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二〇章 はなめき

 

 三〇二七年三月八日、土曜日。

 面会室を出る間際、

「あなたは、なんでしょうな」

 と、星川英の声に引き留められるようにオトは脚を止めた。

「なんの話かね」

「全てよしのサルビアでしょうか。愛情のアサガオでしょうか。真似事に過ぎませんが、あなたのことについて少しだけ勉強しました」

 誕生花。

「期せずして争うこととなり、恐らくフウセンカズラになりたいのではないか、と、わたしは感じました」

 星川英を振り向きもせず、オトは瞼を閉じて沈黙した。

 噓をつくことをやめられない。やめたいと思ったところで本意の噓を放つ。自ら放った噓の網が全身を絡め取るような不自由をオトは感じている。

「これは飽くまで私見です。あなたのことはあなたにしか決められません」

 星川英が教育者然と微笑んだ。「あなたは、どんな植物を胸に生きたいんでしょうな」

「誕生花とは違うが、俺もゲッケイジュではあるのかも知れん」

 

 彼は育ち続ける大樹のように存りたかっただろう。花が咲かずとも輝ける未来を望むため。

 竹神邸に向かったフルマイを見送らず、オトは八百万本宮を参拝、ララナが辿った道をなぞるように大神凰慈と面した。

「あなたが訪れたということは、」

「一件落着としてもいいよ」

 国内最大級のサクラジュは土地によっては誇りでありシンボルだ。そこには些細な噓もなくしかし人間社会には建前が溢れ返っている。

 惑星アースのテロリスト被疑者として自分の名が挙がっている。鈴音からそう聞いていたオトは国主級の動きを察してここを訪ねている。大神凰慈もそれを察していた。

「デマゴギの罰を受けます」

 その言葉を聞けたので、オトは経緯を省いて本題に入れる。

「総理は天甘柿華の系譜かな」

「右腕は音羅さん達とも縁のある此方翼さんです」

 此方翼は不正を犯していた此方充やそれを黙認していた家族の側に立ってしまったことからかつては為政者を志してはいなかった。その心を知り、受け入れ、そんな此方翼ゆえに右腕としたのが現在の総理大臣天甘柿華(あまがきしら)(しょう)である。

「政治への介入は不本意やろうけど、一つ、伝言程度に頼みたいことがある」

上手(かみて)からの頼みはいっそ蹂躙です。いいんですよ、罰して」

「上にも下にもなるつもりはないんよ。昔に音羅が行きついたことやけど、生きとるなら上下なんてなく平等やろ」

「幼少期のあなたが導き出していた答でもあるのでは」

「娘より時間が掛かった。音羅はすごい子やよ」

「時代や環境で成長速度は変わります。彼女の成長はあなたを肥やしとしたからです」

 オトが答えずサクラジュを仰ぐと、大神凰慈が諦めたように切り出す。

「伝言の内容はなんですか」

「その前に、天甘柿華の方針は知っとるかな」

「革新・保守双方を取り込み、また、調整するような中立的立場です」

 万一の事態には国を動かす発言権を有するため三大国協議に列席することもある大神凰慈である。政治に無頓着なわけがなく、主要な政治家が目指すものを知っている。三大政治家系と称せられる名門出身である天甘柿華精の情報も押さえていた。天甘柿華家としてはまさしく中立的で、精はその中でも総理大臣に昇りつめている。標榜するのは三大国戦争で決定的な溝があるダゼダダ警備国家・レフュラル表大国・テラノア軍事国つまり三大国の講和条約締結だ。

香流清川(あゆるさやかわ)の末端分家の事後処理で保守派との衝突をなんとか小さく治めてくれたのも天甘柿華の皆さんでした」

 オトがララナと出あった当時の総理大臣火箸凌一が大暴れした。火箸凌一に注意をしていた本家香流清川率いる革新派が統御しきれなかった過激派議員の一部が起こしたこともある。

「三〇二七年二月九日」

 その日、防衛機能を発揮する〈再生の暁〉を攻撃兵器に転用しようとした過激派の動きがあった。大神凰慈はその件も知っている。

「魔力環境の乱れは看過しがたいものでしたが、あの一件で過激派議員は沈黙しました」

「再生の暁の攻撃兵器転用が不可能と思い知らせることで。まあいい、政治はよう解らん」

 オトが伝えたいのは飽くまで伝言だ。「こうして話したことで伝言は達成される」

「政治に疎い方にこんな折衝は不可能ですよ」

 大神凰慈が微苦笑したのは、彼女の兄たる情報屋が屋内に潜んで話を聞いている。また、潜まず縁側にいる女性が、この情報屋と密かにやり取りしている。それもまた祖母言葉真鷹音の示したゲゼルシャフトの一つといえるだろう。この国を守るための繫がり、ひとによっては世間的な言い方としての()()を含んだ関係だ。

 桜神甚のように扇子を広げて口許を隠した大神凰慈がほとんど腹話術で伝える。

「同じ学園の出身ですからご存じでしょうが、先程からあなたを熱心の見つめているあの女性が此方翼さんです。表向きは国家安寧のための定期的参拝ですが天甘柿華さんの名代であり大神家の方針伝達の担い手です。が、それ自体も私の情報屋を介してですので間接的で空気の読み合いであり、忖度ともいえますね。今のあなたとのやり取りで、その忖度が確定した。要するに、」

「俺も集団の意識に吞まれた恰好か」

「いいえ、それすら空気です。そう観たひとだけがそう観る曖昧なものですよ」

 表向きの政治介入は存在しない、と。

 ひとの考えや気持はともかく政治はそれにとどまらないから解らない部分も多いとオトは考えるが、難しいことはどうでもいい。

「確定事項は」

「三大国講和条約締結です」

「悲願達成が建前としても成り立つな」

「ええ」

 此方充を従わせた火箸凌一の暴走はもとより、方針の違いで香流清川家と天甘柿華家は対立的と疑われそうなものだが実際はそうではなく、ときには手を取り合って国政を担ってきた、切っても切れない関係だ。同志からは遠いが仲間といえば間違いではない。保守・革新と一言に対義を示してもその内容は時代によって移り変わるもので、その昔からダゼダダでは他国と仲良くしないのが革新派だった。対して自国の文化や土地を堅持しようとしていたのが保守派である。そのあいだを取り持っていたのが中立的立場であるが、その方針もやはり流動的であり現代においては三大国講和の流れとなった。その流れこそ、レフュラル表大国からの魔導技術輸入や復興学徒隊の派遣受け入れなどを裏で調整していた天甘柿華の悲願で、天白和も摑みかねていたオト不逮捕の圧力の一部である。天甘柿華家のオトへの直接的干渉は警備府内でテラノア侵入を黙認させたことが挙げられる。パスチャ解放や終末の咆哮使用不能に働きかけたオトを悲願達成の流れを構築したと評価しての動きである。

