起きようと思っていたところ」

 マリアがヒューの足元へ視線を落とす。

「昨日より安定して見えるわね」

「自分でもそう思う。ただ」

 ヒューは剣を鞘へ戻した。

「素振りだけじゃ分からない」

「実際に魔物と戦ってみたい?」

「ああ」

 答えてから、ヒューは一度、口を閉じた。一人で依頼を受けることも考えた。自分の新しい力だ。自分一人で試してみたいという気持ちもある。だが、昨日の言葉を思い出す。――次からも一人で抱え込まないこと。強くなったからといって。何もかも一人でやる必要はない。それに、自分では気づかない変化もあるかもしれない。

「マリア」

「何?」

「今日も一緒に依頼を受けてくれないか」

「もちろん」

 ほとんど間を置かずに返事がきた。ヒューは少し目を丸くする。

「まだ、どんな依頼を受けるかも言ってないぞ」

「今の実力で受けられないような依頼を、ヒューがわざわざ選ぶとは思ってないもの」

 マリアは小さく笑った。

「それに、私も《戦士》が加わってどれだけ変わったのか興味があるわ」

「助かる」

「ただし」

 マリアが指を一本立てる。

「強くなったからって無茶をしたら止めるからね」

「分かってる」

「本当に?」

「……」

「なんで黙るのよ」

 若いオーガを相手に囮になった人間が言っても、説得力がないのかもしれない。

「なるべく気をつける」

「今の間が不安なのよ」

 マリアは呆れた顔をしたあと。小さく笑った。

     ◇

「街道沿いの林で、ゴブリンと大牙ウルフが目撃されています」

 朝食を済ませてギルドへ向かうと、受付係が一枚の依頼書を差し出した。

「大牙ウルフ?」

「大型の狼型魔物です。普通の狼よりひと回り以上大きく、名前の通り牙が非常に発達しています」

 受付係が依頼書を指で示す。

「単体でも危険ですが、群れの場合はさらに危険です。今回、確認されている数も分かっていません」

 数日前から、街道を利用する商人たちが、林の中で魔物を見かけているらしい。幸い。まだ人的被害は出ていない。だが、放置すれば、いずれ荷馬車や旅人が襲われる。

「ゴブリンだけなら問題ないと思うけど」

 依頼書を覗き込んでいたマリアが言った。

「大牙ウルフが何頭いるか分からないのが怖いわね」

「ああ」

 ヒューも頷いた。

「危険だと思ったら戻ろう」

「そうね。倒すことより、情報を持ち帰ることを優先しましょう」

 二人は依頼を受けた。

     ◇

 目的の林までは、街から歩いて半日もかからなかった。ヒューは街道を進みながら、周囲へ目を配る。木々の間に不自然な揺れはないか。草が踏み荒らされていないか。魔物の鳴き声は聞こえないか。《戦士》を得たからといって。索敵まで得意になったわけではない。マリアの方が、周囲の異変へ先に気づくことも多かった。突然、マリアが止まった。ヒューも止まる。

「何かいた?」

「いや」

 ヒューは周囲を見る。

「何も見つけてない」

「じゃあ、なんで止まったの?」

「マリアが止まったから」

「……私もヒューが止まったから止まったんだけど」

「……」

「……」

 二人は顔を見合わせた。

「気を張りすぎたな」

「そうみたいね」

 少しだけ緊張がほぐれた。その直後。――パキッ。林の奥で、枯れ枝が折れた。二人の表情が変わる。低い茂みが揺れ。緑色の小さな影が現れた。

「ゴブリン」

 一体。さらに、左右の木陰から二体。合計三体。錆びた短剣を持つものが一体。残る二体は、太い枝を棍棒のように握っていた。ヒューは剣を抜く。

「右と正面は俺がやる。マリアは左を頼む」

「分かった」

 短剣を持つゴブリンが走った。

「ギィィッ!」

 以前のヒューなら。最後まで相手の攻撃を見ようとしていた。確実に防ぎ。安全を確認してから斬り返す。間違ってはいない。だが、慎重になりすぎれば。相手へ先手を譲る。

「……!」

 ヒューは、前へ出た。ゴブリンの短剣が届くより早く。剣を振り下ろす。――ガンッ!

