第11話 婿入り王子の生活改善プロジェクト始動
爪が。小さい。
ノエルの指先をそっとつまみながら、セドリックの手はぷるぷると震えていた。
セドリックの爪よりも二周りは小さい。
力の加減を間違えたらそのまま潰してしまいそうな小ささだった。
(女の子の手だ……)
足の小指の爪に至ってはセドリックの四分の一くらいしか無い。
生活改善の第一歩として、まずは爪を整える所から始めることにしたのだが、早速セドリックは後悔していた。
他人の爪を切るのは、自分の爪を切るのとは勝手が違っている。
一歩間違えれば深爪にさせてしまいそうで、怖かった。
「奥様、大丈夫ですか?やり方を教えてもらえば自分でやりますよ」
プルプルと手を震わせながら、真剣な表情で爪を切るセドリックを見てノエルが言った。
「大丈夫」
全然大丈夫ではなかったが、必死過ぎてそう言うことしかできなかった。
それでも、二、三本爪を切るうちに慣れてきた。
ぱちん、ぱちん、と爪を切る音が二人だけの部屋に響く。
「いままではどうやって爪を切ってたの?」
セドリックが今使っている爪切りだって、昼間に街に出たときに雑貨屋で買ってきたものだ。
この家に爪切りは見当たらなかった。
「噛んでるうちに短くなったり、あと長くなると、亀裂が入るじゃないですか。それを指でべりって剥がして……」
「ひぃっ!!」
あまりの所業に元王子様らしからぬ悲鳴を出してしまった。
そんなセドリックを見たノエルは楽しげに喉だけでくつくつと笑う。
「白くなってる部分は死んだ部分じゃないですか。べりってしても痛くないですよ」
「わかってるけど駄目なもんは駄目。二度とやらないで」
「はあい」
短くなった爪をヤスリで削って、角を取り、爪磨きで表面を磨いて艶を出す。
両手を広げたノエルが「ぴかぴかしてる!」と声を出して喜んだ。
「ありがとうございます! きれいで、とてもいいです!」
「どういたしまして」
ノエルの無垢な笑みを見ていたら、セドリックもつい、表情が柔らかく綻んでしまう。
胸の奥で、あたたかくて甘いものがゆっくりと広がっていく。
誰からも見向きもされなくて荒んでいた心がじわじわと癒されていくのを感じた。
それが恋なのか、保護欲なのかは分からない。
ただ笑いかけてもらって「ありがとう」と言われただけで恋に堕ちるなんて、どうかしてる。
だけど、これまでの人生で埋めてもらえなかった何かが、ノエルの世話をすることで急激に満たされていくのを感じた。
爪の手入れが終わったら次はお風呂だ。
ノエルは「え、昨日も入ったのに?」ときょとんとしていたが、セドリックが思わず目を丸くすると、「アッ、入りまーす!」と元気よく風呂場へ向かっていった。
……大変聞き分けがよろしい子である。
今日のお湯は昨日よりも熱めだ。さっきまで寝ていたから今日は寝ないかもしれないが、少しでも疲れを取ってほしくて安眠効果のあるラベンダーの入浴剤を買ってみた。
「好きな匂いがあったら教えてね」
「昨日のも、今日のもとってもいい匂いです!」
今日のバスタオルは特別に分厚いものを雑貨屋で見繕って買ってきた。
お陰でノエルの女性らしい丸みとかが分からないようになっている。平常心を保ったままお風呂の介助ができた。……とはいえ、未だに目を逸らすことも多い。
女体とはかくも恐ろしいものなのだと思い知った。なにせ、隣にあるだけでセドリックの心臓の鼓動を跳ね上げてくるのだから。生物兵器に等しい。
ノエルは昨日、指先をきちんと洗わなくてセドリックに洗い直しをされたことを覚えていたらしく、今日は指先まで丁寧に洗っていた。
「よくできたね」と褒めれば、「へへ」と笑った。
「せっかく魔力があるんだから髪の毛伸ばそうよ」
魔力は髪の毛に宿ると言われている。だから魔力持ちの高位貴族は男女問わず長髪を維持する人が多い。
だが、ノエルの髪は少年のように短い。
ノエルは何も答えなかった。目をまるくしたまま、きょとんとした顔でセドリックを見つめていた。
「ノエル?」
「……あ、いえ。伸ばして良いのかなって」
「魔力は髪の毛に宿るんでしょ?今よりも強力な魔法が使えるようになるかもよ」
もっとも、セドリックは魔力が無いので本当のことは判断できないが。
「シラミが怖いんです」
ぽつりと呟くようにノエルが言った。
「シラミ?毎日頭を洗ってたら大丈夫だよ。心配なら私が洗う時に毎日見るよ」
セドリックがそう言えば、ノエルは安心したように吐息を漏らした。
「そうなんですか?怖くて伸ばしたこと無かったから、知らなかったです」
ふと、会話が途切れた。
(……シラミ?)
