一九章 動
国家に属しない永久中立自治区にあり、情報を持ち寄って各国首脳級が訪れる、平和を象徴する場所、ズゴート狭大陸中央会議室。
そこに初めて訪れた三〇一四年四月一日の月曜日、オトはある出逢いをした。
オーラというか、波動というか、存在感というか、それら全てであろうか、その背から放たれているものに尻込みして声を掛けることを躊躇ったのは、魔法的才能で並ぶひとをなかなか見かけないからだった。
「そちらの方、こんにちは、少しよろしいですか」
オトは追いかけた勢いで声を発し、振り返った人物を仰ぎ見た。
「こんにちは」
と、柔らかな声で応えてくれた紳士に、
「こんにちは、初めまして」
と、オトはお辞儀した。
「元気な子です。なんでしょうかな」
「遅ればせながらまずご挨拶を。言葉真音と申します」
「星川英です」
「申し訳ございません、特別な用があったのではなくて、気になって呼び止めました」
「謝らないで。後進の話し相手は冥利に尽きます」
表情や声音に違わぬ優しい紳士だ。オトは少し考えて、
「恐縮です。誕生日を聞いてもよろしいですか。個人情報なので可能な範囲、月日のみです」
「一〇月一〇日です。占いか何かですか」
「はい、占いとは違うと存じますが、誕生花の花言葉をお伝えしようかと」
花言葉は友人にもよく使う話の種である。
「なるほど。わたしの誕生花はなんでしょう」
「勉強中の身で全てを存じてはおりませんが、ゲッケイジュですね。花言葉は、名誉、栄誉、勝利、輝ける未来です。風格の漂う英さんにとても似合っているように感じます」
「ならばきっと、いま暮らしている土地のお蔭ですな」
「差し支えなければ、どちらでお暮しか伺ってもよろしいですか」
「こちらも遅蒔きながら、あなたのことはテレビで拝見しています。言葉真音さん。わたしはレフュラル出身で、あなたの暮らすダゼダダに移住させていただいた身です」
「そうだったのですね……存じ上げなくて申し訳ございません、どこかで擦れ違ったりは」
「初対面です。こうしてあえたのも巡り合せでしょう。少しお話をしましょう」
しばらく立ち話をすることになり、星川英が長年の夢であった学園の創設に漕ぎつけたことやその学園の長として暮らしてゆくために魔術師階級の返納を済ませたことなどを聞いた。
「──、英さんが学園長の、武芸を主とした学舎。慧眼、お見逸れしました。無魔力個体と有魔力個体が肩を並べる日を着実に引き寄せる先駆けの土壌作り。素的です」
「ありがとうございます。あなたはやはりダゼダダの子ですね。レフュラルでは何十年も拒絶された理想を、当り前のように受けれてくれた」
「ぼくは……」
オトは考えてから、切り出した。「無魔力個体が多くのひとがいうような無魔力個体ではないと思っています」
「と、いうのは……」
「現代魔法学において有魔力個体とは二〇ある属性魔力を有した存在。それゆえに、総じて無魔力個体に優っているようにいわれていますよね」
「ええ、その通りです。事実として個体魔力による身体強化効果や、魔力を操ることによる超自然的現象すなわち魔法や魔導などを自発的・積極的・能動的に開発・使用できるのは有魔力個体であり、その恩恵が無魔力個体にないことは明らかです」
「一方で、ヒト・モノは、魔力を持たないものにさえ形があります」
「物質ですな。複数の原子が結びついた構造から成り、原子を解剖すればさらに小さな原子核や電子から成っています」
「その原子から構築された体自体は無魔力個体も有魔力個体も違いはございません。反面、魔力の有無は何で決しているのか究明されていません。つまり、ヒトであれば、無魔力個体も有魔力個体も同じ生き物であるという事実は変えようがないのです。それなら、魔力の有無のみで、恩恵の有無のみで優劣を決するべきではなく、等しく生命であることを共有して肩を並べて生きるべきです。なのに現実は……」
無魔力個体を虐げるような有魔力個体が多い。虐げる、と、いう明確な行動には出ていないとしても、優劣の意識を潜在的に有していて日常生活の細かな差別に多くの有魔力個体は全くの無頓着である。差別を感じているのは主に無魔力個体で、それをなかなか口に出せないのは主張することで不遇に見舞われることを懸念している。棘のある言葉や逆に妙に優しい言葉、疎外などが、その入口だ。
星川英が深深とうなづいた。
「言論の自由。誰もが自由な主張を許された時代にありながら、世界的に有魔力個体の横暴が罷り通っているのが実状。それについてはダゼダダでもまだまだ改善の余地が広く残っているように感じます。さて、言葉真音さんの目指すところは、どちらですかな」
「魔力の有無のみで捉えるなら、ぼくは、皆、平等だと考えています」
「無魔力個体は大勢のいうところの無魔力個体ではない、と、いう本筋に戻りますかな」
「はい。結論からいえば、無魔力個体には不知得性魔力が宿っていると考えています」
「根拠は」
「今は証明できません。ですが、ぼくは感ずるのです。そしてこれはきっと多くのひとも知覚できます」
幼馴染に無魔力個体の桜や淳がいる。「無魔力個体でも、ぼくの友人はとても優しい。その心からぼくがもらっているものは、ひとがひとを大切にする気持、想いです。その想いこそ、ひとを元気づけ、力を与えてくれる、魔力そのものだとぼくは思うのです」
「ふむ、魔法学的根拠がなく証明はできませんな」
「……はい」
「ですがわたしも同じように思います」
「英さんも」
「学園創設の認可が下りず落ち込んでいたわたしを励ましてくれたのは、成人もしていない孫でした。孫は有魔力個体ではありましたが、わたしが観てきた魔術師達とは比べ物にならないほど弱いものでした。しかし孫の言葉は、気持は、砕けきったわたしの心に沁みました。苔生させるような温かさと、確かに根を張った植物のような力強さに、支えを感じました。そのとき孫の想いがわたしに力をくれたのです。あれが魔力であるといわれればわたしは迷わずうなづきます。あれは確かな魔力、いや、魔法です。普段操るものと一線を画してもっと優しい、力強い魔法でした」
そう。ひとの想いは、ひとを元気にすることができる。言葉はときに魔力を持ち、魔法となってひとを支えることがあるのだ。
「同じように、無魔力個体からもらった言葉がわたしの励みになったこともあります──。とても、胸がすいて、自分達の考えが正しいのだと確信を持ちました。有魔力個体優位の社会体制は、世界構造は、おかしいのです」
「はい。平等ではございません」
世界が認識不能な不知得性魔力を根拠とするなら証明はできない。魔法学的見地で証明できないなら世界は信じてくれない。が、世界、などと広大なものに訴えずとも、個個人は感じ取れるし、既に感じ取っている。実態を摑めない靄のような不定形の問題にも、関心を持ち想像力を働かせれば真摯に向き合えるのだ。そうやって、無魔力個体と有魔力個体の垣根も越えることができるとオトは考えている。
星川英が思い出したように質問する。
「先程の花言葉ですが、ゲッケイジュは木では。花言葉とは花についているものと認識していましたが、ゲッケイジュはそうではないのですか」
「花言葉はその植物全体にざっくりとつけられていることが多くて、中には葉や花、花の色ごとについていることもございます。ゲッケイジュも葉や花で花言葉が異なっていて、……」
「何か問題でも」
「古くから黄色い花にはネガティブな花言葉が多くつけられてきましたので、植物の実態とは異なるというのが前提ですが、ゲッケイジュの花には『裏切り』という言葉がございます」
「なるほど……」
「……お気を悪くさせてしまったなら申し訳ございません」
「いいえ、あながち間違いでもないように思います」
「──」
「レフュラルで生まれ育ったことから芽生えた理想がレフュラルでは受け入れられなかった。国というものの頑なさに裏切られたように思ったものでした。ですから、ある種、意趣返しのようにその土地を離れたことがわたしの誕生花に顕れていると感じたのです」
星川英の微笑みは幾多の苦難を乗り越えてきた深みがあって、オトは気持が軽くなった。
「英さんはとても寛容で、柔軟な方ですね」
「いいえ。わたしはとても頑なで、脆かった。妻がいて、家族がいて……わたしの頑なさを多くのひとが支えてくれたから、自分の持ち得ない強さを得られたのです」