「ギッ!?」

 短剣が弾かれる。ゴブリンの腕が大きく開いた。そのまま、ヒューは止まらない。返した刃で、胴を斬る。

「ギャッ……!」

 一体目が倒れた。右。棍棒。ヒューは剣の腹を立てる。――ガンッ!腕へ衝撃。だが。

「……おお」

 足が動かなかった。昨日までなら。半歩。あるいは一歩。押されていただろう。

「これが……」

 ゴブリンが驚いたように目を見開く。ヒューは剣を押し返した。体勢を崩した胸へ、一突き。二体目。

「ヒュー!」

 声に反応して振り向く。残る一体の足元で、風が弾けた。

「風よ、撃て――《風弾》!」

 ゴブリンが横へ吹き飛ぶ。木の幹へ身体を打ちつけた。ヒューが駆け寄る。一瞬だけ。最初にゴブリンを斬った日の感触が蘇った。それでも、剣は止まらなかった。一閃。最後の一体が倒れた。

「……」

 ヒューは静かに息を吐いた。

「怪我は?」

「ない」

「戦ってみてどう?」

 ヒューは自分の手を見る。震えてはいない。

「剣が軽くなったように感じる」

「やっぱり?」

「いや」

 首を振った。

「剣の重さは変わってない」

 拳を握る。

「俺の方が、重さに耐えられるようになったんだ」

「攻撃を受けたときも、体勢が崩れなかったわね」

「ああ」

 これが、《戦士》の力。少なくとも、三体程度のゴブリン相手なら。昨日までより明らかに余裕がある。だが、依頼は。まだ始まったばかりだった。

     ◇

 三体分の討伐証明を回収し。さらに林の奥へ進む。しばらく、魔物は現れなかった。代わりに、地面へ残された足跡が増えていく。折れた枝。踏みつぶされた草。泥へ残った小さな足跡。

「ゴブリンね」

 マリアが屈み込んだ。

「多い?」

「少なくとも三体や四体じゃないわ」

「別の群れか」

 ヒューは剣の柄へ手を添える。そのとき、甲高い声が。頭上から響いた。

「上!」

 マリアの声。ヒューが後ろへ跳ぶ。直後。――ゴンッ!さっきまでヒューが立っていた場所へ、拳ほどの石が落ちた。

「木の上か!」

 太い枝。そこに、一体のゴブリンがいた。片手には、いくつもの石を詰めた袋。だが、そいつだけではない。

「ギャァァッ!」

 前方の茂み。五体。

「六体!」

「挟まれたわ!」

「前は任せろ!」

「じゃあ上は見る!」

 最初の棍棒。受け流す。横から、短剣。

「っ!」

 身体を捻る。刃先が服の脇腹を浅く裂いた。さらに、三体目。強くなった。間違いなく。昨日より強い。それでも、剣は一本しかない。一度に、すべての攻撃を防げるわけではない。

「くっ……!」

 ヒューは前へ出た。肩をぶつける。

「ギャッ!」

 ゴブリンの小さな身体が地面を転がった。以前なら。自分も体勢を崩していたかもしれない。今は。違う。剣を振る。一体。

「石!」

 頭上から、再び飛来。

「風よ、払え――《風払い》!」

 マリアの風が石の軌道を逸らした。ヒューの肩の横を通り。地面へ落ちる。

「助かった!」

「まだよ!」

 木の上にいたゴブリンが、枝から飛び降りた。

「マリア!」

 狙いは、後衛。マリアだった。だが、ヒューの正面には。まだ四体いる。一体が、粗末な槍を突き出した。避けていては、間に合わない。

「っ!」

 ヒューは左腕を上げた。革の防具へ、槍の穂先が食い込む。

「ぐっ……!」

 痛い。だが、止まらない。左手で槍の柄を掴む。

「こっちへ来い!」

「ギッ!?」

 強引に引き寄せる。剣の柄を、顔面へ叩き込む。よろけた。その胴へ、剣を振る。二体目。倒した。道が開く。

「マリア!」

 木から降りたゴブリンが、すでに彼女へ短剣を振り上げていた。走る。間に合え。

「っ!」

 背後から、斬った。三体目。

「ヒュー!」

「大丈夫だ」

 左腕から血が滲んでいる。しかし、深くはない。剣も握れる。残る三体。距離を取り。こちらを囲もうとしている。

「今度は三体だ」

「ええ」

 ヒューとマリアが、互いの位置を確認する。

「右から風を当てられる?」

「できるわ」

「左へ寄せてくれ」

「何するつもり?」

「一か所にまとめる」

 マリアは一瞬だけヒューを見る。

「分かった」

 杖を振る。

「風よ、払え――《風払い》!」

 横から吹きつけた風。三体の足並みが乱れる。同じ方向へ、寄った。

「今!」

 ヒューが踏み込む。棍棒を弾く。一体目の肩へ、刃を入れる。横。短剣。避けきれない。

「っ!」

 身体を前へ出す。革鎧の厚い部分。そこで受ける。鈍い痛み。それでも、足は止めない。胸へ剣を突き刺す。一体。倒れる。傷ついたゴブリンが、もう一度棍棒を振る。受け流す。

