第28話 婿入り王子の妻は夢を見る
ノエルはその日、夢を見た。夢を見るなんて、小さい頃以来だ。
今よりも随分と小さい。いつもの色褪せた外套を着て、フードを目深に被っていた。
坑道から出て、ノエルたちのグループのテントへと向かう。
焚き火を男たちが囲んでいた。酒や煙草、食品が転がっている。どうやら宴をしているようだ。
男たちはノエルを見つけると、手招きして呼んだ。
『久々に出店が来てたからよぉ、お前たちの分のパンも買っておいてやったぞ』
鉱夫の一人がそう言ってパンを二つ手渡してくれた。
近づいたらぷぅんとお酒の臭いがした。とてもくさい。配給でお酒は出ないから、これも出店で買ったのだろう。だから機嫌がいいのだ。
ノエルは「ありがとう」と小さく言って頭を下げた。
“にいに”からは外では「ありがとう」の言葉だけは言ってもいいと言われていた。ただし、声は小さく、無表情で。
『それ、”おがこ”の入ってないパンだぞ。ありがたく食えよ〜』
おがこは嫌いだった。口の中がザリザリして、油断をすると口の中が血まみれになるのだ。あと、絶望的にまずい。
ノエルはとても嬉しかった。本当は飛び跳ねて喜びたかった。
だけど、言いつけがあったのでもう一度頭を下げただけだった。
『相変わらず無愛想なガキだんべな』
『ちったぁ可愛げを身に着けてこいよ』
そう言ってばしりと頭を叩かれた。だけど、全然痛くない。鉱夫たちは笑っている。
本当はそんなこと思っていないのだ。彼らは幼いながらも探鉱者として活動するノエルに信頼を寄せている。
「可愛げ」なんて身につけた日には、にいにが嫌な顔をするに決まっているから、誰になんと言われようとノエルはそうなるつもりは無かった。
ノエルはパンと共にテントへ戻った。
鉱夫たちは八人で一つのテントを使うが、にいにとノエルは上級探鉱者という職種だったので、二人で一つのテントを使うことが出来た。
『ただいま』
ノエルはようやく外套を脱ぐことが出来た。
『おう。おかえり』
中には”にいに”がいたので先程もらったパンを差し出した。
にいにはノエルの手に持ったパンを見比べると、小さい方を手に取った。
ほとんどサイズは変わらないけど、大きい方をノエルに譲ってくれたのだ。
パンを食べながらノエルは坑道調査の結果を報告した。
『鉱山ゴッキーがこの辺りにいそう。足音がした』
ノエルはそう言って、自作の坑道図を指先でなぞった。
鉱山ゴッキーと言葉にしたら、”にいに”は嫌そうに「うへぇ」と舌を出した。
アイツが好きなやつはいない。でかくて、素早くて、何でも食べる。――人間でさえも。
『よいじゃねぇなぁ』
そこでテントの外から声がかけられた。鉱夫たちの一人が、にいにを呼んでいる。
「悪い、行ってくる」
そこで、にいにの雰囲気がぴりと変わった。
「言いつけは?」
にいには毎日、こうしてテントから出る時に言いつけを確認するのだ。
ノエルが破らないように、忘れないように。
いつもは優しいにいにが、このときだけは少し、怖くなる。
「にいに以外の前では、笑わない、喋らない、顔を見せない。何があっても生き延びる。――大丈夫、守ってる」
ノエルは毎回、同じ言葉を、同じ順番で答えた。
「……なら良い」
彼はノエルの頭に手を一度だけ乗せ、その後にテントから出て行った。
することのなくなったノエルは、寝袋に入って眠ることにした。
外では、鉱夫たちが変わらず宴をしているようだった。
パチパチと薪の爆ぜる音、男たちの笑い声が、テントの外から聞こえていた。
彼らはよく故郷にいる、「奥様」のことを話していた。
ノエルはこうして、彼らが話す「奥様」の話をひそかに聞くのが好きだった。
「奥様」は彼らにとって、いちばん大事な家族、配偶者らしい。
「奥様の言うことは絶対」
「奥様が綺麗じゃないのは自分のせい、でも綺麗だったらそれは奥様の努力のおかげ」
「奥様を外で働かせるのは甲斐性なし」
「奥様の言う理不尽を笑って受け入れるのが度量の見せ所」
ノエルに家族はいない。記憶の中の家族は、もうおぼろげで顔すら分からなかった。
奥様は自分のことをいつでも心配してくれる存在であるらしい。
ノエルにとって、そんな人は”にいに”しかいなかった。
だから一度、”にいに”に「にいにはわたしの奥様?」と聞いてみたことがある。
呆れたように「違ぇよ」と言われてしまった。
(わたしが、もし、結婚して、「奥様」が出来たら……)
言うことはなんでも聞く、いつでも綺麗でいられるように、外で働かなくてもいいようにいっぱいお金を稼いでくる、理不尽なことを言われても笑って許す。
だから、将来奥様になる人が、優しくて、ずっと傍にいてくれる人だったら良いな。
ノエルは、寝る時にいつもそう考えていた。
『……ちがう』
『私には、どうしようもできなかった』
いつしか、外で話す男の声が変わっていた。
男の人が、苦しむ声がする、悲しむ声がする。
は、は、と浅い呼吸。
テントの外から聞こえていたはずなのに、ごく近い、耳元で聞こえてくるようだった。
『ノエルを、連れて行かないで』
――ノエルの大事な、奥様の声。




