第12話 交易都市リーヴェン
山賊の罠を抜けたあとも、護衛の旅は続いた。山間道を抜けると、街道は再び緩やかな丘陵地へと変わっていく。二台の荷馬車には傷一つなく、馬も無事だった。山賊との戦いだけを見れば、ほとんど完璧に守り切ったと言っていい。ただし。
「……疲れた」
荷馬車の後ろに腰を下ろしたマリアが、杖を抱えたまま大きく息を吐いた。普段ならヒューたちと一緒に歩いているところだが、今は立ち上がる気もないらしい。
「魔力、まだ戻らないのか?」
荷馬車の横を歩きながら、ヒューが尋ねる。
「少しは戻ってるわよ。でも、さっきみたいに広い範囲へ風を張り続けたのは初めてだったから……」
山賊は左右の斜面から何度も矢を放ってきた。狙われたのは人間だけではない。馬や御者まで含めて守るために、マリアは二台の荷馬車を覆うほど広い範囲へ風を巡らせ続けた。
「今日はもう大きな魔法を使わせない方がいいわね」
少し前を歩いていたフィローネが言った。
「分かってるわよ。私だって無理して倒れたいわけじゃないもの」
「なら寝ててもいいぞ」
「寝ないわよ」
「さっきから目が閉じかけてるぞ」
「閉じてない」
「閉じてた」
「閉じてない!」
声だけは元気だった。ヒューが思わず笑う。
「笑わないで」
「笑ってない」
「顔が笑ってる」
「前にも同じこと言われたな」
「誰のせいだと思ってるのよ」
少し前まで山賊に命を狙われていたとは思えない会話だった。それでも三人は警戒を解いてはいない。山賊が逃げたからといって、街道から危険そのものが消えたわけではない。
◇
その予想は、夕方になる前に当たった。
「止まって」
フィローネが片手を上げた。二台の荷馬車がゆっくりと止まる。今度のフィローネには、山賊のときのような迷いはなかった。
「何かいるのか?」
ヒューが剣へ手をかける。
「前方に何かいる。三……四、いや、五体」
「魔物?」
「たぶんね」
フィローネが弓を構えた直後、街道脇の低い草むらが大きく揺れた。飛び出してきたのは、灰褐色の毛を持つ狼型の魔物だった。グレートファングウルフほど大きくはない。五体。一直線にこちらへ向かってくる。
「マリアは休んでろ!」
ヒューが剣を抜く。
「でも――」
「さっき魔力を使いすぎたでしょう」
フィローネも弓へ矢をつがえた。
「今回は私たちでやるわ」
「……分かった」
マリアは不満そうな顔をしながらも、杖を下ろした。
「危なくなったら呼んでよ」
「ああ」
ヒューが前へ出る。一体目が正面から飛びかかってきた。以前なら、相手の動きを確認してから一度構え直していたかもしれない。だが、今は違う。踏み込みも、剣を振る速度も、身体の反応も以前より明らかに速くなっている。魔物の爪が届く直前、ヒューは半歩だけ身体をずらした。空振りした魔物の首へ、そのまま剣を振り抜く。一撃で倒れた。
「右!」
フィローネの声が飛ぶ。ヒューが振り向くより早く、一筋の矢が横を通り抜けた。右側から回り込もうとしていた魔物の胸へ深々と刺さり、そのまま地面へ転がる。残り三体。二体がヒューへ、一体が荷馬車へ向かった。
「そっちは任せて!」
フィローネが次の矢を放つ。荷馬車へ向かっていた魔物の前脚へ矢が刺さり、勢いよく転倒した。そこへ間髪入れず二本目が飛び、首へ突き刺さる。残る二体がヒューへ同時に迫った。
「左は少し遅い!」
「分かった!」
フィローネの声を信じ、ヒューは正面の一体だけを見る。爪をかわし、喉へ剣を走らせた。倒す。すぐに左へ向き直る。最後の一体は、すでにヒューへ飛びかかっていた。間に合う。そう判断した瞬間、フィローネの矢が魔物の肩へ突き刺さった。空中で身体がわずかに傾く。ヒューはその隙を逃さず、剣を振り抜いた。最後の魔物が地面へ落ちる。
周囲が静かになった。
「……終わった?」
荷馬車からマリアが顔を出す。
「ああ」
「私、本当に何もしてないんだけど」
「休むのも仕事だろ」
