一六章 妄言の中の本懐
地下室を有する一軒の家はプウが纏った炎で焼けてゆく。突撃して風穴を作って延焼を促したのは意図的ではないがファインプレイ。音羅を連れて素早く離脱したのも正しい判断だ。
第三田創前で別れたプウの行動を魔力で観察したオトは、長良川がダゼダダ海に接するダゼダダ大陸南端の岸に佇んで海を見据えた。
霊蹄の予期した災い。その一端であろう、何十メートルあるか知れない大波が押し寄せているのが観えた。発生原因の地震や風がなかったこと、特異能力の直接介入を許さない魔海がある北部を除いてダゼダダ大陸のほぼ全方位から押し寄せていること、この二点で大波が自然現象でないことを明示でき、魔団による人為的現象と見做して〈人為波浪〉と称しておく。この人為波浪、海沿いの外周県を吞み込むのは言うまでもないが、大陸中央部、人口が集中した中央県にまで到達することを疑う余地はない。
なぜなら、河川津波というものがある。広い海から狭い河川に流れ込んだ津波が勢いを増して遡上する現象が河川津波で、海岸線から広く押し寄せる津波より先に陸地へ侵入する可能性が極めて高い。これは地形によっては複雑な現象を発生させて被害を拡大することが科学的に証明されている。人為波浪は津波に定義できる現象ではないので河川のそれも人為波浪の延長線上の現象だが当然危険だ。波本体も侮れず、遡上高という概念も頭に入れておく必要がある。海岸に達した津波の高さのおよそ二から四倍の高さに達するのが遡上高で、避難場所はそれ以上の高さの建物や山などに限られると言っても過言ではない。遡上高まで陸地を這い上がった津波は、それまでに到達した全てを押し流したあと、それら全てと波本体の重みで海へ引き返してゆく。これが、大きな建物でも抗えないほど途方もない威力を発揮するのである。
それらが人為波浪でも必ず起こる。中央県を縦断する長良川水系に近い地域は遡上する人為波浪の被害を受け、その後に人為波浪本体を受ける危険性が高い。一度浸水して地盤が緩んだ地域が一〇〇メートル超の遡上高を予測できる人為波浪に襲われたら、それこそ何も残さず海へ引き摺り込まれるおそれすらある。避難場所は一三〇〇メートル超の〈妙音山〉を筆頭とする長良山脈。広さは申し分ないとはいえ、自力で逃げられる健常者や若者ばかりではなく、中央県でも北に位置する長良山脈から遠い地域に住む者は避難が間に合わない。人的にも土地的にも未曾有の被害は自明の理だ。
人為波浪を見据えたオトに、織師の連絡が入った。
(──オウジの指示で神社関係者による避難誘導が開始された。最寄の避難所やシェルタへの避難は想定時間内で済むだろう)
(お疲れさん)
可能な避難ができたとして、人為波浪は人為的だ。津波と全く同じ動きをするとは限らず、意図的に人間を狙うことも可能だろう。事実上、安全な場所がない。
(織師は連絡役として凰慈さんと避難してね)
(キミはどうする)
(今は独りでも孤独でもない)
(そうだったね)
ダゼダダ大陸に迫った熱源体をララナの説得で打ち消した日もあった。五〇年前と今ではいろいろなことが変わった。大きく変わったのは言うまでもなくオトの心境と行動である。
「おいで、南方司る守りの神像」
「はぁい、呼んだかい」
呼掛けに応じて現れたのは、手乗りのゾウである。天白和のもとにいるゾウと同期している存在であるが、このゾウはほかのゾウに指示を出すことができる本体である。本尊という言い方もできるが、より正確にいえば、神社で祀られている存在ゆえ神仏の一種である。神仏であり本尊である、つまるところ凄まじい力を秘めたゾウのスロウな応答に付き合っていると人為波浪が到達してしまうので、オトはゾウを地面に下ろして用件を伝える。
「この大陸並びにほかの島や陸地も守る。手を貸してくれるかね」
「おお、おとぅがやる気になっているんだね。ならばぁ、おらぁも本気を出すのだよぅ」
右前脚で地を躙って、炎のような闘気を発したゾウがむくむくと巨大化した。手乗りサイズのときもじつは一トンを優に超える重さであるが、重さと相応の三・三メートルもの大きさになって霊蹄に迫る存在感を放っている。
どしん、どしん、どしん──!
足踏みとともに分身を増やすゾウ。ダゼダダ大陸の沿岸部に肩を並べたゾウ達が足踏みを終えて人為波浪を見据えた。大陸全域への人為波浪の侵入を防ぐ準備がこれで整った。大陸を丸ごと覆う障壁を彼らが張ってくれるのだ。
これでダゼダダ大陸を守れるが、津波の動きを模すなら障壁で撥ね返された波が周辺の島や陸地を襲う。大陸周辺の属国にとどまらずもっと広い範囲で被害が拡大し得る。被害防止のためもう一手を打つ必要がある。
「おいで、東方司る破りの神像」
呼掛けに応じて海面から顔を出したのは、竹神家に住んでいる分祀精霊ヴォダニィこと龍神〈ヴォダニィドラクォン〉である。分祀された存在と対峙したこともあったが本体たるヴォダニィとは円満である。
「貴様ならば愛称も許すがどうしたことか」
「プウのやる気に感化されて気取ってみたくなった。と、いうことで、」
「海棲を慮りし波の緩衝。貴様らしい考えだ」
「お前さんならできるやろう」
「うむ。プウの身柄が貴様の許に移った──。親戚として、翼竜に代り礼をいう」
「こちらこそ。あの子がおらんければ、俺もここまで熱くならんかったよ」
「人間の言葉ではウィン・ウィンと表せられし関係か。貴様の願い、確と受け取った」
「ん、お願いね。俺達で、守り通そう」
人為波浪のほかにも、脅威が迫っている。オトは、その場をゾウとヴォダニィに任せ、中央県に舞い戻った。仰ぐ空に、見たくないものが浮かび上がっていた。
「まさか、あれは──」
竹神邸の裏口を守っていたララナは目を疑った。昼間の太陽を押し退ける眩さで空に昇っているのは、
……炎と雷と陽の魔力による発熱、凶悪なまでの魔力量。
間違いない。終末の咆哮が発する巨大熱源体〈偽りの太陽〉だ。
終末の咆哮はここ神界フリアーテノアに存在するはずのない惑星アースのテラノア軍事国の兵器である。射程距離は定かでないがダゼダダ大陸中央県のようにオトがいる場所に放たれたというなら状況は同じだ。
「悠長にはしておれん。羅欄納や、方針を聞かせてくれるかのぅ」
と、言う右肩の糸主に次いで、左肩の刃羽薪も手斧の柄にとんとんと掌を当てて窺う。
「決まってるよな」
「ええ、オト様の眠りを妨げるわけには参りません。私が対処します」
五〇年前、オトはひとが成し得ない魔法技術を駆使して熱源体を消滅させた。
「具体的にどうする。対処っつってもオマエにオトと同じことはできねぇんだろう」
刃羽薪の指摘は正しい。
子欄の帰還からしばらく経ち、ララナの精神力は随分と回復している。
「羅欄納、そちらは任せるよ」
オトが仰ぐダゼダダの空にも、熱源体が浮かんでいる。以前に観たものより魔力集束速度が速い。もうじき落下もするだろう。フリアーテノアの空とダゼダダの空、同時に二つも出現したことから魔団が偽りの太陽を模倣したことが推察できる。模倣でもできがよく、危険性は本物に優ると考えたほうが無難だ。ダゼダダには終末の咆哮と対するような〈再生の暁〉があり全土に障壁を展開できるが今回は起動する時間もなく、起動できてもこの熱源体を防ぎきれない。
