第2話 一人より二人
最寄りの街へ続く街道には、村では見たことのない光景が広がっていた。
大量の荷物を積んだ馬車。
鋭い武器を携えた冒険者たち。
声を張り上げながら行き交う商人たち。
中でもヒューの目を引いたのは、特殊な力を使う人々の姿だった。
《運搬》のスキルを持つ男が、一人では到底持ち上げられそうにない巨大な木箱を、軽々と肩に担いでいる。
少し先では、壊れた馬車の車輪を、《修繕》を使う職人が瞬く間に直していた。
職業とスキルが、人々の暮らしに深く根づいている。
途中、街道の脇で前を歩いていた商人の荷車から、大きな麻袋が不意に傾ぎ、崩れ落ちそうになった。
「っと!」
ヒューは反射的に駆け寄り、巨大な麻袋を、肩と背中で受け止めようとした。
しかし、十年間鍛え上げた身体であっても、百キロを優に超える麻袋を支えきれず、勢いに負けて地面へ膝をつきそうになる。
その瞬間、近くを通りかかった別の男が片手を軽く差し出した。
《運搬》のスキルが発動したのか、男はわずかに息をついただけで、片手でひょいと麻袋を元の位置へと押し戻してしまった。
「おっと、危ねえな。兄ちゃん、助かったが無理するもんじゃないぜ」
男は笑いながら去っていく。
ヒューは自分の手のひらを見つめ、ぐっと拳を握り締めた。
力仕事では《運搬》のスキルを持つ男に及ばない。だが、自分には十年間磨き上げてきた剣がある。誰にも負けない剣の力を手に入れればいい。そう心に誓い、ヒューは再び歩き出した。
歩みを進めると、やがて巨大な城壁に囲まれた街が見えてきた。
街に入るための大きな門をくぐるため、人々が作る長い列に並ぶ。
門の脇に立つ衛兵が一人ひとりの身元や持ち物を確認している。ヒューの番が来ると、屈強な衛兵は背中に背負った剣に鋭い視線を向けた。
「おい、坊主。その武器は何に使う」
周囲の喧騒がわずかに遠のくような威圧感の中、ヒューはまっすぐ衛兵を見据えて答えた。
「……人を守るために使いたい」
不器用だが偽りのないその言葉に、衛兵はしばらくヒューの目をじっと見据えたあと、ふっと息を抜いた。
「守る、か。口で言うのは簡単だ。その言葉を忘れるなよ。中で無闇に抜くな。通れ」
こうしてヒューは、無事に大きな門をくぐり抜け、初めて街の中へと足を踏み入れた。
門を抜けた先には、村とは比べものにならないほど多くの人と建物があった。
客を呼び込む露店商の声。
荷車の間を慌ただしく走る配達人。
武具を身につけた、本物の冒険者たち。
圧倒的な活気に、ヒューは思わず足を止めかける。
だが、田舎者だと思われたくなくて、すぐに背筋を伸ばして歩き出した。
しかし、早くも問題にぶつかった。
冒険者ギルドの場所が分からない。
通り過ぎる人に尋ねようとするが、誰もが忙しそうに歩いている。何度か口を開きかけたものの、声をかけるタイミングを逃してしまう。
剣の修行ばかりしてきたヒューは、人に道を尋ねることさえ得意ではなかった。
しばらく街を歩き回った末、ようやく道端の案内板を見つける。
職業登録所と冒険者ギルドは、同じ建物の中にあるらしい。
冒険者ギルドへ入ったヒューは、受付で登録を申し出た。
受付係の女性が、慣れた手つきで書類を取り出す。
「現在の職業を教えてください」
「まだ、職業は持っていない」
「未登録ですね。では、冒険者登録の前に職業を選んでいただきます」
受付係は、カウンターの上に白い水晶を置いた。
「職業は一人につき一つです。最初の職業は、成人した者なら誰でも選べます」
ヒューが水晶へ手を触れる前に、受付係はふと思い出したように言った。
「その前に、簡単な実技適性を見せてもらえますか? うちでは登録の際、基礎の動きを確認することになっていますので。そこに置いてある木剣をどうぞ」
ヒューは壁際に立てかけられた木剣を手に取り、広めの床に立った。
構えた瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。
余計な力が一切抜け、大地に根を張ったような圧倒的な安定感。十年間、ただ無心で振り続けてきた者にしか出せない研ぎ澄まされた気配が、受付係の目を釘付けにする。
「……っ!?」
木剣が唸りを上げて一閃する。そのあまりの鋭さに、近くで依頼書を見ていた別の冒険者たちが思わず振り返った。
「なんだあいつ……本当にお前、未登録の新人か?」
しかし、受付係は奥から訓練担当の冒険者を呼び寄せた。
「彼に付き合ってあげて」
呼び出された歴戦の冒険者は、訓練用の盾を片手にニヤリと笑う。
その言葉の通り、軽い模擬戦が始まったとき、ヒューの弱点が露呈した。
ヒューが渾身の一撃を放とうと踏み込んだ瞬間、相手は盾を大きく振り上げて視界を遮った。
ヒューが防御を意識した直後、訓練担当の冒険者は盾の縁を肩へぶつけながら、足を払った。