ヒューが剣についた血を拭いながら答える。
「魔力が戻ってない状態で無理しても仕方ない」
「分かってるけど……」
マリアは少しだけ悔しそうだった。
「心配しなくても、また戦う機会くらいいくらでもあるわよ」
フィローネが弓を背中へ戻す。
「それも嫌な励まし方ね」
「冒険者でしょう?」
「そうだけど」
ヒューは倒した魔物を見下ろした。以前なら五体を相手にすれば、もっと苦戦していたはずだ。それが今は、マリアの援護がなくてもフィローネと二人で危なげなく倒すことができた。レベル15。《剣士》と《戦士》。まだ完全ではない。それでも、新しく得た身体は少しずつヒューのものになり始めていた。
◇
翌日の昼。街道の先に巨大な城壁が見えてきた。
「あれ?」
荷馬車から身を乗り出したマリアが目を細める。
「もしかして……」
「リーヴェンよ」
フィローネが答えた。交易都市リーヴェン。王都へ続く街道の途中にあり、複数の交易路が交わるこの地方でも有数の都市だ。近づくにつれて、これまで滞在していた町との違いがはっきりと分かってくる。街道そのものが広い。行き交う荷馬車の数も多く、旅人や冒険者、商人が絶え間なく門へ向かっている。人間だけではない。獣人やドワーフ、ヒューには種族の分からない旅人までいた。
「すごいな……」
ヒューが思わず呟く。
「こんな大きな町は初めて?」
「ああ」
「町というより都市ね」
マリアは城壁を見上げながら目を輝かせていた。
「グリモアのお店もたくさんありそう……!」
「まず依頼を終わらせるぞ」
「分かってるわよ」
「顔がもう店に行ってる」
「顔は行かないわよ」
「気持ちが」
「細かい!」
フィローネが二人のやり取りを見て笑った。
◇
入場手続きを終えると、二台の荷馬車はリーヴェンの商業区へ入った。通りの両側には商店や工房、宿、倉庫が隙間なく並び、露店からは見たことのない商品まで売られている。
「見て、ヒュー!」
「何があるんだ?」
「あっち! 魔法道具のお店!」
「依頼」
「分かってるってば!」
何度も振り返りながらも、マリアはちゃんと荷馬車についてきた。依頼主の商人が商品を倉庫へ納めたあと、三人はその商人と一緒に冒険者ギルドへ向かった。リーヴェンの冒険者ギルドは、これまで利用していたものよりはるかに大きかった。二階建ての建物の中にはいくつもの受付があり、冒険者の数も多い。依頼主が護衛完了を報告すると、受付職員が書類を確認した。
「予定どおり、商品はすべて届けてもらった」
商人が言う。
「途中で山賊に襲われたが、馬も荷物も一つも失っていない」
「山賊ですか?」
受付職員の表情が変わった。
「ああ。山間道で待ち伏せされてな」
フィローネが場所や人数、左右の斜面から矢を撃たれたこと、馬を狙われたこと、さらには道の先に倒木まで用意されていたことを説明する。職員は真剣な表情で記録を取った。
「分かりました。こちらから街道警備の担当にも情報を回しておきます」
報告が終わると、三人それぞれに護衛報酬が渡された。ヒューは手の中の硬貨を見る。
「……護衛って、結構もらえるんだな」
「その代わり大変だったでしょう?」
マリアが言う。
「馬を守って、商人を守って、御者も守って、荷物も守って」
「最後には倒木まで動かしたしな」
「それは普通の護衛の仕事じゃないと思う」
「俺もそう思う」
「でも、本当に助かったよ」
依頼主の商人が笑った。
「また機会があれば頼みたいくらいだ」
その言葉が、ヒューには少し嬉しかった。魔物を倒したから褒められたのではない。冒険者として受けた仕事を最後までやり遂げ、その結果を依頼人に認めてもらった。
「ありがとうございました」
ヒューは素直に頭を下げた。
◇
「宿なら、いいところを知ってるわ」
ギルドを出ると、フィローネが言った。
「高い?」
マリアが真っ先に聞く。
「普通よ」
「本当に?」
「何よ、その疑い方」
