一七章 魔団
殴られたときと同じ、言葉真本家本邸の地下室だ。
オトは、あの当時、打ち拉がれていた。その心地を今の言葉真国夫は心底理解しているだろう。だからこそオトに絶望の未来を与えることに吝かでない。オトがそうしたようにわたしもそうするのだ、と。その考えを酌んで、オトはあえて看過していたことがいくつかある。
「わたしがお前を地獄に落とす」
「やれるならどうぞ」
言葉真国夫が両手に魔力を集め、告げる。
「わたしは地属性を操る中級魔術師。その意味、お前なら理解できるだろう」
惑星アースにおける基礎三属性の炎・氷・雷、応用五属性の岩・水・風・木・金、光闇四大の光・闇・聖・死、空間属性の刻・時・陽・月、それから、
「神・無・生と並んで〈礎の素〉と称せられた属性が、地属性。礎の素を有するもんは魔術師の階級によらず能力が高いともいわれとるな」
「現代魔法学の基本といえる魔力集束式詠唱魔法、略して詠唱魔法は上位属性を有する者ほど力を発揮しきれていないというのが現実だ。なぜなら強すぎるがゆえに消耗が激しく属性保有者が少ない上に使える者まで少なく限られた人間しか才能を活かせない。その中でもわたしは才能を活かしていた側であり、今や誰より強い。かつてのわたしとならば並ぶ者もいたんだろうがな、」
両手の魔力を合わせた言葉真国夫が詠唱する。「『俯仰天地に愧じず』、──集束」
その魔法は非自然性地震を起こす。住み慣れた一帯を驚異的に揺らし、地下室に岩盤を突き出してオトの視界を塞いだ。脱力感に襲われるのは、体にも迫った岩盤による圧力やがらりと変わった場の雰囲気によるものではなく、全身が弛緩してしまう魔法効果だ。この魔法を受けると、普段はどうということもない攻撃に体が耐えられなくなってしまう。
「さあ、お前の番だ」
言葉真国夫が囁いた。「昔のお前のように魔法を愉しもうじゃないか」
「逆怨みみたいに魔法を使うんやないよ。……」
同じ土俵に上がっては同類であるが、同じ土俵に立ってこそ突きつけられることもある。オトは唱える。
「『正直の頭に神宿る』、──集束」
魔力集束とともに放たれた魔法は金色の余光を散らせて、全身の弛緩とともに言葉真国夫の放った魔法効果を非自然性地震もろとも打ち消し、地下室の様子をもとに戻した。
言葉真国夫が驚くことなく一方では憮然と対している。
「神童──、調べた限りこれまでに使用した履歴はないが、お前は神属性の詠唱魔法を使えたんだな」
「神属性の魔力を持っとって必要な精神力を蓄えとけば誰でも使えるやろ」
「学園で教わるからな。詠唱魔法、起源となっている〈汎用属性魔法集〉には確かに記されている。して、学園では教えられることのない刻・時・無・生の属性を除けば条件は同じだな。だが、わたしは地属性の使い手だ、お前の内に宿る創造神アースもそうだろう」
言葉真国夫の口から創造神アースの名が出たことは自然なこと。オトがララナと話していたことに無頓着であるはずがないのである。
「ダゼダダの古い魔法にある依代といえるだろう。お前がいわゆる化神などという神話の存在として覚醒したのは学園支配の頃だったんだろう。人が変わったのはそのせいだ」
「それは正しい観察やね」
沈黙に何を思ったか、言葉真国夫が次なる魔法を唱える。
「……魔を鎮め清めし地の心御柱を『神霊天降常磐木』として、──集束」
「『断じて行えば鬼神も之を避く』、──集束」
言葉真国夫とほぼ同時にオトも唱えた。言葉真国夫の魔法で地下室の四隅の地面からサカキが生長した。サカキに標縄が渡され聖域を作り出すと、対立した言葉真国夫とオトの前に神籬が現れ、立てられたサカキの葉と枝が眩しい光を放った。が、オトの魔法がそれらを打ち消し、神籬も標縄もサカキも褐色の余光を放って言葉真国夫に還元された。
「お前の眼が褐色だとは子どもの頃には知っていた。奇しくもわたしが使う地属性魔力の保有者と同じ形質だ。同じ土俵に立つなら、お前も地属性で対抗しろ。実力がはっきりする」
「周辺地域に被害を出したくないんよ」
詠唱魔法にはレベルが振り分けられている。神属性と地属性の詠唱魔法は同レベルの魔法を打ち消し合うため、オトはそれのみで言葉真国夫と対している。
「負け惜しみか。わたしに負けるのが恐いか」
「理由を二度いわせるな」
「お前はもっと力を見せつけるべきだ。お前は、全力を尽くしたいと思ったことはないのか。お前に、心は、あるのか」
挑発とは理解しているが、オトは、その問に応えずにはいられなかった。
「その答は、ここにおることで察してよ」
言葉真国夫が、笑う。
「わたしを怨んでいるんだろう。憎んでいるんだろう。ならば、同じ土俵で、同じ魔法で対してみろ。わたしを、負かしてみせろ」
言葉真国夫が使った詠唱魔法は、順に、地属性詠唱魔法のレベル1とレベル2だった。対するオトは神属性詠唱魔法の同格を充てて相殺した。次に来るのはレベル3。地属性詠唱魔法のそれは超広範囲に攻撃性を発揮する。詠唱魔法の中でも特に危険なものだ。
「お前はこの詠唱文をどう思う。『地を易うれば皆然り』、──集束」」
「聞き手の心次第やよ。阻むものなき『神機妙道』、──集束」
一帯に広がった言葉真国夫の魔法によって今度は立っていられないほどの地震が起きて再び岩盤が突出するが、それも一秒に満たずオトの魔法が打ち消し、この場で見て取れる影響は燭台が倒れたくらいのものである。
「まだ被害を気にするか、化物めが」
「轍を踏むつもりはないんよ」
「案ずるな。轍とは失敗という意味だろう。詠唱魔法など紛い物に過ぎない。所詮、誰もが使える低俗な魔法だ」
「先にも触れた通り言葉は聞き手次第。そんで、話し手との関係にもよる」
「侮るな。軽んじるな。わたしはもはやお前の知る言葉真国夫ではない」
思い上がった主張のようでそうではない。オトが引き摺り回した男と同一人物でも能力は格段に高まっている。体内に潜めた魔力も、手にした魔法技術も、オトに匹敵するか否か。さらには、創造の力に似た圧倒的な力を手にしている。オトにいわせればその力は仮称〈魔団〉の由来であり──、言葉真国夫曰く、
「わたしの願いが現実となる」
と、いうものだ。「わたしこそが、この世の支配者となる。いつでも、そう、いつでも、なれる。が、」
恍惚とするように宣言した言葉真国夫が右手を握った。「お前を始末してからだ。お前はしかし傷つかない。化物だからな、皮が厚いんだろうな、化物だからな」
「言葉がしつこい。直接やればいいのに、この期に及んで広範囲に影響のある地属性詠唱魔法を使ったり、お前さんは相変らずねちっこいね」
「段階を踏んでいると言ってもらいたいな」
言葉真国夫が右手をぱっと振るとその右眼の奥に像が浮かんだ。
「遠見の魔法やね。いま見とるのは──」
「[翼竜と娘の前に転移の穴を展開]」
言葉真国夫の言葉の直後、炎を纏って大空での逃亡を続けていたプウと音羅が地下室に現れた。
「なっ──!」
壁を認めたプウが瞬発的に羽ばたくと、鋭い熱風が天井もろとも本邸を焼き飛ばした。
言葉真国夫が遠見で見ていたのはプウと音羅にほかならない。以前の言葉真国夫では精神力が不足していたためレベル3の地属性詠唱魔法など使えなかった。それとは別に、地属性魔力しか有さなかったため遠見も使うことができなかった。今それらを使えるのは、無尽蔵なエーテル補給の可能とし、必要な既存魔法を瞬時に使えるように、体を弄っている。弄った体が特異能力そのものと表してもいいが本質は異なる。
それはともかく、プウと音羅が壁に激突せずに済んで幸いである。オトは二次火災を防ぐために吹き飛んでいた瓦礫を密かに言葉真本家の敷地内にゆっくりと置いた。
「すごいね、まっとうな成長を感ぜられて嬉しいわ」
「パパ……拍手している場合か!」
プウが言葉真国夫を睨み、「全速力で飛んでいたのに……どうなっている!」
「転移させられたんよ」
「絶えず飛び回っていたのにどうやってだ!」
明示するなら、言葉真国夫が使ったのは既存の詠唱魔法でもなければ創作魔法でもない。
「煩い翼竜だな、お前のペットか、音」