型通りの剣しか知らないヒューは、その狡猾な崩しに対応できず、バランスを失って床へ転がされた。
受付係は手元の書類に淡々と結果を書き込みながら、静かに告げる。
「そこまでです。剣の素振りや基礎技術は、並の新人を超えています。ですが、実戦経験も、駆け引きの知識もほとんどありません。基礎能力は高いですが、今のままではすぐに魔物の餌食になりますよ」
ヒューは悔しそうに歯噛みしながらも、立ち上がってうなずいた。
自分の未熟さを、痛感せざるを得なかった。
気を取り直し、ヒューは改めて水晶へと手を触れた。
表面にいくつかの職業名が浮かび上がる。
《剣士》。
《戦士》。
《荷運び》。
《狩人》。
十年間の素振りと身体づくりによって、《剣士》と《戦士》の適性が強く現れていた。
受付係は、水晶に浮かんだ職業を確認する。
「冒険者としての生存を優先するなら、《戦士》をお勧めします」
「《剣士》では駄目なのか?」
「駄目ではありません。《戦士》は複数の武器や盾を扱いやすく、さまざまな状況に対応できます。
それに対して《剣士》は、剣に特化した職業です。剣を失えば、できることが大きく減ります」
「剣士にする」
ヒューは即座に答えた。
「まだ説明は終わっていませんが……」
「それでも、剣士にする」
迷いはなかった。
十年前、剣を夕空へ掲げていた、あの男の姿が脳裏によみがえる。
ヒューが進む道は、あの日から決まっていた。
強い意志に応えるように、水晶がまばゆい白光を放つ。
【職業《剣士》を獲得しました】
【スキル《剣術Lv3》が確認されました】
その瞬間、ヒューの身体の奥底で、何かがカチリと噛み合った。
急に筋肉が膨れ上がったわけではない。
それでも、腰に差した剣の重みも、指先の位置も、足の裏が床へ触れている感覚も、これまでより鮮明に分かる。
剣は抜いていない。
だが、今なら以前よりも速く、正確に振れる。
十年間かけて身体に刻み込んできた動きを、何かが内側から支えていた。
そのとき、水晶の表面に新たな文字が浮かび上がった。
【レベル】9
【職業】剣士
【スキル】剣術Lv3
それと同時に、水晶とは別の場所にも文字が現れた。
ヒューの視界の中だった。
【名前】ヒュー
【レベル】9
【職業】剣士
【魂の器】1/1
【スキル】剣術Lv3
水晶には存在しない項目へ、ヒューは目を向けた。
「……魂の器?」
「どうかされましたか?」
受付係が首を傾げた。
「魂の器という項目がある」
「魂の器?」
受付係は水晶を確かめたあと、首を横に振った。
「こちらには、そのような項目は表示されていません」
どうやら、《魂の器》はヒューにしか見えていないらしい。
「何でもない」
意味は分からない。
だが、自分だけに見える項目が存在していることを、ヒューは覚えておくことにした。
受付係は、水晶に表示された数値を確認しながら説明を始める。
「まず、《レベル》です。これは、その人が神から授かった祝福の数を表しています」
「祝福の数?」
「はい。鍛錬や仕事、戦いなどを通して成長を重ねると、神から新たな祝福を授かることがあります。授かった祝福が九つあるため、あなたのレベルは9と表示されているのです」
「魔物を倒さなくても上がるのか?」
「もちろんです。鍛冶職人は鉄を打ち続けることで、農民は畑を耕し続けることで祝福を授かることがあります。何をすれば必ず上がるというものではありませんが、積み重ねた努力は神々が見ているといわれています」
受付係は、レベル9の表示を見て少し驚いた表情を浮かべた。
「職業を持っていなかった者としては、かなり高いですね」
「十年間、剣を振ってきた」
「その積み重ねが、神に認められたのでしょう」
受付係は、次の項目を示す。
「《職業》は、その人が現在歩んでいる道を示します。あなたが選んだのは《剣士》です」
受付係は、最後の項目を示した。
「《スキル》は、その人が身につけた技術や特殊な能力です。職業を得た際に習得するものもあれば、長い訓練や経験によって習得するものもあります」
「剣術レベル三は?」
「剣の構え、振り方、足運びなど、剣を扱うための基礎技術が一般的な初心者を大きく上回っているという意味です」
受付係は、少し厳しい目でヒューを見る。
「ですが、《剣術》のレベルが高くても、相手の癖や魔物の習性、実戦での駆け引きまで理解できるわけではありません」
「技術と経験は別ということか」
「その通りです」
受付係は書類を閉じた。
「あなたには、十年間積み重ねてきた力があります。ですが、冒険者としては今日が一日目です。そのことだけは、忘れないでください」
職業登録を終えると、続いて冒険者としての経験を確認された。
「魔物を倒した経験はありますか?」
「ない」
「誰かとパーティーを組んだことは?」
「ない」
「野営の経験は?」