「フィローネって、意外と良いもの好きそうだから」
「マリアに言われたくないわ。ケーキを選ぶとき、一番高いの見てたでしょう?」
「あれはヒューのおごりだったから」
「まだ言うのか」
ヒューが呆れる。三人はフィローネが知っている宿へ向かった。商業区から少し外れた場所にある、旅人向けの落ち着いた宿だった。同じ宿に泊まることにして、それぞれ別の部屋を取る。
「今日はもう休みましょう。マリアは特にね」
フィローネが言う。
「もうかなり魔力は戻ったわよ」
「明日、グリモアを見るんでしょう?」
「休みます」
即答だった。
「素直だな」
「明日に備えるだけよ」
ヒューもその日は武器屋へ行くのをやめた。腰の剣はまだ使える。だが、ダスクベアとの戦いで受けた傷は多く、長く使える状態ではないことも分かっている。リーヴェンへ着いたら新しい剣を探す。そのためにここまで来たのだ。
◇
翌朝。三人は宿の食堂で朝食を取っていた。
「ヒューはどうするの?」
マリアがパンをちぎりながら尋ねる。
「鍛冶屋を見てくる」
「一人で?」
「ああ」
「私たちはグリモアのお店へ行くけど」
「俺は魔法を使えないぞ」
「分かってるわよ。聞いただけ」
「フィローネが案内してくれるのか?」
「ええ。知り合いが店をやってるの」
フィローネが頷いた。
「信用できる?」
マリアが聞く。
「私が?」
「店主が」
「失礼ね」
「高いものを売りつけられたら困るもの」
「本人の前では言わない方がいいわよ」
「怖い人?」
「怖くはないけど、口は悪いわね」
「……行くのやめようかな」
「グリモア」
「行く」
即答したマリアを見て、ヒューは笑った。
◇
フィローネに案内された店は、マリアが想像していたものとはかなり違っていた。
「ここ?」
「ここよ」
大通りから細い路地を二本ほど入った場所に、古い木造の建物が建っている。小さな看板には、魔法文字らしい記号が薄く刻まれていた。
「もっとこう……魔法道具が光ってるようなお店を想像してた」
「そういう店なら大通りにあるわよ」
「じゃあ、なんでここ?」
「信用できるから」
フィローネが扉を開けた。
「おばあちゃん。いる?」
「誰をおばあちゃんと呼んでるんだい」
店の奥から、しわがれた声が返ってきた。中には古い紙や革、薬草や香木の匂いが混ざっている。壁際の棚にはグリモアや巻物、魔石、小さな魔法道具が所狭しと並んでいた。奥から現れたのは、小柄な老エルフだった。長い銀白色の髪に、深く刻まれた皺。それでも尖った耳と青い瞳には、どこか若々しい鋭さが残っている。
「久しぶり」
「フィローネじゃないか。まだ生きてたのかい」
「会うたびにそれ言うのやめて」
「エルフなら数年会わないくらい普通だろう?」
「縁起が悪いのよ」
マリアがフィローネの隣で小さく囁いた。
「本当に口悪いわね」
「聞こえてるよ」
「すみません!」
マリアが慌てて背筋を伸ばした。老婆が楽しそうに笑う。
「それで、その人間の娘は?」
「マリア。魔法使いよ」
「ほう」
老婆はマリアをしばらく眺めた。
「それだけじゃないね」
「分かるんですか?」
「長く生きてるからね。風か」
「はい」
「まだ身体に馴染みきってはいないけど、悪くない」
褒められたマリアの顔が少し嬉しそうになる。
「今日はグリモアを探しに来ました」
「何の?」
「雷です」
フィローネがマリアを見る。
「やっぱり雷にするの?」
「ええ」
マリアはすでに決めていた。風魔法は便利だ。速く動ける。敵を押し返せる。仲間を守ることもできる。しかし、それだけではできないこともある。もっと攻撃に向いた魔法も身につけたい。
「雷ねぇ」
老婆は棚を探し、一冊の本を取り出した。黒に近い青色の表紙に、銀色の線で稲妻が描かれている。
「風を扱える者なら、相性は悪くないよ」
「本当ですか?」
「ただし、風みたいに多少失敗しても髪が乱れるだけじゃ済まない」
老婆がグリモアを机へ置く。