「可愛い家族やよ。調べ上げたならそのくらい理解しとけ」
「理解できない。家族に可愛げを感じたことがない」
「こちらこそ無理解失礼。長長とした経緯説明で共感性に欠ける人種と吞み込むべきやった」
オトはプウと音羅を結界で守ると特異転移で結界ごと竹神邸前に移動させ、言葉真国夫の力が届かないようにした。
「そう警戒するな。もういいんだ、わたしはもうわたしのことなど考えていない。支配者だ。皆のことを考えるのが役割だ。私を捨て皆の生命・財産・未来を繫ごう」
「言葉は立派やな。俺は言葉も立派じゃないが、お前さんほど内面を噓で飾っとるつもりもない分マシと思えたよ」
「[娘の足下に穴を空ける]」
「わっ!」
天井に空いた穴から音羅が降ってきて、尻餅をついた。
「わざわざ唱えないかんとは大変やね」
「白白しいことを言う。詠唱魔法と同じようなものでさほど苦もない。しかし驚いただろう」
「厄介とは思う」
「お前の力で守られたはずの娘がなぜここにやってくるのか。簡単だ、細工があるんだ。肩を斬ったときに仕込んだんだよ邪魔な魔法を内側から破るように反射発動する魔法効果をお前に倣ってお前にできることはわたしにも──」
「できる、と。反射発動型なんて俺じゃなくても使える。大層なことをやったふうで小細工を語るな。いい加減、妄言は聞き飽きとるんよ」
オトは音羅をもう一度特異転移で離脱させた──。「本性で本音だけ語ってくれんかね」
「いいだろうお前が幼少期に誤った理由を含めてつらつらと語ってやろうではないか愉しいだろう他人に自分を語られるのはな」
「句読点くらいつけろ」
「慣れた者なら苦もないだろう」
「そういうお前さんやから踏み外したんやろうな」
言葉真国夫とはまともな会話にならないと踏んで軽く補足説明を行うためには、拘置所で亡くなったはずの言葉真国夫がここにいる経緯と理由を説明する必要に迫られる。まずは理由であるが、言葉真国夫が語る通り世界の支配とオトへの復讐ということになる。それを踏まえて、死んだはずの人間が生きていることが重大な問題点だ。拘置所での死亡はダゼダダ警備国家内で公然と報ぜられていたことであり遺体が荼毘に付されているので死亡は事実だが、とある人間が亡くなっていることが言葉真国夫生存の手段を推察する鍵になる。その人間の死によって言葉真国夫は自身の特異能力に確信を持ち拘置所での死を免れたのである。その特異能力は詠唱魔法を紛い物と称せさせた原因であり言葉真国夫曰く願いを現実とするもの──。
「言葉真音が堕ちた後になぜ化物と恐れられたか知っているかそもそも父親に化物と呼ばれた理由を知っているか無論わたしが吹き込んだのではない誰も恐れられた理由を知らない称せられた理由も知らないだからこそ恐れられた。言葉は独り歩きしたときにこそ最大の威力を発揮する。竹神音という名が生ける証拠──、大魔法と称せられるダゼダダにも大打撃を与えたわたしの母言葉真鷹音の発した力を有した孫ゆえに化物と称せられたその力の根源を皆が忘れているがゆえに憶測され忌避されときに神の如く崇められ等しく神の如く畏れられた!」
「……」
「さらにだ、……その力を誰に教わった。揮い方をどう覚えた。剣技は、体術は、魔法は、どうやって身につけた。誰も知らない当然だ誰も教えていない言葉真本家当主のわたしは勿論竹神本家も教えた様子はなくましてや弟の毎が教えられる水準のものでもないどれもこれも化物は覚えた一見しただけであるいは聞いただけでそして想像しただけで全てを覚え身につけ誰もが到達しない水準にまで高めたのだまさしく化物だったのだ弟でなくてもそう呼んだのだだからその蔑称を誰もが用いわたしも用いる」
本性を曝してくれるのはありがたいが、オトは少しだけ口を挟む。
「人間水準で話してくれると耳が助かる。それに、碌に息継ぎもせんで話すのつらいやろ」
「注文の多いヤツだ。いいだろう、長かった付合いがもうじき終わる。大波や熱源体を退けた褒美として聞き入れよう」
「それらは俺がしたんじゃないが」
「謙遜するな。お前がいなければ起こらなかったことだ」
言葉真国夫が改めて話す。「幼いお前が強大な魔力と優れた魔法技術をどうやって得たか。判然だ。言葉真鷹音から継承したのだ。と、わたしも当初こそ思っていた。が、違った。お前が得たのは今のわたしと同じ力、かつての言葉真鷹音が手放した力、そう、〈言霊〉だ」
それこそが、言葉真国夫が使っている特異能力。あらゆる魔法を無尽蔵に使えるように体を弄ったのも、ヨコシマによる魔法や魔力効果も、全てがそれによって起きていた。
言霊。古くからまじないとして唱えられてきた言葉や言葉の羅列を指し、実際に魔法効果を生ずることはないとされるものだ。怪我をしたときの「痛いの痛いの飛んでいけ」、肝試し中の「恐くない恐くない」などが言霊の一種であるといえば解りやすい。言葉そのもので怪我が治るのでもなければ恐怖心が消えるのでもないが、ルーティン化した自己暗示はフラストレーションや緊張の緩和を促し、血行促進や体温上昇・免疫機能正常化及び上昇が発生し、傷の回復や恐怖心からの解放が齎されるのである。
言葉真国夫が使う特異能力はそういったものとは全く異なるもの。これまでオトが観察・推測・推察し魔団が用いたと結論した傀儡化、感染性傀儡化、穴型空間転移、隠し、特異転移もどき、人為波浪、そして二つ同時の熱源体、それらは全て言葉真国夫の言霊によるもの。言葉真国夫は言葉にしたことを現実化し、あらゆる魔法効果・魔力効果を発生させたのである。してその特異能力〈言霊〉は、大神家が代代受け継ぐ〈遠見〉と同じように、言葉真家が代代受け継いできた特異能力だった。が、言葉真国夫の代に移るとき特異能力の継承は行われなかった。言葉真国夫は勿論のことオトの父言葉真毎にもその力が宿っていなかった。それどころかその力の存在を皆が忘れていた。
「饒舌に語られてツッコみづらかったんやけど、叔父さんがその力でお父さんを殺したことについては言及しようか」
「やはり察しているんだな化物」
「以前の、非力を自覚しとった叔父さんには、練習や実験が必要やろ。あと、気づきも必要になる」
「気づきは些細なことだった。拘置所の食事はどうも口に合わなくてな、もっと舌に合うものを、と、つい口にした」
「うまくなったんやね」
「妄想家でも夢想家でもない。自己暗示を疑った。が、気になってな、結果を導き出した行為を確かめるための実験は必要と考え、何度も試した」
「全て叶ったわけだ」
「しかもだ誰もこの力に気づいていない様子だった。斯くいうわたしもだ。魔力を感じない魔法めいた力……お前の名を取って音式などと呼ばれた補助効果のみの新たな魔法効果ということも含めて興奮しながら、より細かな、難しいものの確認に移った」
「遠見の魔法を眼に仕込んでいつでも使えるようにして、外の状況を覗き見た」
「その通り」
「で、見えたものの真偽を確かめるため、拘置所にお父さんを呼んだんやよね」
オトはその情報をカナメダマからも仕入れた。
「さすが化物だ正解だ毎から聞いた情報はわたしがこの力で知った情報そのままだったよ、ヤツの口述がいささか拙く確かめづらかったのは難点だったが能力に気づかれてはあとあとが厄介だからな脳足りんを呼びつけたんだ」
「人選は正しいね。けど、そう貶してくれんな、」
オトの父は言葉真国夫の真意に気づかないままだった。「あんなお父さんでも叔父さんより人間やったから俺は好きなんよ」
「あんな父親を、好き、くくくははははっ」
怺えず吹き出した言葉真国夫にオトは確認する。
「叔父さんが不死になるための反証実験にもお父さんを使った。つまり、殺しの能力の実験台にしたんやよね」
「何度かやって理解したことがある。わたしの力が及ぶのは視界の範囲内だということにな」
「それで外の状況を覗くのに使っとった遠見を併用するようになったわけやね」
プウと音羅を転移させる際に遠見を使ったのはそのためだ。「お父さんの死ぬ姿も、その眼で見とったわけやな」
「無様も無様ヤツらしい哀れな死にざまだったよ」
