第5話 重なる力
翌朝。ヒューは宿の裏手にある小さな空き地で、何度目か分からないほど剣を振っていた。上段から振り下ろす。一歩踏み込みながら横へ薙ぐ。返す刃で斜めに斬り上げ、そのまま後ろへ下がって構え直す。――ヒュンッ!鋭い風切り音が響いた。
「……違う」
剣の扱いが、突然上手くなったわけではない。十年間かけて身体へ刻み込んだ剣技そのものは、昨日までと同じだ。それでも、明らかに違う。
「身体がぶれない」
強く踏み込んでも、足元が揺れない。剣を振り切ったあとも、身体が流れない。腕に残る重さも、以前より小さかった。ヒューは一度剣を下ろし、自分の内側へ意識を向ける。
【魂の器 2/2】
【装備職業:《剣士》《戦士》】
《剣士》が剣を扱う技術を支える職業なら。《戦士》は、前線で戦い続けるための身体能力を支える職業なのだろう。筋力だけではない。踏ん張る力。衝撃へ耐える力。疲れても武器を振り続ける力。どれも外から見ただけでは分かりにくい。だからこそ。実際に確かめたかった。
「朝から熱心ね」
背後から声がした。ヒューは剣を止める。振り返ると、宿の壁にもたれたマリアがこちらを見ていた。
「起こしたか?」
「いいえ。私もそろそろ起きようと思っていたところ」
マリアがヒューの足元へ視線を落とす。
「昨日より安定して見えるわね」
「自分でもそう思う。ただ」
ヒューは剣を鞘へ戻した。
「素振りだけじゃ分からない」
「実際に魔物と戦ってみたい?」
「ああ」
答えてから、ヒューは一度、口を閉じた。一人で依頼を受けることも考えた。自分の新しい力だ。自分一人で試してみたいという気持ちもある。だが、昨日の言葉を思い出す。――次からも一人で抱え込まないこと。強くなったからといって。何もかも一人でやる必要はない。それに、自分では気づかない変化もあるかもしれない。
「マリア」
「何?」
「今日も一緒に依頼を受けてくれないか」
「もちろん」
ほとんど間を置かずに返事がきた。ヒューは少し目を丸くする。
「まだ、どんな依頼を受けるかも言ってないぞ」
「今の実力で受けられないような依頼を、ヒューがわざわざ選ぶとは思ってないもの」
マリアは小さく笑った。
「それに、私も《戦士》が加わってどれだけ変わったのか興味があるわ」
「助かる」
「ただし」
マリアが指を一本立てる。
「強くなったからって無茶をしたら止めるからね」
「分かってる」
「本当に?」
「……」
「なんで黙るのよ」
若いオーガを相手に囮になった人間が言っても、説得力がないのかもしれない。
「なるべく気をつける」
「今の間が不安なのよ」
マリアは呆れた顔をしたあと。小さく笑った。
◇
「街道沿いの林で、ゴブリンと大牙ウルフが目撃されています」
朝食を済ませてギルドへ向かうと、受付係が一枚の依頼書を差し出した。
「大牙ウルフ?」
「大型の狼型魔物です。普通の狼よりひと回り以上大きく、名前の通り牙が非常に発達しています」
受付係が依頼書を指で示す。
「単体でも危険ですが、群れの場合はさらに危険です。今回、確認されている数も分かっていません」
数日前から、街道を利用する商人たちが、林の中で魔物を見かけているらしい。幸い。まだ人的被害は出ていない。だが、放置すれば、いずれ荷馬車や旅人が襲われる。
「ゴブリンだけなら問題ないと思うけど」
依頼書を覗き込んでいたマリアが言った。
「大牙ウルフが何頭いるか分からないのが怖いわね」
「ああ」
ヒューも頷いた。
「危険だと思ったら戻ろう」
「そうね。倒すことより、情報を持ち帰ることを優先しましょう」
二人は依頼を受けた。
◇
目的の林までは、街から歩いて半日もかからなかった。ヒューは街道を進みながら、周囲へ目を配る。木々の間に不自然な揺れはないか。草が踏み荒らされていないか。魔物の鳴き声は聞こえないか。《戦士》を得たからといって。索敵まで得意になったわけではない。マリアの方が、周囲の異変へ先に気づくことも多かった。突然、マリアが止まった。ヒューも止まる。