「扱いを間違えりゃ、自分の指を焼くことだってある」
「そんなに?」
「魔法を甘く見るなってことさ。この本は《雷撃》の基礎から入ってる。最初は小さな雷を飛ばすところからだね」
「これにします」
「即決かい。せめて値段を聞いてからにしたらどうだい」
「あ」
フィローネが額へ手を当てた。老婆が告げた金額を聞いた瞬間、マリアの表情が固まった。
「……高い」
「グリモアってのはそういうもんさ」
昨日受け取った護衛報酬があれば買える。だが、決して安い買い物ではない。マリアはしばらく財布とグリモアを見比べてから、もう一度表紙へ手を置いた。
「買います」
「いいの?」
フィローネが尋ねる。
「うん。そのためにも護衛依頼を受けたんだもの」
自分で働いて得た金を、自分の成長のために使う。老婆は少しだけ満足そうに笑った。
「いい買い物になるかどうかは、あんた次第だよ」
「はい!」
◇
会計を終えたところで、フィローネが店の奥に掛けられている一着のローブへ目を向けた。深い緑色で、派手な装飾はない。しかし縫製は丁寧で、かなり質の良い品に見えた。
「これ、まだあったの?」
「ん? ああ」
老婆もローブを見る。
「昔の客が忘れていったやつさ」
「忘れ物?」
マリアが聞く。
「もう何年になると思ってるんだい」
「何年?」
「さあね。十年近いかもしれない」
「それ、もう取りに来ないでしょう」
「だから困ってるんだよ」
老婆はローブを外すと、そのままフィローネへ投げた。
「ほら、持ってきな」
「え?」
「このまま置いておいても虫に食われるだけだ」
「本当にいいの?」
「いらないなら戻しな」
「もらう」
返事が早かった。フィローネがローブを広げると、マリアも興味深そうに覗き込む。
「綺麗ね」
「ただのローブじゃないよ」
老婆が言った。
「《エルフの加護》がついてる」
「加護?」
「森みたいに自然の濃い場所なら、着ている者の気配を少しだけ周囲へ馴染ませてくれる。それと、魔力の巡りも多少整えてくれるね」
フィローネの表情が少し変わった。
「魔力の巡り……」
「今のあんたには、ちょうどいいんじゃないかい?」
「分かるの?」
「だから長く生きてるって言ってるだろ」
フィローネはレベル16になったばかりだ。以前より視界も聴覚も身体の反応も鋭くなったが、まだ新しい感覚へ完全には馴染んでいない。魔力の流れを整える効果があるなら、今の彼女にはありがたい品だった。
「……ありがたくもらうわ」
「そうしな」
フィローネが深緑のローブを羽織る。
「似合う」
マリアが言った。
「そう?」
「うん。すごくエルフっぽい」
「私、元からエルフなんだけど」
「そういう意味じゃなくて!」
老婆が大声で笑った。
◇
「そういえば」
老婆が棚を整理しながら、何気ない口調で言った。
「最近、薬草が少なくて困ってるんだよ」
「薬草?」
フィローネが反応する。
「ああ。いつもの仕入れが来なくてね」
「どこから?」
「エルネ村」
その名前を聞いた瞬間、フィローネの表情が変わった。
「エルネ村?」
「あんたも知ってるだろ」
「ええ」
リーヴェンからそれほど遠くない森の中にある、小さなエルフの村。薬草の採取や薬作りを生業とし、昔から周辺の町へ薬草を卸しているという。
「いつもなら何日かおきに誰か来るんだけどね」
「どれくらい来てないの?」
「一週間以上かねぇ。別の商人も最近見てないって言ってたよ」
「一週間……」
「若い連中がさぼってるだけならいいんだけどね」
老婆は軽く肩をすくめた。だが、フィローネは何も言わなかった。ただ少しだけ考え込むように、店の外へ目を向けていた。
◇
その頃、ヒューは一人で鍛冶屋を探していた。リーヴェンには武器屋も鍛冶工房も多い。その中からヒューが選んだのは、店先に実用的な武器ばかりが並んでいる店だった。派手な装飾の剣はほとんどない。剣、槍、斧、盾。どれも戦うために作られたものばかりだ。