その言葉を聞いて、オトは、いつか彼の学園に、子を登園させられたらいいな、と、強く思ったのだった。
「言葉真音さん」
「はい」
「あなたのような才と心のあるひとなら、わたしのあとを任せられます」
「それはいったいどういう──」
「学園に、教師として来ていただけませんか」
「ふぇっ、ぼくがですか」
素っ頓狂な声を漏らしたオトに、星川英が温かい目差のまま語る。
「視野の広いあなたのようなひとこそが指導者となるべきと考えています。その点、わたしは視野が狭いので助けていただけたら、と、いう願望もありますが」
「……思ってもみないお誘いに困惑しました」
星川英とは話が合ったから、彼の誘いをオトは素直に嬉しく思った。けれども、その誘いに乗ることは難しかった。
「英さんのような理想がなければ、指導者にはなれないと考えます。ぼくはまだ何ができるか模索中で、指導者の道を見据えてはおりません。ただ、ストロベリーキャンドルのような子ができたらいいな、とは、考えています」
「ストロベリーキャンドルとは、蠟燭の種類か何かですか」
「燃えるように赤い花で、みんなの胸に元気を灯すような、優しい燈のような花なのです。そんな子がぼくにできたら、英さんの学園を真先に選びたいと考えております。お世話になってもよろしいですか」
「勿論。勧誘の件はお気になさらず。また、お気が変わりましたらいつでもいらっしゃってください。わたしの気持は変わりません」
「はい」
未来は未知数で不確定。オト自身の未来もまた不明だ。だから確定的な返答は避けたが、星川英の学園に子を預ける。そのことだけは、そのとき決めたのだ。
どんなおもいが分祀精霊の活力に繫がるか、出逢った当時クムに尋ねたことがあるがララナは答を教えてもらえなかった。自分達の生き死にに関わることでもクムが口にしないのは、特定の個人に答を教えることが不平等になるからだろう。
クムや糸主、結師に織師など、次次合流した分祀精霊にララナは自分なりのおもいを届けてみたが反応がなく活力になっているのか全く判らなかった。少しは届いているのではないかと期待を持ちつつも、オトのおもいに比べるとわずかであろうかとも考えた。クム達の貢献が変化なく絶えなかったことでもってオトのおもいに応えていると捉えられたから、ララナは傍観者的な立場に落ちついていたことを否めない。
その姿勢のせいでクムが倒れたときに何もできなかったのだとしたら、怠慢以外の何物でもなかった。そう考え直したララナは、分祀精霊におもいを届ける具体的な方法を探るため、分祀精霊に絶え間なくおもいを傾けてきたオトの話と行動を振り返った。
オトが創造神アースとの意識共有を絶った三〇二四年一月四日火曜日の朝。
緑茶荘一〇二号室に泊まったララナは部屋主たるオトとテーブル席で向かい合った。オトの掌には昨夜合流したというクムがおり、彼女や結師を始めとした分祀精霊が魔法の起源の一説にある信仰魔法に関わっている存在であることを聞いた。
「──では、改めましてララナ様、これからよろしくお願いしますわ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
双方のお辞儀で挨拶が終わった。
顔を上げたクムを窄む花のように両手で包んでオトが瞼を閉じた。すると、同じように瞼を閉じたクムの頭の花がどことなく艶めいたようだった。
時にして数秒の瞑想、か。ほとんど同じタイミングで瞼を開けた二人を眺めて、ララナはオトに質問する。
「オト様、今、何かされたのですか」
「ん。ああ、昔からの習慣なんよ」
「習慣──」
分祀精霊はひとのおもいを糧としている。信仰魔法といわれる由縁・本質がそこにあるわけだが──、端的に表して「おもい・おもわれること」で成立する比較的簡単と思われる魔法、これが発祥の地たるダゼダダから外に出ることもなければダゼダダでさえほとんど見かけられないほど衰退してしまったのはなぜなのかがララナに取っても重大な課題といえた。
なぜなら、分祀精霊の糧としているおもいをララナも含めてほとんどのひとが把握できていないことを原因として、課題をクリアできないのである。例えば神社にお参りに行って分祀精霊──祭神・神体と呼ばれるもの──が何に関わる存在か正確に把握しているひとはそれほど多くなく、分祀精霊の側に立てば願い事をされても自分が与えられる加護で叶えられるものとは限らない。分祀精霊はおもいを糧としてお返しの形で加護を授けるのだから、おもいたる願い事が的外れでは糧にならずお返しのしようがない。して、極端な例を挙げるなら、的外れの願い事が続けば朝のクムのように分祀精霊は弱ってしまうのである。
オトが正確におもいを届けられるのはなぜか。ララナもその詳しい仕組は知らない。が、言葉を使わないカナメダマのような分祀精霊からでも魔力分析によってオトが情報を受け取れることから推察は可能だ。要するに、分祀精霊の不知得性魔力を分析することで糧となるおもいを把握しているということだ。蛇足になるが、そうやっておもいを届けることで多くの分祀精霊に好かれたとも考えられる。そしてオトのいう昔からの習慣とは、身近な分祀精霊におもいを注ぐことである。
……習慣は、何気ない仕種で行われているのでしょう。
ララナは習慣の全てを認識していない。クム、結師、織師、糸主など、サイズ的に小さな分祀精霊にならそれらしい仕種を見たことがあるが、プウやノクシィなど人間大またはそれ以上の大きさの分祀精霊となると掌には載せようがないので別の形式でおもいを届けている可能性がある。一ついえるのは、触れている必要はない。もし触れている必要があるなら、分祀精霊を見たこともないひとびとは決しておもいを届けられないということになる。普段から同程度のおもいを受け取っているであろうクムと結師を取り上げるなら、クムが倒れたとき結師が平気でいたことに説明がつかないので分祀精霊はひとびとに触れられていなくてもおもいを受け取り糧にできることが明白だ。
さて、そうなるとおもいを届けるための形式はさほど重要ではない。オトと同じようにおもいを正確に届けられるようになれたらクムのみならずほかの分祀精霊も助けられる、と、いうのが肝心である。
……習慣以前、分祀精霊の皆さんとの対話でオト様は糧となるおもいを分析されたはず。
おもいを知るため分祀精霊に対する魔力分析が必要であることは先にも触れた通りである。それをどのように行えばいいのかといえば、おもいが魔力で認識できるものではないことから不知得性魔力による干渉が不可欠となる。不知得性魔力を探知したり操ったりすることは、不知得性魔力でしかできない。これは知得性魔力で不知得性魔力を探知できないことから明白の創造神アースが世界に齎した摂理である。メリアは星の魔力で、音羅は熱源の魔力で、それぞれ自覚・無自覚を問わず不知得性魔力である穢れを探知できるようになっている。精度に差があるのは各自が使っている不知得性魔力での干渉のしやすさ、つまり相性と、単純な技術の差と考えられる。
……オト様が不知得性魔力を分析できる仕組を考えてみましょう。
オトによる分析は、メリアや音羅のような単一の不知得性魔力ではなく恐らくは複数の不知得性魔力を用いている。知得性魔力である二〇属性も適切に使い分けていたオトであるから数が知られていない不知得性魔力も認識可能な範囲で最善の使い方をしていたと考えていい。喩えるなら、分析対象が像、使用する不知得性魔力がカメラだ。単一属性による分析は、カメラ一台分すなわち像を一方向から収めた写真である。当然、上下左右、別の面の写真を撮れない。像を多方向から撮影するのに早くて確実なのがカメラを増やすことだ。これが、オトが複数の不知得性魔力を用いていると考えられる理由だ。ただし、ララナは実際にそれを知覚できず、オトからそういった詳細を聞いたことがないので確かなことはいえない。
これはそもそもであるが、ララナが不知得性魔力を操れないことが一つの問題である。じつは、この課題については少しだけ解決の糸口を得ている。
……融断光で熱源体から吸収した魔力に不知得性魔力があります。