「……」
「出来損ないの些細な死だ気にすることもないのに愛しげに気に掛け哀れだな元神童竹神音ぉ」
「幼少のお前さんなら、」
「んん、なんだ」
「嘆いたんやないかね」
「昔も今も意見は変わらないに決まっているだろう」
「そうか……」
話を進めるため、オトは一つ諦めた。「改めて、共感を求めて悪かった」
慣れきった不慣れの4ドア。広すぎる車内。ハンドルを強く握って項垂れていた父。
──お母さん……。
その心を、当時、父が停車した堤防脇の橋の下にいたオトは直接聞いていた。静かな、零れたような声は、嘆きであるとともに悲鳴のようにも聞こえた。
「反証を得て不死を手に入れ荼毘に付されて骨になり今や再構築された若かりし頃の体。俺を散散化物と扱き下ろしてくれるけど、叔父さん、あなたも立派にバケモンやよ」
「お前こそ共感に欠けた化物だったくせにか。そう、化神に覚醒したからだけではなかった。過ちを犯した理由はまさしく他者の痛みを心底知らなかったからだろう」
話が飛ぶようだが、学園支配、そう口にしたのは総が最初だった。実態がどうであれ、彼はそういったラベリングが上手だった。外面的に正しそうに聞こえる表現をするので浸透や拡散も早かった。通称学園支配をオトが起こした理由は、その昔にララナが推察した通りであり、言葉真国夫に言わせれば、こうだ。
「学園支配を愉しめたお前ならわたしの理想を理解できる。なぜならお前はわたしと同じ結論を得たんだ」
「支配による統制。逆らう者が一人もおらん武力の世界」
「そうだその通りだそしてわたしたち力を持つ者のみが支配者として君臨し全てをほしいままにすることができる愉しい愉しい永久の世界だ終りのない繫がりの世界だ」
「もうなんでもいい感じやな、それ……」
開いた口が塞がらない。と、いうほどオトは驚いていない。言葉真国夫はそういう人種だった。その本性は、オトの両親が離婚する前から覗いていて力を得たから曝け出された。言葉真国夫の内面にはほとんど変化がないのである。
「お前は化物であることに誇りを持っていいんだぞ音わたしもこの力を得てお前にバケモンと呼ばれて傷つかなかったなぜならそれこそが異次元の力を持つアピールになるラベルが主張し他者・他物が効率的に恐れ戦いてくれ支配者の風格を高めすらしてくれるバケモンラベルは素晴らしい」
言葉真国夫が喋っているあいだに、
(聞こえますか)
と、クムの声が届いたので、オトは返事をした。
(魔団は言葉真国夫で間違いない。能力については掲示板に纏めてあるけど俺から伝えるのはまたあとで。音羅達を保護できたかな)
(はい。こちらはララナ様達が守ります。言葉真国夫──、どうかお気をつけて)
(OK、連絡と心配、確かに受け取った。ありがとね)
クムとのやり取りが終わったタイミングで言葉真国夫の話が一区切りついたので、オトは口を開く。
「どこまで自覚があるか知らんが妄言はもういい。とっとと本性で話せ、──そろそろ本気で応じたる」
「いいだろう。お前は化物であることを熟知している。その上で、幼い頃から飛級推薦も断り低レベルな同級生と肩を並べ続けた。世間一般の常識に、お前が合わせてやっていたんだな、愚かなことだ、お前の次元に同級生が恐れ戦いてしまうのは目に見えていた」
総は心の底からオトに恐怖し、糾弾に乗り出しもした。が、
「見下げんな」
「……」
「そのとき、そのとき、面して対して苦しんでくれたひと達と存れたことが幸せだ」
「ともに存る必要はない、次元が違うんだからな。世間一般の力と常識にわたし達の力と常識を寄せる必要はなかったんだ。孤高こそ最上、──お前が求めた夢は、わたしと同じだ」
「なんでも優っとる気になって見下して支配する一方的な関係なんぞ求めとらん。ともに歩めず距離は置いても、心を向け合い受け入れ合える関係がいい」
「言葉真家と世間の常識とが合致している必要はない。世間の常識から乖離していた音、お前を、結論を違えた毎は嫌悪したが正解は神童・天才・奇跡の少年とまで称せられ名声をほしいままにしたお前のほうだ、常識に縛られず才能のままに奇跡を起こしひとびとを救い導き崇められ指導者たる者の覇道を突き進み世界を制する神となるそれこそが言葉真家の人間のみに担えた宿命だったのだ、そう……摂理すら変革する力を持ち全てを制することのできた言葉真家こそが世界の王だ、と、いうのに、だ、」
妄言を並べていた言葉真国夫が、真相を秘めた歴史の側面を唐突に口にする。
「母言葉真鷹音はこの力を消失させたばかりか言葉真家が培った膨大な魔力を大神家当主に横流しし家勢衰退を招きわたしの怨嗟を煽ったのだ愚行以外の何物でもなく無知蒙昧だったと言わざるを得ない、違うか音ッ!」
敵視していたオトを途中から仲間のように表現したのは、それが理由だ。言葉真鷹音こそが最大の敵であって、既にない敵ではなく未来のための体制作りに着手するため同じ力を持っていると捉えたオトと対立するのではなく協働することを言葉真国夫は考えたのだ。その上で、力で優っていたほうが上下がはっきりして手を組みやすいと考え、同じ詠唱魔法をぶつけ合うことを求めたのであった。
「叔父さん」
オトは無表情のまま言葉真国夫を視る。「昔の叔父さんの考えなら理解できた。国の未来を憂えてそのために自分なりにできることを精一杯やっとったから」
「母に隷属しきった愚かな考えだった。上の者に従うこと、下の者が従うこと、それが絶対であることは揺るがないが、そこには絶対的力を持った絶対的支配者による統制が必要だ」
「その考え方をし始めたから、俺は今の叔父さんが大嫌いやよ。見つめ直せ」
「……何」
「お祖母さんが言霊を消失させたのは国民はもとより敵軍の多くを死に至らしめたことへの懺悔と、暴力の歴史が二度と言葉真家に刻まれんようにしたかったから。息子である叔父さん達の手まで汚れんようにするためやったんよ」
表情を固めつつも、瞼をぴくりとさせた言葉真国夫に、オトは言霊の歴史を伝える。
「多くのひとを殺す。死者の再生もできる。可能性に天井がなく、壊す・直すという表現が罷り通るほどひとの命に干渉できる。それがかつて言葉真家が行きついてまった言霊だ。魔力の継承が叔父さんじゃなく大神家にされたのと言霊消失の理由は根っこが同じだ。正しく使えるもんしか、力を握ったらいかんということだ」
「詭弁だ!大いなる力は大いなる支配者に向けて天が与え給うたもの自由に扱い存分に揮ってこそ意味あるもの自制・自重・抑制あらゆる制限・圧力に屈するわけにはいかないんだよ!」
「それこそ詭弁やな」
なぜなら、「誰も殺さない──」
「……」
「俺を前にして自前のルールを通せず命を繫ぐことを貫徹できとらん。器じゃないんよ、今の叔父さんではね」
「感情論だ」
「じゃあ訊くが俺と同じ力を持った同じ人種があと二人おったとしたらどうする気なん」
「……無論──」
「即答できん揺らぎ。それが叔父さんの限界だ。立派に夢想家やよ、実現できんことと無自覚に理解しとる。諦めて自分の矮小さを受け入れろ」
「何様だお前が言えたことか人間社会を踏み外すばかりの化物めがッ!」
「それを認めてこちらから言っとる」
「っ」
言葉真国夫が、息を吞んだ。
「自覚したね。そう、もう叔父さんもこちらに、化物側に踏み込んだ。人間は人間同士で生き方を決めていく。叔父さんは人間社会の支配者にはなれん、人間をやめるんやからね」
「……、……」
両拳を握り、全歯を擦り合わせるようにして俯いてゆくのは、人間社会での生活を手放しきれていない証だ。人間として生まれ、人間の中で生きていきたいと思っている、その証だ。
「叔父さんがやったこと、己を不死化し事実上の死罪を免れたこと、さらには、死者再生や生きるひとの意志を折るような傀儡化。誰にも許されんことを、ゆっくりと自省するといいよ」
「…………ふーーーーーーーー……──」
細く長い息を吐き捨てて、言葉真国夫が面を上げた。「いいだろう、人間をやめ神になってやる。神たる者を支配し、人間を調教してやるとしよう」