「いらっしゃい」
店の奥から、大柄な男が出てきた。太い腕には古い火傷の跡があり、顔には煤がついている。
「剣を探してる」
「今使ってるやつを見せてみろ」
ヒューは腰から長剣を外し、男へ渡した。鍛冶師は剣を抜き、刃を確認する。すぐに眉を寄せた。
「お前、これで何と戦った?」
「ダスクベア」
鍛冶師が顔を上げた。
「馬鹿か」
「よく言われる」
「これで熊の爪を受けたのか?」
「ああ」
「何回だ」
「覚えてない」
「馬鹿だな」
「二回言われた」
「言いたくもなる」
刃には細かな亀裂や歪み、刃こぼれが残っている。鍛冶師は小さく首を振った。
「もう限界だ。よく折れなかったな」
「やっぱりか」
ヒューは山賊から回収したショートソードも見せた。
「こっちは?」
「こっちはまだ使える。良い剣じゃないが、予備としてなら十分だ」
「新しい長剣が欲しい」
「ああ。お前の体格なら……」
そこで鍛冶師の声が止まった。ヒューの顔をじっと見る。
「どうした?」
「お前……その銀髪」
「?」
「名前は?」
「ヒュー」
「父親は?」
ヒューの表情が変わる。
「……アーロン」
鍛冶師は目を見開いた。
「やっぱりか」
「父を知ってるのか?」
「知ってるも何も、俺はあいつに命を助けられた」
「……父に?」
「ああ」
鍛冶師は古い記憶を思い出すように、作業台へ手をついた。まだ若かった頃。鉱石を仕入れるために山道を進んでいたとき、魔物に襲われた。護衛は倒れ、自分も脚へ深い傷を負った。
「死ぬと思ったよ。そこへ銀髪の冒険者が一人で現れた」
「アーロン……」
「ああ。魔物を倒して終わりじゃなかった。歩けなくなった俺を、町まで背負ってくれた」
しかも金は受け取らなかったという。
「俺が鍛冶師だって話したらな、『じゃあ、いつか俺が剣を必要としたとき安くしてくれ』って言いやがった」
「父が?」
「結局、そのあと剣を買いには来なかったけどな」
ヒューは黙った。また知らない父の話を聞いた。自分たちのところへは帰ってこなかった父。それでも遠い場所では、確かに誰かを助けていた。
「似てるよ」
鍛冶師が言った。
「顔そのものは母親似かもしれん。でも銀髪と体格、それに立ってるときの雰囲気が似てる」
「そんなに?」
「剣を持ったときは特にな」
鍛冶師は店の奥へ入り、一本の剣を持って戻ってきた。黒い鞘。飾りの少ない柄。見た目は地味だが、しっかりと作られていることはヒューにも分かった。
「抜いてみろ」
受け取ると、今までの剣より少しだけ重い。だが、不思議と手に馴染んだ。刃には十分な厚みがあり、それでいて重すぎない。
「振っていい?」
「店を壊さない程度にな」
ヒューが軽く剣を振る。一度、二度。止める。
「……いい」
「だろうな。今のお前くらいの体格なら、そのくらいがちょうどいい」
「いくら?」
「いらん」
「……え?」
「持ってけ」
「いや」
「昔、お前の親父に命を拾われた。その代金だ」
「それは父の話だ」
「だから息子に返すんだよ」
「でも、ただでは受け取れない」
「細けぇな」
ヒューは少し考えてから、これまで使ってきた長剣と山賊から回収したショートソードを作業台へ置いた。
「なら、これを買い取ってくれ」
「こっちの長剣はほぼ鉄くずだぞ」
「それでもいい」
「ショートソードには多少値がつくが、新しい剣の値段には全然届かん」
「分かってる。それでも、何も出さないよりはいい」
鍛冶師はしばらくヒューを見つめていた。やがて、呆れたように息を吐く。
「……頑固なのも似てやがるな」
「父も?」
「ああ。分かった。それで手を打ってやる」
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ」
鍛冶師は古い剣を引き寄せながら言った。
「アーロンに会ったら伝えてくれ。昔助けた鍛冶屋は、まだ死なずに剣を打ってるってな」
ヒューは少しだけ黙った。