傀儡化などに用いられたであろう不知得性魔力、通称ヨコシマがあの熱源体に含まれていてもおかしくなく、ララナはそれを吸収した。知得性魔力が密に収まっている魂器の中でわずかに感ずる空白が、これまで持っていなかった不知得性魔力、と、間接的な観測で存在を認識しているに過ぎないがそれを操れる可能性がある。可能性、と、表現をとどめなくてはならないのは、その不知得性魔力が「なんの魔力」なのかやはりはっきりとは認識できない。ヨコシマは飽くまでオトの表現で、本質をララナは摑んでいないのである。試しに集束してみればどんな性質の魔力か判る可能性もあるが、安全処理の保証ができないのでむやみな集束は避けるべきだ。
……これについてはオト様がご帰還されたら確認しましょう。
言葉真国夫による魔団の魔法がどのようなものか詳細を話してくれることになっているからその流れで話を聞ける。そうすれば、分祀精霊が必要とするおもいを割り出すための魔力分析の足掛りができるだろう。仮に足掛りができたとしても、星の魔力のみを操ることに難儀しているメリアの例を取れば、通称ヨコシマをうまく操れる保証もない。何事も鍛錬が必要で、必要なおもいを今すぐ分析して分祀精霊に届けることはできないと諦めざるを得ない。
「さて──」
魔団を警戒した立ち番が終了し、久しぶりに手製のデザートを作りながら考えを纏めていたララナであるが、竹神家定番スイーツの一つ、蜜柑ピューレチーズケーキの完成と対照的に考えは未完成だ。分祀精霊におもいを届ける、と、いう結論は見えていても実行ができない。
……不知得性魔力の使用、分析。これができなくては。
当面の最低限の課題がそれであり、その課題には「別の不知得性魔力を得てオトの魔力分析力に並ぶ」という途方もない課題を付け加えるべきである。いま持っている不知得性魔力の本質を摑めない以上は、融断光を乱発して不知得性魔力を搔き集めたところで無用の長物になってしまう。
……──しかし、不思議なものです。
課題を見据えたララナは、自身が編み出した魔法への認識を改めた部分がある。
……融断光。障壁や結界も突き破れるよう編み出した魔法ですが……。
魔法どころか生命さえも融解して魔力として吸収する強力無比の魔法であることは戦時に実感していたことだが、不知得性魔力を用いていないあの魔法で不知得性魔力を吸収することができるのはなぜなのか。これが不思議な点だ。
……振り返れば、輪廻転生機関でも──、あれ。
ララナは、自身の魔法の不思議な点を通じて、もっと大事なことに気づき始めた。
脱出するため融かした輪廻転生機関の壁が何かの魔力になっていたことを、ララナは確かに知覚していた。警告音のような音と謎の声が木霊していて焦燥感を煽られていたあのとき、脱出を優先するようオトにいわれていたこともあって壁を形作っていた「何かの魔力」を魔法の維持に用い、最終的には吸収せず手放したのだが、
……私は、あのときから不知得性魔力を知覚できたのです。なぜ──。
合理的結論は一つだ。あの出来事があった五〇年以上前に、ララナは既に不知得性魔力を得ていた、と、いうことだ。その不知得性魔力を無自覚に融断光に用いていたために、融断光を通じて輪廻転生機関の壁に用いられた不知得性魔力を知覚できたと考えれば、辻褄が合う。
……創造神アースの魂を受け継いでいるからでしょう。
創造神アースの魂が持ち得た多くの能力はオトとララナが折半する形で継承している。あらゆることが自由自在の〈創造の力〉、これはオトに継承されているからララナが編み出した魔法に作用したとは考えられない。ララナが持つ力で創造の力に匹敵かつ不知得性魔力を用いているであろう力はただ一つ〈魂鼎の力〉にほかならない。いずれも単一または複数の不知得性魔力を用いているがゆえに強力な力を発揮すると考えるのが妥当で、必然的にオトやララナは不知得性魔力を生来保有していたことになる。ただ、ララナの認識として魂鼎の力は魂器破壊を代償として発揮できる力であって、普段使いする魔法に作用するような力ではなかったはずだった。
……その認識も、改めたほうがよいのでしょう。
魔団による魔法がいい例だろう。偽りの太陽を模した魔法的現象を操り、それ以前には傀儡化や穴型空間転移と多種類の現象を発生させた。不知得性魔力ヨコシマは魔団こと言葉真国夫のおもいのままにその力を発揮したといえるのだ。
それならララナが無自覚に同じことをしていたとしても仕組としてはおかしくない。「おもいは魔力であり魔力でない。不知得性魔力も同じこと」というフルマイの言葉をララナは最初理解できなかったが、「おもいは世間一般が魔力として認識している知得性魔力でもなく不知得性魔力でもごく限られたものである」と解すると筋が通っている。要するに、分祀精霊の糧になるのは不知得性魔力のごく一部で、それも分祀精霊ごとに異なるのだ。発祥の地であるダゼダダで分祀精霊が衰退する一方なのは、魔法や科学など認識できる概念の発展とともに分祀精霊が極めて抽象的なものとして認識の外へと追いやられているから。と、余談はさておき、特に個個が司るものに特化している分祀精霊はひとびとの願いに効率よく適切な「お返し」をしていたということなのだろう。星の魔力やヨコシマを鑑みても不知得性魔力は術者のおもいに応えてさまざまな魔法的現象を起こせる。そんな万能性を有する不知得性魔力を無自覚に使っていたのなら、ララナの融断光の不思議な効果はむしろ自然なものとさえいえる。
……これらについても、オト様のご意見を伺いたいところです。
恐らく、いや、必ず、オトなら融断光の不思議さに結論を得ている。ララナの魔力を分析する機会はいくらでもあったのだから。
……オト様が教えてくださらなかったのは、当然、私が無自覚だったからでしょう。
オトは徹底的に受身なので、何かに対処するためでもなければ情報を口に出さない。そのことから、クムが倒れた出来事を別の角度で観られる。
……オト様自身のおもいが途絶えることは、想定外だった──。
学と対峙することは想定を上回るほどオトの心を苛んだということでもある。不知得性魔力を操り得たララナ、星の魔力を持つメリアや熱源の魔力を持つ音羅、そこに特異能力を有する謐納を含め、これら四者に、分祀精霊におもいを届ける方法を教えていなかったことが想定を超えた負荷がオトにあったことを明示している。
……オト様……。
連れ立ってくれたら、守れたかも知れない。そう思うものの、一種の惇い信頼でもってオトが連れてゆかなかっただろうことも、ララナは判る。竹神邸が魔団の攻勢に曝されることは想定内で、偽りの太陽もどきはララナでなければ対処できなかった。魔団の攻撃手段が明確に判っていなくても融断光を用いて皆を守ってくれると信じて、オトはララナを家に残したのだ。
……。
信頼が嬉しい。反面、オトの身と心も守れなかっただろうか、と、どうしても思う。
完成したスイーツをじっと見つめていたララナは、深呼吸して、手を動かす。
……オト様がいつご帰還されてもお心を満たしていただけるよう。
お菓子を作る。今できることはそれ。目の前のケーキを切り分けることが最優先だ。進まない課題はいったん横に置いておこう。
「あ、おいしそう」
と、台所に顔を出したのは、頭に糸主を載せた笑顔の似合う少女フルマイである。
「ちょうどできあがったところです。フルマイさん、食べますか」
「ん、食べる。音羅ちゃんとも一緒に食べたかったんやけど今は控えんとね」
家族との顔合せの際に魔団に関する経緯を軽く説明してあるので、ララナはフルマイの配慮に感謝した。
「ありがとうございます」
「睡眠も栄養やからね。音羅ちゃんの分は取っとこう」
「はい」
「ほかの子はどうする。プウちゃんも一緒に休んどるなら、ほかの子だけ呼んでこよっか」
「お願いします」
「ほいじゃ早速」
行動的なフルマイ。言うや否や去ってゆいた。その背がちらと見えて、右肩に刃羽薪、左肩にヴォダニィが載っていた。先程それに気づかなかったのは長い髪で隠れていた。
……すっかり仲良しですね。
分祀精霊が友好的な存在であることは知っているが、竹神家一同以外にああしてくっついているのは希しい。
……と、フルマイさんは竹神本家のひとですね。
オトの血縁であり、ララナよりも分祀精霊との関係が深いから、当然といえば当然の仲良し。
フルマイも分祀精霊におもいを届けることができる。なら、不知得性魔力による魔力分析技術をフルマイから教わることも不可能では。
「……今は、ゆっくりしましょう」