「冷静な顔してあらんことを言い始めたな」
「お前もどうだ音、神神を統べる元人間として全ての存在を支配してやろうではないか。人間もどきの集団に糾弾された神の先例がある。不可能でないことを世界が認識しているんだ」
「それ、誰のこと」
「一二英雄一行に無様に敗北した悪神総裁、名はなんといったか、ああ憶えもないな雑魚神のことなど──」
「黙れ」
「っ!」
オトは、言葉真国夫の首を締め上げていた。瞬間、その隣にいた相末学が剣を振り下ろしたがそれを言葉真国夫の肩で受けさせ、めり込んだ刃が抜けぬようあえて傷口を塞いでやった。
「なぜそこまで怒る!お前には関わりがない戦争、一二英雄も雑魚神も──」
「それ以上ゆうなら首を捥ぎ取る」
脅しでもなく指に力を込め、眼力で睨み上げた。「己の辛苦から逃げ出しあまつさえ周囲に鬱憤を撒き散らした叔父さんが貶めていい相手なんかどこにもおらんわ」
一二英雄も、悪神総裁も、辛苦にちゃんと立ち向かった。争いが終わっても苦しんできたララナを間近で視てきたから、オトは断言できる。
「打ち拉がれながらも戦い抜いた先人を貶めて支配者になった気でおるなら、赤ん坊からやり直せ。泣くことしかできん赤ん坊の頃、泣くことを自制して生きることを選んだ自分を思い出せ。その痛みでもってひとの苦しみへの共感を取り戻せ。それこそが、真の支配者だ」
「う、るさい……」
「言うまいと思ってあえて看過しとったが、叔父さんが使っとる力は言葉真の言霊なんかじゃない」
「うるさい……!」
「言霊とはひとへ思いやりを込めた言葉だ。おじさんのは違う。私欲と恐怖に苛まれた心で発し、ひとを苦しめる。その言葉は〈魔言〉というんよ」
「煩いッお前が新家のお前が毎如きの息子が上から物を言うなァッッ!」
とうに握り潰されている首を振りほどいてオトを突き飛ばして相末学ごと壁に倒れた言葉真国夫が宙に浮くように体勢を立て直した。
「相手になれ化物めが……その力、わたしの血に還してもらうぞ!」
「これだけ言葉を尽くしても届かんか」
「意見するな偉そうに!先に手を出したのはお前だッ!」
「それこそ言うまいと看過したのに阿呆が……。こちらはとっくに、何人も、心に傷を負わされとるわ」
音羅が連れ去られていた期間に家族全員がどれほど心配し、苦しんできたか。
「俺だって、許せることと許せんことがある。捥がん程度に首を締めたくらいは目を瞑ってもらいたかったわ、音羅の傷に比べたらどうってことないやろう、もう治っとるしな」
「煩い!お前が生まれたから毎のもとに生まれたから悪いんだろうが!下の者は上の者に従えばいいんだよぉおお!」
「──そうか」
ここまでだ。言葉が通じないなりに、会話が成立しないなりに、伝えられることを伝えた。なんとか取っ掛りを得た──。
言葉真国夫は戦闘体勢だ。これを崩さなければ何を言っても無駄になる。
「操られたみんなのこともある。忘れた痛みで理解できることもあるやろう」
霊の焼印の壁を一枚再構築して一振りの木刀を造り、オトは握った。「振り返っていない過去、自分の歩みを、きちんと振り返り、見直してください。話はそれからです、叔父さん」
「偉そうに偉そうに偉そうにッわたしの母のように振る舞うなあぁああ![滅べ]えぇッ!」
戦争の影が、常にあるようだった。
戦後から何年か訊くことも憚られたのは、赤子の頃には、戦争の影響による死を身近に感じていたからだ。何があっても泣くまい。何があっても騒ぐまい。何があっても裏切るまい。上の者に従い、母に従いさえすれば、生き存えられる。
冷静でいることを示せ大人とともに行動しろ一人では人質にされる簡単に拉致される家の中でも敵がいると思えひとを視ればスパイを疑われる記憶と関係を引き出すための拷問に遭う絵を描けば機密情報を漏洩させる塀を登る身体能力を示せば軍部や他家の秘密を握っている覗き見も聞き耳も密偵の行為目を瞑り聞いたものを忘れ我を忘れ無能を飾れ──、決して泣くな。
呪文のように、胎児の頃には聞かされていた隷属のルール。命を繫ぐために従うほかなかったルールによって言葉真国夫は泣くことのない子として生まれた。
戦争の機運が高まっていた戦前や緊張がピークに達した戦時ならともかくだ、言葉真国夫は生まれてしばらくしてから自分がそういった時代に生まれていないことに気づかされた。弟言葉真毎が生まれたからだ。弟は泣きながら生まれ、家の中でも毎日のように泣いていた。母が厳しく叱りつけているところを何度も目にしたものの、窒息させられることはなかった──。
「なぜお前は平然と泣いている」
問に泣き喚くことしかできない出来損ないの弟を、言葉真国夫は何度も叩いた。それを、父が止めることは日常茶飯事だった。
「お父さん、どうして止める。わたしは正しいことを教育しているというのに」
「そうだとしても、だ」
わずか迷いがあるようだったが、いつもは言葉少なな父がこう続けた。「やり方というものがあるんよ。……今は、ああいうやり方はよくない。拳を開いて伝えぇよ」
「……解りました」
「ん……ああ、偉いなぁ、国夫」
「……」
頭を撫でられて、言葉真国夫は言葉が出なかった。なんとなく、居心地が悪かった。
母と違って、父は恐くなかった。それは言葉による叱責であることが多かったからだろう。体罰をしない父をぬるい人間と捉えていた。それでも早早に「親父」と呼べるようになって、その言葉になんの抵抗もなく自然と従える理由を理解できていた。なのに、恐怖に苛まれて、大事な理由を忘れ去ってしまった──。
言葉真国夫はいつもぴりぴりしていた。冷静でいることは当り前で童らしく走り回ることも泣くことも叫ぶこともしなかった。一方で成長した弟が数えきれないルール違反をしていた。母の体罰が効かなかったとまではいわないが、喉もと過ぎれば、と、いうくらいに簡単に、言葉真国夫が守るルールを破った。言葉真国夫は一層ぴりぴりした。だがあるとき、母の諦めのようなものを感じて、気づいた。
……そうか、……あいつは無能を飾っていると見做すことができるんだ。
出来損ないにしか認められないことで、到底できないことだ。多くの人間は言葉真国夫と同じようにルールを守っている。弟のケースは極めて稀なのだ。そう思えば少しだけ許せた。
父に近場の空き地へ連れられた日。父と剣術の訓練をしていた言葉真国夫の脇で走り回っていた弟が帰り際に叫んだ。
「兄貴おんぶー!」
「自分で歩け。なんのための脚だ」
「疲れたあ!」
じたばたする弟が、心底鬱陶しかった。
「親父、帰ろう。こういう輩は甘やかすと──」
「親父っおんぶ〜!」
「ばっ、親父に集るな脳足りん!」
言葉真国夫はつい声を荒げてしまって、口を押さえた。案の定、父の手が肩に載った。
「今のはよくないな。解るやろ」
「……大声出してすみませんでした」
「違う」
「え……」
言葉真国夫はてっきり大声を叱られたのだと思った。が、父が叱った理由は、別にあった。
「ひとを見下すな。しかも弟だろう。国夫、もっと、優しく声を掛けてやれ」
「優しくって……どうやって──」
「おんぶ〜!」
……どうやって──。
「簡単だ。声が掛けられないなら、おんぶしてやれ」
「……」
それは甘やかすことになる。と、反論してもよかった。でも、父の微笑みにぴりぴりしたものがなくなってゆいて、自然と弟の前に屈んで背を見せていた。
「乗れ」
「やった〜!」
「っぐ、重い……」
「ふはははっ!」
「あ、暴れんな……バランス、バランスうっ!」
声を上げていることにも気づかないまま言葉真国夫がなんとか立ち上がると、
「っははは」
と、父が口を開けて笑った。
「何が面白いんですか。このバ……毎を甘やかしては、意味がないというのに」
「いいんだ、国夫。それでいいんだよ」
その言葉の意味が、言葉真国夫は、よく解らなかった。
「あはは〜」
抱きつくように密着する弟。耳許の笑い声を聞いて、その体温を感じて、言葉真国夫はなんともいえない居心地の悪さを感じた。
……なんなんだ、こいつは。鬱陶しい……。鬱陶しいぞ、くそ……。