「──天甘柿華家からは事後伝達を受けて驚きましたが、テラノアへの干渉は私としても感謝しています。ありがとうございます」

「捕まらんことについてはいささか不公正を感ずるが」

「そちらは天甘柿華にお問合せください。私こそ政治不介入ですから」

「メンドーを押してまで問合せなんかせんよ」

 要は三大国講和が成立するならいいのだ。「テロ被疑者に挙げられた甲斐があったな」

「真実を公表してきちんと撤回しますよ。こちら、織師さんから逐一報告を受けていましたから」

 大神凰慈が隠していた左手に乗っている織師がバツの悪そうな顔である。

「織師」

「いや、そのね、クムが心配してキミに複数のフラフをつけていたらしくて話が漏れてきたものだから」

「どこまで話した」

「魔団の正体とその能力、言葉真の言霊・魔言についてだ」

 織師の言葉が真実であることを、オトは大神凰慈の表情で察した。相末学とのやり取りを聞かれていたのだとしたら、ここまで冷静には面していない、と。

「織師さんに詰め寄るようなことはしないでください。この綿毛、フラフさんからの通信もほとんど聞こえないようでしたから」

「そうかい」

 私的な話題を拡散しないようにクムやフラフが配慮してくれたのは間違いないだろう。

「悪かったね、織師」

「構わないよ。キミの手間を省くつもりが、余計なお世話だったかも知れない。わたしの責任だ。今のキミが礼儀を欠くと思い込んでいた部分があった」

「それこそ不信を招いた俺の責任になるんやけども」

 三大国講和が果たされた後、あるいはそれ以前になんとかしてほしいことがあるからオトは回り諄い伝言を頼みに来ている。確実性を求めて、大神凰慈に一つ問うておく。

「一年半くらい前の新生祭の頃、東部港から失踪した親子を知っとるか」

「知っています。もしや、あなたは──」

「事実を知っとるなら、それでいいんよ」

 大神凰慈の返事は望ましいもの。オトが惑星アースですべきことはそれを聞いたことでもって終わった。

「じゃあね」

 半ば改革的ゲゼルシャフトに与した形ではあるがその関係が公に判然としては意味がない。大神家と天甘柿華家を繫ぐ此方家のようでいて、それよりももっと希薄な関係であるべきで、戦前や戦時ではないが目線を送ることで気取られる関係もなくはない。大神凰慈に会釈したオトは此方翼には目を向けず、八百万本宮をあとにした。

 

 

 音羅や納月が生まれて間もない頃、緑茶荘のオトの部屋に学が何度目かの訪問をした。オトの提案で学がララナ達を名前で呼び始めたのがその日だった。オトの妻になる身として、帰途につく学をララナは緑茶荘の前で見送ることにした。そのとき、学が何気なくこんなことを教えてくれた。

「竹神さんといえば竹ですが、その花言葉を知っていますか」

「いいえ。レフュラルでは広く知られていないものでしたので」

「今の竹神さんはそのもののようで、少し微笑ましいですね、『不動』です」

「なるほど……」

 花言葉通りに動く人間はいないだろうが、オトの場合はぴったり当て嵌まっているせいか、学とともにララナはくすりと笑ってしまった。

 

 学との会話はちょっとしたきっかけだった。オトが植物に、また、花言葉に詳しいことを、あるいは単に好きであることを彼は知っていた。クムとの仲のよさ、音羅の蜻蛉玉に象られた花、プレゼントのネックレス、ララナはそれらから彼の好きなものを断定でき、花言葉を自習したりした。

 自分はたとえばなんだろう。そんなことを考える余裕もなくしていたその昔の自分に植物を贈るならララナはきっとヘデラを選ぶ。家を守るように成長してゆく木蔦。そのように生きられる将来が待っている。だから、しばらく頑張ってほしい、と。子の名前はその多くが誰かがおもいを籠めて選んでいる。それを知ることのできない子が自分自身を見つめる手段として花言葉は大きな助けになってくれただろうに、幼い頃のララナは自分に落とし込むことなど考えもつかなかった。

 過去の自分へのおもいやそんな経験を経ていたことも、きっとあるだろう。

 竹神動──。

 初対面の彼女の名に、ララナは何かが引っかかっていた。聞いたり見たりしたのだとすると出逢った当時オトに関する情報を集めたときだろう、と、推測してその当時に使っていた折畳式の携帯端末を頼ることにした。隣空間の中で埋もれてしまって取り出すのに時間が掛かり、電源を入れようとしたら当然のように電池切れだった。古き良き暮しを送るモカ村に電源はない。科学的に製作した発電機や電池、雷魔法や雷属性魔力で充電することも考えたがそれぞれ加減を間違えてバッテリを破壊してしまったら情報確認が不可能になってしまう。よって、携帯端末と一緒に見つけた充電器を惑星アースで使うことにした。

 粗方の家事を終えて皆が私室に入った頃、ララナは特異転移で惑星アースへ飛んだ。行先はレフュラル表大国堡塁圏、聖産業本社ビル社長室。ひとびとが行き交う能動的な真昼の摩天楼に目もくれず執務机についていた妹瑠琉乃(ルルノ)を訪ねた。

「瑠琉乃ちゃん、こんにちは」

「どこから。あなたは──」

 ララナは普段通りの挨拶をしたが、瑠琉乃には怪訝な顔をされてしまった。その理由は外見だと気づくのにララナは数秒を要した。ゆえあって容姿が成長したこと、姉たるララナであること、携帯端末を見せつつそれらを伝えて理解を得た。

「どこの女神様かと驚きました。後光が射してましたし」

「なぜか皆さんに言われます……」

 自分のどこが女神なのかララナは実感を得ていないがそんなことはどうでもいい。戦時のことで瑠琉乃に伝えたいこともあるが、自身のことよりフルマイのことを調べるのが先である。

 ……よくよく考えると、携帯端末に入っている情報は瑠琉乃ちゃんから届いたものです。

 充電器の使用許可を得たララナは携帯端末の再起動を待たず瑠琉乃の情報を頼る。

「昔、オト様のことを調べてもらったときのことを憶えていますか」

「ある程度は」

「竹神本家の家系図が残っていませんか」

「部下が収集してわたしが纏めたものがあったと思います。少少お待ちください」

 シート型の端末をいくつも並べた執務机。「古い情報は圧縮して新端末に保存するようにしているので、どこかにあるはずです」

 畳まれていた端末を広げた瑠琉乃が、自動的に起動し空中に現れたモニタを眺め、シートに浮き出たキーをいくつか操作して検索に引っかかったファイルをララナに示した。

「ありました、竹神家の家系図です」

「ええ、間違いございません。(──ようやくはっきり思い出しました)」

 当時瑠琉乃から聞いた内容と合致する、竹神家特有の、複雑な家系図。必要な部分を頭に叩き込んだララナは、

「お姉様、こんな古い情報を確認して何かあったんですか」

 と、訊く瑠琉乃に、

「ちかぢか竹神本家を訪ねる予定がございまして、進物の参考にしようかと」

 と、それらしいことを伝えて携帯端末と充電器をポケットに収めた。

「古い端末で高速充電もできないと思いますが済みましたか」

「見せてくれた情報の確認をしたかっただけなので十分です。ありがとうございます」

「そうですか。──ところで」

 竹神家の家系図とともに端末を畳んだ瑠琉乃が、微苦笑で窺う。「オトさんとはうまくいっていますか」

「順風満帆とは参りませんが愉しんでおります」

「そうですか。幸せ、ですか」

「はい」

「迷いがないですね」

「目下谷底のようにも考えますが、山を登るのも、登り終えたときの景色を眺めるのも、オト様となら心から愉しめます」

「そう言いきれる関係がお姉様達にはある。少し、羨ましいです」

「(お義母様の話によれば──、)瑠琉乃ちゃんこそ何かございましたか。()──」

「大丈夫です」

「……」

 なんでもそつなくこなす瑠琉乃だが、父から引き継ぎ日日増えていただろう社長業と家庭の両立は極めて困難だったことだろう。皺寄せが行くのは往往にして過ごす時間の短いほう、瑠琉乃の場合は家庭だろう。三箇月前、聖本邸で義母から聞いたことが傍証になる。

