第4話 二つ目の職業
胸の奥で、何かが砕けた。痛みとは少し違う。身体の内側にあった硬い殻が割れ、その奥から熱が溢れ出してくるような感覚だった。
「ぐっ……!」
ヒューの手から、手入れをしていた剣が滑り落ちる。鞘が床へぶつかり、鈍い音が部屋に響いた。その直後、頭の中へ、無機質な声が流れ込んできた。
職業登録をした日。自分にしか見えなかった、謎の項目。
【魂の器】1/1
あれが、今、変わろうとしている。さらに声が続いた。
【《魂の器》が1/1から1/2へ拡張されました】
【空いている器へ、新たな職業を装備できます】
「魂の……器?」
「……職業を?」
ヒューは胸へ手を当てた。心臓は、いつも通り激しく鼓動している。だが、そのさらに奥。これまで意識したことのない場所に、何かが存在している。目を閉じる。《魂の器》。その言葉を強く意識した。すると。暗闇の中に、二つの器のようなものが浮かび上がった。
「……見える」
一つ目。そこには、すでに文字が刻まれている。
【剣士】
そして、二つ目の器は、空だった。
【空き】
「ここに……もう一つ?」
普通、一人が持てる職業は一つだけ。冒険者ギルドで、そう説明された。別の職業へ進みたければ、条件を満たして職業そのものを変える必要がある。《剣士》でありながら。同時に《戦士》でもある。そんなことは、本来ならできない。けれど。
【空いている器へ、新たな職業を装備できます】
間違いなく、そう表示されている。
「……」
ヒューは空の器へ意識を向けた。すると。以前、職業登録の水晶に現れた候補が浮かび上がる。
【選択可能職業】
《戦士》《狩人》《荷運び》《剣士》はすでに装備しているためか、表示されていない。ヒューの目は、一つの文字で止まった。
【戦士】
迷う必要はなかった。職業登録のとき。受付係から最初に勧められた職業。剣だけではなく。盾や槍、斧など。さまざまな武器を扱い、前線で戦うための職業。あのときは、迷わず《剣士》を選んだ。今でも、その選択を後悔してはいない。けれど、昨日。若いオーガと戦って、嫌というほど分かった。
剣を扱えるだけでは、足りない。
「戦士」
ヒューは強く念じた。
【《戦士》を第二の魂の器へ装備しますか?】
「する」
一瞬。間があった。そして。
【《戦士》を装備しました】
【魂の器:2/2】
【装備職業:《剣士》《戦士》】
「……本当に、二つになった」
次の瞬間、胸の奥から熱が広がった。
「っ……!」
腕へ。脚へ。背中へ、身体の隅々まで。熱い何かが流れ込んでくる。ヒューは自分の腕を見る。見た目は変わっていない。急に筋肉が膨れたわけでもない。昨日受けた傷が消えたわけでもなかった。それなのに。
「なんだ、これ……」
拳を握る。違う。身体の芯が、昨日までより、わずかに太くなったような感覚。床へ足をつける。妙に安定する。身体そのものが少し重くなったようでありながら。その重さを、以前よりしっかり支えられる。
「頑丈になった……?」
確かめようと立ち上がった。そのとき。――コン、コン。扉が叩かれた。
「ヒュー?」
マリアの声だった。
「今、何か落としたでしょ。大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
ヒューは床に落ちた剣を拾う。少し迷ってから、扉を開けた。マリアが立っていた。ヒューの顔を見るなり、眉をひそめる。
「……本当に?」
「何が?」
「顔色、変よ」
「ちょっと驚いただけだ」
「何に?」
「……」
ヒューは黙った。《魂の器》。普通ではない。それくらいは、自分にも分かる。一人で職業を二つ持つ。そんなことが普通なら、受付係が知らないはずがない。黙っておくべきかもしれない。誰にも言わない方が、安全かもしれない。だが、ふと。荷物運びをした日のことを思い出した。
一人では、力任せにやるしかなかった。二人なら。もっと上手くできた。
「……入ってくれ」
「何?」
「話がある」
マリアが怪訝そうな顔をしながら部屋へ入る。ヒューは扉を閉じた。
「レベル10になって、新しい能力が出た」
「新しい能力?」
「ああ」
「どんな?」
「《魂の器》っていうらしい」
マリアの表情が変わった。
「魂の器?」
「知ってる?」
「聞いたことない」
「やっぱりか」
ヒューは順番に説明した。職業登録をした日から、自分にだけ《魂の器》という項目が見えていたこと。それが最初は1/1だったこと。レベル10になったことで、1/2へ増えたこと。そして。
「二つ目に《戦士》を入れた」
「……」
マリアが黙った。
「マリア?」
「ちょっと待って」
「ああ」
「つまり」
マリアが指を一本立てる。
「ヒューは《剣士》」
「ああ」
二本目。
「それと同時に《戦士》でもある?」
「たぶん」
「たぶんって……」
マリアが額へ手を当てた。
「自分の能力でしょ」
「俺だって、ついさっき知ったんだよ」
「そうだけど……」
マリアはしばらく考え込む。やがて、真剣な顔でヒューを見た。
「ジョ……職業を二つ同時に持てる人なんて、私は聞いたことがない」
「珍しい?」
「珍しいどころじゃないと思う」
「そうか」
「そうか、じゃない!」
マリアが声を上げた。
「なんでそんな平然としてるのよ!」
「実感がないんだ」
「……まあ、それは分からなくもないけど」
マリアの視線が、ヒューの腕。肩。脚へ移る。
「身体は?」
「特に変なところはない」
「本当に?」
「むしろ」
ヒューは拳を握る。
「少し頑丈になった気がする」
「気がする?」
「ああ」
「……それじゃ分からないわね」
マリアは少し考え。
「明日の朝、試してみましょう」
「何を?」
「《戦士》が加わって、何が変わったのか」
◇
翌朝。二人は街外れの空き地へ来ていた。人はいない。ヒューは鉄剣を抜く。
「まず、いつも通り振ってみて」
「ああ」
構える。昨日まで、十年間繰り返してきた構え。地面を蹴る。一歩。踏み込み。剣を振り下ろした。――ヒュンッ!鋭い風切り音。
「……」
もう一度、横薙ぎ。――ヒュッ!