ぴりぴりとは違う苛立ちがあった。理由は、自分でもよく解らなかった。
その理由を、今の言葉真国夫はきっと解っている。
「[何もかも滅んでしまえ]ぇッ!」
耳を劈くような言葉が地下室に木霊して、言葉真本家本邸が粉粉に弾け飛んで空へと消えてゆく。
「わたしは従ってきた!従わない者が悪いんだあッ!」
その叫びは──。
「──やからって、甘やかすんやないよ」
家に帰って間もなく言葉真国夫は父とともに正座させられ、母の握る木刀で肩を殴られた。凄まじい痛みだった。それまでのどんな痛みも忘れそうなほど、胸に刻まれた痛みだった。母は恐怖の象徴だ。恐ろしい。逆らってはならない。が、母がそうしているのは命を繫ぐためなのだと、言葉真国夫は理解できた。
「すみませんでした、お母さん。もう、しません──」
そう頭を下げながら、母への隷属を貫きながら、胸のどこかで、苛立ちが湧いた。従えばいい。それでいい。そうしなければ、繫げない。そのはずだから、従っている──。
隷属に確かな疑問が湧いていた。いや、正確には疑問ではなく、自身の中に湧き上がっていた感情が隷属を是とする考えに衝突していたのだ。
「[木刀など向けるな]ッ!」
オトの木刀がかるがると弾け飛んで、本家本邸とともに消えてゆいた。
「わたしは何も間違っていないッ!」
その叫びも──。
弟が、鬱陶しかった。
「兄貴ぃ!これ貸して!」
「自分のを使え」
「折れた!」
「……」
鉛筆の芯を折った弟に新しい鉛筆を貸した。何本返ってこなかったことか。それでも貸してやった言葉真国夫は、
「兄貴貸して〜!」
と、何度目か、借りに来た弟に、
「判った、もう返さなくていい。くれてやる」
躊躇わなかった。尖った鉛筆を一〇本握って差し出された弟の掌を刺した。泣き叫んだ弟を蹴りつけ壁に寄せると、髪の毛を摑んで額を殴ってやった。
「いい加減にしろ、脳足りん。与えられた分を満足に使いきりもせずに集るな」
「っあ、兄貴……!」
「っ……」
掌を刺され額を拳で殴られてなお縋ってくるような涙目。言葉真国夫は、その瞳を心底煩わしく感じて、もう一度、額を殴って、その場をあとにした。
……後味が悪い……でもわたしは悪くない!わたしが正しい!甘やかしていないんだから!
母に従っていればいい。それでいい。
そう思いながら、ぴりぴりして、苛立って、翌日、掌に包帯を巻いた弟が鉛筆を折る場面に遭遇した。絵を描いている姿を見掛けて、少し近寄りがたくて、覗き込んでいたときだった。
……くそ、また集りにくるな、こいつ。
そう思った次の瞬間、小刀を取り出して鉛筆を削ってゆく弟を目にした。
…………こいつ……こいつ、……わたしの言いつけを、守って──。
その瞬間、妙な居心地の悪さを感じた。息が詰まるのに、ぴりぴりや苛立ちが消えてゆくようだった。
……、……ああ、わたしは間違っていない、そうだ、正しい。そのはずだ。だが、──。
甘やかすな、と、言った母の命令が全てと思えない部分があった。母の命令に従うように厳しい体罰をしたのは事実だが、
……自分の鉛筆を使い切るよう、言ったのはわたしだ。あれは、言葉、だったよな。
もしかしたら、父のように声を掛けて教えられることだったのではないか。
……痛いのはわたしだって嫌だ。だから従っている、その点を否定できはしないが──。
もし言葉のみの指導で同じ結果が得られていたなら、母の命令が絶対とはいえなくなるのではないか。そんな疑問が湧いてしまっていた。が、その疑問を解く術はもうない。弟に理由を聞いても、叩かれたから、と、きっと返ってくる。弟の中で言葉よりも殴られた印象のほうが強くなってしまっているはずだからだ。
……でも、訊いてみたら、違うんじゃ──。
答を知りたい。弟が鉛筆を削り始めたきっかけは、言葉か、体罰か。
……、……いや……、訊けない。訊くわけには、いかないんだ──。
上の者は下の者に命令する。上の者は常に下の者に答を与えなければならない立場なのだ。弟に訊くということは、弟を目上や年上として扱うことと同義で、それは母や父と同格に扱うことにも等しく、教えに逆らうことに等しく、あの母に逆らうことにも。
……訊けない……わたしは、訊いたらいけないんだ。
ルールを守らなければならない。
……命を繫ぐためには。
結論から言えば、弟はそれからも毎日のようにルール違反をして母に体罰を受けた。その中でできることが少しずつ増えてゆく弟を観察して、言葉真国夫は間接的に答を得た。母の命令が正しく、言葉は体罰を超える指導に成り得ない、と。
そこから、言葉真国夫も迷わず体罰を振るうようになった。ときに言葉も織り交ぜたのは、どこかで、言葉の力を信じていたのかも知れない。何に対して体罰を振るったかくらいは伝えなければ、ただの暴力になってしまう、と、いう保身もあっただろうか。内心の葛藤と結論にさえ答を得られないまま、言葉真国夫はいつの間にか弟に煙たがられるようになっていた。それを自我の確立や自立心の成長と捉えて歓迎した言葉真国夫は、胸の奥底に蟠る苛立ちの正体を摑めず、道を踏み外してゆいた──。
此方充と意気投合し深入り、命令と隷属に則した究極の形、支配を言葉真国夫は学んでしまった。根差した優しさを生き埋めにして、体罰を正当化する出来事を経て、虐げによる指導、果ては支配による統制を考えるに至ってしまった。
それでもずっと、胎児の頃に植えつけられたルールに、心の底から抗っていた。
「わたしは従って、従って……きたというのに……!」
──慟哭だ。胸が張り裂けんばかりの激情が零れている。
それなのに、世界は、なんの変哲もなく存続している。大地が揺れることも、海が割れることも、空が裂けることもなく、平穏だった。
言葉真国夫が先程に発した「滅べ」は、瞬く間に世界に広がらなければならなかった。なぜなら言葉真国夫は自分を縛ったルールを心の底から怨んでいた。弟に配れたはずの優しさを潰さざるを得なくしたルールを怨んでいた。そのルールを母の口から発せさせたのは戦争を始めた世界だったと解釈できたからだ。が、言葉真国夫は心底冷静でもあった。化物側に足を踏み入れながら、片足を人間側から離すことができていなかった。先の「滅べ」には、そんな感情が痛いほど乗っかっていて、オトの胸を貫いていた。
貫いた感情の重みを、言葉真国夫に還そう。
「呪った」
「!」
「出来損ないに生まれた弟を看過した世界を呪った」
「っ……!」
「そんな世界で育った弟のもとに俺が生まれたことを呪った」
「あぁ……!」
「体罰を強いる世界に生まれた運命、そう思い込んだ自分を、呪った」
「ぅあぁ……!」
言葉にならない叫びで応ずる言葉真国夫に、オトは、自身の経験で伝える。
「これまでに、多くのおもいを受けてきた。叔父さんの意志で放たれた熱源体、そこに乗った犠牲者の心の数数、星川英の固く優しい願い、元来のおもいを裏切らされた魔物の感謝、剣技を振るったおばあさんの惑い、家族に疎まれることを覚悟し己を殺した娘の決断、与えられた気持と芽生えた感情の板挟みになって自分ごと星を滅ぼそうとしたメリアの愛情、家族の苦しみを我がことと感じながら怺えて微笑んでいた妻の共感──、そして隷属に一筋の疑念を持ち負の遺物たる洗脳教育に抗おうとした叔父さんの本懐。全てがこの胸にあるから、今こそ言わせてほしい」
「──」
「体罰やないよ」
「──」
「俺のお父さんを、あなたの弟を変えたのは、あなたの言葉やよ」
そう断言できる。なぜなら、言葉真国夫の本懐に直接触れていた父を、言葉真毎を、オトは知っている。
三〇一二年四月三日の土曜日、幼少のオトは未開封のカートンを屋内で焼き尽くした。
「何しよんや!」
と、感情的に、つい手を出した父に、オトは睨み返すこともできなかった。家の中で父は逆えない存在として君臨していた。少しでも怒りに触れれば暴力を振るわれることが容易に想像できるほど父がいる家はぴりぴりしていた。そんな中でも、苛苛しながら吸われた煙草がオトは嫌だった。煙草のにおいは父の顔とぴりつく空気を想起させ、怯えて碌に言葉も発せられない自分や縮こまる母や立ち去る姉の、家族のばらつきを思い出させる。
