第3話 婿入り王子は妻と邂逅する
――会ったこともない妻に、まずはなんと声をかけるべきだろうか。
宮廷式の皮肉か。
それとも、単刀直入に追い出すか。
――いや。
まずは、相手の出方を見る。
わざわざ無礼なことをしてきた相手と同じところに堕ちる必要はない。
セドリックが魔法が使えないことはそのへんの猫でも知っているような話だ。
きっとセドリックが魔法を使えないことについて嫌味混じりに言ってくるだろう。
これまでの貴族は皆そうだったから。そうしたらこちらも相手の無礼について言い返してやれば良い。
そんなことを考えてカーティス領に向かっていたら、本来なら三日はかかる道のりを、セドリックは二日と少しで走破した。
「……本当に、ここですか」
セドリックは草だらけの庭に目をやりながら、三人目の村人にそう尋ねた。
(間違いだと言ってほしい。今からでも)
朝焼けのなか目の前に広がる光景が信じられなくて、つい三人も捕まえて聞いてしまったのだ。
「ええ、ご領主様のお家はここですよ」
屋敷ですら無いからか、彼はそこを「家」と呼んだ。「廃墟」と呼ばなかったのは村人なりの優しさだったのかもしれない。
木造の建物は色褪せていて、ところどころ腐食が進んで黒ずんでいた。
壁にはツタが這い、二階の窓枠に至っては歪んで外れかけている。
廃墟――それ以外の言葉が出てこなかった。
どう考えても、あの夫妻の娘が住む家とは思えなかった。
成金趣味のゴテゴテした屋敷を想像していたのに。
セドリックは馬を休ませる場所を探した。馬小屋も無く、馬丁もいないので庭と思われる場所に繋いでおくことにした。手入れされておらず雑草が伸び放題だった。
……愛馬にとってはごちそうかもしれない。よほど疲れていたのか、もしゃもしゃと草を食み始めた。
こつん、とセドリックの靴に何かが当たる。足で蹴飛ばして確認してみたら「領主のお家」とペンキでなぐり書きされた板が置かれていた。
本当に彼女がここに住んでいるらしい。
セドリックは覚悟を決めて――手作りと思わしき壊れかけのドアノッカーを打ち付けた。
ばたばたという忙しない足音のあと、ドアが音を立てて開かれる。ドアは一度どこかで引っかかり、その後、力任せにガリッと音を立てて開かれた。
王宮では一度も聞いたことのない音だった。
出てきたのは、セドリックよりもはるかに小柄な女だった。
(小さい……!)
まず、思ったのはそれだ。
ひどい猫背だからか、必要以上に小さく見える。頭のてっぺんがようやくセドリックの胸元に来るくらい小さい。
燃えるような赤い髪は好き勝手な方向に跳ねていて、首元で不揃いに切られている。指先にはインクの黒色が滲み、服にもインクの染みや正体不明の汚れが目立った。
――まるで、平民の少年のような見た目だった。
この国の貴族階級にある者は長髪を維持する。艶やかな髪は富と魔力の象徴。セドリックも魔力は無いが髪の長さは保っていた。
行儀見習いだろうか、と当たりをつける。
「ノエル・カーティスはいるか?」
「……わたしです」
小鳥がさえずるような、小さな声だった。
一瞬理解が追いつかず、セドリックは固まった。
これが、セドリックをさんざん無視してきた書類上の妻?
高慢ちきな性格で豪華な衣装に身を包んだ想定妻のイメージがガラガラと脳裏で崩れていく。
セドリックの動揺にも気付かない様子で、ノエルはゆっくりと首をかしげた。
琥珀色の目が瞬き、セドリックを捉えた。
――その視線に、セドリックはわずかな既視感を覚えた。
「ええと……」
彼女の顔には、困惑の色が浮かんでいた。きっと、セドリックが誰かわからないのだ。
せめて顔くらい把握しておけ。確か宮廷絵師に描かせた似顔絵を送ったはずだから。
なお、送った似顔絵にも返事は無かった。
「セドリック・エル――いや、カーティス。あなたの夫だ」
少しの間が挟まった後、合点がいったようで、彼女はぽん、と手を叩いた。
「……ああ! ようこそ遠いところをおこしくださいました!」
歓迎の言葉はまるで事前に準備されていた台本を読み上げるような口調だった。
「狭いところですみません」
キッチンとダイニングが一緒になった部屋に通された。
これまでを思うと、てっきり水でもかけられるか、暴言を吐かれるか受け入れてもらえないかと思っていたのに。
四角いテーブルを挟むように椅子が二脚置かれている。セドリックの座った方の椅子は新しく、テーブルの色と合っていなかった。
(……足の裏がざりざりする)
今すぐ掃除をしたくなった。たぶん、この部屋、長年掃除がされていない。
机に手を置いたらガタガタと危なっかしく揺れた。