翼を生やしたプウが音羅を連れて戻ったかと思えば、父の従妹フルマイまで訪れて、普段から静かな父の留守を埋めるように竹神家はもとの賑やかさを取り戻したようだった。
人間であるというフルマイの訪れに胡散臭さを覚えたのは納月だけではないだろう。ひとをすぐに信じてしまう納雪や性別を問わず籠絡されやすい刻音を除いて全姉妹がフルマイの素性を一度は疑ったことを後日確かめ合うこととなるが、来訪の日、納雪や刻音とは別の意味でフルマイを歓迎できる理由があった。苦しむクムを助けたというのは一因であるが、それ以上に、幼少期の父の姿を肉眼で見たことのある人物との接触は希しかったからである。
顔合せ及び挨拶の場で、納月は真先にフルマイに質問した。その内容は、見たこともない実父母が亡くなっているという母には尋ねにくく、父には「くだらん」と一蹴されそうなものだったから、第三者に聞けたら幸いと思っていたことだった。
「──ずばり答えてください。わたしは竹神の血筋に似てるんですかね」
父の代りかのように「どうでもよくないかしら」と夜月にぼやかれたが、納月なりに真剣な質問だった。
父の留守を預かるためにやってきたというフルマイだが身のほどを弁えており、客座に当たる囲炉裏の西に座っている。母、メリア、姉妹や分祀精霊が見つめる中、フルマイが姉妹一同を眺めて順に答えた。
「そうやなぁ、見方はいろいろやろうし、性格のこともあるから一概には言えんけど、ぱっと見た感じやと、納月ちゃんは羅欄納さんに似とるかな」
「ちょっと意外……もうちっと大きくなったらお母様みたくエクサ美人になれるんですかね」
「ペタくらいは行くんやないかな。ほら、特に上半身とか」
「そこっ。まあ確かに……」
納月もそこだけは自慢だ。幼女な姿でも溢れ返るほど母性を放っていた母であるから、内面と合致している姿に圧倒されてしまうくらいで、いつかはそんな姿になれるのだろうか、と、期待もしている。ただし、母の姿の変化はメリアの分離に際して起こること。納月にはほかのひとの魂が宿っていたりはしないだろうから、何十年も付き合ってきたこの外見からどう足搔いても変化する気がしない。つまりは、微妙に幼い顔立ちや身長が変わらない可能性にはなはだ落胆したのだった。
「子欄さんはどうです」
「子欄ちゃんは羅欄納さんやね。お茶運びとか率先してやって、落ちつきながらも結構行動的で明るい印象やから」
「そうですか」
子欄が横髪を抓んで、納月を一瞥。「黒髪で惰弱の丘ですが」
「胸はあげられるもんじゃないですから白米で許してくださいっ」
「足りていますから結構です」
「っふふ、仲がいいね」
「永遠の敵ですよ」
フルマイの微笑みに子欄が冗談っぽく言ったが、納月は笑えない。
「(視線がちくちく刺さりますよぅ。)つ、次、次、鈴音さんはどうです」
「鈴音ちゃんはお兄さん似やな」
「わたしも子欄お姉さんと同じ黒髪で体格も似たようなものだけど、関係ないのか」
と、鈴音が冷静に俯瞰している。「お父さん、もとい、竹神家の特徴はなんだろう」
「ほら、第一印象がわたしと近いかなって」
「音羅お姉さんと並ぶとよく似てるっていわれるんだけど、動さんから見てもそう」
「せやね、音羅ちゃんも竹神寄かも」
「やっぱり。内心複雑なときもあるんだ。わたしはお姉さんほど食べないからもらいすぎても困るし」
「厚意にはしっかりお礼を返せば大丈夫。音羅ちゃんとも一緒に食べるの愉しみやなぁ」
家族一の大食。しばらくしたらまた一緒に食卓を囲めるということで、家族一同がフルマイと同じように音羅復活を愉しみにしている。
フルマイのほかの姉妹への印象をざっと並べるとこうである。謐納と夜月が父似、刻音と納雪が母似、磋欄は父母のどちらにも似ていて、
「──、霊欄さんは羅欄納さんとメリアさんに似とるね」
とのこと。霊欄は父とメリアの子で、姉妹の中で唯一の異母妹だ。納月を含めた九人の姉が霊欄を特別視したり差別したことはないが、母の血縁ではないことを知っているフルマイが母似ともしたことに、霊欄本人が一番驚いた。
「わたしとララお母さんって、どの辺りが似てると思う」
「名前がね」
「そこ!」
姉妹全員がズッコケる寸前で、
「冗談やよ」
と、フルマイがお茶目に笑った。「生まれの違いはあってもこの家の空気に馴染んどる。お兄さんに接しとる羅欄納さんみたいに、寄り添って共生しとる雰囲気があるんよ」
「そっか……なんかすごい嬉しい!」
端から見れば霊欄の存在はメリアと同類だろう。あとから竹神家に入ってきて、父と母やそのあいだに生まれた納月達とはどうやっても相容れない、と、色眼鏡を掛けるのが普通だ。ダゼダダの法に則れば一夫一妻が普通であることからそうなってしまう。だが、フルマイは父や母と同じようにその眼で観て、メリアや霊欄を竹神家の一員と認識してくれている。
……いいひとですね、すごく。
怠惰な父ではなく活動的な母に似ているとフルマイに判定してもらえただけで納月は満足だったのだが、期せずしてフルマイの人間性に触れて信頼を寄せたのだった。
納月の質問のお蔭で、フルマイの逗留がさらに前向きに受け入れられたのは、その人間性のみならず、父より積極的な家族への接触があったからだ。
「羅欄納さんが作ってくれたお菓子をみんなで食べよう」
と、呼びに来てくれたフルマイは、父と同世代でありながら以前の母のように妹のような容姿で活発に動いている。学園へ通う前、または社会に出る前の音羅のような雰囲気もあるからちょっと気を抜くと妹が一人増えたような気分になって子欄は戸惑うくらいだ。
顔合せのあと、久しぶりに魔物討伐の仕事に出た謐納と刻音、村内医院のボランティアに出掛けた納月、眠っている音羅とプウを除いて居間に集まったおやつタイムに、一同はこぞって父の話をフルマイに訊いた。それで判ったのは、じつはフルマイが父とそれほど多く対面していなかったということだった。が、それゆえに、メリアや霊欄を竹神家の一員として受け入れた感性が父と似ていて自然と好感が高まった。強いて言えば、天邪鬼な父よりずっと親しみやすいとも子欄は感じた。みんなもきっとそうだろう。
「──、お父様が苦手なものを動さんは知っていますか」
と、子欄は質問した。
「一部扁形動物とかは触手っぽいって恐がっとったかなあ」
と、答えた。「何、何。イタズラしたりするん」
「お父様に積極的に動いてほしいときがあるんです。そういうとき、口説き文句や脅し文句があったら動いてもらえるかな、と、考えまして」
「なるほど。ポジティブな動機のほうが習慣づきやすいって聞くし、苦手なもんで攻めるより好きなもんをあげるってのはどうやろう」
「和菓子とか、甘いもの、あるいは──」
子欄は、母とメリアを一瞥。「いや、さすがにお母様達をあげるというのは変ですね」
「悦ぶと思うよ。羅欄納さん達が進んで迫るなら対等やし──」
「その話は火に焼べましょう」
と、母が慌てて遮った。「ところで、私からも質問してもよろしいですか」
「勿論いいよ。なんかな」
「フルマイさんはオト様のように分祀精霊を仲間にしていたりするのですか」
……そういえば、不思議だ。
父にくっついていることが多く、そうでなければ蜜柑山に集まっていることが多い小型の分祀精霊、特にクムや刃羽薪や糸主が、今はフルマイにくっついている。
「それについてはオレから説明してやるよ」
と、刃羽薪がフルマイの右肩から長い髪を搔き分けて顔を出した。「オレ達ゃ何も仲間になってるわけじゃねぇ。分祀精霊がおもいに応えて存在してることを考えりゃ解る」
「一種の取引、契約でしょうか」
「おもいを向けてきた相手の同志であり、神であり、その相手に付き添う者でもあるわけだ」
信頼関係が成り立ったパートナということか。分祀精霊が神であるならフルマイと対等な立場とは考えられないので、子欄は首を傾げた。
「動さんとの関係はどう表現すれば正確ですか」
「さっきも言ったが、おもいに応えてオレ達は存在してる。それが答だ」
既に答を教えられているようだが子欄はいまいち理解できなかった。
「逆を言えば、おもいを傾けてもらえなければ存在できない、と、いうことでしょうか。だとしたら先程倒れたというクムさんは本当に死にかけていたと……」
フルマイの左肩にくっついているクムは元気そうだが、花冠はまだ半分に満たない。
「お父様が本調子でなくなったからクムさんは倒れたんですよね」
「はい。今も交信はできませんわ」