煙草のせいでは決してなかった。が、煙草のにおいは望まぬ将来をも想像させた。まだ開けられていないカートンに一家離散が詰まっているように見えて、恐くて、焼き尽くした。そんな未来はみんなが絶対に望まないから、と、焼き尽くした。結果、感情的に殴られた──。
「……お父さん」
「──あぁ……」
殴ったはずの父がオトの頭を抱えるように抱き締めていた。その力は、強くて、苦しくも、
「あぁ……オト、あぁ──」
どこか、切なく感じた。
父も、葛藤していた。暴力的な自分に。何から齎されたか碌に記憶を辿ることもできずにひどく葛藤していた。言葉にできない感情を、吐息と名に込めていた。
体罰に曝された過去が父をそうさせていたのだ。言葉真国夫の葛藤と本懐を、体罰と相反する言葉から父は感じ取っていたのだ。
オトは父のように、言葉真国夫の頭を強く抱き締めた。
「父は暴力を振るいながらも家族を愛していた。あなたが葛藤し、体罰を振るいながら伝えんとしたこと、命を繫ぐためひとを愛することを、どこかで感じ取っていて、それを教えてくれたのだとわたしは感じています。父がああなり、わたしがそう感ぜられたのは、あなたが葛藤してくれたお蔭です。ありがとうございました」
両親が離婚したとき、一家離散が現実となったとき、精神が混沌としていたオトでは決して言えなかった。言葉真国夫が本性を曝して言葉を発しなければ繫がらなかった過去が、どんな怒りにも増して尊く愛おしいと感じたから紡げた感謝だ。
「『わたしのもとに生まれてくれたなら──』」
「っ……」
「『──お前を手放したりしなかった』」
「……」
「それは無い物ねだりです。わたしは、言葉真毎の子です。そしてきっと、そうだからこそ、叔父さんは、そのように思ってくれたのだと思っています」
「お前ほど……できた子なら、わたしの間違いを、教育の答を、訊きながら、互いに、成長できたんじゃないか……そう、思わない日は、なかったんだ……」
それができないことを理解していたから、嘆きと悲しみとやるせなさと、過去の自分の過ちと生き埋めにした優しさに苦しんで、どんどんあらぬ方向へ突き進んだ。やりたいこととできることは違うのだ、と、賢いからこそ解ってしまって、できること、手にした支配の方法論を頼りに生きてゆくほかなかった。一方で、答を聞き出すため、オトの存在があって守られた場所やオトの知人を攻撃や傀儡化の対象とし、オトの魔法に寄せた魔言を使って徹底的に追いつめた。弟への体罰を、オトに対して再現していたのだ。
抱き締め返す叔父の腕はきつくて──。
「叔父さんがお祖母さんを憎んだように、俺も叔父さんのことを憎む。俺の家族にしたことも絶対に許さん。けど、こんな俺にも歩み寄ってくれる同窓が残っとって、そのお蔭で、取り戻したいと思える自分を振り返ることもできた。寄り添われただけでも、ひとは強くなれるもんなんやな。やから、今の叔父さんには俺が寄り添って、全力で、こちら側から追い出す──」
心の奥底から湧き上がってくる言葉を、オトは贈った。
「叔父さんなら、必ずやり直せる」
「──」
「本当は痛みの解るひとやから、必ずやり直せる。命令にも支配にも屈せんかった本当の自分を、取り戻してね」
「あ……っあぁ、……あぁ──」
あのときの父のように、全ての感情が吐息に籠もっていた。父と違うのは、より明確に自分の過去を捉えてやり直したいと思うほどに振り返って、そうはできない苦しみを抱えていたことだろう。漠然と捉えて苦しんでいた父もきっと苦しかったが、叔父のそれもまた、ひとには察せられないほど重く苦しいものだったに違いない。
正しくないもの、従わないもの、母の伝えたルールを守らないもの、全てを見下していた。母のルールに逆らいきれなかった父を情けなく思い、ルール違反を続けた弟を蔑み、ルールを覆した母を憎んでいた。
どれも、本当は同じ気持から湧き上がるものだった。
……わたしは、母や父に、毎に、そして時代に、間違いを押しつけてきただけだ。
一番情けなかったのは、蔑んでいたのは、憎んでいたのは、自分自身だ。母の強いたルールに逆らえず、新たなルールを自らの頭で考えることもできず、毎に誤った教育をし、ルールの間違いを告白した母を受け入れられず、父の言葉で芽生えた感情を掘り起こすこともできず、それまでの生き方を変えられず、戦争に蝕まれて蟠った世界の空気にずぶずぶと沈んで、それを他者のせいにして、本当はずっともっと前から流れ込んできていた新しい空気を拒絶して、蝕もうとしていた。
「(わたしが、間違っていた。)音……わたしがお前の娘に、家族にしたことを、許さなくていい。だが、頭を下げる身勝手を、どうか、許してほしい……」
彼の腕の中は、どうにも、居心地が悪かった。それは以前にも時折感じた、自分の心が訴えかけてくる本懐のせいだった。
「わたしも、本当は……」
口にすれば一秒に満たない。でも、それを口にすることは間違いを犯し続けてきた今までの情けなさよりずっと情けなく思えて、憚られた。だから、本懐を告げる替りに、言葉真国夫は言霊を発する。
「[全てを解く]」
竹神音曰く魔言だ。そんなものでは本懐を遂げられない。母が目指そうとしていたもの、父が教えようしていたこと、ほかならぬ自分から学んで弟が体現しようとしていたことを、言葉真国夫は、成したかった。
「魔言で放った全てを、今ので解除できたはずだ。じきに不死も解かれるだろう」
言葉真国夫が頭を下げ、「その前に、お前にもう一度、謝っておく」
「なんのことかね」
「お前の恋人を蘇らせることがわたしにはできなかった……」
「そんなこと誰も望んでないよ」
橘鈴音の傀儡が現れなかったのは、簡単な話だった。言葉真国夫の魔言で再生することができなかったのだ。それ以外にも、オトがピックアップした人物の中で傀儡化されなかった人物がいた。結論としては、言葉真国夫の魔言に限界があったということだ。有効・無効の線引がどこなのか・なんなのかは言葉真国夫も判らないようだが、憶測を広げるなら、言葉真国夫の人生を取っ掛りにするほかない。早い話、魔言が働くのは言葉真国夫のように強いられたルールと自身のおもいの狭間で葛藤してきた人間だった、とか。誰しも公と私、外と中などで表情を使い分けている。あらゆるものと折合をつけるため建前や道理や詭弁を立てることもあり、自分も気づかないうちに団体や組織としての意識に取り込まれていたりする。祖母言葉真鷹音のいうところのゲゼルシャフトはそうして構築され本音を潰されて公の顔で生きてゆかざるを得ないこともある。戦争の空気に染まった教育から抜け出せなかった頃の言葉真鷹音がまさにそうで、そんな中でも葛藤していた。そのように葛藤した人間に魔言は作用したのではないだろうか。逆をいえば、葛藤がなかったり葛藤から抜け出したりした者には通用しなかったのではないか。プウのように条件と合致しない者もいるようだが、それはオトの主観であって内心を把握していなかっただけとも考えられる。
「元来、魔言はひとを魔道にいざなうもんやから、芯があるひとには通じんのが普通。鈴音は決めたら揺るがんかったから、魔言ではどうにもならんかったんやないかな」
「……お前が好いただけのことはあるな」
「そうやね。俺も決めたら揺るがん──」
だから、橘鈴音と通じ合うことができた。だから、恐ろしいほど一途なララナとも通じ合えた。
……いや、羅欄納とは、そうでもなかったな。
掲示板を通して、オトは家族に、もといララナに、話したことのない人間関係を大いに伝えた。制約〈命の平等〉と反するマモリイチカなどの攻撃能力も披露したことで、五〇年余りの夫婦生活で培ってきた阿吽の呼吸とも表せられるもの、すなわち、信頼関係を土台として安定していた心が揺れつつあったに違いなかった。オトとしては音羅や子欄の救出に全力を傾けていたがララナの疑心を煽っていた。それが根っこの一部となって音羅を救出できないことに纏わる苛立ちを大きく育てていた。特殊空間で爆発させたのはそれらによる不満・不信を払拭するためであったが、