不衛生な集団生活下で発生することが多い、頭皮に寄生する虫だ。
少なくとも、この状況で発生する可能性は限りなく低い。一人で暮らす貴族令嬢が、どんな環境でシラミを経験したのか。
(貴族の令嬢がシラミを怖がる?)
言いようのないもやもやがセドリックの胸のうちに広がる。
ノエルは昨日のような『事故』も起こさなかった。きちんとバスタオルを両手で持ってバスタブから出てくれた。
一人で領主仕事をやっているような子だ。学習能力は高いのだ。いままで、それを教えてくれる人が居なかっただけで。
お風呂から上がって、タオルドライをした後は手と足にボディクリームを塗る。
化粧水と乳液を買ってくるのを忘れたことに気づいて、明日もまた雑貨屋に行くことが確定した。
そろそろ雑貨屋の店主に顔を覚えられていそうな気がする。
「甘酸っぱい匂いがします!」
ボディクリームを塗られた手を顔に近づけて、くんくんと鼻を動かして匂いを嗅ぐ。どこか小動物じみた仕草だ。
「柑橘の匂い……だって。一番人気って書いてあったからとりあえず買ってきた」
「かんきつ……奥様は何でも知ってますね。あっ、お金は大丈夫ですか?」
「まだまだ使い切らないよ。私の個人資産もあるから、当面のお金の心配はしなくて大丈夫だよ」
「奥様の個人のお金は使わないで取っておいてください。じゃないとわたしがいる意味がない」
「まるで私がノエルのお金目当てで結婚したみたいじゃないか」
思わずむ、として言い返してしまった。
「だって、わたしはこんなに色々してもらってるのに、返せるものがお金しかないから」
ノエルは口を尖らせながら言った。
思わず、ノエルの手にボディクリームを塗る手が止まる。
「私は――人に尽くして、受け入れてもらうことで安心するタイプなんだと思う」
ノエルは目をぱちくりと瞬かせた。
これまでの人生、人と国に尽くすことしかしてこなかった。
それらの行動が、受け入れてもらえていたかどうか、今となっては分からない。
……いや、強がりだ。受け入れてもらえていなかった。だからこそ、今セドリックはここにいる。
「だからさ。ノエルは今日みたいに、毎日ちょっとだけでも私の時間を取ってよ。それで手入れさせて、受け入れて。それだけで十分嬉しいからさ」
そう言いながらノエルの唇にワセリンを塗った。ざらざらで、固くなったそこも数日間も続ければツヤを取り戻すだろう。
「それって、わたしに良いことしかないのでは……?」
初めて塗ったのか、唇に違和感があるらしい。
むにむにと口を動かしながらもノエルが明るく言った。
「うん。二人にとって良いことしかないね」
「ちょっとだなんて言わないでください!いっぱい取ります!!そういえばわたしたち新婚ですもんね!」
ノエルはそう言って、照れたように「きゃー!」と笑った。