「ゾウの障壁を無駄にすること、を、狙ったわけじゃないやろうけど、障壁を消されると人為波浪が到達してまうからな」
オトは左手でヤブルハナノコハリの鞘を握り、柄を右手で握って跳躍、刃を抜くと同時に熱源体を貫き対流圏の果てにカエデの葉ととも躍り出てダゼダダを俯瞰した。
「これ以上、思い通りにはさせんよ」
熱源体の中央から魔力が霧散してゆく。トラップとして不知得性魔力による反射発動型魔法が仕込まれていたがそれらの効果も纏めて打ち消したため、間もなく熱と光を失って偽りの太陽もどきが消え失せた。
それを見届けず、オトはダゼダダのとある地点への降下を加速した。
突っ立っていては一方的に蹂躙されて終りである。
「テラノア軍事国が終末の咆哮を使ってこちらを狙う理由はなく射程内とも考えにくい。あの熱源体は魔団の仕業と考えられます」
「オトから盗むように魔団が魔法の熟練度を上げておることはしかり。トラップもあると考えるべきじゃな」
「トラップですか」
「反撃的な攻撃魔法や障壁を、反射発動型の魔法で展開するとワシは読む」
「熱源体もしくはその周辺に仕掛けられているのでしょうね──」
早くも魔力集束が済んだ熱源体は、終末の咆哮のものより降下速度も速い。罠があっても不知得性ならララナには把握できず、推測がどこまで当たっているか調べる時間もない。
「刃羽薪さんは念のため家の警備を。あちらは私が無力化します。糸主さんは私が離れると同時に森ごと村全体を包んでください」
「森ごとじゃとっ、そりゃちと──」
「お願いします」
ララナは二人を地面に下ろすや跳躍し、木木のあいだを抜けて熱源体に突撃した。
「ララナやっ……なんと、ああ、もう、むちゃくちゃじゃが──」
「いいじゃねえか面白え。イトヌシ、送ってやるぜ」
「うむ!」
刃羽薪が振り上げた手斧に乗って森のてっぺんまで吹っ飛んだ糸主は、体を膨張させ、天蓋のように森を包んだ。そのすぐ上まで、ララナが突撃した熱源体が迫っている──。
「直撃はさすがに堪えられん。ララナや、頼むぞ……!」
爆発の余波程度なら糸主が防いでくれる。そう信じてララナは熱源体に突撃した。生身なら焼死必至の自殺行為であるが、ララナには擬似全耐障壁やオトがくれたネックレスがある。とはいえ、オトの推測を超越した魔団がそれらに対処し得る力を獲得していないとも限らないので、ララナは自分の持つ最大限の力を振るうのみである。
全耐障壁を構築していた裁者の力、もとい、不知得性魔力をも突き破ったララナの融断光は反則的な威力を持っている。魔法の術式を分析して逆算的に解除してゆく思考が必要な鎮静と全く異なり、触れた魔法や魔力を融解して必要とあらば吸収する、すなわち、問答無用で切り崩して無効化できるのである。どんな形でもどんなトラップが仕掛けられていても関係がない。丸ごと無効化して形を失わせるのが融断光だ。無論、オトを閉じ込めた異次元の結界のように全面からの瞬間的反動が予測された魔法に対しては融解が間に合わないことを考慮して使用が躊躇われるが、今は放っておいたら滅ぶほかないので、選択肢は一つ。糸主が受けきれる程度の衝撃や反動を発生させる前提で一瞬でケリをつけるのが現実的だ。それを実行するには、熱源体の外側から融断光を当てていたのでは遅い。地上から跳び上がったときには既にそこまで考えてララナは全身に融断光を纏っていた。
ゴゴッ──!
跳躍の勢いのまま突っ込んだララナは、直線上の魔力を融解して熱源体の中心部まで到達した。
熱源体は一つの星を圧し固めたような凄まじい圧力を持つ塊で、融断光を解いたらぺちゃんこにされてしまいそうだった。もしもそれが地上に落ちてしまったら被害はモカ村にとどまらずフリアーテノア全域に及び、最悪は滅亡してしまうかも知れない。
……これ以上の傍若無人な振舞いは看過できません。
死者への冒涜に始まり魔団はオトが大切にするものが数多く存在する村にまで攻撃を加えようとしている。音羅を帰さないことも踏まえて、ララナは魔団に容赦する考えがない。
融断光は光そのものだが速度・範囲はララナの意のままだ。対する熱源体も同じく光そのもののようだが先程も触れた通り圧力を有する物質的な塊と表するほうが正しい。
……跡形もなく、消えてもらいます。
オトの放った黒い槍は突き破った場所から熱源体を食い破ってゆいたようだった。
……ここまで突っきれたのなら、融断光でも同じことができます。
特殊空間では自覚がなかったが今度は意識的に融断光を操る。全身から放射するイメージで放って熱源体の魔力を融解・吸収し、余波も起こさせなかった。熱源体に魔団の術者の個体魔力が含まれていた場合、それを全て奪い取って魔団の術者の力を削ぐことができるので、一帯を守れることと合わせて一石二鳥である。
……これはオト様がしないこと。私にしかできないことです。
魔団から直接的に力を奪い取ることがララナの融断光ならできる。手段を選ばないならオトにもきっとできるが命を奪うことと同様、彼は魔法でひとから奪うことをしない。オトより自由で柔軟な行動が執れるララナは、その分、取返しのつかない行動に及んでいたときの罪も重くなるが、必要とあらば償うことを視野に入れて動いている。
……今はただ──。
落下も爆発もしなかった熱源体が、衝撃も余波も起こさず綺麗に消えている。糸主がほっとした様子で小さな毛玉に戻ると守られた大地が俯瞰でき、ララナも安堵した。
……魔団の脅威から守れさえすればよいのです。
家族が穏やかに暮らせる場所を守れた。それが何より大事だ。
これは、幼少時代のオトの話である。
「人身売買についてどのように考えていますか」
オトは、召喚した二人の年長者に尋ねた。
三者の位置は、円卓をちょうど三等分している。レフュラル国王エント゠ウヴ゠エリー。テラノア国王ゾーティカ゠イル。二者から、この対等なる場でオトは話を聞きたかった。
「どのようにとは」
と、エント゠ウヴ゠エリーが具体性を求めた。「漠然とした問には答えられぬ。善悪か、損得か、それとも別の観点か。余が得手とすは損得である」
「ゾーティカ゠イルさんは」
「貴様の知りたいのは善悪でも損得でもなかろう」
「はい」
オトが知りたいのは、真理。人身売買を必要とするのは、それによって犠牲になってしまうのは、どんなひとびとなのか。なぜそんなことが起き、なぜなくならないのか。
「ヒエラルキ」
「ざっくりと表現すると、組織の階級を指す言葉ですね」
「うむ。レフュラルが信仰を禁ずる理由を知っておるか」
「王城議会制による経済主体の社会を確立するためでしょうか」
「間違いではなく、正しくもない。信仰は国を二分する」
「ヒエラルキ……」
「上下のみならず左右を作るのが信仰ぞ。教えに従う者を排他すれば、あるいは教えに従う者の中でも分裂すればどうなるか」
「上下・左右・前後の差を国の中でいくつも生ぜさせる危険性が信仰にはあるのですね」