 ……いつも私を気に掛けて助けてくれたのが瑠琉乃ちゃんでした。

 お返しには足りない気持だが、

「何かあったら必ず相談に乗ります」

 と、ララナは申し出て、メモ用紙に地図を書いて渡した。「遅くなりましたが、モカ村の竹神邸の地図です。こちらでならいつでも話を聞けます」

「……ありがとうございます。いつか、ゆっくり訪ねたいと思います」

「歓迎します。(戦時の感謝もそのときになるでしょうか──)」

 仕事中の瑠琉乃に伝えるには重い話。今回は飽くまで別件で、しかもアポイントも取らずに押しかけた。感謝を伝えるにはもう少しゆとりを持ちたいので、不誠実を承知で瑠琉乃と別れの挨拶を交わしてララナはモカ村に戻った。家に入り、玄関扉を閉めたところで、

「おかえりなさい」

 と、フルマイから声が掛かった。気配もなく同じ国言葉を使われるたびオトを思い出してやまないララナは、当然のように居間にいる彼女のことを不審とも思わない。

「ただいま戻りました」

「炭、砂箱に入れるよ」

「お願いします」

 本日はもう誰も外に出ないだろう。湯冷めを懸念して暖を取る必要もない。

 ふと仰ぐと、囲炉裏の熱気に煽られて居間の天井辺りでノクシィが漂っている。攻撃的な傀儡や侵入者はお断りだが、この家は、オトがそうであるように多くのひとを寛容に受け入れる場所であるべきだろう。

「竹神本家本邸で静養中のオト様をやはりお見舞に伺いたいと存じます」

 と、ララナは言って、火箸を置いたフルマイの脇に正座した。

「お邪魔してもよろしいですか」

「不お姉さんの許可が下りればいいんやないかな。わたしは構わんよ」

 入浴後のフルマイ。肩に掛けて前に垂らした長い髪を手櫛に掛ける。「お兄さん、甘えん坊のくせになんでも抱え込もうとするやろ。理解してくれる相手にならどんどん甘えてもいいと思うんやけどね」

 甘えられてもオトを情けないとも弱いともララナは思わない。けれども、

 ──大黒柱っぽいこともしておいたほうがいいかと思い直さんでもなくてね。

 音羅の友人である花に意地を張るのをやめるようしつこく言ったことがあった、とは、オトから聞いた。きっと誰より自分に言いたいことだったのだろう。それでも意地を張ってしまった頑固な彼をララナは知っている。なぜ意地を張ってしまうかも推測している。

「お姉さんが頼りないからじゃなくて、立ち直るのに時間が掛かることやって解っとるからやと思うよ。お兄さんってそういうひとやろ」

「はい。先のことを考えていらっしゃる。私一人では支えきれないほど甘えん坊で、私一人が受け取るのはもったいないほどの優しさをお持ちの方です」

 橘鈴音の件を乗り越えられたのはララナがいたから。学のことで再びララナに支えてもらうことを、彼は遠慮したのだ。

 彼がそんな判断を下したとララナが察せられたのは、彼が常にララナに甘えているからである。ララナに取ってそれは当り前のことで、甘えられているという認識もないが、彼に取っては紛れもない甘えなのだ。

「一種の我儘だったのでしょう。オト様は、私に家にいてほしいと仰りました」

 その言葉を発した当時でもララナが働きに出ることは彼なら想定できていただろう。事実、ララナは働きに出て、常に家にいたのは彼だった。同じ苦しみを味わうことまでは想定外だっただろう彼だが、万一の事態を見越してララナに言葉を向けていたとは想像に難くない。

 オトが竹神本家での静養を選んだのは亡くなったひとびとへの追悼を捧げる時間をゆっくり取りたいのだろう。

「お姉さんがおるから安心して家を空けられる」

「隠し事に向いていないと自覚しておりますので、フルマイさんにいくつか尋ねます」

「ん、なんかな」

 家族がいない場、特に娘がいないから話せることがある。

「フルマイさんは、誰ですか」

「どう応えたらいいんかな」

「竹神動です、と、答えてくれればそれで済みます」

「本家を訪ねたら判ることやね。早い話、わたしは『フルマイ』じゃない。ただ、お兄さんに留守を任されたのは本当やから、そこを疑われたら出てくしかないや」

 フルマイの声色に染まって穏やかな居間。ララナは彼女の応答を聞き入れた。

「魔団のように敵意ある何者かなら私が留守にした先頃が絶好の機会でした」

 敵意はなく害意もなくフルマイはオトから任された留守番を確かに務めている。

「もう一つ」

「なんなりと」

「失礼ながら、皆さんとの顔合せのときフルマイさんの因果の糸を探りました。そのとき、私達と繫がった虹色の糸などが観えました──」

 因果の糸は、色や太さによって互いの関係が判断できる。見えないような細さから約一ミリメートルまで成長する糸は、関係の深さに従って白色、半透明、銀色、金色、虹色、黒色、透明というように変化する。夫婦であるララナとオトのあいだには、太さ一ミリメートルの虹色の糸があった。対して、ララナとフルマイとのあいだにも、太さ一ミリメートルの虹色が観えた。会ったことがない人物でも気持を向けていると因果の糸が繫がる場合があるが、太くなりにくく虹色を発することはまずない。それらから考えられることを、ララナはフルマイに確かめたかった。

「──フルマイさんと私は、本当に、初対面ですか」

 本当は初見ではないのではないか。だから虹色の因果の糸が太く繫がっているのではないか。ララナはそう考えたのである。

「座り直そうか」

「はい」

 長い話になるのかも知れない。

 ララナが鍋座に座ると、客座に座ったフルマイが微笑で答えた。

「羅欄納さんとは初対面やよ。ただ、わたしとしてはお兄さんと一緒におるひとに興味が湧いてね、ずっと気持を向けとった」

「娘や分祀精霊の皆さんにも、かなりの親しみが繫がっておりますね」

 クムとは一ミリメートルの透明が、音羅から納雪までの娘とクム以外の分祀精霊とメリアとは一ミリメートルの黒糸(こくし)が、磋欄と霊欄には一ミリメートルの虹色が繫がっているフルマイ。娘や分祀精霊と繫がりの深いオトでも全体的に黒糸だったので、フルマイの因果の糸はいっそ不自然だった。初対面または会ったことがない相手にまでそのような糸が繫がっている理由はなんだろうか。