 首へ。二体目。最後の一体が、背中を向けた。

「逃がさない!」

 マリアの杖が光る。

「《風弾》!」

 風が足を撃ち抜いた。ゴブリンが転ぶ。ヒューが追いつく。剣を振り下ろした。静寂。

「……はぁ」

 息を整える。左腕を見る。血は出ている。だが、傷は浅い。

「見せて」

 マリアが近づいてくる。

「この程度なら――」

「見せて」

「……はい」

 逆らわない方がよさそうだった。マリアが傷口を確認する。

「薬を塗って、布を巻けば大丈夫そうね」

「《戦士》がなければ、もう少し深く刺さっていたと思う」

「そうかもしれない」

 薬を塗りながら。マリアがヒューを見る。

「でも」

「?」

「傷を負っても平気になったわけじゃないからね」

「ああ」

「あと」

 マリアの目が細くなる。

「正面ばかり見すぎ」

「……」

「木の上のゴブリンに気づかなかったでしょう」

「分かってる」

「本当に?」

「ああ」

 即答した。マリアが少しだけ笑う。

「今度は間を空けなかったわね」

「そこは成長した」

「そこだけ?」

「……」

「冗談よ」

 手当てを終え。マリアが立ち上がった。ヒューも立つ。強くなった。だからこそ。よく分かる。自分一人では、まだ足りない。石を避ける。後ろの敵を見る。傷を手当てする。

 すべてを、一人でやる必要がある。マリアがいなければ。もっと苦戦していた。

「行ける?」

「ああ」

 二人は、さらに奥へ進んだ。

     ◇

 そこで、見つけた。

「……死んでる」

 一体ではない。四体。ゴブリンの死体が、重なるように倒れていた。そして、傷が。明らかに違う。大きな牙で、身体を食い破られている。

「大牙ウルフ」

 マリアが低く言った。

「近くにいる?」

「分からない」

 周囲を見る。

「でも、死体は新しい」

 ヒューは、剣を抜いた。風。葉。草。そして。――グルルル……。

「右!」

 振り向く。灰色。巨大な影。

「っ!」

 茂みから、狼型の魔物が飛び出した。普通の狼より、明らかに大きい。口の両端から伸びる牙は、まるで。短剣。

「これが……!」

 大牙ウルフが、地面すれすれまで身体を沈める。次の瞬間、弾けた。速い。ヒューは剣を立てる。――ガキンッ!