「村の外で寝たことはない」
受付係の手が止まった。
「罠や毒への対処は?」
「知らない」
「依頼を受けた経験も、当然ありませんね」
「ああ」
受付係は書類へいくつかの項目を書き込んだあと、ヒューを見た。
「剣を扱えることと、冒険者として生き残れることは別です」
ヒューは反論しなかった。
いつか、あの男のような本物の英雄になりたい。
その想いは変わらない。
だが、自分が今立っているのは、スタートラインの一番下だ。
剣だけを振ってきた、冒険者としては何も知らない素人に過ぎない。
ヒューは、壁一面に依頼書が貼られた掲示板へ目を向けた。
魔物討伐の依頼に心を引かれたが、登録したばかりの冒険者には受ける資格がない。
受付係から提示されたのは、街の倉庫から商店へ物資を運ぶ仕事だった。
報酬は少ない。
剣を使う場面もない。
一瞬だけ、ヒューの足が止まる。
だが、傷だらけの身体で村の崩れた家を直していた、あの男の姿を思い出した。
華やかな戦いだけを選ぶ男ではなかった。
「それを受ける」
ヒューは受付係から依頼書を受け取った。
荷物運びに指定された依頼は、二人一組で行うものだった。
指定された待ち合わせ場所へ行くと、壁際に一本の杖を抱えた少女が立っていた。
肩にかかる淡い金髪と、冷たい印象を与える青灰色の瞳。細身の身体を濃紺のローブで包み、こちらを見ても愛想よく笑うことはなかった。
毛先が少し跳ねた髪や、わずかに長いローブの袖にはどこか気怠げな隙があり、完全な冷酷系というよりも、不機嫌そうな猫を思わせる佇まいだった。
ヒューが近づいても、少女は挨拶すらしなかった。
彼女はわずかに目を細め、ヒューの背中にある剣を一瞥して、冷めた声で言った。
「荷物運びに、その剣は必要なの?」
「いつ必要になるか、分からないからな」
「街の中で魔物なんて出ないけど」
「なら、使わずに済むだけの話だ」
少女は、理解できないものを見るようにヒューを見つめた。
それ以上言葉を交わすことなく、二人は指定された倉庫へと向かった。
初仕事では、魔物と戦うものだと思っていた。
だが、倉庫で手渡されたのは、文字がびっしりと並んだ荷物の一覧表だった。
隣に立つ少女が、紙へ目を落としたまま淡々と言う。
「木箱が全部で十二個。日が暮れる前に、三往復する」
「……剣を振るより、こっちの方が大変そうだな」
「気づくのが遅い」
二人は無言のまま、重い木箱をそれぞれ抱え上げて運び始めた。
ヒューは十年間鍛え上げた身体の強さに任せて強引に持ち上げたが、数を重ねるごとに肩や腕へ疲労が溜まっていった。
一方の少女も、細身の体格ゆえに額にうっすらと汗を浮かべ、息を弾ませていた。
二往復目の途中、細い路地裏の段差を登る際、ヒューが足をもたつかせた。
「っ……」
バランスを崩したヒューの腕の中で木箱が傾ぎ、中の瓶が嫌な音を立てた。
木箱は、そのままマリアの方へ倒れかける。
「危ないっ……!」
ヒューは反射的に身体を滑り込ませ、肩と両腕で木箱を支え直した。
少女は驚いて身を引いたが、ヒューが必死に踏ん張ったおかげで木箱の落下は免れた。
しかし、助けられたはずの少女は、冷ややかな目をヒューに向けるだけで、感謝の言葉どころか鋭い棘のある声を飛ばした。
「……壊れ物が入ってるの。勝手に傾けないでよ」
疲労と苛立ちから、ヒューも思わず言い返す。
「こっちは落とさないように庇ったんだ。文句があるなら、最初にそう言ってくれ」
「言ってくれないと分からないわけ? 気が利かない人ね」
言い合いになりかけたところで、少女はふっと息を吐き、自分の杖を木箱へと向けた。
「名前はマリアンヌ。……面倒だから、マリアでいいわ」
「俺はヒューだ」
「で、ヒュー。文句言う暇があるなら手伝って。これ、少しだけ浮かすから、軽くなったところを持ち上げて」
マリアが杖へ微弱な魔力を込めると、木箱がわずかに浮き、重さがふっと軽くなった。
完全に浮かせ続けることは難しいらしく、その額にはすぐに汗がにじむ。それでも、一瞬だけ重さを弱めるには十分だった。
「……こうか?」
「そう。……重いんだから、一人で意地にならないでよ」
マリアが補助し、ヒューが力強く持ち上げる。
お互いのタイミングを合わせる必要はあるが、先ほどまでの泥臭い力任せの荷物運びとは比べ物にならないほどスムーズに、段差を越えることができた。
「……助かった」
「……別に、依頼を失敗したくないだけだから」
そっぽを向きながらも、マリアの態度は先ほどよりわずかに柔らかくなっていた。
まだ仲間意識など芽生えていない。
だが、一人ではただ重さに耐えるしかなかった作業に、明確な「役割分担」が生まれた瞬間だった。
剣を振ることだけが、冒険者の仕事ではない。
そして一人でできることには、限界がある。
ヒューがそれを知ったのは、冒険者になった最初の日だった。