「何かいた?」
「いや」
ヒューは周囲を見る。
「何も見つけてない」
「じゃあ、なんで止まったの?」
「マリアが止まったから」
「……私もヒューが止まったから止まったんだけど」
「……」
「……」
二人は顔を見合わせた。
「気を張りすぎたな」
「そうみたいね」
少しだけ緊張がほぐれた。その直後。――パキッ。林の奥で、枯れ枝が折れた。二人の表情が変わる。低い茂みが揺れ。緑色の小さな影が現れた。
「ゴブリン」
一体。さらに、左右の木陰から二体。合計三体。錆びた短剣を持つものが一体。残る二体は、太い枝を棍棒のように握っていた。ヒューは剣を抜く。
「右と正面は俺がやる。マリアは左を頼む」
「分かった」
短剣を持つゴブリンが走った。
「ギィィッ!」
以前のヒューなら。最後まで相手の攻撃を見ようとしていた。確実に防ぎ。安全を確認してから斬り返す。間違ってはいない。だが、慎重になりすぎれば。相手へ先手を譲る。
「……!」
ヒューは、前へ出た。ゴブリンの短剣が届くより早く。剣を振り下ろす。――ガンッ!
「ギッ!?」
短剣が弾かれる。ゴブリンの腕が大きく開いた。そのまま、ヒューは止まらない。返した刃で、胴を斬る。
「ギャッ……!」
一体目が倒れた。右。棍棒。ヒューは剣の腹を立てる。――ガンッ!腕へ衝撃。だが。
「……おお」
足が動かなかった。昨日までなら。半歩。あるいは一歩。押されていただろう。
「これが……」
ゴブリンが驚いたように目を見開く。ヒューは剣を押し返した。体勢を崩した胸へ、一突き。二体目。
「ヒュー!」
声に反応して振り向く。残る一体の足元で、風が弾けた。
「風よ、撃て――《風弾》!」
ゴブリンが横へ吹き飛ぶ。木の幹へ身体を打ちつけた。ヒューが駆け寄る。一瞬だけ。最初にゴブリンを斬った日の感触が蘇った。それでも、剣は止まらなかった。一閃。最後の一体が倒れた。
「……」
ヒューは静かに息を吐いた。
「怪我は?」
「ない」
「戦ってみてどう?」
ヒューは自分の手を見る。震えてはいない。
「剣が軽くなったように感じる」
「やっぱり?」
「いや」
首を振った。
「剣の重さは変わってない」
拳を握る。
「俺の方が、重さに耐えられるようになったんだ」
「攻撃を受けたときも、体勢が崩れなかったわね」
「ああ」
これが、《戦士》の力。少なくとも、三体程度のゴブリン相手なら。昨日までより明らかに余裕がある。だが、依頼は。まだ始まったばかりだった。
◇
三体分の討伐証明を回収し。さらに林の奥へ進む。しばらく、魔物は現れなかった。代わりに、地面へ残された足跡が増えていく。折れた枝。踏みつぶされた草。泥へ残った小さな足跡。
「ゴブリンね」
マリアが屈み込んだ。
「多い?」
「少なくとも三体や四体じゃないわ」
「別の群れか」
ヒューは剣の柄へ手を添える。そのとき、甲高い声が。頭上から響いた。
「上!」
マリアの声。ヒューが後ろへ跳ぶ。直後。――ゴンッ!さっきまでヒューが立っていた場所へ、拳ほどの石が落ちた。
「木の上か!」
太い枝。そこに、一体のゴブリンがいた。片手には、いくつもの石を詰めた袋。だが、そいつだけではない。
「ギャァァッ!」
前方の茂み。五体。
「六体!」
「挟まれたわ!」
「前は任せろ!」
「じゃあ上は見る!」
最初の棍棒。受け流す。横から、短剣。
「っ!」
身体を捻る。刃先が服の脇腹を浅く裂いた。さらに、三体目。強くなった。間違いなく。昨日より強い。それでも、剣は一本しかない。一度に、すべての攻撃を防げるわけではない。
「くっ……!」
ヒューは前へ出た。肩をぶつける。
「ギャッ!」
ゴブリンの小さな身体が地面を転がった。以前なら。自分も体勢を崩していたかもしれない。今は。違う。剣を振る。一体。
「石!」
頭上から、再び飛来。
「風よ、払え――《風払い》!」