「説明しようとすると難しいんやけど」

 フルマイが少し考えて、口を開いた。「竹神家の巫女は八百万神社で祀る分祀精霊に祈りを捧げるからね、生まれる前から縁があるんよ」

「私や娘やメリアさんとは」

「単純に興味やね」

「興味、ですか」

「ん。奇跡の少年、あるいは、化物」

「──」

 その単語に息を吞んだララナに、フルマイがやにわに一つのことを明かす。

()(不老不死)(はな)(向かい合う)と書いてシンセンカゴまたはフメツのカゴ」

「それは……」

「お兄さんの力を端的に示した言葉やよ。自然体でおることでたくさんの分祀精霊の加護を受けた結果、この家にも優る加護領域をその身に宿して本人も知らず知らずとんでもない魔力と身体能力を培った。それが、幼少期のお兄さんの真実」

「……」

 オトが凄まじい力を有したのは創造神アースの転生体だからだろうとララナは考えていた。それは、創造神アースの転生体を知っているがゆえの安直な結論だった。

 幼少のオトは数多の分祀精霊から恩恵を授けられて超人の力を手にした。創造神アースの覚醒により世界最上の力の半分をも手に入れたオトは分祀精霊を遠ざけながらも弱化どころか偽りの太陽を退けるほどの強化を果たしていた。そんなことを知る由もない常人は彼を個人である〈言葉真音〉や〈竹神音〉と捉え、常識を超越した存在として好悪両極のラベリングをした。

「と、これは飽くまでわたしの見方やからお兄さんがどう思っとるかは知らんけどね、借物って確信を持っとるんやないかな、今は」

「借物……」

「これまたわたしの見方として、分祀精霊に愛されるお兄さんが将来を約束したい妻と子達はダゼダダの神様である分祀精霊にも祝福された存在やから気になったってこと」

「──なるほど」

 フルマイの思考の中心には常に分祀精霊があり、分祀精霊と繫がりの深いであろう存在への想いが強くある、と、いうことなのだ。

「では、納雪ちゃん以前の子とその下の子、それからクムさんとクムさん以外の分祀精霊に対してややある想いの差には、どのような意味があるのでしょう」

 強い想いに違いはなくても透明と黒と虹色では大きく異なるだろう。

「糸の色は関係の内容を示す指標で間柄によっては透明が一番いいとは限らんのやけど、全てを知り合っとるって意味でなら透明に優るもんはないね。虹色で示された磋欄ちゃんと霊欄ちゃんは生まれたばかりってことで理想しかなくて、興味の深度が浅かったんよ」

「浅かった──」

 改めて因果の糸を確認すると、顔合せのときは虹色だったのに今は黒が増えている。磋欄と霊欄のものだろう。

「今はほかの子達と同じようにすごく興味がある。どんなことができて、どんなふうに生きてくんやろう、って」

「気にしてくれているのですね」

「自分でゆうのはあれなんやけど、分祀精霊、神様に奉ずる者して、みんなに祝福が与えられるよう祈っとるよ」

「──不思議なのですが、クムさんとクムさん以外の分祀精霊とは関係が異なるようです。それはいったい……」

「簡単にいうと、巫女としての節度と個人的な感情、かな」

 どちらも奉じていることに変りはないが個人的な想いの違いが透明と黒に顕れた、と、いうことか。

「巫女として分祀精霊の皆さんを敬っていることに変りがないとすると、クムさんには特別な想いを捧げていらっしゃる」

「ん。花めき神社って知っとるかな」

「クムさんの祀られている神社ですね」

「ご利益は子孫繁栄。一方竹神家はその名の通り竹を司っとる。そこで問題」

「はい」

「竹が何に長じて祀られるか。考えて答えてみて」

 竹といえば真先に思い出されるのはその性質だろうか。繊維に沿って真二つに割れるさまからひとの性格を表すこともあれば、動物との組合せでよい取合せを示すことにも用いられる。ララナが真先に思い立ったのは、何よりオトを通じて学んでいることである。竹を割ったような性格とはとてもいえない彼だが、気持を素直に伝えてくれている場面は毎日のようにあった。それが、家族への目差である。自身が築いた竹神一家の様子を見つめて、その先の出来事に対策を打っていることもしばしば。オトが体現してきた竹の性質は家族の起点であり将来そのものである。

「花めき神社と同じ、子孫繁栄ですね」

「その通り」

「クムさんとは左様な共通点があったのですね」

「生まれた瞬間から同じことを願って生きとる。宿命的やろ」

 想いの差は、そうして生じていた。オトとクムの仲がよかったのも、宿命的な関係から発展したものなのだ。

「神社こそ違うけど、わたし達と同じ生命の神秘と繫がっとるから、クムさんには特別気持が傾いてまう。巫女としてはバランスに欠いとるんやけどね」

「クムさんは悦んでくれると思います。皆さんも理解してくれるのではないでしょうか」

「ん、きっと」

 ヴァイアプトがふわりと明滅した。

「この家は優しい香りに包まれとってお兄さんが言っとったままの理想的な場所やね」

「理想的な場所とは」

 長年一緒にいるオトのことでもフルマイから聞くことは新鮮だ。中でもこの家についての話はララナに衝撃的なものとなった。

「糸主さんなんかは迫害されたこともあるからね」

 ……迫害──。

「家族だけじゃなく、分祀精霊のみんなも住みやすい場所にいつか移り住みたかったんよ」

「左様な考えまでおありとは──」

「知っとるかな。その昔、とある精霊が何度も命を落としながら汚染された土地を浄化したっていう話」

「何かの物語でしょうか」

「ダゼダダの神話なんよ。とある精霊は〈イトイヌハフカヅラタマ〉っていう、ほかでもない糸主さんのこと。たぶん放射能汚染やね、それの浄化のために少しずつもとの姿を失って化物みたいになってまった。除染で救われたはずの人間に迫害されるようになって、それでも、土地の浄化を続けた」

「今の姿はもしや──」

「そう、お兄さんから与えられたもんやよ。その昔の姿より掃除道具っぽい見た目と可愛さ、それからより糸主さんらしく動ける形を与えてみんなに仲良くしてもらえるように」

「……」

 化物のような姿だった糸主。昔のララナがその姿を目にしていたら人間への危害を見越して瞬発的に討伐しただろう。魔物を魔物だからという理由で討伐することをオトが嫌っているのは、魔物のようだった糸主を知っていて、外見のせいで迫害された過去を知っていたからだったのだ。外見を気にしないララナも外面的に魔物と判断できるモノに容赦しない。そのことを踏まえて、オトは持論を再三主張したに違いなかった。