「ええと、お待ち下さい」
そう言って彼女はキッチンの隅に置かれていた袋からティーポットと紅茶の袋を取り出した。
紅茶の封をあけ、しばらく固まったノエルはティーポットにそのまま茶葉を入れようとしていた。
ノエルの手つきは、どう見ても“紅茶を淹れたことのある人間”のそれではなかった。
「私がやります」
そう言って、セドリックはノエルの手元から茶葉の袋をそっと取り上げた。
茶葉の袋をそのまま逆さにしてティーポットに流し込もうとするあたり、淹れ方すら知らないらしい。
……見ていられなかった。
セドリックは昔、家族を喜ばせたくてこっそり侍女たちに紅茶の淹れ方を習ったことがある。
もちろん、誰かに淹れてと頼まれたことなんて、一度もなかった。
袋に記された銘柄に、セドリックは固まる。
隣国のごく一部でしか栽培されず、市場に出回るのは年に数度という幻の紅茶だった。宮廷ですらなかなかお目にかかれない。
もちろん、宮廷で「いないもの」として扱われていたセドリックのもとに回ってきたことなんて無い。
思わずゴクリと喉が鳴る。
ノエルは、ぽかんとした顔でセドリックを見つめたあと、何も言わずに道具をそっと差し出した。
紅茶を入れながらも、セドリックはノエルを観察していた。
二階から色とりどりの紙が彼女の周りへ一直線に飛んでくる。飛行機や鳥、人型をしたそれらはぴいぴい、ぴよぴよと思い思いの音を立てながら彼女の周りをふよふよと好き勝手に飛んだ。
ひとつ受け取って、中身を確認して胸ポケットに入れていたペンで何かを書いて、魔力を込めてまた飛ばす。そしてまた次の紙を開く。
……婚姻届も、ああやって“適当に”書いたんだろうか。
紅茶を入れて、二人は机を挟んで椅子に座る。ようやくひと心地つくことができてホッとした。
ノエルはカップの縁を鷲掴みするように持って、そのままふぅふぅと冷ましてから飲んだ。どうみても貴族令嬢のお茶の飲み方ではない。
「美味しいです! 紅茶を淹れるの、お上手なんですね」
そう言って毒気のない笑顔を浮かべた。それを見ていたら、引きつっていたセドリックの頬も緩んだ。
(……まずい)
紅茶はうまいが、状況はまずい。完全に出鼻をくじかれた。
まさか褒めてもらえて、しかも笑顔まで向けてもらえるなんて想定外だった。
完全に追い出す気でいたからどういう会話をしたらいいかすらわからない。
「紅茶なんて普段飲まないから、不慣れで申し訳ありません」
セドリックがなにかいうより先にノエルは深々と頭を下げた。
びゅう、と外で風が吹くたびに家屋がガタガタと嫌な音を立て、砂埃が隙間から舞い込んだ。
「婚姻届、提出していただけたとのことでありがとうございます」
(郵便を出しておいてくれてありがとう。くらいのノリで言われた……)
そうしている間にもまた紙が入ってきて、ノエルの周りを飛び始めた。
鳥の形をした紙がノエルの髪を啄む。返事を急かしているように思えたが、ノエルはマイペースに紅茶を口に運んでいた。
「――わたしとセドリック様は、家族になったんですね」
ノエルの琥珀色の瞳が柔らかい弧を描く。
セドリックはこの時はじめて、ノエルの目の下には濃い隈があることに気づいた。
そういえば、頬も少し痩けていてどこか不健康そうな印象を受ける。
「うん、そうだね」
目の前で紅茶を飲む配偶者は、この結婚を本当に喜んでいるように――少なくとも今は、そう思えた。
「婿入りということは、セドリック様はわたしの奥さん――いえ、奥様になるんですね!」
(……いや、それは、君のほうだ)
すぐにそう訂正するべきだった。
けれど、ノエルは目を輝かせ、両手を頬に当てたまま満面の笑みで続ける。
「はわー……。奥様、奥様かあ……いい響きですね」
その言葉を、まるで口の中で甘い砂糖菓子でも転がしているかのように繰り返す彼女を前に、言葉が詰まった。
一瞬、何かの冗談かと思ったのだ。
第一王子でありながら魔法が使えず、子爵家に婿入りする羽目になった自分を、遠回しに揶揄しているのではないか、と。
だが、そこに嘲るような雰囲気は一切なく、心の底から『奥様』が出来たことを心から喜んでいる顔をしていた。
「奥様、これからよろしくお願いしますね」
ちょっとズレているところもあるけれど、ズレさえ修正したら、ちゃんとした家族の形を築けるのかもしれない。
そう、セドリックは少しだけ思い始めていた。
「……ところで、元王子様って──」
だが、その期待はすぐに裏切られることになる。
彼女は笑って言った。先程幸せそうに「奥様」と言った口で、同じ笑顔で。
「養うのに毎月いくらかかるんですか?」