「して複雑な階級の話が生ずる。世は階級に支配されておる。我が国も、信仰を排したレフュラルも、ダゼダダでさえも、貧富の差により厳然と階級がある」
端的に言えば金銭が世界を支配している。そうして、ヒエラルキも富裕層の支配を象徴するピラミッド状である。
「階級は部屋の広さであり部屋同士を区切る壁だ。広さが変われば、壁の厚みが変われば、造りや飾りが変われば、好悪を問わずひとは違うものに関心をいだく。拒絶や渇望、好悪も、結局は同じものなのだ。ひとは違うものを欲す。人身売買とは、自らがそうでないことを知り求められてもおらぬというのに誇示する愚行ということだ」
「それは真理になっていますか」
「若人には早い話か。少し嚙み砕いてやろう」
「お願いします」
「素直な子は嫌いではないのである」
と、次はエント゠ウヴ゠エリーが話し始めた。「テラノアのが話したように格差により上下ができる。ひとはひとを仰ぐことはしても踏みつけられたくはないものである。ここまでは理解できるか」
「はい。踏みつけられては、痛くて、苦しいのです」
「そう、単純な話である。ほかの例を挙げれば同じ家の中でもヒエラルキの高い者ほど上階に住まうのは上座に座ることに等しい。ひとを見下せるのは相応に力を持つ者、すなわち、ひとを踏みつけにできる者も同じである。が、そこに一つの取違えが発生し得るのである」
「ひととひとの力関係ですね」
「いかにも。ひととひとの関係においては、暴力が上下を決めることが精神性の低い者のあいだでは殊にある。理解し合える者なら友ともなろうものであるが、そうではなく、一方的かつ傲慢な理屈で振るわれた暴力は被った側が蹂躙されることもあろう。知識を集め活かすことのできる知恵こそがひとの才能であり最たる能力である。しかしその結論に至らず生涯暴力の世界を生きる者もいる。その世界と我我の暮らす世界が交われば悲惨、すなわち、テラノアのが示した真理に辿りつくのである」
暴力を是とするのは暴力世界に生きるひとびと。それを否としている理知世界に生きるひとびとがいかに言葉を尽くしたところで暴力世界のひとびととは解り合うことができない。そもそも話し合いにならず、レベルを合わせた解決方法、つまるところ暴力世界のルールに引き摺り込まれるからだ。それが不意のことであればなおさら、理知世界のひとびとは敗北することになる。それが、ヒエラルキの上下を逆転させることになり、上にいた者が途端に踏みつけにされる。それこそが人身売買、と──。
「貧しいひとびとが売られているとしたら、真理には辿りついていないと考えます」
「おまえの考えは詰めが甘いのである」
「ご示教を願います」
話を求められたエント゠ウヴ゠エリーではなくゾーティカ゠イルが答える。
「考え方にはいくつもの側面があるものぞ。視点の違いとも表せよう。我の示したヒエラルキに大きく関わっておるのは階級そのものより出身と年齢だ」
「貧しい、子ども──」
「左様。力のない、もとい、金も暴力も持たない弱者だが、老いのない、人生の長さにおいて頂点かそれに近しい位置に立っておる。ひととは儚き者だ。一〇〇年も生きれば老い、次代なくば血も、志も、時には国さえも途絶える」
先の長い子を近くに置くことで、生い先の短い支配者が力を得る。
「庇護下に置きたい者もおれば、自らの暴力の捌け口にしたい者もおろう。形はそれぞれだ。自らが支配層であることを誇示するは支配されることへの恐怖の裏返しでもあろう。庇護下であれば幸いであろうがそうであろうともその者のルールに他を従わせる時点で、はてどうか、とは、示し置こう」
「……」
「何にせよ、ヒエラルキの最上位は、貧しい子だ」
それこそが、人身売買の真理。
「論ずるまでもなきことに上流の子にも相応の価値がある」
と、エント゠ウヴ゠エリーが述べた。「例えば回廊に待たせた余の息子には一国に等しい金銭的価値があろう。支配層による支配層からの略奪を見込めるのである。無論、余から奪うことはできぬがそんな可能性を見出してしまうのは、知識と知恵のなさゆえである。テラノアのが示したヒエラルキは鏡、映し出されし実態は暴力世界の需要である」
「……」
物理的な攻撃を加えることは最も実感の湧く暴力である。兄姉がいる者なら、親を取られて嫉妬に駆られた暴力に曝された経験があるだろう。弟妹がいる者なら尽きない要求を拒否したことで振るわれた暴力に憶えがあろう。同年代と過ごした者なら、些細な諍いから暴力に発展した経験があろう。自然発生的なそれらに誰もが触れ、不毛な行為であることを理解してきたから、物理的暴力には実感が湧きやすいのである。言葉の刃を突き立てることや相関関係を利用した精神的圧力なども暴力でありこれらにも同じことが言えよう。そうして多くの者がやめることを選んだ暴力をメインツールとして用いる者からすれば、なんらかの暴力を受けた経験がある者はその恐怖を知るがゆえに恰好の獲物になる。自らが放棄したものを振り翳されたことに戸惑い、萎縮し、暴力行為に及んだ相手への警戒とともに無理解が生じ、選び取った対話という力が全くの無力であることに恐怖し、結果として理不尽な暴力世界のルールの支配下に置かれて染められてしまうからである。そして、暴力世界の者に取ってはそれこそが暴力を選ぶ理由であり、全てを決する力となるのである。相手を屈服させる暴力さえあれば大勢が占める社会的立場を事実上逆転させることが可能であるから、もともと社会的立場を有さない暴力世界の者は暴力を否定する材料がない。社会を牛耳っているふうの上流階級さえ足蹴にできる暴力が、果てには人身売買という非道を認める。
だが、ここまでに話していた構図には欠けているものがある、と、オトは気づいた。
ゾーティカ゠イルがオトを見つめた。
「貴様は賢い。理解できよう、人身売買と金稼ぎは必ずしも等しくないのだとな」
「そこには、道徳的な反逆が潜んでいるのですね」
例えば、売られた者の扱いが奴隷的である場合がそうだろう。言葉にするには憚られる行為が支配層の目的の上では正当化される。あるいはそこにゾーティカ゠イルが示した恐怖の裏返しが含まれていても、同じことだ。
「その通り。自分と同じ人間を売るのだ。裏街道や気狂いでもなければせぬ商いぞ。暴力を選んだ者は自身の保護と引換えに他者の権限否定を是とする論を確立しておる」
「論破することはできませんか」
「己が理屈で身勝手に生きる、愚かにもそれが人間よな。王たる我らとて、幼き貴様とて、この場におることが既に身勝手の結果ぞ。理解できよう、貴様は賢い。ゆえにここにおる」
「……」
理解したくはない。が、オトはゾーティカ゠イルのいうことを理解できるのである。少なくともオトは自分のやりたいことのためにここにいて、そのために此度の席を設けて二者から話を聞いている。暴力世界の者が自分達の手にした力で他者を足蹴にすることも、オトが自分の手にした権限で二国の王を召喚して話を聞いたことも、性質は違えども根本は同じ。自身が暮らす世界のルールのもとでひとに影響を与えたという根本が同じであるならいかに間違った行動に見えても論破はできない、と。
「思いつめぬことである」