「ぐっ!」

 牙が。剣へ噛みついた。重い。靴底が、土を削る。身体が、後ろへ押される。だが、倒れない。

「耐えられる……!」

 《戦士》を得る前なら。剣ごと。弾き飛ばされていただろう。

「ヒュー、左!」

「っ!」

 二頭目。剣を。抜けない。大牙ウルフの牙が、強く噛みついている。

「風よ、撃て――《風弾》!」

 ――ドンッ!二頭目の顔へ、風が直撃。身体が、地面を転がった。

「助かった!」

 ヒューは、剣へ噛みついた一頭の腹へ。蹴りを入れる。牙が緩む。剣を引き抜き。首へ。一閃。

「グァッ!」

 浅い。厚い毛皮。筋肉。致命傷へ届かない。前脚。

「くっ!」

 爪が肩をかすめた。革鎧が裂ける。熱い。

「まだいる!」

「何!?」

 背後の茂み。さらに、二頭。

「四頭……!」

 吹き飛ばした二頭目も、起き上がる。

「ヒュー!」

「ああ!」

 このままでは、囲まれる。

「位置を変える!」

 二人は、近くの大木まで下がった。背後。木。これなら。後ろからは来ない。四頭の大牙ウルフが、低く唸る。すぐには来ない。左右へ広がる。

「こいつら……」

「囲むつもりね」

「ゴブリンより頭がいい」

「正面しか見てなかったら終わるわよ」

 ヒューは苦笑する。

「今度は分かってる」

「さっき教えたばかりだものね」

「ああ」

 一頭。走る。同時。横から別の一頭。ヒューは、正面へ。踏み込んだ。牙が届く。その寸前。半歩。ずらす。

 《剣士》。正面から力で止めるのではなく。勢いを、横へ流す。すれ違いざま。前脚。斬る。

「ギャゥッ!」

 体勢を崩した。だが、二頭目。

「ヒュー!」

 剣が戻らない。ヒューは、左腕を出した。牙。防具へ、食い込む。

「ぐぁっ!」

 痛い。猛烈な痛み。それでも、倒れなかった。

「離せ……!」

 腕を噛まれたまま。身体を、ひねる。腰。脚。全身。

「おおおっ!」

 大牙ウルフの身体が、地面へ叩きつけられた。

「マリア!」

「分かってる!」

「風よ、刃となれ――《風刃》!」

 鋭い風。首。切り裂く。牙の力が、抜けた。ヒューが腕を引き抜く。一頭。倒れる。残り。三頭。

「……まだ来る」

 左腕。痛い。肩も。裂かれている。だが、動く。強くなった。確かに、でも。無敵になったわけではない。一歩。間違えば。

 牙は。防具の奥まで届く。

「無茶しないで!」

「まだ動ける!」

「それを無茶って言うの!」

 前脚を斬った大牙ウルフが、走った。乱れた足取り。ヒューは、今度は避けない。両手。剣。牙。正面から、受ける。――ガンッ!

「ぐっ!」

 衝撃。耐える。剣先を、下へ。大牙ウルフの頭が、押し下がる。

「今度は俺が隙を作る!」

「任せて!」

「《風弾》!」

 脇腹。風が直撃。身体が横へ流れる。ヒューの剣。首へ。深く。二頭目。

「あと二頭!」

 残る二頭が、同時に動いた。左右。狙いは。

「マリア!」

 二頭とも、後衛。ヒューは、近い一頭を追う。だが、もう一頭へ。届かない。マリアは、逃げなかった。杖を構える。ギリギリまで、待つ。大牙ウルフが、跳んだ。

「風よ、払え――《風払い》!」

 下から、風。跳躍の軌道が、僅かにずれる。

「っ!」

 巨大な牙が、マリアの髪をかすめた。そのまま、背後の木へ。激突。一方。ヒュー。追いついた大牙ウルフの爪を、剣で防ぐ。押し合う。力だけなら。向こうが上。それでも、足は。

