第9話 婿入り王子は懺悔を受け入れる
「……よし、できた」
セドリックは、補修を終えたシャツを掲げて満足げに微笑んだ。
昨日ノエルが着ていた、ボタンが外れかけていたあのシャツだ。
襟元には小さな穴も開いていたので、一度襟を外して布を当てて丁寧に縫い直した。
まるで、最初から傷なんてなかったような出来だ。自分でも驚くほどうまくできたと思う。
これだけボロボロだったらむしろ新しいのを買っても良いかなと思ったのだが、もしかしたら大切なものかもしれないので、とりあえず修復した。
街に出て散策をしていたら手芸店を見つけたので、一通り裁縫セットと、教本を買ってきたのだ。
(配偶者の衣服を繕う。……なかなか奥様っぽい行動なのでは?)
縫い物は初めてだったが、なかなかうまくできた。思わず自画自賛してしまう。
裾とかに刺繍をしても可愛いかもしれない。買ってきた本の中には刺繍の教本もあったから後で見てみよう。きっとノエルによく似合う。
紙人形の一体がセドリックを褒めるように紙吹雪を散らしていた。
しかも、散らした紙吹雪は自主的に回収している。偉い。
紙人形たちは交代で一体、セドリックに付き従っている。時々、二階から降りてきて交代しているのを見かけていた。
それ以外はノエルとともに仕事をしているらしい。
(信頼されていないのか?それとも、監視か?)
……なんて、一瞬疑ってしまったが、セドリックのそばにいるのは彼らにとって休憩時間のようだ。
交代で二階に行くときは何度もちらちらとこちらを名残惜しそうに見ていた。
引き止めたくなるのをやっとのことでこらえた。
この紙人形、ただの紙だというのに動きがいちいちコミカルで可愛いのである。
セドリックに自覚は無かったが、彼はいわゆる「天才」と言われる部類の人間だった。
初めての物事であっても数回練習すればできてしまうし、本に書いてある内容も大抵のことは一度読んだら理解してしまう。
魔法以外なら、たいてい何でもできる――それがセドリックだった。
そうして初めての縫い物に満足していると二階からノエルが降りてきた。
昨日見た「働くだけの機械」の顔はしておらず、ちゃんと「人間」の顔をしていた。
セドリックを視認すると、柔らかく微笑む。その笑顔が、まるで本当に「愛しい奥様」に向けられていると錯覚するほど優しくて、柔らかくて。セドリックは不覚にもどきりとしてしまった。
「おはようございます」
「おはようって言うには遅いけどね。ご飯は?」
時間はちょうどおやつの時間くらいだ。ノエルは結局あれから十二時間以上机に向かって仕事をし続けていた。
「紙人形たちに『死なない程度に食べさせて』って命令しているので、わたしの分は不要です。奥様は自由に好きなものを食べてください」
昨日の夜にあったことが嘘のようだった。
機械のように仕事をして、呼びかけにも何も反応せず、虚空を見つめて仕事をし続ける人間と同一人物だとは到底思えなかった。
「三食ちゃんと食べてほしいな」
「呼ばれたら行きますよ」
「昨日呼んだけど気付かなかったよ」
「え、そうなの?」
ノエルは紙人形を見る。
紙人形たちは途端に寸劇を始めた。頭の上に赤い毛糸を乗せた紙人形が、一心不乱に仕事をしている。
その隣で、紫の目が描かれた紙人形が肩を叩いて揺すっても、机から引き剥がしてもまったく反応しない――という芝居だった。
(……いや、泣いてないから。ベッドの上で枕を叩いたりもしてないから!!)