と、エント゠ウヴ゠エリーが微笑した。「テラノアのの言葉を用いるなら、人間とはそういうものである。おまえが思いつめたところで狩猟採集と物物交換の世界には戻らない」
「そもこの論は崩壊してもおる」
と、ゾーティカ゠イルが言った。「早い話、どこにもルールがある。ルールがなければ上下も左右も前後もなくなりはするが命を害する身勝手を許すことに等しくそれは動物の本能を是としてひとの理知を否定するものぞ。よってルールは必要だ。折り合えぬルールがぶつかれば淘汰に傾く。一方折合のつくルールなら折衝を経て自然と融和し柔軟な強き者が遺る。して、一種、動物の本能の果てさえも支配する大自然のルールたる自然淘汰こそが真理よ。人間同士だろうと化物同士であろうと同じことだ。善悪・好悪・白黒・対比などあらゆる対立を問わずその場の弱き者、頑なな者が淘汰される」
だから、強くならなくてはならない。強くなることには、あらゆる暴力に抗う膂力や精神は勿論、知識と知恵も必要だ。数多の運命に導かれ偶発的かつ宿命的にぶつかり合った不都合で不条理なルールのもとでも、勝利し続けなければ生き残ることができない。
「貴様の知りたいのは真理であり、その先でもあろう」
「はい」
ゾーティカ゠イルの言葉を継ぐようにエント゠ウヴ゠エリーが言った。
「王の立場を除けば、おまえが守りたいものを守り通せることを余らは願うばかりである」
「エント゠ウヴ゠エリーさん──」
「オレも同じぞ、若人よ。貴様は息子に程近い歳だ。他国民であろうとも放っておけぬ」
「ゾーティカ゠イルさんも──、ありがとうございます」
欠けた構図をあえて口にしないことも、先達の優しさが成す宿題だ。
「この円卓での話である。国王たる余らには、おまえを見守る義務はなく、保護する意義もなく、敵対意思を持たねばならない」
「レフュラルに同じだ。我も貴様を需要する側におる。ここより一歩踏み出せばあらゆる脅威でもって貴様を害することとなろう。味方意識など持たぬことぞ」
「……お二方の立場は心得ているつもりです。ダゼダダやダゼダダの血筋に纏わる因縁は、今世紀に解決するかどうかも判りかねる大事です。ぼくは、それでも、考え続けていきます」
「僥倖である」
「そうでなければ召喚になど応ぜぬ」
二国王が同時に立ち、会議室の外へと向かう。
「さらばだ、ダゼダダの新しき光」
「次に見えたらば今日を忘れて立ち合うがよい」
「──はい」
遠くない未来、二国王と、もとい、二大国と争うことになる。どんな形になるかは定かでないが、その対立を乗り越えなくてはダゼダダに明日はない。
そのように考えて、幼少期を過ごし──、やがては隠密行動を含めて二国と争った。
二国の王の出した宿題の答は、支配層が暴力世界の存在ならば、だ。力を持っていた二国の王が、自らの顔を出した上でその立場を隠すような宿題を出していた。
答の構図が全て通ずるわけではないが、力を持つこと、暴力世界の住人であることは、魔団に通ずる点だ。
自分の価値観に照らして正しいと思えることでなければひとは全力を傾けられない。自分の能力は勿論、環境や条件、差し迫ったその場の判断も加味して、最善と吞み込めたことに力を発揮できるものなのだ。最も守りたいものを守れればいい。ララナの考え方はときに苦しい現実を突きつけることにもなるだろうが、彼女の安堵はオトも共感するところである。家族が守られた。大地を破壊から守った。昨日と同じ世界が広がっている。その尊さが胸に迫ることはないほうがいい。破壊されるまで尊さは想像の域を出ないほうがいい。胸を押し潰されて悲嘆するよりも、飽き飽きするような平穏に退屈を覚えていたほうが、ずっといい。
オトが求める幸せはそうした日常の中にこそあって──。
「不穏なんか、もう求めてないんよ」
「お前こそが不穏の温床だというのにか」
プウの夢から読み取れたのは、音羅を傷つける影。それからオトの記憶にもある言葉真本家本邸の地下室で、家紋たる〔霊〕の字が焼かれた特徴的な壁だった。
地下室は言葉真家などが集うサロンだったが今では顔を隠したフードの男が占拠した魔団の本拠地だ。足下にはほかでもない音羅の血が広がっているが、プウが突き破った壁や焼けた箇所はもとの形に戻っている。
「これで終りにしよう。下の者ばかりを狙うと三下臭が拭えんぞ」
「ふっ……お前なら、全てを察しているだろうが、」
フードの男が振り返り、フードを剝いで顔を曝した。「わたしに立ち向かうか、音」
「お前さんも立ち向かえ。言葉真国夫」
「くくくく──」
拘置所で亡くなった叔父言葉真国夫が不敵に笑った。傀儡であるならこれまでと同じく魔団に操られている、と、説明も納得もしやすい状況だがそうではない。言葉真国夫には魂が宿っており意志がある。さらに、隣に佇む相末学を傀儡にしている張本人だ。
「直接観察させても問題ないと考えるくらいに有頂天やな」
「化物のお前でもわたしには及ばない。今はその確信を得ている」
火箸凌一やゾーティカ゠イルに切り捨てられて怨みに支配されていた頃と一線を画した自信を得ていることは確かだ。自信の源となっている力を言葉真国夫が発する。
「[お前の首を絞めてやる]」
言葉真国夫が発した言葉が空気を伝う。伝った空気中で凝固したものがまさしく縄のようにオトの首に絡みついて締め上げた。音もなく形もなく締め上げるものに常人は反応できない。
首のそれを引きちぎって床に棄てたオトを見やって言葉真国夫が愉しげに笑った。
「さすがは化物。顔色一つ変えず対応した。わたしの力を理解している証拠だな」
「種明しは警察にでも行ってやっとくれ」
「つれないヤツだ。昔を思い出す」
「昔話も独りでやれ」
言葉真国夫との関係を今度こそ終わらせる。オトはそのために来たのである。
「警察に引き渡して裁判で正当な罰を与える。それで終わらせたったのに、わざわざ蘇ってくるんやないよ、鬱陶しい」
「その言葉は幼少のお前に返す。お前さえいなければ……」
「怨み・つらみも取調べで吐け。お前さんの動機なんぞどうでもいい。ただただ消え失せてほしいだけやよ」
右手を特異転移で飛ばし、言葉真国夫の背を摑み地の底へ引き摺り込んで内核の熱と圧力に曝した。が、
「[直れ]」
と、床の穴を塞ぎ余裕綽綽で佇んでいる。蒸気を発して固まりゆく金属がその体に纏わりついているので内核への一時突入は確かだ。特異転移もどきで戻ってきた表情、無傷の肌、言葉真国夫は余裕がある。
「簡単には消えてくれんな」
「おあいにくさま。簡単に気絶させられるほど脆くはなくなったな」
ゾーティカ゠イルやエント゠ウヴ゠エリーのように正の親交があった老人はともかく、この老人とは決定的に擦れ違っていることをオトは認めざるを得ない。その擦れ違いのせいで家族やダゼダダ、ひいては世界を危険に曝した責任がある。
「お前さんの話を聞いてやるつもりはないとは重ねて言うが、処理はさせてもらう」
「ふっ、相変らず聞分けがない。そういうお前が大嫌いだった。なぜなら、──」
言葉真国夫がやにわに過去を語り始めた。
その昔、聞分けのない子どもはいなかった。