「どう?」
マリアが尋ねる。
「変な感じだ」
「悪い意味?」
「いや」
ヒューは剣を見た。
「剣が少し軽く感じる」
「《剣士》が強くなった?」
「違うと思う」
「じゃあ何?」
ヒューはもう一度構える。踏み込む。今度は、少し強く。振る。
「これだ」
「何?」
「身体だ」
「身体?」
「剣の扱いが上手くなったわけじゃない」
ヒューは自分の脚を見る。
「もっと強く踏み込める」
腰。肩。腕。全身を使って。以前より大きな力を剣へ伝えられる。それでも、身体がぶれない。
「身体の方が、剣を振る力についてこられるようになった感じだ」
「なるほど……」
マリアが何やら考えている。そして、地面に落ちていた木の棒を拾った。
「じゃあ次」
「何するんだ?」
「私の攻撃を受けて」
「……待て」
「何?」
「朝から俺を殴るつもりか?」
「安心して」
マリアが棒を肩へ担ぐ。
「手加減するから」
「その言葉、あまり信用できないんだけど」
「いくわよ」
「お、おい――」
――バシン!
「っ!」
ヒューは剣の腹で受け止めた。衝撃。腕へ伝わる。だが、足は動かなかった。
「……お?」
マリアも目を丸くした。
「もう一回」
「ちょっと待――」
――バシン!今度は少し強い。それでも、ヒューは踏みとどまった。
「……」
「どう?」
「昨日までなら」
ヒューは足元を見る。
「一歩は下がってたと思う」
「やっぱり」
マリアが棒を下ろす。
「単純な腕力だけじゃない」
「ああ」
「踏ん張る力とか、身体そのものの丈夫さも上がってるみたいね」
「これが《戦士》か」
《剣士》。剣を扱うことに優れた職業。《戦士》。前線で、敵と正面からぶつかるための職業。似ている。けれど、同じではない。そして、二つが合わさることで。片方だけでは足りなかった部分を、もう片方が補っている。
「……すごいな」
「ええ」
マリアが真剣に頷く。
「たぶん、ヒューが思ってるよりずっとすごい能力よ」
「そうか」
「だから、人前では簡単に言わない方がいい」
ヒューがマリアを見る。
「隠した方がいい?」
「少なくとも、この能力が何なのか分かるまでは」
「ああ」
「ギルドにも?」
「今のところは」
マリアは少し考えてから答えた。
「私なら黙っておく」
「分かった」
ヒューは剣を下ろした。
「マリア」
「何?」
「話してよかった」
「……」
マリアが一瞬。目を丸くした。そして、ほんの少しだけ笑う。
「そう思ったなら」
ヒューを見る。
「次からも一人で抱え込まないこと」
「ああ」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは『絶対』って言いなさいよ!」
ヒューは笑った。まだ。自分が強くなったとは思わない。昨日。若いオーガに勝てたのも、自分一人の力ではなかった。マリアの魔法。荷物運びで覚えた役割分担。周囲にあった荷車と坂道。そのすべてを使って。ようやく勝てた。
それでも、昨日までとは違う。《剣士》。そして、《戦士》。二つの職業が、今。自分の中にある。ヒューは《魂の器》へ意識を向けた。
【魂の器:2/2】
【装備職業:《剣士》《戦士》】
その下に、昨夜まではなかった文字が浮かんでいた。
【次回拡張条件】
【レベル20への到達】
「……レベル20」
ヒューが小さく呟く。
「何?」
「次の器」
「もう分かったの?」
「ああ」
表示を見つめる。
「レベル20で増えるらしい」
「……」
「マリア?」
「なんでもない」
マリアはため息をついた。
「本当に、とんでもない能力ね」
ヒューは剣を握る。剣士だけではない。戦士だけでもない。これから先。自分が歩き。積み重ね。身につけたものが、新しい力へ変わっていく。そんな予感がした。ヒューは剣を構える。
「もう少し試してみる」
「いいけど」
マリアが木の棒を持ち上げた。
「今度はもう少し強くいくわよ」
「……やっぱり殴りたいだけじゃないのか?」
「気のせいよ」
「絶対違うだろ」
朝の空き地に、二人の声が響いた。