マリアの風が石の軌道を逸らした。ヒューの肩の横を通り。地面へ落ちる。
「助かった!」
「まだよ!」
木の上にいたゴブリンが、枝から飛び降りた。
「マリア!」
狙いは、後衛。マリアだった。だが、ヒューの正面には。まだ四体いる。一体が、粗末な槍を突き出した。避けていては、間に合わない。
「っ!」
ヒューは左腕を上げた。革の防具へ、槍の穂先が食い込む。
「ぐっ……!」
痛い。だが、止まらない。左手で槍の柄を掴む。
「こっちへ来い!」
「ギッ!?」
強引に引き寄せる。剣の柄を、顔面へ叩き込む。よろけた。その胴へ、剣を振る。二体目。倒した。道が開く。
「マリア!」
木から降りたゴブリンが、すでに彼女へ短剣を振り上げていた。走る。間に合え。
「っ!」
背後から、斬った。三体目。
「ヒュー!」
「大丈夫だ」
左腕から血が滲んでいる。しかし、深くはない。剣も握れる。残る三体。距離を取り。こちらを囲もうとしている。
「今度は三体だ」
「ええ」
ヒューとマリアが、互いの位置を確認する。
「右から風を当てられる?」
「できるわ」
「左へ寄せてくれ」
「何するつもり?」
「一か所にまとめる」
マリアは一瞬だけヒューを見る。
「分かった」
杖を振る。
「風よ、払え――《風払い》!」
横から吹きつけた風。三体の足並みが乱れる。同じ方向へ、寄った。
「今!」
ヒューが踏み込む。棍棒を弾く。一体目の肩へ、刃を入れる。横。短剣。避けきれない。
「っ!」
身体を前へ出す。革鎧の厚い部分。そこで受ける。鈍い痛み。それでも、足は止めない。胸へ剣を突き刺す。一体。倒れる。傷ついたゴブリンが、もう一度棍棒を振る。受け流す。
首へ。二体目。最後の一体が、背中を向けた。
「逃がさない!」
マリアの杖が光る。
「《風弾》!」
風が足を撃ち抜いた。ゴブリンが転ぶ。ヒューが追いつく。剣を振り下ろした。静寂。
「……はぁ」
息を整える。左腕を見る。血は出ている。だが、傷は浅い。
「見せて」
マリアが近づいてくる。
「この程度なら――」
「見せて」
「……はい」
逆らわない方がよさそうだった。マリアが傷口を確認する。
「薬を塗って、布を巻けば大丈夫そうね」
「《戦士》がなければ、もう少し深く刺さっていたと思う」
「そうかもしれない」
薬を塗りながら。マリアがヒューを見る。
「でも」
「?」
「傷を負っても平気になったわけじゃないからね」
「ああ」
「あと」
マリアの目が細くなる。
「正面ばかり見すぎ」
「……」
「木の上のゴブリンに気づかなかったでしょう」
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
即答した。マリアが少しだけ笑う。
「今度は間を空けなかったわね」
「そこは成長した」
「そこだけ?」
「……」
「冗談よ」
手当てを終え。マリアが立ち上がった。ヒューも立つ。強くなった。だからこそ。よく分かる。自分一人では、まだ足りない。石を避ける。後ろの敵を見る。傷を手当てする。
すべてを、一人でやる必要がある。マリアがいなければ。もっと苦戦していた。
「行ける?」
「ああ」
二人は、さらに奥へ進んだ。
◇
そこで、見つけた。
「……死んでる」
一体ではない。四体。ゴブリンの死体が、重なるように倒れていた。そして、傷が。明らかに違う。大きな牙で、身体を食い破られている。
「大牙ウルフ」
マリアが低く言った。
「近くにいる?」
「分からない」
周囲を見る。
「でも、死体は新しい」
ヒューは、剣を抜いた。風。葉。草。そして。――グルルル……。
「右!」
振り向く。灰色。巨大な影。
「っ!」
茂みから、狼型の魔物が飛び出した。普通の狼より、明らかに大きい。口の両端から伸びる牙は、まるで。短剣。
「これが……!」
大牙ウルフが、地面すれすれまで身体を沈める。次の瞬間、弾けた。速い。ヒューは剣を立てる。――ガキンッ!
