第10話 婿入り王子は生活改善を決意する
その後、ふたりは紅茶とスコーンでおやつ時間のお茶を楽しんでいた。
お茶請けはクランベリーとチョコ。この家には包丁がないからセドリックが手で割った。
明日は街で金物屋を探そうと決意する。
「そうだ。庭を改造してかまどを作ってもいい?」
セドリックは、手入れされていないあの庭を思い出しながら言った。
草ぼうぼうの、「領主のお家」とペンキで書かれた看板が転がっているあの庭は、改造しがいがありそうだ。
「もちろんです。ただ、火事と、やけどだけには気をつけてください」
セドリックへの思いやりが溢れた返事に、嬉しくなった。
あれこれやりたいことが頭を巡る。焚き火台の横に日陰と椅子を置いて——秘密基地を作るみたいで、なんだか楽しくなってきた。
「というか、ここは奥様の家なんだから、わたしに許可を取らずに自由になんでもしていただいていいですよ」
「自由にってことは、ノエルの部屋を勝手に片付けても怒らないの?」
足の踏み場も無いほど書類と本で埋もれていたあの空間、ちょっと気になっていたのだ。
せめて書類の整理くらい、あわよくば埃も片付けたい。
「う……あの汚い部屋を奥様に触られるのは抵抗がありますが、別に、勝手に捨てられても怒ったりはしません。必要なものはまた買えばいいし、だいたい覚えているので」
「勝手に書類とかを見るかもよ」
「見られて困るようなものは置いてません」
その言葉の後に、小声で「やっぱり手紙類だけは見ないでください……」と頼りなさげに付け足された。
「ていうか、ずっと仕事をしてたけど大丈夫?」
「ずっとこういう生活をしていたので、慣れですかね」
ノエルそう言って、昨日のようにカップを鷲掴みにして紅茶を一口飲んだ。中身が高級な紅茶ではなく、酒だと言われたほうがしっくり来るような飲み方だった。
「慣れて良いものじゃないでしょ。疲れないの?」
「かなり昔に、”疲れた”と思うことをやめました。そうしたら疲れなくなりました」
疲れた、は無視できます。と真顔で言い切られて思わず閉口した。
それは、やめようと思ってやめられるものなのか?いや、そんなはずない。
“かなり昔”――その言葉がやけに引っかかった。
まだ二十歳そこそこだというのに、どれほどの年月を“疲れないように”生きてきたのだろう。
一体何歳から彼女は仕事に従事していたというのか。
セドリックもかなりワーカーホリックなタイプではあったが、きちんと毎日休んでいた。
彼女のストイックさの根底にある「何か」を知るのが怖い。
誤魔化すように、セドリックは紅茶を一口飲んだ。
セドリックが紅茶を飲む姿を見て、ノエルは慌てて自分のカップの持ち方を変えた。
だが、セドリックのように取っ手をつまんで飲むのは彼女にとって難易度が高かったらしく、指先がぷるぷると震えていた。
そんな風にカップと奮闘するノエルを見て、セドリックは慌てて言った。
「宮廷のお茶会じゃないんだから、好きに飲んでいいよ。どんな飲み方でも私は気にしないよ」
「うぅ……。でもちゃんと、練習します」
クランベリーのスコーンを一口かじって「甘くてもさもさした食べ物なんですね」とノエルは呟いた。
「初めて食べたの?」
「はい。甘酸っぱくて美味しいですね」
どうやらノエルはスコーンが気に入ったらしい。表情がほんのり和らいでいる気がする。
紙人形たちはノエルのスコーンを狙って突撃しては指で弾かれて机から落下する、という遊びを繰り返していた。
セドリックの方も狙っているようだったのであげたかったが「コイツらを甘やかさないでください」というノエルにしては厳しい一言もあって断念した。
「っていうか、ノエルはいつ寝てるの?」
「身体に限界がきたらすとんと寝落ちします。自分でコントロールできないので、いつ寝るかも分からないです」
