第4話 婿入り王子は今日から奥様になりました
「養うのに毎月いくらかかるんですか?」
無邪気な口調で投げかけられた言葉の意味を理解するより先に、胸の奥が冷たくなった。
家族になれるかもしれない。
そう思った直後だったからこそ、その一言はひどく鋭く胸に刺さった。
(金食い虫だと思われているのか)
手が少しだけ震えていることに気づいたが、ティーカップを指先で握ることでなんとか抑えた。
王子としての矜持は捨てたつもりだった。
けれど、人としての価値まで値踏みされたようで、言葉が出てこなかった。
結局はあのタウンハウスにいた元子爵夫妻と同じなのか。
金銭でしか人を測れない人間。
それが、自分の配偶者なのか。
そう思うと、何も言えなかった。
言葉の意味を問い返す間もなかった。
カンカン、という鐘の音が哨戒塔から聞こえてきたことによって会話は遮られた。
ノエルはピクリと顔をあげた。――まるで、獲物を見つけた猟犬のように。
そのままティーカップを手に取り、ぐび、と一気に飲み干した。
「……魔獣です。すぐに行ってきます」
立ち上がったノエルの目に、一瞬で剣呑な色が滲んだ。
さっきまで「奥様」ができたことに対して幸せそうに笑っていた人間と同一人物だとはとても思えない。
「ここまで魔獣が来ることはないと思うので、村の中であれば自由に過ごしていてください。あなたの行動を制限する気はありません」
そう言うとノエルは机の上に袋を置いた。重さで机が鈍い音を立てる。
中には大金貨がぎっしり詰まっていた。
「当面の生活費です。必要なものがあればこの中から出してください。足りなくなったら言ってください」
矢継ぎ早に告げられる彼女の声は淡々としていた。
言いたいことを終えた彼女は部屋の隅にあったコート掛けから外套を手に取り、羽織った。
「待って! 魔獣の討伐であれば私も同行しよう」
セドリックは椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
騎士団に所属していた自分が行けば、少なくとも戦力にはなる。
……何より、この不思議な配偶者を一人で行かせるなんて元騎士として許せない、そう思ったので。
先程の無礼な質問なんて頭からすっぽりと抜け落ちていた。
ノエルはセドリックからの申し出に、きょとんとした顔で固まった後「だめですー!」と大きな声で言った。
「奥様、あのね、魔獣っていうのは大きいんですよ。怖いんですよ! 『がおー!』ってしてくるから……」
ノエルは突然、椅子の上で立ち上がり、両手を上げて威嚇ポーズをとった。
そこまでして、ようやくセドリックと目線が同じになった。
「奥様なんて、『ぱくー!』って食べられちゃいます!」
本人は真剣そのものだった。「こんなに怖いんだぞ!」と見せつけるような。
だが、セドリックにはノエルの背後にアライグマの威嚇している姿が見えた気がした。
なんだかよくわからない。
ただ、自分の配偶者がどうしようもないくらいに可愛いことしか分からない。
「わたしは強いから大丈夫です。だから、いい子で待っててください……ね」
まるで幼子に――いやむしろ、愛しい奥様に言い聞かせるような口調だ。
あまりのギャップにセドリックが固まっていると、ノエルは満足したのか家から出ていく。
こうしてセドリックは廃墟同然の家に一人取り残された。
(まるで生活費だけ渡して仕事に出ていく夫のようだ)
そして、自分が家庭に取り残される妻役。完全に立場が逆転している。
――王子から子爵家に婿入りした自分には「旦那様」よりも「奥様」がお似合いなのかもしれない。
そう自嘲しつつ、決意した。
セドリックは身の回りのことは一通りできるし、料理も、日曜大工も、教養も、自分に知識があるものは何でもできると自負している。
彼女の生活を見ている限り、生活力は皆無で破綻している。
元王子であるセドリックのほうが明らかに生活力が高い。
――彼女が自分に「奥様」を望むなら「そう」なってやる。完璧な奥様に。
まずは、「奥様」として、家を守るところから始めよう。
具体的には――隙間風が容赦なく吹き込む壁の補修と、床の掃除から。
そのあとは美味しいご飯で懐柔するのだ。
一度上がった生活の質を手放すことは難しい。
ノエルを自分に依存させて、いつかすがりついてくる彼女を笑って捨ててやるのだ。
――そんな子どもじみた復讐心が湧く程度に、彼は傷ついていた。
***
隙間を埋めるだけのはずが、腐食して崩れかけた板を取り換え、外壁まで補強する羽目になった。
それでも、ようやく人が住める家になった気がする。……少なくとも、キッチンとダイニング周りは。
セドリックはふぅと息を吐き、補修された壁を眺めてひとつ頷いた。
ノエルが魔獣討伐に出かけた後、セドリックは街へと足を運んだ。
大通りの石畳の道は真新しく、つまづくような亀裂一つない。王都の道よりもよく整備されているかもしれない。辺境の廃墟に住む領主が整備した道とは、とても思えなかった。
材木、大工道具、食料。あの家の様子からして、掃除用具もないだろうと察して、箒や洗剤、雑巾なども一式を揃えることにした。
材木類はさすがに重く、住まいまで配送してもらうよう頼んだが、店主は快く引き受けてくれた。
魔獣が出没しているから外に出ている人は少ないが、そこに悲壮な空気は見受けられない。
ノエル――あの不思議な女は、どうやら見かけによらず、領主としての責務を果たしているらしい。
気づけば、掃除まで終えていた。
王宮では放置されることも多かったので、自分でも一通り身の回りのことや掃除ができるようにしておいた経験が、まさか辺境の地で活かされることになるとは。
ざらざらとした床は滑らかになり、埃ひとつない部屋に陽光が差し込んでいる。
こんなことなら床用のワックスも買ってくるべきだったか。
セドリックの完璧主義がむくむくと顔を出す。
まだ明るいし、もう一度買い物に行くのもありかもしれない。
『だから、いい子で待っててください……ね』
先ほどのノエルのセリフを思い出し、途端にセドリックの心臓がバクバクと高鳴る。
なぜ今更そんなことを思い出しているのか、自分でもよくわからなかった。
ばきり、と握りしめたままの箒が嫌な音を立てたので慌てて離した。買ったばかりの掃除用具を壊してしまうわけにはいかない。
(……あのセリフは、どういうつもりだったんだ)
セドリックはどう見ても「愛しい奥様」という風貌ではない。背中の中腹まで銀色の髪を伸ばしているし、中性的で整った甘い顔立ちをしてると言われることもある。
だが、ノエルよりも頭一つ分以上は背が高いし、騎士団に所属していたこともあってガタイも良い。
だというのに――おかしい。
まるで彼女にはセドリックが「結婚したばかりの愛しい奥様」に見えているみたいなセリフだった。
ノエルのことがいまいち分からない。
彼女は手紙にはまともに返信をよこさないし、婚姻届だって適当で、初夜だってすっぽかすような非道な人間――そのはずだ。
だけど、椅子や高級な紅茶をセドリックのために用意してくれていた。
ティーポットは一度も使われたことのない新品だったことから、彼女は紅茶を飲まないのにわざわざ準備したのだ。……セドリックのためだけに。
そんなことをする人間が、「養うのにいくらかかるんですか」なんて言葉を投げるだろうか?
彼女は、拒絶しているようで、歓迎している。
無関心なようで、準備だけはしっかりとする。
――優しさなのか、無神経なのか、それとも別の理由があるのか。
それが一番、セドリックを困惑させた。