「ぐっ!」
牙が。剣へ噛みついた。重い。靴底が、土を削る。身体が、後ろへ押される。だが、倒れない。
「耐えられる……!」
《戦士》を得る前なら。剣ごと。弾き飛ばされていただろう。
「ヒュー、左!」
「っ!」
二頭目。剣を。抜けない。大牙ウルフの牙が、強く噛みついている。
「風よ、撃て――《風弾》!」
――ドンッ!二頭目の顔へ、風が直撃。身体が、地面を転がった。
「助かった!」
ヒューは、剣へ噛みついた一頭の腹へ。蹴りを入れる。牙が緩む。剣を引き抜き。首へ。一閃。
「グァッ!」
浅い。厚い毛皮。筋肉。致命傷へ届かない。前脚。
「くっ!」
爪が肩をかすめた。革鎧が裂ける。熱い。
「まだいる!」
「何!?」
背後の茂み。さらに、二頭。
「四頭……!」
吹き飛ばした二頭目も、起き上がる。
「ヒュー!」
「ああ!」
このままでは、囲まれる。
「位置を変える!」
二人は、近くの大木まで下がった。背後。木。これなら。後ろからは来ない。四頭の大牙ウルフが、低く唸る。すぐには来ない。左右へ広がる。
「こいつら……」
「囲むつもりね」
「ゴブリンより頭がいい」
「正面しか見てなかったら終わるわよ」
ヒューは苦笑する。
「今度は分かってる」
「さっき教えたばかりだものね」
「ああ」
一頭。走る。同時。横から別の一頭。ヒューは、正面へ。踏み込んだ。牙が届く。その寸前。半歩。ずらす。
《剣士》。正面から力で止めるのではなく。勢いを、横へ流す。すれ違いざま。前脚。斬る。
「ギャゥッ!」
体勢を崩した。だが、二頭目。
「ヒュー!」
剣が戻らない。ヒューは、左腕を出した。牙。防具へ、食い込む。
「ぐぁっ!」
痛い。猛烈な痛み。それでも、倒れなかった。
「離せ……!」
腕を噛まれたまま。身体を、ひねる。腰。脚。全身。
「おおおっ!」
大牙ウルフの身体が、地面へ叩きつけられた。
「マリア!」
「分かってる!」
「風よ、刃となれ――《風刃》!」
鋭い風。首。切り裂く。牙の力が、抜けた。ヒューが腕を引き抜く。一頭。倒れる。残り。三頭。
「……まだ来る」
左腕。痛い。肩も。裂かれている。だが、動く。強くなった。確かに、でも。無敵になったわけではない。一歩。間違えば。
牙は。防具の奥まで届く。
「無茶しないで!」
「まだ動ける!」
「それを無茶って言うの!」
前脚を斬った大牙ウルフが、走った。乱れた足取り。ヒューは、今度は避けない。両手。剣。牙。正面から、受ける。――ガンッ!