「分祀精霊はひとの想いがあれば何度でも蘇る。求めるのも迫害するのも同じ人間なんやから余計に不憫やよね。混沌たる理想がこの家や村にはあるように感ずるよ」

「フリアーテノアというこの神界自体が、とても寛容な世界なのかも知れません。元主神でオト様の第二夫人でもあるテラスさんを観ているとそれがよく解ります」

 と、話していてララナは会釈した。「申し訳ございません。惑星アースからいらっしゃったフルマイさんは実際の神界のことをそれほど存じませんよね」

「うん。お姉さんからいろいろと教えてもらえると解りやすいし、嬉しいな。わたしのこともいろいろ話すよ」

 囲炉裏を挟みながらも膝を突き合わせるような夜の会話。フリアーテノアの過去や現在をすっかり覚えたフルマイが語ったのは、出自とそれに絡む事情であった。

「わたしも不老不死でね」

神仙花晤(フメツのカゴ)。オト様と同じように複数の分祀精霊の加護を受けているのですね」

「大昔は四〇年も生きれば長生きやったらしい。その基準でいえば亡くなることなくお兄さんのお願いも聞けたのは加護のお蔭」

「こう言ってはなんですが、オト様のお願いを聞く方がいらっしゃるとは思いませんでした」

「国でいろいろあって誤解が山の如しやけど、聞かん理由はないよ。だって、わたしに取ってお兄さんは未来やから」

「──私も同じように考えております。オト様は竹神家の将来そのものであると。子が一人として生まれず、クムさん達が集まることもございませんでした」

 数相応に賑やかな家だ。分祀精霊のみんなもいるお蔭で、どうにかこうにかうまく回る。その中心に天邪鬼でおもいに満ちたオトがいる。その天邪鬼な姿勢が、そのおもいが、家族を振り回すと同時に糧にもなる。彼が未来・将来そのものであるというのはそういうことだ。

「クムさん達は勿論いい子なんやけど、子達もそれぞれいい子で、賑やかで、穏やか──、そんなお兄さんの家に一時でも来れたのはいい経験やなぁ」

「オト様と入れ代りでフルマイさんは戻られるのですか」

「そういう約束やしいつまでもお邪魔しとれんからね」

「我が家はいつまでも歓迎致します。オト様も同じ気持でしょう」

 用心深いオトが留守を任せたということがフルマイへの信頼を示している。

「羅欄納さん、ありがとう。せやね、お兄さんも同じふうに言ってくれると思う」

 寸時、両手を合わせたフルマイが小さく息をついた。「こうして会えて、これからたくさん話せるの、ほんと、嬉しいな……」

「私達とのことですか」

「うん」

 うなづいて、しばらくして、フルマイが首を横に振った。「いや、達じゃないね、本当は、羅欄納さんのこと」

「私一人という意味でしょうか」

 フルマイがうなづいた。くどいようだが、フルマイとは初見であることがはっきりした。それなのにフルマイがララナに心底会いたかったふうなのはなぜだろう。

「羅欄納さんがどんなひとなんか興味あって、虹色の糸なのは嫉妬もあったからなんやけど」

「ふぇっ」

「ほら、お兄さんと一緒に暮らしとるの羨ましいもん」

「フルマイさんは、オト様を──」

「っふふ」

 冗談という雰囲気ではなかった。

 柔らかく温かな微笑みのままフルマイが言葉を継ぐ。

「羅欄納さんはすごくいいひとやけど、すごく脆そうな感じもする」

「今はそうではないと思いたいのですが」

 メリアの暴走に見舞われることはもうないから、と。

 フルマイが言ったのはその点ではなかった。

「最初も言ったかな、お兄さんへの依存が強すぎるなぁ、と、思って。そういうの、いつか痛い目みるよ」

「オト様に裏切られたことなら幾度となくございます」

「そっか。まあ、耐性がついとるなら大丈夫か」

「はい──」

 裏切られることよりも、甘えられないこと、頼られないことのほうが、悲しい。

 囲炉裏の熱が冷めてきて、居間も冷えてきた。

「不老不死とはいえ体を冷やしてはなりません。本日はお休みください」

「ん、ありがとう。部屋、汚さんようにするね。羅欄納さんもおやす()

「──はい、おやす()です」

 

 それからさらに数日、フルマイと竹神一家の交流があった。

 家族以外とはあまり話したことがないはずの刃羽薪とも気軽に話せるフルマイの存在は、オト不在ということも相俟って竹神邸内で大きなものになってゆいた。それというのも、分祀精霊と話す姿やごろごろ過ごしている普段の姿、生まれたばかりの磋欄や霊欄と飾らぬ国言葉で遊ぶ姿に時折見せる豊麗な表情などなど、オトと比べても引けを取らない魅力に満ち満ちていた。娘の多くが懐き、最初は警戒ぎみだったプウや人嫌いな村の動物も懐き、その仕事は怠惰なオトを軽く超え──、オトと違って村でも歓迎ムードだった。

 そんなフルマイの姿を観て、ララナは目を引かれる半面、「フルマイではない」と、いうことを含めて引っかかることがたくさんあったのも確かだった。危険人物という雰囲気はなく、好印象の相手だ。疑うのは心苦しかった。だからというのでもなく、ララナは自分の中にある疑問をきっちり見定め、解くことにした。

 ララナは全くそうとは感じないが、鈴音を始めとする娘が幼少期のオトと瓜二つだという、自称竹神動()()()()フルマイ。ララナの認識としても彼女が言うにも面識はない。その正体を数日考えていたララナは、約五〇年前の記憶をやはり引き出すに至った。

 

 三〇二三年一二月一日、オトが葬ったと推察できた三人の不良の遺骨捜索に行きづまったララナは瑠琉乃から情報を仕入れるため携帯端末で電話を掛けた。自分自身で情報を集めることにこだわっていてはオトと碌な話ができないと考えてのことである。

「──と、言葉真家については以上です。次は母方の竹神家です。竹神オトさんと関わった形跡があるひとはいない上、それほど多くはないんですが」

「構いません、話してください」

「竹神オトさんの母竹神センネの父竹神園町(ソノマチ)は、調べによると妻がいた様子がなく、戸籍上も未婚。その辺りを遡って調べると不思議なことが判りました」

「不思議なこととは」

「ソノマチさんの子はセンネさんを含めて三人、長男が芸町(ワザマチ)さん、次男は林町(オオマチ)さんで、オオマチさんのみ子がいませんが、子がいる世代も、嫁いだセンネさん以外はみんな未婚でした」

「そうなのですか……」

 古い家には変化から取り残された風習が残っていたりする。「竹神家は代代婚姻を避ける家系なのでしょうか」

「どうやら竹神家はダゼダダに浸透した八百万信仰を司る家柄で、中でも特に大きく古い家のようです」

「聖職者の一族ということですね」

 婚姻や出産を制限する宗教もある。竹神銓音のみが婚姻できたのは、八百万神社の宗教上の制限を解かれたのだろう。

 言わずもがな、竹神銓音の嫁ぎ先である言葉真新家の言葉真毎とのあいだに、オトは生まれた。オトと竹神本家に関わりはないようなので、親戚一同から聞ける話は期待できないが、情報として仕入れてオト本人との会話に活かせることもあるかも知れない。ララナはそう考えて、瑠琉乃の話を促す。