と、クムが顔をうづめるようにフルマイの髪を抱き締めた。
「お父様の代りに動さんがおもいを注ぐことでクムさんが助かった。その時点で、クムさんは動さんの取引先のようになり、付き添う者になった。そういう解釈でいいですか」
「まあそうだな」
と、刃羽薪がうなづいた。「なんにせよオレ達の関係は儚いもんだぜ。おもいの切れ目が縁の切れ目。クムが交信できねえのもつまりそういう理屈だ。ま、人間関係も似たようなもんだろう、縁が切れたら連絡したりしねぇ」
おもい・おもわれて存在する関係。確かに、刃羽薪がいうように人間同士もそういう関係でなければ続かない。背を向け合った相手とは理由もなく連絡を取ることがない。
……クムさんはお父様と交信したそうだが。
その気持とは裏腹に、分祀精霊の立場に縛られている部分があるということだ。
「クムさんを始め、刃羽薪さんや糸主さんも、今はお父様ではなく動さんに付き添っている状態になるわけですね」
「お父様が帰ってきたら修羅場ですねぇ」
と、納月がちゃかすが、穏やかな微笑みが母によく似たフルマイは全く乗らない。
「正確にはわたし一人に付き添っとるわけでもなくて、ほかの多くのひとのおもいにも寄り添っとるよ。誰でも認識できる姿がここにあるだけで、分祀精霊のおもいは無形・不可視でダゼダダじゅうを飛び交っとるから」
「電波みたいですね」
「せやね。ひとのおもいもそういうもんやから分祀精霊のみんなに届くんよ」
「なるほど」
言葉でやり取りできる端末が小人や毛玉の姿を取って竹神家に現れているだけで、おもいを傾けてくれたひとびとのもとにクム達のおもいは等しく届けられているということだ。
「安定した関係はちゃんとお兄さんに引き継ぐよ。みんなを呼びに行くついでに少し観て回ったんやけど、この家って合祀の聖域やから」
「ゴウシの聖域って、なんですか」
と、納雪が首を傾げた。前に説明はあったそうだが、子欄と音羅が消失した直後のことだったそうで納雪はしっかり頭に入っていなかったようだ。母が改めて説明する。
「合わせて祀ると書いて合祀といいます。複数の祭神を祀る神社などのことです。この家はクムさんを始め複数の分祀精霊を分祀しているので合祀の場となり、それら分祀精霊の加護を展開しているため合祀の聖域となっているのです」
母が居間の北に位置する欄間を仰ぎ見る。「移住当時からあちらに弓があることは皆さん気づいていましたか」
弦が外されている竹弓だ。北東には天井を向いた矢も掛けられている。子欄はそれらについて説明されていたので知っている。知らなかったのは、
「え、ありましたっけ」
と、目を丸くした納月だけのようだった。「あれが合祀となんか関係あるんですかね」
「屋越の蟇目やね」
と、フルマイが言うと正解と示すように母がうなづいた。
「オト様は〈祓除の蟇目〉と仰りました、ダゼダダ式の儀式だそうですね。家を飛び越えるように矢を射ることで厄を祓います」
「伝統的な儀礼で竹神家でもやっとる。合祀に組み込んだんならお兄さんらしい趣向やね」
子欄は学園時代に弓術科に在籍していた。その関係で母から頼まれて屋越の蟇目を定期的に行うことになっている。姉妹の中でも逸速く弓矢の存在や意義を聞き、加護などの情報を聞いたのは、基本的知識だったからである。
「聖域について少し掘り下げてみよっか」
と、フルマイが手を合わせた。「みんなも知っとると思うけど、魔物とか悪しき者を遠ざけたり弱化させる力場のことを聖域ってゆう。大国が保有する聖起源で発生しとる国規模のがよく知られとるね。聖起源とは違う形で聖域を発生させとるのがダゼダダで営まれとる神社。祭神たる分祀精霊の加護領域が小規模の聖域になるんよ。で、この家の聖域の話になる。たくさんの分祀をされとるこの家は加護領域が複雑に絡み合っとってすごく強い聖域になっとる。それを簡単に表現したのが合祀の聖域ね。一部の分祀精霊を連れ出したりして加護領域のバランスを崩すと、それを組んだお兄さんやないと再構築不可能なくらい組み直すのが大変そうやから、誰も連れてかんほうがわたしも楽やな」
「それは私も初耳です。織師さんを連れ出したときもオト様は領域を調整していらっしゃったのでしょうね……」
と、炭火を見つめた母を一瞥してフルマイが先の話を纏める。
「って、ことで、お兄さんが戻ったらクムさん達とは一旦お別れやよ」
「また来られるんですか」
と、子欄は質問した。それに反応して、母が目線を上げた。母に目を向けられたフルマイが子欄に答える。
「せっかくみんなと知り合えたし、お兄さんの魔法で飛ばしてもらえればいつでも来れそうやから。竹神邸のみんなのお邪魔じゃなければなんやけど、いいかな」
その要望に反対する者は一人もいない。クムを助けたこともそうだが、父が留守のときは不可欠な存在ですらあるだろう。
「お母様、いいですよね」
「勿論。その件でフルマイさんにお訊きしたいことがあるのですが、よろしいですか」
「なん」
「クムさんにおもいを注ぐことができたことからフルマイさんには不知得性の魔力環境把握、すなわち不知得性魔力による高度な魔力探知技術があると推察します。そこで、その技術を私にも教えていただけないでしょうか」
「どうして」
と、フルマイが首を傾げたのは、「それは分祀精霊のため。それとも、自分のため」
「──」
理由に見当がついているからこその質問だったのだろう。基本的に穏やかで優しい印象のフルマイだが、それは子欄達のような下の世代や分祀精霊に対してであって、同世代の母に対しては厳しい面もあるようだ。
「おもいを傾けるのはその分祀精霊を心から大切に思っとるからやよ。自分の感情やほかのひとへの愛情が分祀精霊の糧になることはあるけど、ネガティブな動機ならおもいは届かへん。お兄さんが技術を教えへんかったんならそれが一つの答を突きつけとると思うし、わたしもその答に同意やな」
母の動機はネガティブということか。だとしたら、フルマイの回答は完膚なきまでの拒絶だっただろう。が、母がへこたれることはない。
「もう一つ質問してもよろしいですか」
「ん」
「いろいろあって私にも不知得性魔力が宿っているように思うのです。私の不知得性魔力が分祀精霊の皆さんの糧にできるか教えてもらえませんか」
「無理やね」
即答だった。「お兄さんが教えんかったならわたしが教えていいことでもないように思うけど、それでも知りたいならあとで理由を教えるよ」
「是非お願いします」
「ん、いいよ。ってことで、はいっ、固い話は終り」
ぱちっと両手を合わせたフルマイのとろけた笑顔で場の空気ががらっと変わった。「お姉さんが作ってくれたケーキを目の前にお預けはきついよね。ほら、みんなも手を合わせよう」
いわれるまま両手を合わせた一同を見回して、フルマイが音頭を取った。
「いただきますっ」
「『いただきます』」
一同が自然と声を揃えた。
……すごいリーダーシップだな。
顔合せのときも子欄はそれを感じていた。父の留守で弱っているであろう母やメリアも、音羅の拉致で精神を擦り減らしてきた姉妹も、その態度に元気づけられている、と。
みんながケーキを食べ終え、メリアと一緒に食器を片づけた子欄は、家事の手伝いがないか尋ねるため母を捜した。その姿は、両親の寝室にあったが、
「お母様、何をしているんですか」
父手製の服がハンガーラックに並んでいる寝室はいつも綺麗にされているが、今はなぜか物が溢れ返っている。よく観ると、
「懐かしいものがありますね。サンプルテで使っていた食器や座布団ではないですか、これ。引っ越してから見かけないなと思っていましたがちゃんと持ってきてたんですね」
「モカ村にない合成樹脂や合成繊維などの製品は隣空間にしまったままなのですよ」
と、言いつつ、母は真円の穴からまだ物を取り出している。
「わ、それはテントですか。なぜそんなものが……」
「おかしいですね。そこまで奥まるとも思えないのですが」
異空間である隣空間は収納場所としてよく利用されているが、母はしまい込んだものが見つからず大変そうだ。
「いったい何を探しているんですか」
「ちょっとしたものです。気にしなくて問題ございません」
……小綺麗なお母様がなりふり構わない感じになっているからすごく気になるんだが。
変にツッコまないほうがいいだろう。
「片づけなら手伝いますから、いつでも声を掛けてくださいね」