戦争の機運が高まり、事実として開戦したらば大人の言うことが絶対であった。なぜなら、大人に従わなければ危険だったのだ。
意味もなく大声で叫ぶな。
子どもだけで出掛けるな。
一人で出歩くな。
家の中で走り回るな。
ひとをじろじろ見るな。
絵を描くな。
塀を登るな。
覗き見をするな。
聞き耳を立てるな。
細かいことを挙げたら切りがないほど命令をされていた。マナーといえるものも含めてそれらは全て身を守るための術であり、従えなければ自由行動を許されなかった。極端なようだが、どれ一つ取っても命に関わった。その命令は子どもにのみ強いられたわけではなく、大人も漏れなく守っていた。戦争が、そうさせたのである。
聞分けのない子どもは概ね死ぬか、見せしめのための生ける屍となった。壁に耳あり障子に目ありとはよくいったもので従わなかった子どもは大人になることもなかった。ゆえに、大人で従わない者はまずいなくなっており、子どもに同じような命令を下して生きた。そうすることでしか、命を繫ぐことができなかった。その時代、ダゼダダの赤子の多くが窒息死していたのは首を絞められたか口に物を詰められた。
戦争の時代の終りとともにそうした命令主体の教育も変化してゆいた。が、赤子のうちに染みついた命令主体の生活を子どもの教育に取り入れた家庭もあり言葉真本家がそうであった。理由として、防衛機構開発所を運営する社会的立場があった。自分達の仕事はダゼダダ警備国家のひとびとの命を守ることと直結している。使命感と実感が功績となって積み重なり、責任に優る重みで先祖代代受け継がれていた。
〈三大国戦争〉は後世の見解で期間が多少変わることはあるが一週間にも満たない短期決戦であった。それでいて負の教育が残ったのは、短期間ゆえの恐怖心が民心に宿ったからにほかならなかった。と、いうのも、終戦へ導いた大魔法によってレフュラル・テラノアほぼ全軍と壊滅をともにしたダゼダダ中央県は瓦礫の山となり、多くの民間人が亡くなった。たった数日という短い時間で深く刻まれた恐怖。生き残った者が圧し潰されたケースも少なくなかった。
それでもひとびとが蘇ることができたのは、恐怖のどん底に突き落とした張本人言葉真鷹音の魔法によるところだったことを知る者がほとんどいなかった──。戦後間もなく生まれた言葉真国夫も母言葉真鷹音の力の正体を知らずに育った。ただただ母は恐ろしい存在として家に君臨していた。それを赤子の頃から肌で感じていた。社会に出るまで逆らう気を起こさないほど母への隷属の精神は根深かった。
言葉真鷹音は戦争に染まった精神を切り換えられないまま言葉真国夫に教育を施した。その教育に曝された点は言葉真国夫に全く責任がない。
その上で言葉真国夫の責任を追及するなら、言葉真鷹音の責任に掏り替えて自分の自由を放棄し、選び得た道を閉ざしたことである。
言葉真国夫は隷属が正しいことと信じていた。親の言いつけを守り、自己の命を守ることがひとびとの命を守ることになると信じていた。親に反抗し危険な遊びに手を出し過ちを犯すような同世代を心の底から軽蔑していた。親に、大人に、子どもは従うべき。従順が全ての人間に対する礼儀であると疑わなかった。
社会に出てしばらくして、自分の価値観と社会とのギャップを突きつけられた。親とは、大人とは、自分より年上の存在をも指し、言葉真国夫は指示を与えられなければまともに仕事をこなせなかった。それどころか隷属に隷属を重ねてきたことで自ら考えることができなくなっていた。見下げ、軽蔑してきた人間のほうが社会では大多数であり貢献もしているという事実に言葉真国夫は愕然とし、絶望した。未成年のうちに危険なことを身をもって体験した者のほうが経験に富み、社会の在り方と働き方に聡く、ひとの心が理解でき、より正しい選択肢を見出し選び取ることができた。
ギャップに気づかされた言葉真国夫は初めて母言葉真鷹音に反抗的な物言いをする。社会人生活三年目、二四歳の真夏、執務中の母の机に両手をついて詰め寄った。
「お袋、教えてくれ。わたしは正しい。何も間違っていない、そうだろう」
「……」
「なぜ……すぐに答えてくれない。わたしは、従ってきた、逆らわなかった。馬鹿な連中が自分の命を危険に曝している横でわたしは言いつけを守り、人人を守り抜いてきた。それが正義だ、正しい行いだ、そうだろう」
「……」
「……なんだ、その目は。従えと言ってきたのはほかならぬあなただろう……!」
「いいよ、答えたる。が、その前に、こちらからも訊こうか」
手を止めた母が目玉を抉る目差で問いかけた。「国夫、お前は社会人何年目かね」
「三年目だ。お袋なら知っているだろう、訊くまでもないことだ」
「ああ、そうだ。そんな当り前の年数をあえて訊いたのはお前の自覚を疑ったからさ」
「自覚。あるに決まっている。碌に数字も数えられなかった毎でもあるまいに」
何をするにも手を貸してやらなければならなかった弟。そんな弟を扱うような言い種を言葉真国夫は断じて受け入れられない。
「そうやね、毎は馬鹿な子だよ、読み書きも計算も上手じゃない。人との付合いも下手だ。社会人になっても失敗ばかりの碌でなしだよ。だがね、人で無しじゃあない。お前が見下げる一般人と同じくらいには働いてるんだよ」
「馬鹿を言うな。進学もできず働きに出るほかなかったヤツがまともに働けるものか」
「ならお前はなんでいまさらの質問をした」
「え……」
「従うことが当り前。年上の言いつけは絶対。わたしはそう教育した。あんたは間違ってこなかった。それは認める。が、社会じゃお前のようなヤツこそ脳足りんだ」
「っ!」
言葉真国夫は思わず後退りして、打ち震え、脱力し、後方のソファに足を取られて座り込んだ。
……このわたしが、脳足りんだと。
頂等部を首席卒業した天才中の天才。
……そのわたしが、毎と同等呼ばわりされるなど──。
弟言葉真毎を、言葉真国夫はことあるごとに脳足りんと蔑んできた。他家の子どもと比べても能力に劣っていたから、ひとびとを守ってきた由緒正しき言葉真家の人間には相応しくないとも考えて徹底的に叩いてきた。そうすることが年上としての、教育する側としての態度だと信じてやってきた。それなのに、それも含めて自分の全てを否定された上、弟と同等──。ほかに類を見ない恐怖の象徴であり絶対の存在である母が下した判定は、言葉真国夫に取ってこの上ない屈辱だった。
「わたしは、何も間違っていない……」
「一辺倒の認識を改めぇ。わたしは改めた」
「……」
「わたしの教育は謂わば時代そのもの、戦争の空気、恐怖先行の鞭打ち、洗脳やった。お前がそれに気づくことは、社会人一年目でもできたやろう。二年目にもなれば改めることもだ。いいや、本当に脳足りんやなかったなら学園で同窓から学ぶこともできたやろう。戦争をその身で体験したんでもないんやからね──」
いまさらそんなことを言われても。そう反論することもできない隷属性。言葉真国夫は握り拳で膝を叩くだけで、母への反論ができず、涙を流すにとどまった。年上への隷属は絶対。逆らうことなど言語道断。そうでなければ命を落とす。ひとびとの命を守れない。
……そうだろう、そのはずだろう……!