「芸町さんでしたか、オト様の叔父様の子は何人ですか」

 同世代の従兄弟姉妹(いとこ)がいたなら、話の種になりそうだ。人数が多ければ多いほど情報も増えるだろう。それを期待した質問だったが、

「一人ですね。名前は──」

 

「──竹神(たけみ)(うちけし)

 フルマイの逗留七日目を迎えてすぐの深夜、ララナは決意を持って、フルマイと一対一で向かい合った。

 「フルマイではない」という事実を明確に摑んだことを示した言葉に、それをとうに明かしていた本人が動ずるわけがなく、これまでと変らず柔和に微笑んでいる。

 血筋ということ以外に確たる関係が見当たらない竹神本家の話題は、オトから聞く話として実がないかも知れない。ララナも、仮に義父母の兄弟姉妹に子がいてもそこと関わりがないのでは話すべきことが浮かばない。とはいえ情報は情報だ、一応名前は聞いておこう。と、いうように蛇足的に扱って当時オトとの会話でも活かすことなく終わったので、瑠琉乃に家系図を見せてもらうまでララナは自分の記憶を疑っていた。記憶は、確かだった。

 ……竹神芸町さんの子は、戸籍上は不さんのみ。

 下の子たる(フルマイ)は、存在しない。

 オトの母の兄の次女。すなわち、竹神銓音の兄竹神芸町の長女竹神不の妹である、と、フルマイは最初に名乗った。聖職者、もっと細かくいえば八百万信仰における巫女の家系で婚姻を避ける風習があった竹神家でも、竹神家に生まれた子はきちんと竹神家に入籍している。が、竹神芸町の子は一人で、少なくとも戸籍上は動が存在しなかった。

 フルマイの発言は当初の自称以外に疑うべき点がない。また、オトのことを始め、竹神本家にも通じていることから無関係な人間とは考えにくく、神仙花晤による不老不死を明かし、何かしらの害意を実行に移せたタイミングをこの数日ことごとく見逃していることから敵意・悪意があるとも考えていない。なので、ララナはフルマイをオトの知人として捉えた体で話を進めることにした。

 初めてじっくり話したときと同じように、ララナはフルマイと居間に座って、話題を切り出していた。

 指摘を受けても微笑みを崩さない彼女が何者か──。

「改めて尋ねます。フルマイさんは、竹神動ですか」

「わたしが明かしたときには竹神本家のこと知っとったみたいやね」

「念のため記憶と過去の情報を照らしてきました。オト様のお願いでこちらを訪ねたなどなどの話は疑いませんが、竹神動さんについてははっきりさせておきたいと思います」

「今日、いや、もう昨日か、留守にしとったことと関係がありそうやね」

「はい」

 日中、惑星アースの竹神本家へ出向き、ララナは再確認した──。

 

 竹神本家にララナが足を運ぶのは、じつは初めてだった。と、いうのも、もし出向くなら竹神銓音がいるレフュラルのアパートや言葉真毎がいるダゼダダの言葉真新家へ結婚報告をするためだった。そのどちらへもオトと二人で出向くことなく今に至っているのは、接触することで家族に波風を立てるとオトが考えていた。オトが自らを語る上で注視した様子のない竹神本家をララナは仕入れた情報の上でもほぼ無関係と扱い、訪れる理由もなかった。

 ……潮風を感ずる黒い鳥居と社ですね。

 ダゼダダに点在する神社でも稀有な色だ。古さと大きさを感ぜさせる色だが、そもそも、

 ……オト様──。

 情報を切り捨てた過去の自分が、ララナは恥ずかしい。

 無関係。どこがだ。

 ……オト様……──。

 作法として誤っていることは承知で黒い鳥居を両腕で抱き締めたく思うのは、彼が身に纏う色ゆえ。彼が黒を好いているのは竹神の血を継いでいることにきっと誇りを持っている。

 ……私の視野狭窄を、お許しください。

 遅い。遅い。遅い。オトはずっと、口にする以上に、ララナを鈍いと評価していただろう。ララナはそれに甘えていた。そんな評価をしてもオトは自分を求めてくれている、と。求めさえすれば必ず応えてくれる、と。そうして支え・支えられる関係に行きつけた、と。

 死の意志がオトの心に蟠っているのは、その甘えのせいだ。ララナがオトの闇の奥底に手を伸ばそうとしなかったから、ララナに応えながら、家族を見つめながら、オトは絶望し続けていたのだ。

 ……今、参ります。

 知り得た作法に則って手水舎で身を清め、参拝をし、社務所を訪ねようとしたとき、一人の少女が、現れた。その姿、いや、眼と髪に、ララナはトラウマを掘り返された心地がした。多数の属性魔力を持つ者の証たる多色の眼と髪は迫害と隣合せの異質性。少女はまさに少女たる若若しさである。有魔力個体にたまに観られる不老。老いを避けられない歳でも若かりし頃の姿を保っている可能性がある。

「……あなたは、竹神不さんですか」

「いかにも。そなた、名は」

 ララナはただちに名乗って、事の次第を伝え、本殿奥に広がる崖からダゼダダの海を眺めて事情を聞くことができた。

 

 

 多色の髪は目を引く。眼を見られればなおのこと。否定的で拒絶的だった。が、その少年の目差はある種の偏見を見せつつ、少女に取っては慈愛に満ちていた。

「初めまして、言葉真音です。不さん、いいえ、(いみじ)さんでよろしいでしょうか」

「いかにも。不改め、当主継承により襲名した良だ」

「継承おめでとう御座います」

「うむ」

 一目で少女の正体が判る少年の眼は、確かなものだった。

 ほぼ同世代の大神凰慈と参列した言葉真鷹音の葬式。巫女の家系でも、五大旧家でも、それ以外でも、差別的目線はいくらでもあって、うんざりするほど視線を突き立てられてきた竹神良は、言葉真音と面してようやく人心地がついた。竹神本家当主の仕事を抜けて訪れており、惜しくも長話をする時間がなかった。同じ血を継ぐ者として自分の胸にある重いものだけを端的に伝えた──。

 

 

 本人がいうには竹神良は昨年当主を退き、竹神不の名で隠居生活をしているそうだ。従兄弟すなわちオトとの関わりはたった数回擦れ違う程度の些細なものだったらしく特別に取り上げるエピソードはないとのことだった。それが噓か真かといえば、きっと噓だった。ララナ自身と照らして確かな、オトを好意的に観ている者特有の滲み出る目の色があったからだ。しかしながら、オトの人生においても竹神不の人生においても秘密を潜めた出来事であろうことを酌んで、執拗に訊くことはしなかった。

