第7話 婿入り王子は二度目の初夜もすっぽかされる
(危なかった! 色々と、本当に危なかった!!!)
セドリックは顔を自分の手で押さえたまま一階の部屋の椅子に座り込んでいた。心臓が奏でたことのない音を鳴らしている。
バスタオルが落ちかけた瞬間、三枚の紙人形が飛び込んできて決定的な場所を華麗にブロック。
……ノエルの大事なところは、紙でできた盾によって守られた。
紙人形たち、ぐっじょぶ。セドリックにとっては命の恩人である。
その代償にお湯をたっぷりと吸い込む事になった紙人形たちはタオルドライされた後、分厚い本の間に挟まれることになった。
しばらく待っていると、パジャマに着替えたノエルがやってきた。
セドリックが用意したのはくすんだピンク色をしたもこもこのパジャマだ。思った通りよく似合っている。
ふわりと、石鹸とシャンプーの甘い匂いがした。それだけで、不思議と安心した。
さて、何から話すべきだろう。聞きたいことも言いたいこともあるが……。セドリックがそう思案していると、先にノエルが口を開く。
「お風呂の入り方を教えてくれてありがとうございました。お風呂って気持ちいいんですね」
椅子に座ったまま深々とお辞儀をされた。
「どういたしまして。明日からもしばらくは一緒に入る。ちゃんと洗えているか確認するからね。……そのうち、一人で入れるようになろう」
自分で言っておいて、思わず笑ってしまいそうだった。
「一緒にお風呂に入る」なんて甘酸っぱい新婚イベントのはずが、雰囲気はどう見ても入浴介助だったので。
「あ、そうだ。奥様のお世話をする人を雇ったほうが良いですか?」
「いらない。というか、この家だと狭すぎて入らないでしょ」
二階建てのあばら家で、部屋数は二つ。庭は広いけどそれしかない。そんな状態だ。なにせ、ベッドだってシングルベッド一つしかないのだ。
通常の貴族であれば住み込みで人を雇うが、どう考えても雇うだけのスペースがない。
「あっ……」
小さく口を開いたあと、気まずそうに目を逸らした。
指摘されて初めて「家が狭い」という事実に気づいたらしい。
表情がすぐ顔に出るから、裏表のなさがすぐに分かる。
駆け引きをしなくて良いのは、セドリックにとって随分と気楽だった。
「私は一人でなんでもできるから、従者も必要ないよ。この程度の家なら、私一人で管理もできるし」
掃除も料理も家の補修も、一通り何をすればいいのか知識はある。
欲を言えば馬丁が欲しいが、馬小屋をこのあばら家の隣に建てるとしたら、馬小屋のほうが立派になってしまいそうだった。それだったらいっそ引っ越しをしてしまった方が良い。
「うー……。わかりました。必要なものがあればなんでも言ってください。わたしはそういうの、疎いので」
釈然としないような顔をして、ノエルはそう言った。
「ところで、私がカーティス子爵になったから、領地の管理は今後は私がするべきだと思うんだ。……領地を管理しているのはノエルであっているかな?」
「領地の管理……。魔物の討伐をしたり、帳簿を付けたり、納税額の計算をしたり、見回りをしたりってことであってますか?であれば、わたしがしています」
本来であればそれをするのはノエルの父である元カーティス子爵か、彼から委任された領地管理人だ。
だというのに、娘であるノエルがしている。どう考えてもおかしい。
違和感が膨れ上がっていく。
「引き継ぎをしたいんだ。現状を教えて欲しい」
その質問に、ノエルは初めて難色を見せた。
腕を組んで「うーん」と考え込むようにセドリックを見る。
(いきなりきて、仕事を引き継げ――というのは、横暴が過ぎたか?)
セドリックはすでにカーティス子爵である。この領地になにか問題があるなら早急に対応しなければいけない。
しばしノエルの言葉を待つ。だが、ノエルからかけられた言葉は、セドリックが想像もしていなかった言葉だった。
「奥様ってずっと王子様だったんですよね。忙しかったんじゃないですか?……先に休んだほうがよくないですか?領地の運営を引き継いだら、休めないですよ」
実はこうして話している間にも紙飛行機がノエルの頭の周りをくるくると回ったり、机の上では紙製のラッパがけたたましい音を立てて返事を催促していた。
一瞬、理解が追いつかなかった。
「だって、わたしたちは家族になったんだから、これから先ずっと一緒にいるんですよ?ちょっとくらい休んだってばちは当たらないですよ」
二十四年間、ひたすら努力して、王族としての責務を果たしてきた。
だというのに、魔力がないというだけで見限られ、遠ざけられた。
そのくせ面倒な仕事ばかり押し付けられてきた。挙句の果てにはこうして辺境の地へ追放された。
“休んでも良い”なんて、誰にも言ってもらえなかった。
『ずっと一緒にいる』
そんな未来を、彼女は何の疑いもなく肯定してくれた。
それがやけに、心の柔らかい部分に響いた。
「わたし、奥様にはオモシロオカシク生きてて欲しいですよ。領地経営だって、奥様が楽しくないって思ったら、わたしがこれからもやります」
胸の奥がきゅっと痛むように熱くなった。
どうしてだ。
目の奥がツンとするような、今まで満たされたことの無い何かが急速に埋まるような、説明のつかない感情が押し寄せてくる。
誰も言ってくれなかったこと――セドリックが今まで一番言われたかった言葉たち。
あったばかりの妻が当たり前のように口にする。
その事実が、何より心を震わせた。
赤くなった頬を誤魔化すためにもセドリックはお風呂に入ることにした。
わざと冷たいシャワーを浴びて、火照った頬を冷ました。
おかしい。
「徹底的に依存させてから捨ててやる!」と意気込んでいたはずなのに。
ちょっと優しくされて、「休んで良い」なんて言葉をかけられただけで絆されている自分の単純さが嫌だった。
今まで誰からも愛されてこなかったセドリックにとって、ノエルの無条件の受容は、麻薬のように甘く、危うかった。
セドリックはふと気づいた。もしかして、今日が本物の初夜なのでは?と。
二人が書類上、夫婦になった日――セドリックが一人で婚姻届を出した日にはノエルは王都にいなかった。
今日は夫婦になった二人が、初めて同じ屋根の下で眠る日だ。
「初めての夫婦の夜」を自覚したら心臓がまた大きな音を立て始めた。
ついでに、冷たいシャワーで落ち着いたはずの頬が、また熱を持つのが分かる。
――もし、臭いとか言われたら一生立ち直れない気がする。
身体を念入りに洗うことにした。
(そういえばまた奥様呼びについて指摘するの忘れてた)
ノエルの「奥様」呼びには裏がない。婿入りすることになったセドリックを下に見ているわけでもない。
(……なら別に、このままでも良いのでは?)