「……会えたら」
そう答えた。
◇
新しい剣を腰へ下げ、店を出ようとしたときだった。壁に並べられた盾が目に入った。大盾、丸盾、小型盾。
「盾も欲しいのか?」
鍛冶師が聞く。
「ああ」
「剣士だろ?」
「剣士だけど、この前山賊に襲われた」
「ほう」
「矢を撃たれたんだ」
「剣で落としたのか?」
「一本だけ」
ヒューは苦い顔をした。
「ほとんど仲間に守ってもらった」
マリアの風がなければ。馬も、御者も、商人たちも危なかった。ヒュー自身も同じだ。
「剣だけじゃ、矢の前ではできることが少なかった」
鍛冶師が少し笑った。
「負けた理由を武器のせいにしない奴は嫌いじゃねぇ」
「負けてない」
「何もできなかったんだろ?」
「……」
「なら似たようなもんだ」
「厳しいな」
「それが嫌なら盾を買え」
「買う」
「即決かよ」
「同じ失敗はしたくない」
ヒューが選んだのは、左腕へ固定できる小型の盾だった。大盾ほど広い範囲は守れない。それでも顔や胸のような致命傷につながる場所を守りながら、剣の動きを邪魔しにくい。《戦士》を得た今の身体なら、重さも問題にならない。
「矢を全部防げると思うなよ」
「ああ」
「顔と胸を守れ。それだけでも死ぬ確率は下がる」
「それでいい」
ヒューは護衛報酬の一部を使い、小盾を購入した。
◇
夕方。三人は同じ宿の食堂へ戻ってきた。マリアが真っ先にヒューの腰を見た。
「ヒュー、その剣!」
「なんだ?」
「買ったの?」
「もらった」
「……もらった?」
マリアの目が怪しくなる。
「何したの?」
「なんで俺が悪いことした前提なんだ」
「だって剣をただでもらうなんて普通ないでしょう?」
「父を知ってる鍛冶屋だった」
マリアの表情が変わった。
「アーロンを?」
「ああ。また父に助けられた人だった」
「また……」
ヒューは席へ座った。
「昔、山で命を助けてもらったらしい」
マリアは何か言いかけたが、結局その言葉を飲み込んだ。ヒュー自身も、知らない父の話を聞くたびにどう受け止めればいいのか分からない。代わりにヒューはマリアの持っている鞄へ目を向けた。
「そっちは?」
「見て!」
待ってましたとばかりに、マリアが黒青色のグリモアを取り出した。
「雷?」
「そう!」
「風じゃないのか?」
「風はもう使えるもの」
「雷も使えるようになるのか?」
「これから練習するの!」
「危なくない?」
「なんで最初にそれ聞くのよ」
「マリアだから」
「どういう意味!?」
フィローネが隣で笑った。そこでヒューは、彼女が羽織っている深緑のローブにも気づく。
「フィローネも何か買ったのか?」
「これはもらったの」
「フィローネまで?」
「私は本当に忘れ物をもらっただけよ」
「《エルフの加護》がついてるの」
マリアが説明する。
「森の中で気配を馴染ませてくれて、魔力の巡りも少し整えてくれるんだって」
「今のフィローネには良さそうだな」
「ええ。ありがたいわ」
ヒューは二人を見た。自分は新しい長剣と小盾。マリアは雷のグリモア。フィローネは《エルフの加護》を宿した深緑のローブ。三人とも、昨日までとは少しだけ違っている。ただし。護衛依頼はもう終わった。ヒューとマリアは正式なパーティだが、フィローネはあくまで今回の護衛依頼で一時的に同行した冒険者だった。ここから別の依頼を選び、それぞれ別の道へ向かってもおかしくない。
「……」
そのフィローネが、さっきから少し考え込んでいる。
「フィローネ?」
マリアが気づいた。
「何かあった?」
「……ううん」
フィローネは少し迷ったあと、首を横に振った。
「今日はいいわ」
「今日は?」
「ええ。ちょっと考えたいことがあるの」
フィローネは新しいローブの袖をそっと握った。昼間、老婆が話していたエルネ村。一週間以上、薬草を届ける者がリーヴェンへ来ていない。フィローネは宿の窓から、都市の外へ続く道をしばらく見つめていた。