 竹神不が大きく反応したのは、そんなオトとの関わりを話したときではなく、ララナのある質問を受けたときだった。

「不さんは、フルマイという名に憶えがございますか」

「……その名をどこで」

「私達の家にお越しです」

 そう答えたときには、多すぎるほどの傍証を得て、ララナは一つの確信を持っていた。だから、竹神不の話を、しっかり聞いた。

「確かに余の隣におった妹、それがフルマイだ。ともに存在はできなかったがな」

 確かに隣にいて、ともに存在はできなかった妹。その表現が成り立つケースは多くない。

「持って回った言い方をして悪かったな。そなたのところに邪魔したフルマイは誰か知らぬ。が、余が知るフルマイは、死産だ」

「不躾にお尋ねしたこと、お詫びします」

「構わぬ、話せる相手の少なきことだ。ちなみに、名には(ドウ)の字を充てたそうだ」

「不さんに、動さん──」

 その名の意味するところを、ララナは当然気づいた。竹神不がその気づきに応じた。

「──。面白かろう。その名の通り妹が動いておったことを余は肌に憶えておるように思う。それゆえ余は、世に認められぬ命とて妹を想うておる」

「……」

 証書があっても戸籍に載らない。でも、確かにいた。それが、死産した子だ。

「冒涜なら許さぬが、そなたのもとに現れたフルマイとやらにその意はなかろう。なぜなら、その名を知っておるのは、もはやこの世に二人のみとなっておる」

「……」

「探ってほしいのだろう。して、知ってほしいのであろう。黒に紛れゆくまことの意をな」

 ……。

「余計なことをゆうた。しばらく眺めてゆけ。心地よい花の咲く海だ」

「はい。──」

 花の散る壮美な海を、勧められたからでもなく、ララナは眺めた。オトが誇りに思う血、黒に紛れ摑みどころのなくなりそうな何かを、見定める時間がほしかった。

 

「……。オト様のお母様のご実家、竹神本家で芸町さんの娘として戸籍に載ったのは不さんのみでした。双子の妹(ふるまい)さんが加われば、二人合わせて竹の花が語る『不動』となります」

「そう、花言葉やね」

「動さんは、公には存在を認められておらず、名を刻んでいないお墓が本家本邸の近くにあるのみだそうです」

「ん。動さんはこの世におらん」

 種明しとは異なるだろうが、隠せないことを隠し通さない潔さがフルマイ()()ある。

「お亡くなりになっていた方の名を借りたことに意図があったのでしょう。過去に埋もれていった心、誰も知らない・知ることない真実を、憶えていてほしいという意図が──」

 囲炉裏の熱に揺らめくフルマイの微笑みを、ララナは、真剣に見つめた。「フルマイさん、あなたは、わたしの未来です」

 香る微音。

「羅欄納さん、わたしはね、」

 フルマイが、ふわり、微笑んだ。「あなたのことも、未来やと思う」

「……」

「この家に、なくてはならん存在やと思う」

 その姿が、光に霞んでゆく。「やから、ずっとここにおってほしいな」

 その言葉は、かつて耳にしたことがあるものだ。

 ララナは特異転移し、霞んでゆくその影を、鳥居にしたかったように、両腕でそっと抱き締めた。

「あなたも、ずっとここにいてください」

「……ありがとう」

 ヴァイアプトが全力で照らしたかのような光量に目が眩む。「未来のわたしもよろしくね」

 全てを失ったような真白な景色。柔かな声が、耳の奥を、頭の中を、響いてゆく。

 ぱっと光が膨らんで──。

 

 ララナは、フルマイを観ていて、大きな違和感を覚えた。そして一つの疑問をいだいた。

 そこにいるはずのないひとを感じた。娘がいうようなはっきりとした類似を感じないのに、別の形を取ってそのひとが動いているように見えた。

 ……フルマイさんの一挙手一投足は、その微笑みは、──。

 

 ──膨らんだ光が治まったときには、誰とも似ていない影を、ララナは両腕で包んでいた。包んでいるが、大きすぎて包みきれていない。

 ……オト様──。

 クムの香りをつけたクリームを混ぜる姿勢も、糸主に絡みついた木屑を取り除く仕種も、結師の櫛をいなしてごろごろするさまも、プウを撫でる掌も、動物に懐かれ追われる背中も、メリアの服の選び方も、娘の話を聞き見つめる目差も──、全部、全部、全部、オトだった。

 フルマイは、オトだ。

「おかえりなさいませ」

 光が治まったときから星の海を漂っていた。気兼ねない二人きりの空間だ。

「……驚かんのやね」

「フルマイさん曰く依存しております。自覚として、オト様マニアであることを隠しません。私に掛けてくださる微笑みは、何十年も鏡越しに胸に刻んできたものでした。形だけ異なっていて、プウちゃん達も感じていたようです、途轍もない違和感でした」

「そうやね……」

 フルマイと同じ姿で正座しているオトの伏し目を、ララナは見上げていた。温かい胸は、包み返してくれる腕は、痛いほど近くて、苦しいほど甘い。

「いつから気づいとった」

「無自覚でしたが最初からです。表情、歩き方、喋り方、イントネーション、香り、みんなとの距離感、それから、因果の糸」

「ここはあえて、さすが、と、言わせてもらうわ。よく観とるね」

「先程、改めて因果の糸を観ましたらフルマイさんとの糸が黒色になっておりました」

「お前さんが俺の裏側をより深く知ったからやろう。ランクアップおめでとう」

 素直に悦びたいところ。ララナは、質問に替える。

「確認させていただいてもよろしいですね」

「ん」

「フルマイさんは、謂わば記憶退行時の仮の姿ですね」

「比較的働き者の頃の自分を引っ張り出すようにした」

 以前記憶退行したときは音羅、納月、子欄が対応したのだが、幼い頃の自分がぺらぺら喋っていたことをオトは問題視したようだ。

「別人格と言ってもいいが、分離した過去の人格と言ったほうが正しいね」

「意識共有、と、言いますか、記憶を共有しているような感がしたのも、そのためですね。オト様の意図が介在しなければ結局お喋りしすぎてしまう、と」

「単純に反応を愉しみたかった部分もあるけどね。フルマイに対するみんなの反応は俺では感ぜられへんもんやから」

 オトが父親として素直に接するなら、娘も素直に歓迎するだろう。が、そうはできない心の傷があって、飽くまで、「父親ではない自分」として癒やされる必要があったのだ。

「確認を、続けてもよろしいですね」

「さっきもそうやけど、ですか、じゃないんやね」

「オト様はお話する心構えがおありと捉えております」

「フルマイが引っ込んだことがその証やよ」

 だから、彼の諾否を問わずララナは確認を続ける意志のみ伝えた。

「では続けます。とはいってもこれが最後です」

「ん」

「オト様がフルマイさんとなって現れたのは、学さんのことで言い表せられないほどの苦痛を覚えられたからですね」

「ん。その苦痛の、原因は判っとるかな」

 ここに来て躊躇いかけたが、ララナはオトの微笑みに促されるようにして、確と自分の口を動かした。

「オト様はこれまで、学さんを友人と称せられず親友という表現も否定していらっしゃって、掲示板も、友人等等の主観的呼称が抜けていました。一方で、男性を嫌うオト様としては稀有なことに訪問を受け入れ、話し相手となり、ときには魔導に関するアドバイスもなさりましたね。それらから導き出される結論は一つ。オト様は、学さんを一人のひととして愛している」