「子欄ちゃん、ありがとうございます。お風呂掃除を任せてもいいですか。こちらに集中したいので」
「(何を探しているのか、ますます気になるんだが、)任せてください」
何を探しているのか判らないが、母が必死そうなのは希しいことだから、「頑張ってくださいね」と、声援を送って子欄はお風呂掃除へと向かった。
強い光の中に歩み入ると闇の中にも似た感覚に陥る。何も見えず、自分がどこにいるかも判らなくなる。濃い闇の中にいて仄かな光が射したとき、強い光の中でわずかな影が見えたとき、ひとはようやく自分の存在を確かめ、安心できるものなのかも知れない。
と、小難しく考えたわけではやはりなく、音羅は、自身の存在を確かめるような仄かな光を感じて瞼を開けた。昼下りの、木漏れ日のモカ村、竹神邸の自室だった。
「やっと起きたか」
「……プウちゃん」
確かに言葉として聞こえる鳴声を少し空耳と疑ってしまったのは、「家なんだよね、ここ」
ちょっぴりの不安を拭うようにプウがにょろっと這い寄って頰ずりをしてくれた。
「わけの解らない地下室でも結界の中でもない、ママもみんなもいる竹神家だ」
「そっか……」
無意識的に起こしていた上体を布団に戻して、音羅はほっと息をついた。「戻ってこられたんだね、わたし」
「ああ、音羅はここにいる。おれもいるし、みんなもいる。もう安心だ」
「……」
機織りの音、子どもの声、木木の囁きに動物の鳴声。のどかな村のオーケストラを聴いて、自分のことに安堵を覚えた瞬間、音羅は不安を思い出した。それをプウが察する。
「パパは、まだ帰っていない」
「……」
理由に想像がつくから、言葉が出ない。「今は、いつだろう」
「昼過ぎだ。パパが助けてくれたのは昨日だ」
「……戻ってくるかな」
「……判らない。が、引籠りのパパが家にいないほうが不自然だからな、必ず帰る」
「うん、そうだね。……そう祈ろう」
苦しんでいるに違いない。その苦しみを受け止められるひとはきっと音羅ではないから。
「そうだ」
と、プウが思い出したように、「パパの代りにパパのお願いで来たらしい女の子がいる」
「え。パパに知合いがいること自体、未だに驚くんだけれどね、誰だろう」
「動、と、いうらしい」
フルマイなる人物の素性をプウから聞きつつ着替えた音羅は、その人物がいるであろう一階の居間に向かって歩き出す。音羅はひとまず、後ろをにょろにょろついてくるプウに尋ねる。
「プウちゃん、翼はどうしたの」
「動さんについての質問はないのか」
「それは本人に聞いたほうが早そうだから」
父のお願いで訪れた女の子は掲示板にも書かれていなかった人物だから、勿論、気になるが、燃える翼がなくなっているプウの体がどうなっているのか、音羅は気になって仕方がない。
「いや、日常生活には邪魔だからな」
「えっ、そんな理由で捥いだの!」
「エグい。捥いだわけじゃないぞ」
「そ、そうなんだ、ほっとした!」
「こっちは妙な勘違いにどっきりした」
階段を下りるさなか、プウがボッと翼を生やしてボッと消して見せた。「ほら、簡単だ」
「すごい、便利!一瞬あったかかったってことは、もしかして、家が燃えてしまうかな」
「おれの炎は燃やしたいものしか燃えないから大丈夫だ」
「すごい。やっぱり便利だね。じゃあ、なんで消しているの」
「横幅が問題だ。そこかしこのヴァイアプトを薙ぎ払ってしまうし、廊下や階段でぶつけてしまうと壊してしまう」
「炎では燃えないのにぶつかると壊しちゃうんだ」
「物理法則だ。魔法の炎とは違う」
「ふうん……」
「お前、理解していないだろう」
「そ、そんなことは、あるよ」
「ぎりぎり噓をつかなかったな」
「お姉ちゃんだもの。妹に噓は言いたくない」
「は。誰が妹だ」
「プウちゃんだよ。女の子なんだから弟じゃないよね」
「そういう意味じゃない。何を言っている。おれが上だ。おれが姉だ」
「いいや、わたしが姉だよ、最初はわたしのほうが大きかったもの」
「いいや、今はおれが大きいから姉だ、ついでに音羅より素早い」
「いや、いや、生まれたときはわたしのほうが大きいし腕力は断然わたしのほうが──」
無駄な姉妹論争を繰り広げながら下りた一階から、賑やかな声が聞こえた。
「なんだか、懐かしい声が聞こえる──」
「動さんの声だな……」
「プウちゃん、もしかしてフルマイさんのことが嫌いなの」
「……いや、嫌いというか、なんだろう、苦手、だ。すーちゃん曰く小さいときのパパに似ているらしいから、かな」
「すーちゃんの観察はきっと確かだから、その気は少し判る気がする」
記憶退行したときの父を思い出してならない。テレビ出演していた頃の父は画面越しなら憧れてしまうほどの輝きを放っていたが、いざ目の前にして対話してみると勢いや洞察力に圧倒されて少し恐い印象だ。長女としてリーダーシップを取る立場にある音羅でも、幼少の父の勢いに勝てる気はしない。
「あんなパパに似ているとしたら、」
音羅は、両拳を握って気合を入れた。「頑張らないと……!」
「何と戦っているんだ」
「見えざる心と、かな」
「一理ある……」
プウの心境と一致したようだ。
廊下の途中、気持を調えるわけでもなく特殊空間に寄ってゆいた。三和土から移動していた掲示板で情報確認したのである。母が記したという原始魔法と特異能力や精神力の還流と消耗の違いなど不知得性魔力の絡む情報が図解されていた。
「魔団はあのひと、たった一人だったんだよね」
「パパによればそういうことらしい。言葉真国夫……でらめな強さだった」
不知得性魔力からなる特異能力を行使できる人間が、たった一人身勝手に振る舞うだけであれほどのことが起きた。
「普段から魔法を使うなってパパが言い聞かせていたのって、ああいう危険な使い方をしないようにしたかったからっていうのもきっとあるんだろうね」
「そうだろうな。小さい頃にあの言葉真国夫の人格に曝されていたなら、パパじゃなくても魔法の無駄遣いを嫌っただろう」
むやみにひとを傷つけ、倫理すら無視し、生命を冒涜することさえ躊躇わなかった。
そういった危険な魔法、害意に曝された家族を守るために必死だった母の心境が、図解の一部文字に垣間見える。
……震えている。
音羅もそうだった。やれることをやろうとは思っていたが、振り返ってみると恐くて仕方がなかった。自分にできることがあまりに少なかったのだ。手を尽くしたとしても自分の身さえ守れるか判らない状況だった。プウが来てくれなければ、本当に傀儡相末学の手に掛かっていたかも知れなかった。
「ママにも、みんなにも、伝えないとね。何もできないかも知れないときだからこそ、わたし達は家族として支え合っているんだってこと」
「音羅……」
「プウちゃんが来てくれて、本当に励まされた。一気に、気持が軽くなったんだ。一人じゃないって体感して、心から明るくなる感じは、傍にいるからこそ感じられると思う」
「そうだな。おれも、音羅が帰ってきてくれて、迎えに行けて、ほっとした。それに力強く感じている。断じておれが姉だが」
「はははっ、譲らないなぁ」
「なんなら双子ってことでもいいぞ。それなら上とか下とかあまり気にならないだろう」
「サラちゃんとレイちゃんみたいだ。ある意味、確かにそうなのかも知れないし、いいかも知れないね、双子」
他愛のない話をして盛り上がれる。そうして、確かに支え合っている。離れると倒れてしまうこともあるが、一度そうなったからなおのこと一緒にいる時間を大切にできる。
そういった気持を伝えるためにも、音羅はプウとともに気合を入れ直して特殊空間を出た。
「おはようございます」
と、自然な挨拶を掛けて居間に入ると、一歩踏み込んだところで脚が止まった。賑やかな声で判明してはいたのだが、
「ほら、ほらぁ、待ちなさいよぉ〜」
と、結師が櫛を構えてぴょんぴょん跳び回っているかと思えば、
「ややぁ、ややぁ、あっちゆいて〜」
と、ごろごろ逃げ回る女の子がいた。その様子を微笑ましそうに食堂から眺めている母の姿を横目に、音羅はプウの耳打ちを受けた。
「これが動さんだ」
「ちょっと予想と違ったや……」
音羅の知る父の恐さは積極性。フルマイからは真逆の勢いを感じた。「すごく逃げ回っているね、いや、パパに似ているといえばそうか」
などと呟いていると、振り翳された結師の櫛をぴっと指で受け止めたフルマイがひょこっと顔を上げて、音羅を見つめた。