「ぐっ!」
衝撃。耐える。剣先を、下へ。大牙ウルフの頭が、押し下がる。
「今度は俺が隙を作る!」
「任せて!」
「《風弾》!」
脇腹。風が直撃。身体が横へ流れる。ヒューの剣。首へ。深く。二頭目。
「あと二頭!」
残る二頭が、同時に動いた。左右。狙いは。
「マリア!」
二頭とも、後衛。ヒューは、近い一頭を追う。だが、もう一頭へ。届かない。マリアは、逃げなかった。杖を構える。ギリギリまで、待つ。大牙ウルフが、跳んだ。
「風よ、払え――《風払い》!」
下から、風。跳躍の軌道が、僅かにずれる。
「っ!」
巨大な牙が、マリアの髪をかすめた。そのまま、背後の木へ。激突。一方。ヒュー。追いついた大牙ウルフの爪を、剣で防ぐ。押し合う。力だけなら。向こうが上。それでも、足は。
下がらない。《剣士》として。刃を扱う。《戦士》として。前へ立つ。二つ。別々の力。それが、ヒューの中で。重なっていた。
「おおおおっ!」
押し返す。胸。剣を。突き刺した。
「ギャァッ……!」
三頭目。残る。一頭。木へ激突した大牙ウルフが、立ち上がった。よろめきながら。マリアへ、牙を向ける。
「させるか!」
ヒューが走る。狼が跳ぶ。その横から、身体をぶつけた。
「うおっ!」
もつれる。地面を、転がる。先に立ったのは。ヒュー。大牙ウルフが、顔を上げる。その前に、剣。首。振り下ろす。――ガンッ!骨。
一度では、断てない。
「っ……!」
剣を抜く。もう一度、振り下ろした。巨体から、力が抜けた。
「……終わった」
ヒューは、剣を地面へ突き立てた。それを杖のようにして。身体を支える。
「はぁ……はぁ……」
腕。肩。脚。全部。痛い。
「ヒュー!」
マリアが走ってくる。
「腕を見せて」
「大丈夫――」
「見せて」
「……はい」
左腕。破れた防具を、慎重に外す。牙の痕。血。だが、骨までは。届いていない。
「防具と《戦士》に助けられたわね」
「ああ」
「もう少し深かったら危なかった」
「分かってる」
マリアが、傷を洗う。
「強くなった?」
ヒューは、倒れた四頭を見る。
「なったと思う」
「もう安心?」
少し考える。一人だったら。最初の一頭に剣を噛まれた時点で、横から。やられていたかもしれない。風弾がなければ。背後からの敵へ、対応できなかった。
「いや」
首を振った。
「まだ安心できない」
「なら」
マリアが笑う。
「合格」
「何の?」
「強くなった途端に、自分なら何でもできると思い始めてないか確認してたの」
「……そんな試験だったのか」
「そうよ」
薬を塗る。
「それと」
「まだある?」
「自分を盾にする癖」
「……」
「直した方がいいわ」
「あのときは間に合わなかった」
「だからって腕を噛ませる?」
「マリアを見捨てるよりいい」
マリアの手が、止まった。
「……」
「どうした?」
「そういうことを」
少し、困ったような顔。
「普通に言うのね」
「何かおかしかった?」
「いいえ」
傷へ。布を巻く。
「ヒューらしいと思っただけ」
手当てを終え。マリアが立った。
「ねえ、ヒュー」
「ん?」
「これからも」
少しだけ。言いづらそうに。
「私と一緒に依頼を受けない?」
「今日だけじゃなく?」
「ええ」
マリアがヒューを見る。
「正式にパーティを組むの」
「……」
ヒューは、彼女を見た。一人より、二人の方が強い。でも、それだけではない。間違えそうになったとき。止めてくれる。自分が見落としたものを、見つけてくれる。怪我をすれば。怒りながら手当てしてくれる。
「俺の方から頼もうと思ってた」
「……なら」
マリアが笑った。
「決まりね」
「ああ」
ヒューは手を差し出した。
「これからもよろしく、マリア」
