第12話 婿入り王子は配偶者と初めて衝突する
次の日、セドリックは昨日よりも少し遅く起きた。
寝起きで窓を開けたら涼やかな風が入ってきた。空がいつもよりも青く、世界が煌めいている。
なんだか、カーティス領からも祝福されているような気がする。
「え、自由だ……」
声に出したら余計に嬉しくなってしまった。今日は何をしよう。
嗚呼、今日の予定を自由に考えるってなんて素晴らしいんだ!
セドリックの傍にいる紙人形が「勝訴」といううちわを持って踊っていた。
ドアの枠に手をかけて、「うーん」と伸びをしたらバキキっ!! と嫌な音を立てたので慌てて離した。この家がボロ屋だということを、つい忘れてしまう。
そうやって数日間、セドリックは自由を謳歌した。
ノエルは、セドリックが何をしても褒めてくれる。部屋の掃除をすれば「ありがとう」が返ってくるし、ご飯を作ればどんな簡単なものでも「奥様は料理上手ですね」とニコニコしながら言ってくれる。
きっと、褒めるところがなくても「呼吸が上手ですね」とか言うんじゃないか。そう思ってしまうほどに、ノエルはセドリックについて何でも受け入れてくれた。
そんなノエルの態度に、王都ですり減っていたセドリックの自尊心は回復しつつあった。
セドリックがまず、行ったのは庭の手入れだ。魔導式のコンロしか無いこの家では、ノエルの手を借りなければお湯を沸かすことすらできない。
せめて庭にかまどが欲しい。
このままでは出来合いのパンを食べるだけの毎日になってしまう。かまどがあれば出来合いのパンでも温められるし、お湯も沸かせる。鍋があれば料理もできる。
冷めたスコーンですら美味しそうに食べてくれたのだ。温かい手料理とかをお腹いっぱいノエルに食べさせたい。
まずは庭の伸び切った草をどうにかしなければいけない。かまど設置予定部分だけでも。
火事になったら木造建てのこのあばら家なんて一瞬で燃え尽きてしまうだろうから。
そう思って庭の荒れ果てた草をぶちぶちと抜いていたら、気づいたら紙人形が手伝ってくれていた。
小さい手でちまちまと抜いている。セドリックの真似をしているだけかもしれないが、可愛い。
――これを「甘やかすな」とか無理では?
手が汚れないように、雑貨屋で買った指サックを改造して紙人形用の手袋を作った。
甘やかしていない、これは仕事で必要なものを支給しただけだから。と言い訳しながら。
この数日間でわかったことだが、ノエルが正気でいる時間はほんの僅かだ。数日間で、両手分の時間を越えないくらいの、ほんの短い時間。
その短い時間であってもセドリックはノエルの世話を甲斐甲斐しく焼いた。
一緒に御飯を食べて、お風呂に入れて、お風呂から上がったら全身のケアをした。
王宮にいる時のほうが周りに人は居たはずなのに、あの頃のほうがずっと孤独だった。
正気の時間は全力でセドリックの甘やかしを受け入れてくれる。
ケアをしたらお礼を言われるし、何をしても全力で「奥様ってすごい!!」とキラキラした目でこちらを見てくれる。
拒絶される気配はない。……少なくとも今のところは。
そんな満たされた日々が続いていたのだが……。
「私も行く」
「ぜっったいだめです」
二階のドアの前をセドリックは陣取り、外へ出ようとするノエルと攻防していた。
脇の下からすり抜けられそうになるが、その前に素早く動いて扉から出ようとするノエルを全力でガード。
哨戒塔からカンカンと鐘の音が響いている。魔獣出現の合図だ。
「私は元騎士だ。絶対に役に立つ」
「お言葉ですが、その時周りには何人居ましたか?ここはカーティス領です。自警団はありますが、王都の騎士団と違って人数が少ないんです。わたしだって戦いながら奥様を守れるとは限らない」
いつもどこかぽやぽやとした喋り方なのに、立て板に水を流すように反論してくる。それも言っている内容も真っ当だ。
最近、幼子にやるように彼女を甘やかしてケアしていたからつい忘れていたが、彼女は数年間、カーティス領をひとりで統治してきた立派な領主なのだ。
いつもの「奥様〜」と言って慕ってくれるノエルの顔と違い、今の彼女の顔は、完全に「庇護する側」の顔をしていた。
「守ってくれなくて良い。自分の身くらい自分で守れる」