 下がらない。《剣士》として。刃を扱う。《戦士》として。前へ立つ。二つ。別々の力。それが、ヒューの中で。重なっていた。

「おおおおっ!」

 押し返す。胸。剣を。突き刺した。

「ギャァッ……!」

 三頭目。残る。一頭。木へ激突した大牙ウルフが、立ち上がった。よろめきながら。マリアへ、牙を向ける。

「させるか!」

 ヒューが走る。狼が跳ぶ。その横から、身体をぶつけた。

「うおっ!」

 もつれる。地面を、転がる。先に立ったのは。ヒュー。大牙ウルフが、顔を上げる。その前に、剣。首。振り下ろす。――ガンッ!骨。

 一度では、断てない。

「っ……!」

 剣を抜く。もう一度、振り下ろした。巨体から、力が抜けた。

「……終わった」

 ヒューは、剣を地面へ突き立てた。それを杖のようにして。身体を支える。

「はぁ……はぁ……」

 腕。肩。脚。全部。痛い。

「ヒュー!」

 マリアが走ってくる。

「腕を見せて」

「大丈夫――」

「見せて」

「……はい」

 左腕。破れた防具を、慎重に外す。牙の痕。血。だが、骨までは。届いていない。

「防具と《戦士》に助けられたわね」

「ああ」

「もう少し深かったら危なかった」

「分かってる」

 マリアが、傷を洗う。

「強くなった?」

 ヒューは、倒れた四頭を見る。

「なったと思う」

「もう安心?」

 少し考える。一人だったら。最初の一頭に剣を噛まれた時点で、横から。やられていたかもしれない。風弾がなければ。背後からの敵へ、対応できなかった。

「いや」

 首を振った。

「まだ安心できない」

「なら」

 マリアが笑う。

「合格」

「何の?」

「強くなった途端に、自分なら何でもできると思い始めてないか確認してたの」

「……そんな試験だったのか」

「そうよ」

 薬を塗る。

「それと」

「まだある?」

「自分を盾にする癖」

「……」

「直した方がいいわ」

「あのときは間に合わなかった」

「だからって腕を噛ませる?」

「マリアを見捨てるよりいい」

 マリアの手が、止まった。

「……」

「どうした?」

「そういうことを」

 少し、困ったような顔。

「普通に言うのね」

「何かおかしかった?」

「いいえ」

 傷へ。布を巻く。

「ヒューらしいと思っただけ」

 手当てを終え。マリアが立った。

「ねえ、ヒュー」

「ん?」

「これからも」

 少しだけ。言いづらそうに。

「私と一緒に依頼を受けない?」

「今日だけじゃなく?」

「ええ」

 マリアがヒューを見る。

「正式にパーティを組むの」

「……」

 ヒューは、彼女を見た。一人より、二人の方が強い。でも、それだけではない。間違えそうになったとき。止めてくれる。自分が見落としたものを、見つけてくれる。怪我をすれば。怒りながら手当てしてくれる。

「俺の方から頼もうと思ってた」

「……なら」

 マリアが笑った。

「決まりね」

「ああ」

 ヒューは手を差し出した。

「これからもよろしく、マリア」

「こちらこそ」

 二人は、初めて。正式な仲間になった。

     ◇

「大牙ウルフ四頭……」

 ギルドへ戻り。机へ牙を並べる。

「それと」

 受付係が数える。

「ゴブリン九体」

「はい」

「二人で?」

「はい」

 受付係の視線が、ヒューの傷へ向いた。

「相当、苦戦したみたいですね」

「ああ」

 ヒューが答える。

「一人だったら、もっとひどかったと思う」

「それで」

 マリアが一枚の用紙を見る。

「正式にパーティ登録をしたいの」

「分かりました」

 受付係が微笑んだ。

「では、依頼処理のあとにこちらへ二人のお名前を書いてください」

 パーティ登録用紙を受け取りながら、ヒューはマリアと目を合わせた。《魂の器》について、誰か信頼できる相手に相談するなら今かもしれない。以前、二人で簡単には話さないと決めていた。マリアが小さく頷く。