違う。それは「寝る」ではなくて気絶というのだ。
突っ込みたかったが、ノエルが続けて喋っているのでなんとか我慢した。
「限界が来たら寝て、お腹が空いたら適当に食べてるので、わたしのことはいないものと思って扱ってください。奥様は、ほんと自由に過ごしていてください。危険な事だけしなければ、それで」
嫌な予感がしたのでセドリックは続けて聞いた。
「最後に寝たのはいつ?」
ノエルは虚空を見ながら指折り数えた。
自分がちょっとおかしいことに多少の自覚はあるらしくもしょもしょと口ごもったように答えた。
「三日前くらいですかね……?」
その言葉の後に、ノエルの首がかくんっ、と不自然に揺れる。
まるで、今にも寝落ちする直前のように。
「ああ。……きました。適当に放っておいてください」
ノエルはそう言って部屋の隅にとてとてと歩いていくと、座り込み――そのままバタンと音を立てて横になった。
「ノエルッ!?」
倒れ込んだ彼女の肩を慌てて叩くが、起きる気配がない。
かろうじて胸が動いているので生きているのが分かる。分かるが……心臓に悪い。
ノエルを抱きかかえて、二階に上がってシングルベッドに寝かせた。
「放っておいて」と言われたが、流石に女性を床で寝かせるのは元王子として許容できない。
話したいことがたくさんあるのに、そのたびに魔獣か、仕事モードか、気絶かで遮られる。肝心なことが何一つ聞けていない。
これは、良くない。これから夫婦として生きていくのに話し合いすらマトモにできない。
せめて改善できるところは、変えていくべきではないのか。
ノエルの寝顔を睨みながらそんなことを考えていた。
色白の肌に、目の下の隈が痛々しいほど濃く刻まれていた。
唇は色を失い、皮がめくれて血が滲んでいるところさえある。
爪も、噛み癖で短くなったのか不揃いだった。手入れされている様子が一切無い。
彼女は「自分を大事にする」という行為を、おそらく知らない。
高い執務能力の代わりに、彼女は何を失ってきたのだろう。
誰かがそばにいて、気づいてあげていれば、こうはならなかったのかもしれない。
彼女を、ちゃんと大事にしてくれる誰かがいたなら。
……いや、せめて配偶者である自分だけは、これからは彼女を誰よりも大事にするのだ。
いままで、大事にされてこなかった分まで。寝顔を見ながらそう決意した。
初日に「依存させてから捨ててやる」と思っていた自分が、もはや遠い昔のことのように思えた。
(本当に静かに寝ている……)
身動きすらせず寝ているものだから、生きているか心配になってしまった。
ためしにティッシュをノエルの顔の上に乗せたらふわりと浮かんだ。ちゃんと呼吸していることに安堵する。
紙人形は遊んでいると勘違いしたらしく、セドリックのトラウザーズの裾をちまちまと引っ張っている。
セドリックは苦笑しながらもそいつをつまんで、ノエルの顔の上に乗せる。
寝息でふわりと浮かび、紙人形は華麗に着地を決めた。
それを見ていた他の紙人形たちがセドリックの足元に群がる。「次は自分!」とでも言うように。
気分は小人と一緒に暮らす白雪姫だ。
そうやって一通り紙人形たちと戯れたあと、残ったお茶とスコーンをそのまま二階に持ってきた。
セドリックは椅子に座って暇つぶしに刺繍をすることにした。
起きたときに、傍に居なかったらさみしいかなと思ったので。
……ノエルが起きたのは、それからぴったり六時間経ってからだった。
その頃にはセドリックの手にはノエルの名前が刺繍されたハンカチが出来上がっていた。
刺繍も初めてだったが売り物にできるくらいには完成度が高いものができた。思わず、自画自賛してしまう。
満足そうに出来上がったハンカチを掲げるセドリックを、紙人形たちが拍手で称えた。
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