「ああ、本当に共感に欠ける化物やな、俺は」
「自嘲か」
「越度を振り返っとった。詳しくは訊かんといて」
「いいだろう」
特殊空間での戯れにとどまらず、ララナへのケアが必要だ。それは彼女がくれる神具のように継続的なものが望ましいか。
死んだはずの言葉真国夫は、不死の魔言によってこの世にとどまっている状態にある。その体が仄かな光を放っているのは魔言の解除による。じきに腐り果て消えるだろう。
「お前の心持を察したあとで野暮なんだろうが、橘家の、父親の件について訊いていいか」
「橘裕二のことかね」
言葉真国夫が気になった点をオトは聞くことにした。
「第三田創での騒動のあと、橘鈴音の双子の弟橘弓弦にお前は襲われた。橘弓弦を許したお前だが、その前に、橘裕二の襲撃も受けていた」
狙撃銃による射撃だった。 オトは動かず、的となった。
「銃撃に耐えたからでもなく、お前は橘裕二を許した。お前が恋人を殺したのは望まれたがゆえ。それを打ち明けないとしても反論くらいはしてもよかったのではないか。なぜ、許せた」
「気になったのはそこか」
「おかしいか。わたしの場合と同じようなことだとしても、気にはなる」
「まあ、そうか」
似たケース。言葉真国夫がそう言えたのは、オトを傷つけたことに罪の意識を持てたからだろう。それを認めてオトは打ち明ける。
「確かに似たケースではある。ただ、少し違う部分もある」
「橘鈴音に対するお前の犯行が前だったことか」
「あちらは被害者遺族だ。加害者たる俺が許さんわけにはいかん」
「義務感や倫理観で許したのか。お前が」
「察しの通りやよ」
義務感や倫理観ではない。「彼の、父親としての怒りや怨みが、痛いほど伝わってきた。それでいて、ひとを撃ったことに罪悪感を覚えて悔いたことも。まだ生きられたはずの娘……、その娘を奪われてがらりと変わった家族模様、生活、価値観。それらを苗床とした激情は本来なら発することもなかった。その激情を単なる銃刀法違反や傷害や殺人未遂、あるいは復讐なんてラベリングされることが、俺は嫌やったんよ。それで遺族の平穏を失わせるのもね。そこに保身を加えてもいい」
「波風を立てた罪の意識を抱えたくない、か」
「子どものせいでもある。子育ての真最中やったから」
「強力に子どもを庇護下に置いているお前が子どものせい。ふっ……言葉真の者として虚ろな言葉は吐かないほうがいい」
「解るひとに解ればそれでいいよ。それに、重ねていうようやけど今は竹神やから」
保身を持ち出して本心を濁すことをオトはもうしばらくやめられそうにない。好ましくはなくても、それが今の自分だとオトは感ずるのである。
「ま、ともあれ叔父さんの場合とは少し違うってことやよ。音羅と子欄にしたこと、家族にしたことを俺はやっぱり許さん」
「お前が家族に愛されるのはそういうところなんだろうな」
「叔父さんが決定的になかった部分かもね」
「否めん。話を逸らすわけではないが、もう一ついいか」
「どうぞ」
「お前が試したことでわたしも挑戦したことがいくつかあるが、」
「虚ろな言葉とは誰の言葉やったかな」
「ふむ……無数にあるが」
「OK。話を進めて」
「初めて見たときも感じたことだが、どうにも得体の知れないものがある」
と、言葉真国夫が顔を曇らせたのは「テラノアの灰燼兵器……」のことだった。
「お前は終末の咆哮と呼んでいたが、あれはいったいなんだ。テラノアに現れた際にお前は破壊を試みたが壊れなかった。その失敗を嘲笑うが如く破壊してやろうとわたしも試したが」
「魔言で」
「お前曰く。そのときは言霊と思っていたが、とにもかくにも、条件さえ揃えば死者の蘇生すら可能な魔言が通じないなど尋常ではない」
死者の蘇生についてはあとで触れよう。傀儡相末学を横目にオトは言葉真国夫の話を聞く。
「まるであれそのものが摂理に反したもののようではないか」
「難しい説明ができなくはないが、」
終末の咆哮などの破壊については言葉真国夫に話すべきことではないので、オトは視点を変えておく。
「魔法学的に証明できることやよ」
「魔力量と属性の相性、わたしの魔言が弱かった、か。そもそもあの兵器からは魔力を感じなかった」
燃料たる知得性魔力が宿っていることはあるがそれは終末の咆哮本体の魔力とはいわない。終末の咆哮は、不知得性魔力で構築されている。燃料が充填されていない状態で通常の魔力探知を行ったところで魔力反応を捉えられない。
「今度生まれ変わったら不知得性魔力の探知ができるように体を弄ってみるといいんやない」
「そうだな、記憶が残っていたなら試してみるとしよう。そのほうが、愉しそうだ」
オトをちらと見て言葉真国夫が微笑した。
愉しいばかりでもないが、不知得性魔力を探知できるからこそ対処できたことは間違いなく多い。オトは、言葉真国夫の微笑にうなづかなかったが、その意見を否定はしなかった。
言葉真国夫と同じように魔言で再生された相末学も姿を消すことになる。傀儡とはいえその姿を観た音羅がなんの苦痛も感じなかったとは考えにくい。ララナのことを踏まえ、オトは改めて家族への心配りに目を向けたい。
言葉真国夫と地上へ上がり、魔言で更地と化した言葉真本家本邸の土地を見回してから、オトは口を開いた。
「ちょっと聞きたいんやけど、子欄を解放したのがジンジ島やったのって、なんか意図はあったん」
「あそこはお前の妻の実妹が亡くなったところだからな、脅すのに都合がよかった」
「魔言で過去を観てそれらしい場所を選定した感じか」
「必要に応じてな。肌感覚で関係も悟ることができた。言葉の端端からというよりは、本人が感じている感覚が直接入ってくる感じだった」
他者の記憶を得るのと同時に、その記憶を持っていた者の体感、相手への気持や相手から向けられた感情を体感できる。記憶の砂漠に近い感覚なのでオトは理解できた。
「お祖母さん、鷹音さんが言霊を消失させたのも同じ感じで判ったんやね」
「ああ。ただ、わたしも不思議なんだが魔言の力が手に入ったあとだろうか、望んでもいないのに記憶が流れ込んできて整理が全く追いつかない感じになった」
「なるほど」
「お前には、わたしの身に起きた現象が理解できたのか」
「話が逸れるようやけど、鷹音さんは言霊の存在を消失させた。存在消失は過去・現在・未来に及んだ」
「人の記憶はもとより文献などの記録からも消えたとわたしも認識している」
「そのとき当然、鷹音さんから言霊の力は消えた。認識されてないっていう外面だけは同じやけど、消失は消滅じゃない。鷹音さんから抜け出た言霊は根源的な力の源、不知得性魔力となって世界を漂った」
「言葉真家の言霊を認識しているようなお前の口振りをわたしは不思議に思っていた。お前がいわゆる音式の魔法や魔力反応を発しない魔法を使えたのは、不知得性魔力を認識し創作魔法に活用していたからなんだろう。言霊の消失や消失の経緯も不知得性魔力から分析した。理屈はそういうことか」
「ずっと観察しとるわけじゃないけど、興味のあるものはよく見直してみたもんやよ」
言葉真国夫は魔言を用いていたが先程もちらっと話した通り不知得性魔力を認識できていたわけではない。不知得性魔力を認識・活用するオトの技術までは知覚できないから特異転移もどきはまさしくもどき、魔言を成す不知得性魔力〈ヨコシマ〉もとい〈魔言の魔力〉で構築された真似事にとどまっていた。
傀儡化などあらゆる作用が魔言の魔力によるものだったため魔団という仮称をつけた時点で魔言の使い手を疑っていたが、言葉真鷹音とともに言葉真家から消失した言霊との関係はオトの中で確信できていなかった。サロン言葉真砂や言葉真鷹音と魔団の性格との対照性を見出してようやく憶測するに至った程度であり、言葉真国夫と面して妄言めいた経緯を聞かなければ真相には辿りつけなかった。
「存在を消失させられた不知得性魔力やけど、長らく言葉真家に継承されとったから言葉真の血が恋しかったんやないかな」