言葉真国夫はいつの間にか眠っていて、気づけば自分の部屋で横になっていた。ベッドから抜けてふらふらと顔を洗いに行き、通りかかった執務室を伺うと、
「おはよう国夫。よく眠れたかい」
「……おはようございます」
母言葉真鷹音が昨夜と同じ姿で執務をこなしていた。
……あの姿に、従ってきた。そうすれば、あの姿に辿りつく。そう信じてきた。
それが間違い──。
執務室の扉を閉めようとした言葉真国夫は、
「わたしのあとをお前が立派に継いでくれることを祈っとるよ」
その言葉に思わず立ち止まり、振り返り、執務を続ける母の姿に、昨日とは異なる感で打ち震えて、
「失礼します」
扉を閉めた。
……期待してくれているんだ。お袋は、わたしだから、期待してくれる。
弟と同等などと表したのは、きっと叱咤激励だ。言葉真国夫はそう捉えて、気を取り直して出勤した。
命令は期待と同義であり、従順は責任の全うだ。それらで命が繫がれ、全てがうまく回る。繫がりの中にいる自分が言葉真国夫は好きで、命令をくれる年上と従順な年下が好きだ。会社の上司に、言葉真国夫はそう伝えて、とにかく命令をくれるようお願いした。手間が掛かる、と、断られても、とにかくお願いした。すると、同僚がやりたがらない仕事をいくつか回された。言葉真国夫はそれを難なくこなし、上司の信用を得て、上司が進んで命令したくなるように環境を変えた。
……ああ、これでいい。わたしは命令されればなんでもできる。
天才なのだ。できないことなどない。自画自賛でもなければ実績のない自負でもない。能力があるからこそ達成でき、実力があるからこそどんな命令も受けることができる。
……簡単なことだ。お袋の教育は正しかった。認識を改める必要などなかったのだ。
年上と年下が命令し・される関係にあれば世界はうまく回る。それを、言葉真国夫は社会でも実感することができてしまった。
よくいえば初志貫徹、悪くいえば固執。
言葉真鷹音の教育に反抗しきれず、改める機会を失って、偏った柔軟性を獲得してしまった言葉真国夫はそのままの人格で、ある人物と出逢うことになった。
仕事の成果を挙げられるようになってから迎えた初めての年明け、言葉真国夫は母から一つ命ぜられた。
「日曜は空けときぃ。お前を連れてったるから」
「連れていく。どこへ」
「なんだい、仕事にかまけて忘れたか。サロンさ」
「はっ、〈言葉真砂〉に、わたしを!」
言葉真国夫は驚いた。言葉真国夫の人生の目標の一つがそれ、言葉真本家本邸地下室で開かれる社交場への参加だ。小さな頃からの憧れで頑として覗くこともしなかった大人の集いに正式に呼ばれたのだ。
「お袋が主宰なんだろう。どんな話をするんだ」
「主宰はおらんとは何度も言ったはずやが」
「この家で行う会合だから事実上の主宰だろう」
「その辺りの認識は追い追い改めてもらうが、どうすんや、予定、空けられるんか」
「当然だ!空いていなくても空ける!」
「ふふ、お前のそんな顔は初めて観たよ」
どんな顔だろう。想像するしかなかったが、
「緩むんやないよ」
と、微笑む母と同じように頰が緩んでいることは自覚して、言葉真国夫はその週ずっと浮足立っていた。それでも母の命令通り仕事をそつなくこなして、その日を迎えた。
言葉真本家本邸地下室に集った地域の長や大企業のトップ、政治家も何人かいた。テレビ画面の奥でしか見たことのない顔ぶれに言葉真国夫はさすがに緊張した。
……いずれ、わたしがこのひと達をも纏める当主に──。
遠い夢に大きな一歩を踏み出した。その実感も全身が引き攣るような緊張感を高めた。
母に連れられて歩いた先、同じくらいの歳の青年がいた。
「こんにちは。これはわたしの倅、言葉真国夫だ。これから仲良くしてくれると嬉しい」
「此方充です」
礼儀正しくお辞儀する青年此方充に、言葉真国夫は目を見張った。遠目にまさかと思っていたが、三大政治家系とされる天甘柿華、その分家として辣腕を振るう此方家の人間と見受けたからであった。言葉真国夫は緊張のままお辞儀を返して名乗った。
「は、初めまして、言葉真国夫です。大先生のお顔は新人政治家としてテレビで拝見しました」
「天甘柿華公とはほとんど無関係で、ご存じの通り新人です。呼捨てで構いません」
と、気さくに笑う此方充を前に、緊張がほぐれた言葉真国夫は母の耳打ちを受けて彼と二人で話すことにした。
──自分の考えで接してみな。
背中を押されるように地下室を出て、馬車の荷台に乗り込んで二人きりだ。流れる景色を眺めて情緒に耽るという間柄ではないが、此方充にどこか同じ空気を感じて、言葉真国夫から話を切り出した。
「充さんはどうして政治家に。そういう家系だからか」
「ええ。本当は教師になろうと思っていたんですが」
「政治家とは縁遠い職業に感じるな」
「確かに。同じ公職でも地道に長く仕事ができる教員と落選すれば職を追われる政治家では、安定性に落差があります。でも、どちらも指導する側です」
「政治家は基本的に律法が仕事では」
「生活に密接した法律も作ります。複雑かつ整然と寄り集まった法が社会規範を構築する。自由を保障されると同時に人は法律によって自由の性格をある程度定められているわけです」
「なるほど、だから指導──」
母の教育で一定の性格を持った言葉真国夫は、此方充の考え方を理解した。
「法に従うことで人は自由を得る。逆をいえば法は人を支配している。間違った法が作られないよう、間違った支配がされないよう、充さんは政治家になったということだな」
「はい」
「教師にはできないことだな。より広範の、根本的な指導が、法を作る政治家ならば可能ということだ」
「しかし今の法で命までは保障できない……」
「──」
そのとき、此方充と同調した空気を、言葉真国夫は確と感じ取ることになった。
「命の保障、と、いうと」
「戦前・戦時の教育は間違いとする考えが大勢の昨今ですが、ぼくはそうは考えていません。国のお触れでもそうでなくても、確実に命を繫ぐためには支配が必要だった。命令を下す大人と従順な子ども、それらがいなければ社会はうまく回らなかった。行きすぎた自由を看過して統制が利かない企業はことごとくクーデタが起き混乱が治まらず潰れるところも多いとは現代が証明している。戦災に堕ちた家系に限らず貧民が増えている。戦災貧民が手厚く守られたことで後天的に増えた貧民も社会保障に乗っかって自堕落になっている。そこで──」
「法による支配が必要だな」
「今や極右のレッテルを貼られて干されてしまうんでしょうが」
力なく笑う新人政治家此方充。貧民や子どもの救済を掲げて学生時代から活動する才気が、今の法では弱者救済の標榜を果たせないと結論したようだ。
「わたしも充さんと同じ考えだ。今の社会は、法は、ぬるい。母や先祖が生きた時代の支配は適宜必要だ。実際、わたしは命令されたほうがよく動く」
「ぼくらは同じ考えなんですね。ですが、国夫さんは指示待ち体質なんですか」
「経験豊富な年上の命令は概ね正しいからな」
経験豊富ゆえに間違うこともあるだろう、と、考えられるのは、このあいだ母から学んだことだ。弟と同等と見下げなくても命令さえしてくれれば言葉真国夫は言葉真本家当主の後継者として働けると。
「国夫さんは次期当主なんですよね」
「ああ、そうだ」
「当主になったら上は誰もいません。年上のご両親も従わせる立場になるんです。そうなったときは、国夫さんが全てを決していくことになります」
言葉真国夫はそれに気づいていなかった。
「国夫さんは自ら考えて動く必要のある人だと思います」
「……そう、だな」
両親もとい母の目上になることを言葉真国夫は想像もしていなかった。当主の立場がまさにそう、サロンの主宰もそうなのだということを、此方充の言葉に気づかされた。
「経験がないうちは実感が湧きません。命令する側の練習をするというのはどうです」
「練習」
「はい。年下なら命令を聞く者は多いでしょう。特に子どもは、遊びの中でいうことをよく聞いてくれますよ」
「子ども、か」
大人の指図を聞く子どもはほとんどいない、とは、営業先の子どもの面倒をみたときに実感したことだ。
「大丈夫。ぼくに任せてください。練習に付き合ってくれる子を紹介しますよ」
此方充が人好きのする笑みでそう言った。
無関係のように観えてじつは同類。そんな者を表す言葉に「同じ穴の狢」がある。紹介されて出会った子との接触で、言葉真国夫は此方充のそれとなった。