ち、とノエルが小さく舌打ちをした。
初めて見せるノエルの反抗的な態度にセドリックは思わず固まった。
セドリックのやることを一切否定せず、すべてを受容する方針のノエルだが、彼が魔獣と戦うことだけは明確な拒絶を見せていた。
ノエルが扉から遠ざかる。諦めてくれたのか、そう思ってセドリックは油断してしまった。
「抑えといて!」
ノエルの号令に、紙人形たちがセドリックの足元に一斉にまとわりつく。
「遊んで」「行かないで!」「ここにいて!」とでも言うように、セドリックの足をぺちぺちと叩いたり、トラウザーズを引っ張ったりする。
「え、うわっ!!」
とはいえ、所詮は紙だ。それぞれの力はそんなに強くない。
「奥様、そいつらめっちゃ弱いから魔獣討伐に連れて行ったら全員死にますよ」
ノエルはそう言い残して、窓枠に足をかけてそのまま窓の外に飛んでいった。
「ノエルー!!!」
六体の紙人形を慌てて回収し、窓から外を見る。……元気に走り去るノエルの姿がそこにあった。
「また逃げられたー!」
思わず窓枠を叩きそうになるが、既に外れかけているのだ。セドリックが叩いたら完全に外れてしまう。
悔しい。だってまさか、令嬢が二階の窓から飛び降りるとは思わないじゃないか。
いや、規格外の令嬢だとは分かっていた。自分が甘かったのだ。
次からは紙人形を買収して、窓も塞いでからやらないといけない。
――セドリックだって分かっている。
『庭にかまどを作ってもいいけど、火傷しないで』とか『魔獣討伐についてくるのは反対』とか……。ノエルが渋ったり、反対の意思を示すのは、いつだってセドリックに危険が及ぶかもしれないことだ。
嫌がらせで反対しているわけではない。
ノエルなりに大事にしたいと思ってくれているから、反対されているのだ。
騎士団ではセドリックはたびたび危険地域に派遣されていたことを思い出した。
自分が頼られているからだ、と思っていたけれど……。
(あれは、「魔力を持たない恥晒しは危険地域で殉職してこい」って意味だったんだろうな)
だが不幸なことに、魔法の才能は無くても剣技の才能があったセドリックはしぶとく生き残ってしまった。
それに比べたら今の扱いはノエルから大事にされているからこそ、だ。
彼女にとって「奥様」は守るべき存在であり、危険に巻き込みたい存在ではないのだ。
セドリックだって分かってはいるけれど……。
家事以外で役に立ちたい。ノエルのワーカーホリックをどうにか改善したい。
領主の仕事や商会の仕事にはどうしたって引き継ぎがいる。
正気でいる時間が短いノエルには、その時間でさらにセドリックのために引き継ぎをしてほしいとは思えない。むしろ休んで欲しい。
だから、一番早くノエルの役に立てそうなのが魔獣討伐なのに、本人から拒否されてはどうしようもない。
「君たちさ、私に寝返る気はない?」
試しに紙人形に問いかけてみるが、一斉に首を横に振られた。
紙人形たちもセドリックが魔獣討伐しに行くのに反対らしい。
(あと、舌打ちされた〜……)
地味に、ノエルから舌打ちされていることにショックを受けたセドリックだった。
***
――などと考えていたのだが。
朝に魔獣討伐へ出ていった配偶者が、道端で倒れていた。
セドリックは道端で倒れている自身の配偶者を見ながら考える。
最初は「行き倒れかな?カーティス領も意外と治安が悪いな」なんて思っていた。
だが、近づけば近づく程見覚えがある。赤茶けた髪も、羽織っていった外套も、小柄な体型も。
見かけた瞬間は息が止まりそうな程驚いたが、そういえばそろそろ前の睡眠から三日が経つ。
彼女の言う、「限界」がきて、家にたどり着く前に気絶したんだろうと推測できた。
倒れているノエルには日傘がさされていた。たぶん、日よけのために優しい人がさしてくれたのだ。
立てかけられた看板にはこんなふうに書かれていた。
『領主様です。寝ているだけなので葬儀屋は不要。
そのうちご自分で起きます。
お供えは日持ちするものを選ぶこと。生モノ不可!』
セドリックはしばらく看板を読み直した。一度では受け入れきれなかったので。
受け入れた後に、過去に起こったであろう出来事が容易に想像できた。