「魔力がそんな意識のようなものを持つものなのか」
「魔法はひとのおもいやから、それを構成する魔力はひとのおもいの破片といえる」
「継承した魔力によって言葉真本家当主は心の欠片を無数に繫いできたということか。その中にお袋の心、記憶の一部も……」
オトが身近なひとの魔力を分析してその記憶や情報を読み取れるように、言葉真国夫は無自覚に母親の記憶を読み取っていたということだ。
「いやしかし待て、さっきからちょくちょく違和感を覚えていたんだが、おかしくないか」
「何が」
「お袋や先祖がわたしのような邪な心で魔力を継承してきたとは考えにくい」
「マザコン」
「いや違う、とは、うむ……やや反論しづらいが、最後まで聞け。そもそも、お袋が消失させる前は魔言などとは言っていなかったはずだ。実際お前も『言霊』と言った」
「ああ、簡単な説明を忘れとった。言霊と魔言は一対の力なんよ。術者の心に連動した魔力の置換による変化やからね。鷹音さんや先祖が継承したのは間違いなく〈言霊の魔力〉やよ」
「何。では、わたしの魔言を構築した魔言の魔力は、言霊の魔力から置換されたものなのか」
「叔父さんがいかに汚れて邪で猥れとったか理解できるね、略して汚邪猥やね」
「そこまでいうかっ」
「いいやん、汚邪猥。弄れるキャラになってくれて嬉しいわ」
「これでも衛生面は気を遣ってきたつもりだから汚はいささか受け入れがたいが……邪猥の辺りは、返す言葉もないな……」
根底は極めてまじめだ。そのまじめさが言葉真国夫を歪ませたことは本人も理解していること。変えようと思って変えられるなら苦労がなかった。本人が握り締めるしかない邪な気持を周りの者が弄って落っことしてやるのがいい。
「血脈の叔父さんに引き寄せられる形で言霊は戻ってきた。なんかいいよね、そういうの。叔父さんもロマン感じへん」
「ははっ……わずかのあいだでもわたしに継承されたことに、お袋があの世で顰めっ面を浮かべていそうだがな」
「本気でそう思うなら青年辺りからやり直したほうがいいね」
「──お袋は自身の間違いを認めていた。改心して継承したなら悦んでくれたはずだ」
「ん、そう思うよ」
言葉真鷹音が悦ぶことも、オトが断言できることだ。幽霊となって現れた言葉真鷹音が耳打ちしたのはゲゼルシャフト云云のみならず。
──心を取り戻せば、ひとはきっと立ち直るさ。
そこには確かな信頼があった。言葉真鷹音自身の経験を踏まえて、息子のみならず多くの人間へ寄せた信頼だ。
魔言の効力が薄れて存在が希薄になった言葉真国夫が姿勢を正し、オトを正面から見据えて決然と伝える。
「音。わたしから魔言の魔力を、いや、言霊を継いでくれないか」
「俺が。もはや新家ですらないんやけど」
「心を潰すためにルールを破った──。償いをさせてほしい。本家当主として行う継承だが、償いは一人間としてだ」
生き埋めにされた心がどこかで芽を出さないように、それ以上育たないように、言葉真国夫は潰した。その償い。
「充分やよ」
「何もしていないのにか」
「化物じゃなく一人間として俺に対してくれた」
「……」
「それに、お父さんに優しさや、愛を与えてくれた」
「音、お前──」
「絶望的な家庭環境でも、俺には幸せやったからそれでいい。叔父さんが謝って償わないかん相手はあの世にこそおるやろ」
「馬鹿まじめだな、お前は。だから責任の取り方をよく知っている……」
「償えるものなら償いたいからね」
償えない罪があるからこそ、責任の取り方も判る。
「お前が償える日が来るのをあの世で祈ろう」
転生という摂理があるからには、あの世で祈り続けることもない。ただ、気持を届けるため唱えれば届くことはあるのだ。少なくとも、オトは言葉真国夫の気持を感じた。
「じきに消えそうだな……。最後の最後、どうしても気になっていたことを、いいか」
「まさしく冥土の土産かね。いいよ」
「不知得性魔力を認識できていたお前ならばわたしの暗躍に気づいていたはずだ。それこそ、魔言の試験をし始めた頃から。家族に危害が及ぶまでなぜ待っていた。先手を打ち、わたしを止めることなど造作もなかっただろう。あるいは探知しづらかっただけか。知得性魔力のほかに不知得性魔力まで探知できるがゆえに、わたし一人の動きを捉えることが難しかったと」
「買被りすぎやね。はっきりいって完全に見逃しとったよ。途中まで叔父さんの犯行なんて予想もしてなかった」
が、「推測できた時点でこうも考えた。育った環境にゆかりのある遺恨を乗り越えるくらいでなければ、待ち構える大きな壁には立ち向かえんとね」
創造神アースの破滅的創造物。その脅威は現世の遺恨と比せるものであるかどうか。先程少し触れたので言葉真国夫もそれに気づけたようだ。
「魔言ですら創造神の力には一歩及ばないんだろう。気をつけろ」
「ん。もう会いたくないと思っとったが、あと一回くらいなら会ってもいいと思えたよ」
「安心しろ、これが最後だ」
「改めて、ありがとう、叔父さん」
「こちらこそだ。……ありがとう、音」
「ん……」
感謝の言葉が魔言の魔力を言霊の魔力に置換してぱっと煌めいて消えた。力を失った言葉真国夫の体が床に転がる前に、オトは抱えて、そっと横たえた。
「お疲れさまです。達者で。……」
言うまでもなく、いいことばかりの関係ではなかった。オトの気持としては負の感情ばかりが湧いた半世紀だ。しかし別れ際に雑談を交わせたのは嬉しかった。言葉真国夫の来世は幸多きことを、そして現世で償いきれなかったぶん周りを幸せにすることを、願ったオトであった。
家主を失った言葉真本家本邸は跡形もない。土地は言葉真国夫の息子が権利を有しているだろうが、長いあいだひとが立ち入った気配がなかった。空き家の放置は犯罪を助長する上、管理に手間もお金も時間も掛かり、相続問題で所有者が無限に増えて行政が思わぬ手間を強いられることもある。活用のしやすさからして更地のままにしておくのがいいだろう。
地下室のみならず言葉真本家は嫌な思い出ばかりで今日のようなことでもなければ二度と踏み込まなかった。なくなって喪失感を覚えるのは、嫌でも人格の一部だからだ。
そんな場に、オトはゆっくりと頭を下げた。歪ませられた部分があると感ずる一方でその歪みが言葉真国夫を糾すために必要だったことを感じているから、決して無駄ではない。
辺りは、見慣れたようで様変りしつつある世界だ。駆け回った田んぼは少しずつ埋め立てられて人家やマンションが増え、騒動を起こした懐かしい学園も教員や在校生や新入生や地域住民一同の努力であろうマンモス校といわれるほどの活気を得ている。ひとの住みよい環境が広がり、信心が薄れて、分祀精霊の力も相応に減衰し、それでも、荒れ果てた大地になっていないのは地域のひとびとが環境保全に心を傾けている。魔団は言葉真国夫の死とともに完全に消え失せて、曰くゲゼルシャフトが無数に蠢く国という容れ物は化物を自称するオトでも立ち向かいがたい厚い壁で覆われていて、度し難くも尊い意志が等しく潜んでいる。その全てを知ることはなくとも、言葉真家と言霊・魔言に纏わる記憶に触れて己の過去とも照らせば、ほんの少しはこの土地の尊さに与れたのだと実感し、自然と前を向くことができるようだった。
前を向くために、前へ進むために、やらなければならないことがいくつか残っている。その一つが、まだ目の前にある。
人払いのため、オトは言葉真本家本邸の敷地に結界を張った。
魔言によって再生された死者の中でも稀有なケースがいくつか混じっていた。音羅の魔力を分析して間接的に把握した事実だが、その一つが冬木敦也だった。偽りの人格を与えられ言葉を発していた佐崎文也がいたため音羅は細かな違和感を見逃したようだが、冬木敦也の人格は本物だった。つまるところ、冬木敦也は再生された肉体に魂を持っていた。その実態はまさしく蘇生だった。蘇生のケースが、まだ残っている。
「相末君──」
「……竹神さん」
傀儡化の魔言が解け、自らの意志で言葉を発することが彼にはできる。
オトは、彼と最期の話をしたかった。
──一七章 終──