此方充はいわゆる小児性愛者だ。政治に携わる家系に生まれ厳しく育てられ大人びた性格を確立し、自然と気を惹いた異性を侍る幼少時代を過ごしていた。政治家への道を強いられた中等部・高等部時代から異性関係が絶たれた。頂等部では自身より別の形で目立つ同性が大勢いて、幼少時代に当り前と刷り込まれた異性関係が満たされなくなった。その当時、気を遣うこともなく気を惹けた年下の異性への傾倒が顕著となった。政治家になれなかったときのための生活基盤と称して教員免許を取得したがそこには公然と小児に接触できるという歪んだ欲求が潜んでいた。
そんな欲求が思わぬ形で言葉真国夫に伝播した。歪んだ性愛と支配による虚ろな地位は言葉真国夫の自信を強固とした。此方充と育ちが似ていて、かつ、此方充と違って幼い頃から特別異性の気を惹けたのでもなかった言葉真国夫に取って小児は自分の持つ金銭という力で完全に支配できる道具であり駒であることを確信できてしまったのである。
資本主義が通る社会で此方充が伝えた理屈が通ることを覚え、言葉真国夫は金でひとを支配することを覚えた。
「支配こそ正義だな。人を買って何が悪い。金が潤滑剤であるのは現代も同じだ」
それを口にするのは、此方充と二人きりのときのみだ。その考え方が現代の保守的思想に反していることを此方充から教わっていたからである。
「従わせることに慣れたようですね」
「子どもは親に従順だ。よって、親を飼い慣らすのが一番だと学ばせてもらったよ」
「貧民は特にその傾向が強い。金銭も非常に効果的に働きます」
何人もの小児・少女を買い漁って金の使いどころを学んだ言葉真国夫は、強い支配にはサイクル構築が不可欠と学んだ。すなわち、階級上昇のための学歴を望む親世代に金を与え、親孝行や独立を望む子世代に職業紹介をしたり金を渡したりする。親子双方の生活基盤・精神的支柱を掌握することで言葉真国夫への依存度を絶対とし、離れることで全てを失うように仕向けてやればより強固に支配できる。親は子の・子は親の生活水準低下を望まず、潤った生活を自ら手放す者はおらず、依存度は精神的にも実態としても強まり言葉真国夫から離れられなくなる。無論、金銭のみで支配できる者の選定は慎重に行った。現在進行形で貧窮している家系は将来への不安が強く支配しやすいが、それに加えて心身の障害を持つ家族を抱えた家系は特に支配しやすかった。食費すら賄えず医療費は皆無、まともな職業に就くこともままならず藁にも縋る思いで齷齪日銭を稼いでいる者の前に手頃な金を積めば支配のサイクルに組み込めた。それに気づかれても咎められるどころか崇められることが普通となった。支配者の立場はこの上なく心地がいい。だからといって欲求に酔っていたのでもない。それぞれの欲求のため言葉真国夫も此方充も一つの前提を守っていた。
その前提は、魔団にも踏襲されていた。
そう。誰も殺さない。それだ。時と場合によれば高潔にも聞こえるだろう前提を言葉真国夫と此方充は守り続けていた。
支配者は下の者を導くためにいる。そも、言葉真国夫は命を繫ぐために支配を手段としたのであって、殺しては非効率的だ。誰一人殺さない。命を増やし、なおかつ全ての人間を支配することを目指して、金という力の向上を図った。その果てが、武力の追求だった。
障壁となったのは、ぬるい国だ。専守防衛体制が固まっていて武器の先行使用が禁止されていた。それでは力の向上が捗らない。それに、現実問題との折合もつかない。金の力を高めることを最大目的とした武力追求でなくてもダゼダダ警備国家の防衛主体の体制は不意の攻撃にまごつき最も効果的なタイミングで反撃に出ることができずテラノア軍事国のような攻撃的な侵略国にはやられっ放しになってしまう危険性があった。このまままでは後手の作戦を選ばざるを得ず三大国戦争末期のような危機をも招いてしまう。
毎週のようにミサイル発射を繰り返すテラノア軍事国は防衛機構開発所を運営する言葉真家としても見過ごせない脅威であり、飽和攻撃に対応する複雑で多層的な防衛機構の構築とその精度向上のためには攻撃兵器を知る必要があるとして、テラノア軍事国へ密偵に出ることを言葉真国夫は考えた。
国の中枢たる警備府に内内にお伺いを立てると事実上公認されて密偵が叶った。当主言葉真鷹音の了解も無論取りつけていた。此方充と出逢った二九九三年一月から間もない四月に妻となった言葉真恒子に家の仕事を任せて言葉真国夫がテラノア大陸に足を運んだのは三〇〇七年一一月三〇日の水曜日だ。国王ゾーティカ゠イルと取引を行い、テラノア製攻撃兵器の技術を得る替りに防衛機構の技術を流すこともした。それは、テラノアの脅威を高めることで世界規模の不安を醸成し、ダゼダダ国内の軍備拡張の流れを促すことで保守政権を転覆させ武力先行使用を可能とする体制を作り出し、武力行使を正当なものとし、防衛機構とともに攻撃兵器開発の是認を受け、後に言葉真国夫が率いることになる言葉真防衛機構開発所の利益を最大化し、世界情勢と合致した兵器・金による支配を最上とする世界を作るための最初の一手だった。
世界情勢は予定通り不安定になってゆいた。あるいは、後に起こることとなる悪神討伐戦争の影が広がり始めていたのかも知れない。言葉真国夫が望む攻撃兵器開発が是認される空気が少しずつ、確実に、膨らんでいた。
一方で、行動開始から数年を経た言葉真国夫は不安を抱えてもいた。言葉真新家すなわち言葉真国夫の弟言葉真毎の子として三〇〇五年八月六日に生まれていた言葉真音が、三〇一一年頃からダゼダダ国民に才覚を認められつつあったことだった。
……中級魔術師のわたしを差し置いて、毎の息子が認められている、だと。
下級魔術師の資格も得られなかった出来損ないが作った子が神童・天才・奇跡の少年などと持て囃されていることに言葉真国夫は苛立ったが感情を抜きにすれば看過できることだった。借金の絶えない弟の家は支配しやすくそこに生活基盤を置いた子どもなどいくらでも潰す手立てが思いついていた。
ところが母言葉真鷹音の死を契機に苛立ちと二つの疑問点を看過できなくなった。幼くして魔術師資格を獲得していた甥たる言葉真音がどこで魔法技術を習得しているか、そも強大な魔力をどこで得たのか、その二点を、言葉真国夫はかねてより疑問視していた。生まれながらの才能か。それとも、自己流で魔法を使うことを極めた結果か。どちらもないこととはいえなかった。けれども、どうにも腑に落ちなかった。それが、言葉真鷹音の死とともに氷解した。先祖から引き継いでいたはずの膨大な魔力が、言葉真鷹音の遺体に残っていなかったのである。
……わたしが受け継がなくてはならない魔力が……。
本家次期当主言葉真国夫を差し置いて一新家の子である言葉真音が魔力を継承し、魔法技術も教わっていた。そう考えれば上級最上位〈虚空魔術師〉の資格を幼くして得ていたことに納得がゆくのである。それを事実と踏んだ言葉真国夫は、現実に目を向けた。
……要するに、お袋、あなたはわたしを裏切った。そして音は盗人ということだ。
言葉真鷹音は言葉真国夫に次期当主の座を渡すと告げながら、新家の子などに魔力を与えていた。言葉真音は新家の子でありながらそれを当り前のように受け取った盗人。そうして魔術師階級による手当を得た言葉真音の家は奇しくも言葉真国夫の支配力に屈せぬ体力を得たといえた。それら現実が、より強い将来的不安を言葉真国夫にいだかせもした。それというのが、言葉真国夫以外の人間もとい言葉真音が言葉真本家当主となる可能性だ。言葉真本家当主を継承するということは、魔力や魔法技術を含む資産・名声・地位を受け継ぐことを意味する。母の死後、言葉真防衛機構開発所所長の地位と本家本邸を得た言葉真国夫であるが、魔力と魔法技術は受け継いでいない。当主たる者の要素たる魔力と魔法技術を言葉真鷹音から受け継いだ言葉真音が正当な当主たり得る、と、いう道理が成り立つ。当主たる者の要素を分散すれば混乱は必至。本来そんなことをやる意味はない。言葉真鷹音はあえてそれをやった。とどのつまり言葉真鷹音は、最終的に長男言葉真国夫ではなく新家末裔の言葉真音に期待した。
……煩わしいことだな、お袋。わたしは何も間違わずあなたに従ってきたというのに。
母が裏切っていた。その裏切りによって言葉真新家は知らず知らず支配を退けるにとどまらず本家当主の座まで奪おうとしている。
……煩わしい。煩わしいぞ、毎。煩わしいぞ、音……!