「おはようございます、音羅ちゃん、プウちゃん。こんな恰好で失礼します、フルマイです」
「ふにょっ、こ、これはご丁寧に、音羅です、おはようございます」
怠惰な父に似ているかと思いきや一転して丁寧な言葉遣いで会釈したフルマイに、音羅は慌ててお辞儀した。寝起きの音羅が現れたことで結師が音羅を櫛の標的にしたため、その間に軽く経緯を聞くことができた。その流れから母の依頼を受けて、音羅とプウは野菜の収穫のためフルマイを連れて外へ出ることになった。
……なんだろう。確かに昔のパパに似ているけれど、少し違うようにも感じるな。
髪の長さを除けば外見も声も似ているが、フルマイと父は飽くまで親戚であって同一人物ではないから、心の違いを感じているのだろう。
……パパ──。
似ているが違う。だから、いてほしいひとの影を求めてしまう。
家を出てすぐのところ、東西に広く仕切って村で管理する畑に足を踏み入れると、
「寂しいよね、お父さんがおらへんの」
と、父によく似た目差を向けられて、音羅はどきっとした。家族と同じように接してほしいとフルマイに言われていたので音羅は飾らず話す。
「パパが家にいないのは何度体験してもやっぱり変、って、思うんだ」
「引籠りだから。それとも、いることが当り前だから」
「……どちらも。いてくれるだけで安心する。そんな、なんだか不思議な存在感があるんだ」
「それを聞いたら、きっとお兄さん悦ぶよ」
父は天邪鬼で悪ぶっていた。他者にも判るような悦びの表情は最近になってようやく出してくれるようになった、と、音羅は感じている。
「嬉しいなら嬉しいって素直に言ってくれると悦ばせ甲斐があるのになぁ」
「それができんのがお兄さんやからね」
先刻承知。父の裏表の激しさに翻弄されたことは数えきれないほどある。
雑草が見当たらず害虫がいないので畑仕事は終り。収穫前にできる範囲で手入れすればいいと教わった音羅は「これなんていいかな」と手頃な野菜に手を伸ばした。そのとき、
「あわっ」
と、畝の向こう側にいたフルマイが声を漏らして尻餅をついた。
「だ、大丈夫、フルマイさんっ」
「ふぇ、ウサギュマさんがっにゃっふあぁっ」
視界を覆う葉っぱを少しどけて覗くと、一頭のウサギュマがフルマイに覆い被さって頰をぺろぺろと舐めていた。よく見ると、さらに向こうの畝からもう一頭のウサギュマが迫っている。
「こ、こらこらぁっ、フルマイさんを困らせてはダメだよ、メっ!」
「『ハォ』」
一つ鳴いて止まる気配が──、なかった。
「だ、だからダメだってば」
「や、耳はらめっ、音羅ひゃん助けっ、埋もれてまうっ」
「手をこちらにっ!」
「んっ」
慌てふためくフルマイの手を握るや音羅が引っ張ってなんとかウサギュマから逃れた。ふらふらと立ち上がったフルマイが微苦笑だ。
「べたべたやぁ」
「顔も髪もやられたね。ウサギュマって村のひとにもあまり懐かないって聞いたんだけれど、フルマイさんはパパに似ているからかな、すごく好かれているみたい」
「土塗れやしお風呂入らんと」
「帰ったら用意するよ」
などと話しているうちに、小型になったプウがウサギュマを遠ざけようと威嚇したが逆に舐められてフルマイと同じ危機に陥ったので音羅は二度目の救出を行い、手早く野菜を収穫して帰宅した。フルマイを三和土で待たせ、野菜を母とメリアに届けて、浴槽に湯を溜める傍らプウを洗った。
「プウちゃん、追い払ってくれてありがとうね」
「油断した。村内用サイズではナメられるようだ」
「見事に舐められていたものね」
「笑うな……結構くすぐったいんだぞ、あれ」
「じゃあ、もとのサイズになればよかったね。カカシ効果が出たはずだよ」
「村で飼っているウサギュマにカカシは効かないだろうがおれなら脅せるだろう。しかしもとの姿になるのは少し抵抗が……」
「畝と畝が結構狭いから畑を荒らしてしまうかな」
「そこには極力配慮するがそこじゃない。もとの姿でいるときフルマイに撫でられたんだ」
音羅が寝ていたときのこと。
「嫌だったの」
「嫌というか、変な感じがした」
「変って。どんなふうに」
「判らない……。落ちつかなかったから突き飛ばしそうになって危うかった」
「突き飛ばすのはよくないね。我慢できて偉いね、と、綺麗になった」
「ありがとう、音羅」
タオルで水滴を拭ってあげるとミニなプウが肩に乗った。それで音羅はちょっとした疑問が浮かぶ。
「翼を生やしたり引っ込めたりできて、大きさも変えられるなら、もとの姿より大きくなったり、もしかしたら、もっと別の姿になったりもできるのかな」
「もとの姿より大きく、か。考えたこともなかったが、できない、とも思わないな。別の姿というのはどうだろう。例えばなんだ」
「そうだなぁ、妹っぽく女の子になったりとかどう!」
「どう、と、いわれても、普通に考えて無理だろう、翼竜だぞ、そして姉だ」
「無理と思ったらできることもできないよ」
「……確かにな」
思うところがあったのだろう、プウがうなづいた。「人前でやってへんちくりんな姿になっては竹神姉妹の名折れだから秘密の練習が要るかも知れないな」
「人型にさえなれればいいんじゃないかな」
「お前は外見を軽視しすぎだ」
「そうかな」
「絶叫されて逃げ回られる体験は醜悪な外見をしていないとできないものだ。音羅は一度ヘビになってみればいい」
「あはは……」
虎押が逃げ回っていた日日が思い起こされて、プウの言葉に音羅は納得した。
「今のままでも大きくてもプウちゃんは可愛いと思うけれど、ヘビとか、爬虫類が苦手なひとがいるのは確かだものね」
「ああ。それに、姿が変わらず落胆されても困る。練習して、結果は追って伝える」
「いいね、プウちゃんの新たなチャレンジだね」
「姉ぶるな」
「頑固だなぁ」
どちらが姉でも妹でも構わない。音羅はそう思い始めていたが、プウが新たな可能性を見出せるなら姉妹論争を続けてもいい。
お湯が十分溜まったところで三和土のフルマイを呼んだ。着替を持っていないというフルマイに貸せる服をメリアに探してもらい、音羅はプウと遅めの朝ご飯を摂った。
父はいないが、その代りにフルマイの気配があって、穏やかな村の空気に家族の賑やかさを聴く。ほかにない平穏。竹神邸。ここに戻ってこられた事実とご飯を嚙み締めて、同時に、自分と同じようにここに戻ってきたいはずの父に思いを馳せて、音羅は囲炉裏の炎を見つめた。
音羅のご飯を用意していたララナから服を借りたメリアは、烏の行水のフルマイが待ち構えていた脱衣所に入るなり打ち負けたボクサに投げるが如くタオルを放ることとなった。借り物の服を着たフルマイに、
「裸で突っ立っているのはどうなのでしょう」
と、注意したメリアであったが、
「着崩れでいわれてもなぁ」
と、思わぬ反撃を食った。メリアの服は基本的にオトが作ったもので、一部はオトがいないとうまく着られないものもある。本日のドレスのようにコルセット的に後ろで紐を引き絞って留めるようなものは姿見で確認しながらやっても緩んでしまうことがあって大変なのである。と、説明してはみたが、
「いや、胸や二の腕や靴下もやん」
と、鋭いツッコミを受けてしまった。
「朝の忙しいときに羅欄納さんにお願いするのも気が引けて一人で着たのですが……」
「そういう服を選んでまうからいかんのやよ。わたしが服を選んだるわ」
「動さんが。音さんのお客さんですからそこまでしてもらっては──」
「基本的に着崩すのとか嫌いなタイプやよ、お兄さん」
「う……」
「嫌われてもいいなら──」
「嫌です、お願いしますっ」
「素直やよし」
あとから考えればフルマイに乗せられたような気がしないでもなかったが、オトに嫌われては事なので服選びを手伝ってもらうことにした。
ハンガーラックに並んだいくつもの服をぱぱっと眺めてフルマイが選んだのは、オトが作ったものらしく細工に凝って上品ながら華美にならないワンピースだった。小慣れた手つきでメリアから服を脱がしたフルマイが選んだ服を見事にすぽんっと着せて姿見の前に移動した。
「ん〜、いいね、お兄さんが作っただけあって似合うなぁ。と、一人でも気軽に着れて着崩れもしにくそうやから大変なときはこれを着るといいよ」
「アドバイスありがとうございます。でも、一人で着られるなら動さんが着せてくれなくてもよかったのでは」
「仲のいいひとと服を選び合いっこしたり着せ合いっこしたりとかなかったんよ」