(たぶん、倒れてたら葬儀屋を呼ばれたんだろうな……で、起きて周りが皆びっくりしたと)
看板の近くには缶詰やりんご、パンがお供えされていた。
ノエルを抱きかかえる。彼女は細くて、片腕で抱きかかえられてしまうのが、むしろ悲しかった。
こんな状態の女の子に魔獣討伐なんてさせたくないのに。
今は買い物帰りで、水とミルク、他にも細々とした雑貨類を手にしていたのだが、すべてを持ち帰ることは不可能だ。
一旦ノエルを抱えて家に戻ってまた取りに行くしか無いか。
その間に盗まれたらまた買いに行こうと覚悟を決める。
(別に井戸水でも良いんだけど……でもやっぱり買った水のほうが美味しい気がするし……)
そんなふうにもだもだとしていたら、「よかったら荷物を持ちましょうか?」と声をかけられた。
セドリックよりも年上のふくよかな女性で、人の良さそうな顔をしていた。
セドリックはありがたくその好意を受け入れることにした。
「あの、領主様との関係は……?」
「……配偶者です。先日、籍を入れたばかりでして」
『夫です』と自信をもって言えなかった。なにせ彼は自宅では「奥様」と呼ばれているので。
セドリックのそんな悩みにも気づくこと無く、女性はぱあ、と笑ってくれた。
「それはおめでたいですね! 新婚さんで、幸せいっぱいですね」
「はい」
疑いようもなく、セドリックは幸せだった。
少なくとも王宮にいるときは「個」の幸せについて考える余裕すらなかった。
「あの、ノエルが倒れてるときに日傘がさされていたと思うのですが、あれってどうしてかご存知ですか?」
セドリックの問いかけに、女性は一瞬表情を固まらせたあと声を落として話してくれた。
「じつは前の領主代行の方が、あまり良い方ではなくて――」
女性の口から語られたのは、前の領主代行……おそらく、ノエルの前にカーティス領を治めていた人間の横暴についてだった。
無茶な税金の取り立てや、気に入らない領民への虐待、税金を払えなかった店を燃やしたこともあったらしい。
領主代行にたまたま手が触れただけで手を切り落とされた人も居たとか。
あまりにひどい所業の数々にセドリックも眉をひそめてしまう。
「それで、新しい領主様がどんな方か分からないから、あんな感じに……」
下手に手を出して、その作法について罰せられるくらいなら、「気付かなかった」ふりをして居る方が良いと思ったようだ。そしてノエルも「気付かれなかった」ことを気にしなかった。
カーティス領は「絶望の土地」とか「見捨てられた大地」とか言われていた。
種を蒔いても芽吹かず、夏の暑さで何人か死に、収穫の時期には魔獣に襲われる。
冬は絶望の季節だ。赤子や弱ったものから死んでいく。
ノエルが就任してからは変わった。
まず、ありとあらゆる種類の種を個人資産で買い集め、蒔いた。
その中で、カーティス領に合いそうなものだけ領民に無償で分け与えた。
魔獣狩りをすすんで行った。
行く先のないもののために使われていないカーティス領の建物を改造して、冬場に解放した。人は一箇所にいたほうが燃料が少なくてすむ。
他にも細かいことは多々あるが、ノエルが就任してから、冬場の死人はゼロになった。
カーティス領を良くしてくれている。住民たちにもそれは分かる。
だが、常に外套のフードを目深に被り、必要最低限しか喋らない領主に対して、住民たちはどう対応していいか分からない。
下手に眠れる獅子を叩き起こして、前のように罰せられるのも嫌だ。
だから倒れてるノエルに日傘をさしたり、お供え物をしたり……という「遠巻きな善意」だけはするようになった。
どうやらこの女性も、女の子が倒れているのにその場に放置、という対応に違和感を覚えていたようで、セドリックに話してくれたようだった。
「私達は前の領主とは違います。理由もなく罰したりはしません」
そういうと、女性は明らかにホッとした顔をしていた。
「もし、今後、彼女が倒れているところを見かけたらお知らせください。迎えに行きますので」
家に帰ったセドリックは満足していた。
思わず鼻歌まじりに階段を上がってしまうほど。ノエルを抱えたままだったが、重さなんて気にならなかった。
(ご近所との交流、配偶者について知ること――。これって「奥様」らしい行動っぽい気がする)