「こちらこそ」
二人は、初めて。正式な仲間になった。
◇
「大牙ウルフ四頭……」
ギルドへ戻り。机へ牙を並べる。
「それと」
受付係が数える。
「ゴブリン九体」
「はい」
「二人で?」
「はい」
受付係の視線が、ヒューの傷へ向いた。
「相当、苦戦したみたいですね」
「ああ」
ヒューが答える。
「一人だったら、もっとひどかったと思う」
「それで」
マリアが一枚の用紙を見る。
「正式にパーティ登録をしたいの」
「分かりました」
受付係が微笑んだ。
「では、依頼処理のあとにこちらへ二人のお名前を書いてください」
パーティ登録用紙を受け取りながら、ヒューはマリアと目を合わせた。《魂の器》について、誰か信頼できる相手に相談するなら今かもしれない。以前、二人で簡単には話さないと決めていた。マリアが小さく頷く。
「受付係さん」
「はい?」
「ギルド長に」
ヒューは声を落とした。
「個人的に相談したいことがあります」
「ギルド長に?」
「できれば」
周囲を見る。
「人のいないところで」
受付係の表情が、少し変わった。
「……分かりました」
◇
ギルド長の部屋。扉が閉じられた。部屋にいるのは。ヒュー。マリア。そして、ギルド長。
「それで」
大柄な中年の男が机の向こうで指を組んだ。
「俺にしか話せない相談とは?」
ヒューは、一度。マリアを見る。彼女が、頷いた。
「俺には」
ヒューは胸へ手を当てる。
「《魂の器》という能力があります」
「魂の器?」
「はい」
職業登録の日。自分にだけ見えたこと。最初は。
【1/1】
だったこと。レベル10。そこで。
【1/2】
へ拡張されたこと。さらに、二つ目へ。《戦士》を入れたこと。
「今の俺は」
ヒューは言った。
「《剣士》と《戦士》」
「二つの職業の力を、同時に使えます」
「……」
ギルド長は、すぐには答えなかった。
「転職したわけではないんだな?」
「はい」
「《剣士》の力は残っている?」
「残っています」
「その上で《戦士》の恩恵も受けている」
「はい」
ギルド長は、椅子へ深く背を預けた。
「二つの職業を同時に持つ、か」
「前例はあるんでしょうか?」
「極めて少ない」
「……少ない?」
ヒューが反応する。
「ゼロではないんですか?」
「少なくとも」
ギルド長が言う。
「複数の職業を同時に持っているのではないか、と噂されている者は存在する」
マリアも身を乗り出した。
「通常の転職とは違うんですか?」
「ああ」
ギルド長が頷く。
「普通は別の職業へ転じれば、以前の職業から受けていた恩恵の多くを失う」
「鍛えた剣技まで消えるわけではない」
「だが」
「《剣士》と《戦士》の恩恵を、同時に受けることはできない」
ヒューは、自分の手を見る。
「やっぱり」
「この能力は」
ギルド長の表情が厳しくなる。
「誰にでも話すな」
「やっぱり隠した方が?」
「そうだ」
「珍しい力には」
ギルド長が言う。
「必ず、それを利用しようとする人間が寄ってくる」
マリアの表情も、険しくなる。
「だから」
ギルド長は二人を見る。
「今日ここで話したことは、俺のところで止める」
「ありがとうございます」
「ただし」
少しだけ。口調が和らぐ。
「お前が、この世界でただ一人だと決まったわけではない」
「ほかにもいる?」
「確証はない」
ギルド長が、少し考える。
「本人が、自分の能力を詳しく語らないからな」
「誰なんです?」
「王都を中心に活動している」
一呼吸。
「Sランク冒険者だ」
「Sランク……」
「その男は」
ギルド長が続けた。
「普通では考えられないほど多彩な戦い方をする」
「剣を使うこともあれば、槍を使う」
「重い盾を持って前線へ立つこともある」