風呂から上がって、キッチンに戻るがノエルは居なかった。
暖炉の前に椅子を持ってきて、髪の毛をタオルドライしながらぼーっと待つ……。
が、長い髪の毛を乾かし終わっても、暖炉の炭が燃え尽きても、戻って来る気配はない。
二階にあがると、ノエルが机に向かって仕事をしていた。
セドリックが入ってきたことにも気づかず、そのまま何かを書き続けている。
紙人形たちが机の上のパンをちぎってはノエルの口に運び込んでいた。
「ノエル?」
声をかけても視線がこちらに向くことはない。気づいていないようだ。
近づいて肩を揺すっても反応がない。
――まるで、セドリックがいないものであるかのように仕事をしている。
机の上には広げられた四枚の書類。時折、ノエルの視線が空中に浮いている本にむいては、また手元に戻る。
ノエルの瞳は、暗く何も映していなかった。
ペン先が紙を走る音だけが、部屋に一定のリズムを刻んでいる。
無言で、ただひたすらに、何かを書き続けていた。
何かがおかしい。
「ノエルッ!」
慌てて机から引き剥がすが、ノエルの動きはわずか数秒止まっただけだった。
ペンではなく今度は指先で空中に何かを書き記す。ノエルの指先から黒い線が生まれ、空中に文字を刻んでいく。
(昨年のカーティス領のインフラ予算?)
そこに書かれた数値はすべて正確だ。
カーティス領に関する数値は一通り見ているから、間違えるはずもない。
昨年の数値の隣にまた別の数値を書き記していく。おそらくこれが今期の予算なのだろう。
手元の紙に書けなくなったから、仕方なく空中に書いているように、そう思えた。
ノエルの視線が空中に浮かんだままの本に向いた。どうやら、領内で過去に起きたトラブルの記録らしい。
「”ゼネ、カイネの鶏の卵を巡るトラブルに関しては、生まれた卵は領主預かりとする。これで九回目の同様のトラブル。次回同様のトラブルが発生したら両家の家畜をすべて領主管理とするよう通達”」
ノエルが口にした瞬間、水色のシャボン玉がノエルの口からふわりと浮かび上がった。
どうやらセドリックが昼間壊してしまったのと同じ種類の、あのメモらしい。
セドリックが手を離せば、ノエルはまた椅子に座り直して机に向かって仕事を再開した。
机の上を改めて見ると、予算と領地トラブルの資料に、異国の本と、それをノエルが翻訳した紙が広がっていた。浮かぶ本は辞書だ。
インフラ予算を組みながら、領民同士のトラブル裁定をして、異国の本を翻訳する。
本来であれば領主は文官が作成した書類をチェックするだけでいいはずだ。
だがノエルは作成から完成まで一人でやっている。
この状態を見たら、そうとしか思えなかった。
(なんでこんな子が辺境で領主なんてやってるんだ!?)
王子だったころの自分の部下にほしかった。切実に。
セドリックの中で手が回らず流れた数多の政策が頭に浮かぶ。
彼女は間違いなく、王宮の職務専用の文官たち数人分の働きをしている。
呼んでも気付かず、机から離されても止まらずに仕事をし続ける姿――。
そこに“居る”のは人間ではなかった。働くためにうまれてきた機械が、そこにある。
そう言われたほうが、よっぽどしっくりときた。
セドリックの胸に広がったのは、静かな絶望だった。
どうしてもっと早くに、この子を見つけてあげられなかったのだろう。
どれほど長い間、ひとりで頑張っていたのだろう。
セドリックの視界の端で紙人形がパタパタと身体を折り、文字を次々に形作る。
『ノエル ネナイヨ』
「ねない?」
『シュウチュウ モード!』『キヅカナイヨー』
一通り文字を形作った後の紙人形は井戸端会議を始める。
じゃんけんを数回したかと思えば、自分たちが同じ手しか出せないことに気づいたらしい。
まだ濡れジワの伸び切っていない一枚が、他の五枚に押し出されてセドリックの足元に転がった。
紙人形は、セドリックのズボンの裾をくいくいと掴む。
導かれたのは、あのシングルベッドだった。布団をぽふぽふと叩いている所を見るに、「先に寝ろ」と言ってるらしい。
寝転がって、天井を見ていたら人差し指にカサリと紙が当たる感覚がした。
どうやら眠るまで、紙人形はセドリックの手を握っていてくれるらしい。
ベッドからは、新品の匂いがした。たぶんこの布団は、一度も使われたことがない。
これもきっとセドリックのためだけに用意した布団だ。
腐りかけて黒ずんだ天井の汚れを見ながら、セドリックはひとりごちた。
「……また、初夜すっぽかされたな」
あと、夕食も食いっぱぐれた。