「受付係さん」

「はい?」

「ギルド長に」

 ヒューは声を落とした。

「個人的に相談したいことがあります」

「ギルド長に?」

「できれば」

 周囲を見る。

「人のいないところで」

 受付係の表情が、少し変わった。

「……分かりました」

     ◇

 ギルド長の部屋。扉が閉じられた。部屋にいるのは。ヒュー。マリア。そして、ギルド長。

「それで」

 大柄な中年の男が机の向こうで指を組んだ。

「俺にしか話せない相談とは?」

 ヒューは、一度。マリアを見る。彼女が、頷いた。

「俺には」

 ヒューは胸へ手を当てる。

「《魂の器》という能力があります」

「魂の器?」

「はい」

 職業登録の日。自分にだけ見えたこと。最初は。

【1/1】

 だったこと。レベル10。そこで。

【1/2】

 へ拡張されたこと。さらに、二つ目へ。《戦士》を入れたこと。

「今の俺は」

 ヒューは言った。

「《剣士》と《戦士》」

「二つの職業の力を、同時に使えます」

「……」

 ギルド長は、すぐには答えなかった。

「転職したわけではないんだな?」

「はい」

「《剣士》の力は残っている?」

「残っています」

「その上で《戦士》の恩恵も受けている」

「はい」

 ギルド長は、椅子へ深く背を預けた。

「二つの職業を同時に持つ、か」

「前例はあるんでしょうか?」

「極めて少ない」

「……少ない?」

 ヒューが反応する。

「ゼロではないんですか?」

「少なくとも」

 ギルド長が言う。

「複数の職業を同時に持っているのではないか、と噂されている者は存在する」

 マリアも身を乗り出した。

「通常の転職とは違うんですか?」

「ああ」

 ギルド長が頷く。

「普通は別の職業へ転じれば、以前の職業から受けていた恩恵の多くを失う」

「鍛えた剣技まで消えるわけではない」

「だが」

「《剣士》と《戦士》の恩恵を、同時に受けることはできない」

 ヒューは、自分の手を見る。

「やっぱり」

「この能力は」

 ギルド長の表情が厳しくなる。

「誰にでも話すな」

「やっぱり隠した方が?」

「そうだ」

「珍しい力には」

 ギルド長が言う。

「必ず、それを利用しようとする人間が寄ってくる」

 マリアの表情も、険しくなる。

「だから」

 ギルド長は二人を見る。

「今日ここで話したことは、俺のところで止める」

「ありがとうございます」

「ただし」

 少しだけ。口調が和らぐ。

「お前が、この世界でただ一人だと決まったわけではない」

「ほかにもいる?」

「確証はない」

 ギルド長が、少し考える。

「本人が、自分の能力を詳しく語らないからな」

「誰なんです?」

「王都を中心に活動している」

 一呼吸。

「Sランク冒険者だ」

「Sランク……」

「その男は」

 ギルド長が続けた。

「普通では考えられないほど多彩な戦い方をする」

「剣を使うこともあれば、槍を使う」

「重い盾を持って前線へ立つこともある」

「それぞれが」

「ただ扱えるという程度ではない」

「複数の職業から恩恵を受けているのではないか」

「そう噂する者もいる」

 ヒューの鼓動が、少し。速くなる。

「その人は……」

「?」

「どんな人なんです?」

「銀色の髪をした男だ」

 ヒューの指が、止まった。

「……銀色?」

「ああ」

 ギルド長は、その変化に気づかないまま続ける。

「名前は」

 そして、その名を口にした。

「アーロン」

「……」

 音が。遠くなった。

「ヒュー?」

 マリアの声。聞こえる。でも、返事ができない。アーロン。聞き間違えるはずがない。父の名前だった。幼い頃から、母に何度も聞いた。父さんは、アーロンという名前なのだと。そして、銀色の髪。幼い頃。

 母が一度だけ見せてくれた。古い布に包まれた。小さな肖像画。若い男。銀色の髪。笑っていた。父さんだと。母は言った。

「その人の……」

 声が。自分でも分かるほど震えた。

「その人の名前」

「アーロンだ」

 やっぱり。同じ。

「知っているのか?」

 ギルド長に尋ねられ。ヒューは、乾いた喉を動かした。

「俺の父親も」

 言葉が、重い。

「アーロンという名前です」

「……父親?」

 部屋の空気が、変わった。

「父も」

 ヒューは続ける。

「銀色の髪でした」

「……」

 ギルド長は、すぐには答えなかった。

「父親の年齢は?」

「正確には分かりません」

 ヒューは首を振る。

「父は、俺が幼い頃からほとんど家に帰ってこなかった」

 いや。最後に帰ってきたのがいつなのか。ヒューには、もう覚えていない。

「母は」

 胸が。少し痛む。

「困っている人を助けるために、遠くで冒険者をしていると言っていました」

「……」

「十年前」

 あの日。村。鐘。血。母の手。

「村が魔物に襲われたときも」

 父は。帰らなかった。そして、あれから。さらに十年。

「二十年近く」

 ヒューは呟く。

「俺は父に会っていません」

 マリアが、何も言わず。隣でヒューを見ている。ギルド長は、しばらく考えた。

「年齢だけなら」

 ゆっくり。

「可能性はある」

 ヒューの鼓動が、跳ねる。

「生きて……」

 声が漏れた。

「父は、生きているかもしれない?」

「まだ決めつけるな」

 ギルド長がすぐに言った。

「同名の人間はいる」

「銀髪も、それだけなら証拠にはならない」

「だが」

 ヒューの胸を見る。

「お前のその能力と」

「複数の職業を持つと噂されるアーロン」

「偶然として片づけるには」

 少し。

「気になる一致ではある」

 ヒューは、拳を握った。

「その人は」

 顔を上げる。

「今も王都にいるんですか?」

「少なくとも」

 ギルド長は答える。

「少し前までは王都を拠点にしていた」

「会えますか?」

「簡単ではない」

「Sランク冒険者は、ギルドから直接依頼を受けて各地へ向かう」

「今どこにいるのか」

「俺にも分からん」

「……そうですか」

 それでも、以前とは違う。何もなかった。父が。どこにいるのか。生きているのか。何をしているのか。何一つ。分からなかった。今は。名前がある。

 王都。Sランク冒険者。そして、自分と同じかもしれない。複数の職業。ヒューは、胸へ手を当てた。その奥には、二つの職業を収めた。《魂の器》。この力は、父から受け継いだものなのか。父は。なぜ帰らなかった?

 母が。死んだことを、知っているのか?村が襲われたことを、知っているのか?そして、本当に。今も。どこかで、人を助け続けているのか。

「……会いたい」

 気づけば。そう呟いていた。会って。聞きたい。聞かなければならない。ずっと遠い場所にいると思っていた父。もう。二度と会えないのかもしれないと思っていた父。その背中へつながる道が、突然。ヒューの目の前に現れた。


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