色々とツッコミどころはあった。
だが、一通り終わると、紙人形たちはそれぞれうちわを掲げた。
『オクサマ』
『カワイソウ』
『カジュウ』
『ロウドウ』
『ハンタイ』
『ソウダ!』
まるでデモのような様相である。
たぶん、“過重労働反対”を掲げている奴らは、自分たちが働きたくないだけだ。
いつの間にか、毛糸や紫色の目は消えていた。どういう仕組みなんだ。
ノエルはバツの悪そうな顔をしたあと、小さく「ごめんなさい」と言った。
「あー……、お茶でも飲む?」
空気を変えるためにセドリックはそう言った。
「……いただきます」
「淹れるからお湯沸かしてくれる?」
「はい」
素直に返事をしたノエルは金属製のケトルに水を入れて、コンロの火を点けた。
そのまま数秒固まり、なにかに気づいたようにはっ、と目を見開いた。
「……わたし、声かけても気付かなかったって……言ってました……?」
問いかけるノエルの顔がどんどん青ざめていくのが分かる。
「え、うん」
それがどうしたのだろうか。
「てことは、奥様、お湯沸かせなかったのでは?」
このあばら家のコンロはガス式でも電気式でもなく、魔導式だった。
スイッチを押すことで使用者の魔力を吸収し、火をつける形式のそれは、魔力を持たないセドリックには使えなかった。
そんなわけでセドリックは、朝から水しか飲んでいなかった。
「まあ、そうだね」
何気なく答えたその瞬間。
気づいたら、セドリックの足元にノエルが両膝をついてしゃがんでいた。両手をぎゅっと組んで、祈るようにこちらを見上げている。
初めて見るノエルの俊敏な動きに思わずぎょっとしてしまう。
「懺悔します!!」
「――どうぞ?」
「わたしは奥様が魔法を使えないって知っていたのに、魔導式のコンロを変えませんでした……!」
その言葉に、かつて宮廷で散々されてきた“善意の仮面を被った嫌がらせ”が脳裏をよぎる。
「良かれと思って」「気づきませんでした」――そんな言葉を何百回聞いて笑顔で飲み下したことか。
蘇った記憶に一瞬だけ胃が冷える。
だが、予想したような嫌がらせとは違って、続いたノエルの話はこうだった。
元王子様がこんな辺境の地に来る。
こんな田舎なんて嫌って言って話しかけてもらえなかったらどうしよう。
いや、目すら合わせてもらえないかもしれない。
「コンロが使えなければ、話しかけてもらえるきっかけになるかな〜〜っていう……下心が、ありました……!!」
ノエルの声はどんどん小さくなり、最終的には床に沈み込みそうな程落ち込んでいた。
(話しかけてほしかった? 私が使えないコンロをそのままにしたのは、嫌がらせじゃなくて――)
その下心を聞いた瞬間、セドリックの脳裏によぎったあの記憶の数々がすっと溶けていくのが分かった。
今までの人生で魔力がないことで得たのは、皮肉と冷笑と嫌がらせばかりで。
ノエルは、魔力がないという事実ですら仲良くなるきっかけにしようとしてくれていた。
同じ「魔力がない」という事実が、こんなにも違う意味を持つことがあるのか。
行動の端々から歓迎されていることを感じてはいたが、彼女の口からちゃんと聞いたのは初めてだった。
なんて可愛い下心なんだろう。
「つまり、ノエル。君は、私と仲良くなりたかったの?」
口に出してみて、あまりにも傲慢な問いかけのように思えた。
否定されたら羞恥で死ねる。
「そうです。……でも、結果的に嫌がらせのようなことをしてしまった自分に対してとても腹を立てています」
ノエルはそう言ってぎゅむ、と目を瞑った。
なるほど、だからこそ「懺悔」なのか。
「すぐコンロを買い替えます! 電気式か、ガス式に!」
はっ、とノエルが顔を上げて叫ぶように言った。
「ここ、どっちも通ってないでしょ」
「家ごと改修します!」
「私も詳しいわけではないけど、それをするならこの家建て直したほうが早いよ」
うぐぅ、とノエルがうめき声を上げたまま固まった。
「あなたの罪を赦します」
セドリックはそう言ってわざとらしく神父のように胸の前で十字を切った。
懺悔室の木の衝立の向こうで神父がこうしているのかは分からないけれど、こういうのは雰囲気が大事なのだ。
「ほら、懺悔は終わりだよ。お茶にしよう。街でスコーンを買ってきたんだよ。チョコかクランベリーどっちがいい?」
「奥様の食べない方食べます。むしろわたしの分なんて無しでも良いです」
「分かった。半分ずつにしようか」
「話聞いてないですね。でもそういうところも奥様の魅力だと思います」
そう言いながらもノエルは未だに正座で沈んだままだった。頭からきのこが生えている幻覚が見えるくらい、彼女の近辺だけジメジメとしている。
セドリックが赦しを与えたはずなのに、まだ彼女は自分が許せていないらしい。
脇の下に手を入れて、ノエルをそっと立たせる。猫を持ち上げてるようで、少し笑えた。
少しだけ距離が近いそのままの位置で、セドリックは囁いた。
「あとね、……そういう”可愛い下心”だったら、私は大歓迎だよ」
怒ってないということが伝わればいいな、そう思って素直な気持ちを告げた。
セドリックの言葉にノエルは羞恥で自分の顔を隠すように覆った。耳がほんのりと赤く染まっている。
「うちの奥様の破壊力が強すぎる……」