洞察の間違いを咎めない。観察の欠陥や推察の不出来は視野の狭まった人間にはよくあることだ。
が、間違いを真相と捉えた行いが人間の法や倫理に反するものなら、個人の意志や許容に関係なく世界が咎めることもあるだろう。
出来損ないと出来損ないの息子。揃って心底煩わしく感じた言葉真国夫は、彼らから全てを取り戻すだけでなく、全てを奪うことを考えるようになった。魔法で働きかけるには魔力で優る必要がある。特に、魔力の属性、保有する魔力の総量が優位性を確実化する。さまざまな属性魔法を使い、総量としても言葉真歴代最強といえる魔力を持つ言葉真音に事実として劣る言葉真国夫では、魔法による働きかけが概ね困難と考えていい。従って別の形で奪ってゆく。まずは、家庭。何もできない言葉真毎が死に物狂いで手に入れただろう妻言葉真銓音を切り離せば自然と一家が離散する。そこで重要な鍵となるのが新家の金銭的支柱となっていた言葉真音の存在だ。言葉真音の弱みを握り、言葉真家から追放すれば、子煩悩の言葉真銓音は言葉真音について出てゆく。そう考えていた矢先、渡りに船の出来事が起きた。一〇歳になった言葉真音はそれまで同様毎日のようにどこかへ出掛けて姿が見えない日が多く接触が難しかったが学園での騒動からひとが変わって期せずして言葉真家から追い出す口実ができた。言葉真鷹音から横流しされた魔力を返還させる口実までは得られなかったが言葉真毎を孤立させることに成功し、言葉真の家系が言葉真国夫以外の人間を当主として求めることは防ぐことができた。
しかし、言葉真音の追放以前、言葉真鷹音からの当主継承以降、サロン言葉真砂を中心とした地域との関係は悪化の一途を辿っていたことも不安材料だった。地域の名だたる顔ぶれが次次離れてゆいたことが原因であろう、直接足を運んでいた此方充も離れがちになり、互いが知る秘事の箝口を約束する書類を作って保管する必要に迫られた。魅神漲は堤端公代を名代に立てる形となって、顔を合わせることはほとんどなくなっていた。過激派思想の議員火箸凌一は同じ方向を向きながら顔を合わせることもないまま──、言葉真新家の離散からおよそ四年、言葉真国夫は思わぬ誹りを受けてテラノアに渡ることとなった。国も承知していたはずのテラノアへの密偵、攻撃兵器技術の密輸とそれに伴う防衛機構開発技術の流出を理由に捕まっていた言葉真国夫を、ときの総理大臣火箸凌一が超法規的措置と称して解放しテラノア軍事国へ引き渡したのである。
……同じ方向を向いている。だというのに、わたしを尻尾に仕立てたのか、火箸凌一。
防衛機構・攻撃兵器の開発技術情報は常に国に報告を上げていた。火箸凌一はそれを知っていた。その上でテラノアへの密偵を看過していた。だというのに、言葉真国夫のみに罪があるかのように超法規的措置と称した国外追放を執行、国賊の烙印を捺したのだ。
……多少の方向性の違いはあれども、互いに国のためにやってきたというのに。
国には支配が必要だ。金による、武力による支配だ。絶対の統制を図るには、恐怖も必要だろう。グローバル化などという体のいい協調や融和を謳って武器を手放したところで腑抜けた国内を侵略される。自滅的作戦を選ばざるを得なくなっては三大国戦争の二の舞、言葉真鷹音の暴虐の再来も懸念される。あまつさえ工作員が大量に入り込んでいる現代だ。国内防護力が低下すれば侵略してくれと言っているようなものだ。
……一方的敗北を防いでやろうとしていたわたしを排斥するなど。愚の骨頂だ……!
そう強がってみせても、言葉真国夫の心の波は治まらなかった。
国賊。売国奴。非国民。
テラノア軍事国国王ゾーティカ゠イルに迎え入れられながら、遠く離れたダゼダダの土地から大きな誹りが聞こえてくるようで、肺から空気が全てなくなってもなお息を吐き続けなければならないほどに、呼吸困難に陥った。
……わたしは何も間違っていない……わたしが正しい。わたしの支配が、正しい……!
壁に手をつき、苦悶していた言葉真国夫に手を差し伸べたのは、テラノア軍事国の国王ゾーティカ゠イルにほかならなかった。
「滅びを望むなら、その手で滅ぼせばよい。貴様には、支配が必要なのだろう」
「──」
テラノア軍事国には敵国ながらあっぱれの体制があった。国民同士の監視による緊張感の維持とそれを命ずる国の圧倒的武力と支配。逆らう者が存在しない絶対の支配。言葉真国夫が求める体制を完成させた国がテラノア軍事国だった。
「この時代はぬるい。武力もなく、争う力もなく、攻め入られることを看過し自滅の道のみを辿る。答えるがよい」
ゾーティカ゠イルが問う。「貴様は、ダゼダダの滅びを望むか」
言葉真国夫は迷わなかった。国賊。売国奴。非国民。誰より国の未来を考えて生きてきた自分にそぐわない誹り。
「誹りが似合うのはわたし以外のダゼダダ国民だ。わたしさえいれば栄光のダゼダダは成り立つ。わたし以外の全員を、あの世へ送ってくれるッ!」
「ならば我が国の力を貸してやろう」
こうして、年齢に不釣合の俊敏さのゾーティカ゠イルに連れられて、言葉真国夫はテラノア軍事国の地下深くでその兵器と出逢った。そう、出逢ったのだ。これまで出逢った誰よりも威圧的で、誰よりも狂気的で、誰よりも恐怖をいだかせる存在感を放っていた。テラノア軍事国で灰塵兵器と呼ばれるそれを、言葉真国夫は起動した。真の国民だった言葉真国夫に罵声を浴びせる痴れ者の巣窟ダゼダダ大陸を巨大な熱源体で押し潰さんとした。誰も邪魔する者はいない。できる者がいない。かつての言葉真音のような偽善者もいない。優れた魔力を持つ者も生け贄を吞み干した兵器が放つ比類なき破壊現象を食い止める術がない。
ところが、灰塵兵器起動からしばらくしてもダゼダダの滅びは確認されなかった。何が起きたかゾーティカ゠イルに問うと、言葉真家から追放したときには廃人も当然だった人間、動くはずのない竹神音が動いていたのだ。
……煩わしい。煩わしい。煩わしい。煩わしいぞ、音……!
煮え立つ怒りが血管をいくつも破裂させたようだった。目の前が真赤に染まって、拳と足が軋むほど何かを殴って蹴った。
テラノア軍事国の軍部で働くようになった言葉真国夫は、言葉真音への復讐を人生の目標とするようになっていた。言葉真家から魔力を奪い灰塵兵器も下す化物。幼少の砌に名声をほしいままにしたにも拘らず、熱源体を退けたのが自分であるように主張し国内の支持を高めつつある化物。全てを台無しにした化物。
言葉真国夫は、その化物を殴ったことがあった。場所は、言葉真本家本邸地下室だった。床に倒した体に跨って一方的にだった。
「硬く握った手で、何を守りたいのですか」
「無論、この国、この国の民だ。──」
それは、妄言に染まった本人による本人のための語りだった。言葉真国夫、叔父たる男のそれを聞くあいだ、オトは決して彼から目を離さなかった。
仮称・魔団。寄せ集めとしたその集団は今も昔もこれからも、たった一人、言葉真国夫のみを指す言葉だ。
ここからが本番だ。オトはこの男と向き合わなくてはならない。
──僕が目指すは最上の魔術師。──。
避けて通れば、かつての夢の本懐から遠退く一方であることを認めることになる。オトは、そんな自分は許せない。
──一六章 終──