「それぞれが」
「ただ扱えるという程度ではない」
「複数の職業から恩恵を受けているのではないか」
「そう噂する者もいる」
ヒューの鼓動が、少し。速くなる。
「その人は……」
「?」
「どんな人なんです?」
「銀色の髪をした男だ」
ヒューの指が、止まった。
「……銀色?」
「ああ」
ギルド長は、その変化に気づかないまま続ける。
「名前は」
そして、その名を口にした。
「アーロン」
「……」
音が。遠くなった。
「ヒュー?」
マリアの声。聞こえる。でも、返事ができない。アーロン。聞き間違えるはずがない。父の名前だった。幼い頃から、母に何度も聞いた。父さんは、アーロンという名前なのだと。そして、銀色の髪。幼い頃。
母が一度だけ見せてくれた。古い布に包まれた。小さな肖像画。若い男。銀色の髪。笑っていた。父さんだと。母は言った。
「その人の……」
声が。自分でも分かるほど震えた。
「その人の名前」
「アーロンだ」
やっぱり。同じ。
「知っているのか?」
ギルド長に尋ねられ。ヒューは、乾いた喉を動かした。
「俺の父親も」
言葉が、重い。
「アーロンという名前です」
「……父親?」
部屋の空気が、変わった。
「父も」
ヒューは続ける。
「銀色の髪でした」
「……」
ギルド長は、すぐには答えなかった。
「父親の年齢は?」
「正確には分かりません」
ヒューは首を振る。
「父は、俺が幼い頃からほとんど家に帰ってこなかった」
いや。最後に帰ってきたのがいつなのか。ヒューには、もう覚えていない。
「母は」
胸が。少し痛む。
「困っている人を助けるために、遠くで冒険者をしていると言っていました」
「……」
「十年前」
あの日。村。鐘。血。母の手。
「村が魔物に襲われたときも」
父は。帰らなかった。そして、あれから。さらに十年。
「二十年近く」
ヒューは呟く。
「俺は父に会っていません」
マリアが、何も言わず。隣でヒューを見ている。ギルド長は、しばらく考えた。
「年齢だけなら」
ゆっくり。
「可能性はある」
ヒューの鼓動が、跳ねる。
「生きて……」
声が漏れた。
「父は、生きているかもしれない?」
「まだ決めつけるな」
ギルド長がすぐに言った。
「同名の人間はいる」
「銀髪も、それだけなら証拠にはならない」
「だが」
ヒューの胸を見る。
「お前のその能力と」
「複数の職業を持つと噂されるアーロン」
「偶然として片づけるには」
少し。
「気になる一致ではある」
ヒューは、拳を握った。
「その人は」
顔を上げる。
「今も王都にいるんですか?」
「少なくとも」
ギルド長は答える。
「少し前までは王都を拠点にしていた」
「会えますか?」
「簡単ではない」
「Sランク冒険者は、ギルドから直接依頼を受けて各地へ向かう」
「今どこにいるのか」
「俺にも分からん」
「……そうですか」
それでも、以前とは違う。何もなかった。父が。どこにいるのか。生きているのか。何をしているのか。何一つ。分からなかった。今は。名前がある。
王都。Sランク冒険者。そして、自分と同じかもしれない。複数の職業。ヒューは、胸へ手を当てた。その奥には、二つの職業を収めた。《魂の器》。この力は、父から受け継いだものなのか。父は。なぜ帰らなかった?
母が。死んだことを、知っているのか?村が襲われたことを、知っているのか?そして、本当に。今も。どこかで、人を助け続けているのか。
「……会いたい」
気づけば。そう呟いていた。会って。聞きたい。聞かなければならない。ずっと遠い場所にいると思っていた父。もう。二度と会えないのかもしれないと思っていた父。その背中へつながる道が、突然。ヒューの目の前に現れた。