「お姉さんとはそういうことができなかったのですか」
「当主やからほぼほぼ決まった正装があって、日日の私服選びみたいなのはね」
「そうでしたか……」
巫女の家系の本家当主ともなればそれなりの身嗜みがあるのだろう。正装では自由性が押し出せないことをメリアも主神時代の服装で少し知っているから、フルマイの人知れない寂しさが理解できた。
「悲しい顔したらゆかんよ。わたしのこの服はメリアさんが選んでくれたんやろ」
「はい、勝手に選んでしまいましたが、どうでしょう」
「うん、気に入った。サイズ的にもぴったりやし、下着もちゃんと可愛い」
「あ、捲っちゃ駄目ですっ、いろんな意味で」
「コンプラやね」
「こんぷら……」
「規制に引っかかる的な意味やよ」
「ちょっと違うような気がしますがそれも込みで」
「まあ、一程度成長したら誰も気にせんとこやろうけど、小さいときの刷り込みって恐いからね、娘さんの前ではやめとくね」
ご配慮感謝であるが、
「わたし達の前ではOKということでもないのです」
「えぇ〜、裾気にして暮らすのメンドーやん」
「でしたらズボンを──」
「脚に纏わりつくのって嫌なんやよなぁ」
「(羅欄納さんのようなことを。)でしたら裾を気にしてください、音さん基準の節度です」
斯く言うメリアもオトに叩き込まれた節度であるが。
「そっか、お兄さんが。別の誰かが裾から覗くのが浪漫って言っとった気がする」
「誰ですか、そんな破廉恥を嘯くひとはっ」
思わずツッコんだメリアだが、オトの言葉を思い出した。「見えそうで見せないのがいい、と、音さんが言っていた気がします。つまり、『見えないことこそ浪漫』ということでは」
「それもいいね」
……寛容なひとなのでしょうか。それとも、どっちでもいいんでしょうか。
「これは、見せる・見せない、対立する美学の鬩ぎ合いなんよ」
「小賢しい小競り合いですね」
「ほら、見せることと隠すことってあるやん。ひとの心は特にそう」
「……確かに」
見せていいのは表だけ。裏のどろどろしたところや純粋なところは大切なひとが知ってくれていればいい。勝手な、純真な、そんな思いがメリアにもあって、それを受け入れてくれたオトやララナを、愛している。
「……って、なんだかいい話に纏めてごまかそうとしていませんか」
「ばれたっ」
「もう。捲ってはいけません、見せてもいけませんっ、いいですねっ」
「お母さんみたい」
「竹神家では一母親ですから」
「納得。じゃあ、裾は気にして暮らすよ」
「意外に素直ですね」
「メリアさんが母親になれたことがお兄さんはきっと嬉しいはずやから、みだりに搔き乱したりはせぇへんよ」
「あ……」
メリアは一つ、理解した。フルマイの行動基準は、留守を任せたオトが悦ぶことか否かということなのだ、と。
「動さんが女性らしく振舞うことも、きっと音さんが悦ぶことですよ。気をつけましょう」
「──そうかも。ありがとう、メリアさん」
「どういたしまして──」
にこっと笑ったフルマイに、メリアは少し、見蕩れてしまった。フルマイからも、オトやララナに似た温かさを感じて、自然と胸襟を開きたくなる。
「あとで羅欄納さんとおやつを作ります。動さんも一緒に作りませんか」
「食べるの専門なんやけど、やれるかな」
「(音羅さんのようなことを。)きっと大丈夫です。やりましょう、愉しいですよ」
「そこまでゆうなら、ん、やってみる」
どこか受身でポジティブではない応答だったが、いざ台所に立ったフルマイの手際はメリアと並ぶほどだった。
「──、はいここ、クムさん香りお願い」
「はい」
左手に握った泡立て器で生クリームを搔き混ぜる横顔は職人のように真剣で、見えない球を弾ませるように両手を仰いだクムが送る香りを逃さず見事に含ませてゆく。
「うかうかしていられないくらい上手ですね、動さん……」
「ええ、見事なものです」
ララナと一言交わしたメリアは途中からほぼ傍観者だった。程良いホイップでスポンジを均等に覆うことも説明しただけで完璧にこなしてしまったし、分祀精霊を含めた家族全員分に切り分けることは言われるまでもなくまた迷いなくやってのけたフルマイである。
「ふ〜っ、めっちゃ大変や……。羅欄納さんもメリアさんも毎日こんなのやって偉いね」
「手伝ってもらうぶん早く済みそうですよ」
「同感です。途中からほぼフルマイさんのみで動いていました」
「わたしが動いとるあいだに羅欄納さんとメリアさんはほかの家事とかできるんかな」
「はい。庭の手入れや買出しなど、大家族だと地味に作業量の多いことが後回しになりがちなので、そちらに時間を割けます」
と、ララナが答えるとフルマイが二つうなづいた。
「じゃあ、お兄さんがおらんあいだだけ。不出来でもいいならレシピに近づけてみるよ」
「ありがとうございます。では、我が家で定番のデザートを──」
できあがったケーキを冷蔵すると早速ララナがレシピを書き上げ、フルマイがそのレシピを読み込んだ。レシピはいくつかあったが、手順の確認をしたらフルマイはレシピ通りの手順に加えてアレンジにも考えが及んでいて、メリアは逆に勉強させられることとなった。曰く、
──儀式に比べれば自由で愉しいよ。
とのことだった。形式張った儀式よりよっぽど簡単、と、言い換えることもできそうだ。とにもかくにも、小瓶作りのみのオトよりフルマイの働きは多く、ほかの家事に着手したメリアとララナは以前より楽ができた気分だった。
竹神家の朝は、概ねララナが一番に起きている。朝食の準備もあるが、特に早起きの謐納や納雪の外出を見送りたいからでもある。
フルマイ逗留四日目の朝、ララナより早く起きて囲炉裏に炭を入れている影が二つあった。
「おはようございます、フルマイさん、糸主さん」
「おはよう、羅欄納さん」
「おはようさんじゃぞ、ララナや」
糸主が伸ばした糸の先に火をつけ、筒に見立てた拳から吹いた息で炭に着火させている。同じ手法で炭を熾す人物にララナは心当りがある。
「──オト様……」
「思い出させてまったかな……」
「いいえ、お気になさらず」
糸主は普通には手が届かないところの掃除を担当してくれている。木屑など細かなものは毛玉な体に入り込んで食べにくくなってしまうことがあり、それを定期的に取り除いて糸主の糸の先端に纏めて火熾しに用いていたのがオトである。それと同じ方法でフルマイが炭を熾していたからララナは否応なく姿を重ねてしまった。違うのは、フルマイが左手を、オトが右手を、使うことくらいだ。
魔団の出現以前から屋外警備をしている謐納をフルマイと見送ったあと、メリアと一緒に台所で朝食の支度に取りかかったララナは、足りない野菜があることに気づき畑に出た。収穫した野菜をメリアに届けると、居間のフルマイと納雪の様子を窺った。起きたら真先に挨拶に来る納雪がフルマイと肩を並べて囲炉裏に向かっている。
「何やら愉しそうですね。何をしているのですか」
「あ、おかぁさん、おはようございます」
「おはようございます」
挨拶をしたララナに納雪とフルマイが順に示したのは囲炉裏の中である。
「これを動さんから教わっていました」
「灰模様やよ」
オトの趣味の一つといえるだろう、毎日変えていた灰模様をここのところはフルマイが描いていた。が、灰ならしを持っているのは納雪のほうだ。オトやフルマイのものと比べると拙さしかないが何を描いたかは判る。
「六花、雪の結晶ですね」
「灰ならしの使い方が難しくて、動さんみたいには描けないんですけど、それっぽい形にはなってきました」
「ええ、何を描きたいかちゃんと伝わってきます。愉しみながらの上達、何よりです」
「えへへ、ありがとうございます」
「フルマイさん、納雪ちゃんの相手、お願いします」
「ん、任せて」
仲良く灰模様を描き足してゆく二人。
「ここからどうしたらいいですか」
「せやねぇ、平面的モチーフとしては二花から六花が繫ぎやすくて統一感も出るけど御幣状結晶や板状氷晶もあるとメリハリ出るんやないかな」
「六花氷晶なら六花と並べても綺麗そうですね」
「ん、いいね。樹枝状結晶全般も加えるのがよさそうやけど最初から複雑なのはあれやし、まずは六花と六花氷晶を交互に描いてみよっか」
「はいっ」
……納雪ちゃん、愉しそうです。フルマイさんも──。
オトがいたときと遜色なく平穏そのもの。
二人の背をしばし眺めてララナは朝食の支度に戻った。
──一九章 終──