 それは、異性であった橘鈴音と同じように、同性である学を、と、いう意味だ。

 学を葬る痛みは親友としてのものという意味で橘鈴音を葬ったことと同等のようにララナは当初こそ考えていた。が、実際は違っていたのである。同等のような痛みではなく、まさしく同等の痛み、ほかには決してない痛みだったのだ。

「オト様が恋多き方だとはその昔から存じ上げておりましたのに、学さんが同性であることから、男性であることから、可能性を見落としておりました。オト様は──、織師さんや糸主さんを男性だからと嫌ったことがなかったのですから」

 それでもってもっと早くに可能性に気づくことはできただろう。そして、オトにもっと早く駆け寄り痛みに寄り添うことができたはずだった。

「いつも、いつも、遅くて、申し訳ございません……」

「構わんよ。そうやって、最後には辿りついてくれる、って、信じとるから」

「オト様……」

「ちょっと、じっとして……」

 両腕が、悲しい痛みを伝えてくる。

 ……オト様は、男性も愛することができるのです。

 オトは、フルマイを過去の人格を分離したものと称した。そのフルマイは、オトもララナも未来と称した。幼少の砌に育み創造神アースの覚醒とともに分離された「女性の人格」がフルマイだったのである。

 して、その人格の体験はオトの心にも落とし込まれている。どうしようもなくつらく悲しい気持も、余すことなく落とし込まれているのだ。素直な人格が悲しみのどん底で訴えていたであろうことを、ララナは今こそ聞き入れたい。

「オト様──、いいえ、オトさん、あなたの知られざる内心に私が踏み込めたことを、認めてもらえますか」

「……ん」

 ただただ抱き締められていたララナは、降り注ぐ痛みを感じて抱き締め返した。以前、布団を隔てて窺えず体で感ずることもできなかったものが、ここにある。

「ようやく、対等になれた気がします」

 言葉遣いを変えたのは気持を示したかった。「これからは、もっと、甘えてください。もっと、甘やかします。もっと、もっと、愛してください。もっと、もっと、想い返しますから──、」

 一方的では対等とはいえないからララナは隠しておけない気持がある。「私のことも、聞いてくださいますか」

 傷ついていても、彼なら、いや、彼だから、聞いてくれるとララナは信じている。

「クムさんが倒れたとき、私は、考えました。目の前にある一つしかない命を、数数、落としてしまったこと、そうして行った仲間の蘇生──、私はそれでよりよい未来が訪れたと考えました。オトさんのいる現代を守れたから、それでもって過去をも守ることができたのなら、いいと考えていました。ですが、落とした命は元来拾い上げられない。そのことを、クムさんの命の危機を感じて再確認し、件の死者再生の冒涜を振り返り、……」

「ん」

「私自身も、仲間も、皆、この手で葬るべきではないかと考えるに至りました。しかし、オトさんが生きている現代が変わらないとして、私自身は、ここから、──。仲間を葬ってもいいと考えながら、……、っ……」

 なかなか切り出せない言葉を、背中を撫でる大きな掌が促してくれているように思えて、ララナは、吐露する。

「たださえ軽んじた仲間の命をまたも軽んじて、そんな自分ではここにいられないと考えながら、ここから離れたくないと、自分勝手に考えてしまうのです……!」

 逃げることを推奨し、自身も引籠りを続けて、じつはずっとひとのことを想っている。そんなオトの妻として情けなくて不釣合としかいえない。ララナは、自分をそう思った。オトから留守を任されたフルマイと話しながら、オトが帰ってくることが反面では恐かった。フルマイがオトであるとの確証を得て、女神だのなんだのいわれる外見と異なる内面の汚さをオトに知られることへの恐怖心、ひょっとすると既に察せられているかも知れないという恐怖心で、押し潰されそうだった。

「オトさんはかねがね自分を化物と言っていますがそれは違います。死者でありながら摂理に反して現世にとどまり、それを当然のことのように享受し、あまつさえ、当り前でなくなった途端仲間の命を軽んずる、そんな私こそが、人間性を著しく逸した、愚かな化物です!」

「そうやね」

「っ──」

「愚かだ。俺もそう思う。ただ、」

 オトが肯定する。「そんな不条理なことは強い気持がないと思えんよ。さっきの言葉が正確なら、俺一人のために生きようと思った。そんなふうに強くおもってもらえたんなら、俺は、嫌じゃない」

「オトさん……」

「できれば家族も想ってくれたらもっといいかな、とは、思うけどね、それは飽くまで頭で考えとることやから、いざとなったら()()は一つのことで精一杯なもんやよ」

「──」

「一つのこと、自分の中心にある幹を守れたなら、またいつか枝を伸ばすことができる。家族への想いもきっとそうやって膨らむと、俺は思うから、羅欄──」

「……はい」

「ここでは、目の前に集中して。俺も、そうするから」

 オトがわずか離れて見つめると、やにわにララナの唇を塞いだ。瞬間、ララナはびくっとして、でも、

 ……目の前──。

 汚い部分も含めて彼が受け入れてくれたのだという事実は痛みの乾ききらない唇が証明している。目の前に集中したら、それが解った。

 ……オトさんも、私も、もう、独りではございません。

 全身から、ふわりと花弁のように舞って消えてゆく恐怖心。入れ替りに、いつもより熱く濡れた感触が深いところから冷たい体を温めてくれるのを感ずる。貪欲にも、わずかの距離が惜しくなった。ララナは彼の体と頭を抱き寄せるようにして、彼に背中と腰を抱き締め返してもらって、互いしか感じない距離で濡れそぼつ熱を高め合った。

 気づくと、星星の光を湛えた艶やかな花弁と綿毛がララナ達を包んでいた。それを両掌から舞わせたのは、

「あなた様方の開花を祝福しますわ」

 と、微笑んで消えた女性だ。

 ララナは直感した。

「今のはひょっとして……クムさんですか」

 頰を撫でるように漂う綿毛と花弁に、同じ雰囲気を感じたのである。オトがいうには、

「本名は英愛姫(はなめき)。言葉通り、祝福に来てくれたみたい」

「あれぞ本物の女神ですね」

「そうかもね。でも、よくクムと判ったね、だいぶ大人びとったと思うけど」

「クムさんも家族ですから」

「クムに代わってゆうわ。ありがとう」

「当り前のことです」

「っふふ。幹さえしっかりしとれば、羅欄はすぐに枝を伸ばせるんやね」

「はい、迷いなく伸ばします」

 オトとの関係が強固なら、切り棄てたり手放したりできない想いを躊躇なく膨らませることができる。

「こちらこそ感謝します。いつも私を支えているのはオトさんです。ありがとうございます」

「それこそ、こちらこそ」

 星星の輝きにも増して美しい彼の微笑みを、ララナはもう一度抱き締めた。

「そして遅ればせながら、──お誕生日、おめでとうございます」

「──ん」

 温かくて満ち足りて(こぼ)れてなお(あふ)れゆくような心のまま、一層に寄り添い続けよう。

 

 

 

──二〇章 終──

 

 

 

 

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