第26話 婿入り王子は過去の傷が疼く
「……なんだこれ?」
ノエルの執務室に、珍しく響いたセドリックの低い声。
最初は「珍しいな」と思っていただけだった。
だけど、いつもは音も出さずに掃除をするセドリックがやけに苛立っている……ような気がする。
それどころか、がつん、とひどい音がして振り向いてみれば棚の角に足をぶつけてしばらく悶絶していた。
紙人形とアンたちがセドリックにわらわらと群がって心配している。さすがのノエルも、これは無視できない。
「……大丈夫ですか?」
「格好悪い所を見ないでほしい」
セドリックは恥ずかしさのあまり俯いて、両手で顔を隠した。
「転がってても奥様は素敵だから大丈夫ですよ」
ノエルはセドリックの手に握られていた紙を取り上げた。握りしめたせいで紙がぐしゃぐしゃになっている。
「今期の税の徴収書ですか。あとで納付の手配をしてきますね」
「違う。そこじゃない。……高いんだ」
ノエルが数値を追ってみれば、確かに去年よりも高い。
特別徴収税という、今まで見たことの無い項目が加算されている。
セドリックはそこを指さしながら苦々しく吐き捨てる。
「臣籍降下するにあたって、私に用意された支度金と、一桁単位で同じ額なんだ」
偶然なはずがない。
支度金という形で渡したお金を、税という形で回収する。笑顔で毒を盛るような、王宮らしいやり方だった。
流石に悪意を感じる。
だが、それを聞いてもノエルは「ふーん」と短く返した。
彼女にとっては、王族に婿入りしてもらった以上、想定外の出費があるのは当然のことだと考えていた。
「払えない額じゃないですし、良いんじゃないですか?ご祝儀だと思って払いますよ」
ノエルにとっては“想定内の支出”かもしれない。
だが、セドリックにとっては、家族に愛されていない証拠を、妻に尻拭いさせているような、そんな気持ちだった。
「ご祝儀って結婚した側の私たちがもらう方だよ」
「新しく魔術道具を開発しますよ。それ売ったら払える金額です。ラクショーです」
ノエルは当たり前のように言うが、普通は新しい魔術道具を開発するには魔法使いが何十人もかかりきりで数年単位で行うものだ。
ようやくノエルが休めるようになったのに。
命を削らずとも仕事が回るようになったのに。
自分のせいでまたノエルが命を削ってお金を得るのは、セドリックにとっては耐え難いことだった。
「書面で届いている以上、現状は払う以外の選択肢はないでしょう。払わなかったら反逆の兆し有りと見なされます」
「ならせめて、特別徴収の額は私の支度金をそのまま払うよ」
「公私のお金を混ぜるのはよくないのでその案は却下です」
まさかノエルに正論で殴られるとは思っていなかった。
いつもの「セドリックの可愛い妻」ではなく、「領主」としての顔をしていた。
何が腹立たしいって、ノエルは「お金を払うことが愛情」だと思っている。
領主の顔ではなくなったノエルが、今度はやたらと嬉しそうな顔をしているのだ。
顔に「ようやく奥様のために役立てる!」と大きな文字で書かれている気がする。
王宮からの特別徴収についても「家族がセドリックに甘えてる」くらいにしか思っていない。
でも、それを否定してしまえば、彼女の家族愛を、前カーティス子爵たちから受けたと思っている愛を否定することになる。
セドリックは、家族から愛されたことがない。
そんな自分が「正しい家族愛」について語るなんてこと、出来るはずもない。
セドリックの様子に気づいたのか、ノエルは何かを考えているようだった。
「気になるようなら……、節税、いままであんまりやってこなかったので、今期からちゃんとやりましょうか」
「得意だよ。任せて」
セドリックの気持ちに配慮した提案をしてくれる。
本当に、素晴らしい配偶者だと思う。
複雑な気持ちをごまかすように、ノエルをぎゅうぎゅうと抱きしめた。
ノエルの仕事量が減ってから、二人で過ごす時間が増えた。
とはいえ、染み付いた長年の習慣はすぐには消えてはくれない。
ノエルは相変わらず気絶でしか寝ることが出来ない。
三日おきにしか眠れなかったのが、二日に一回は寝てくれるようになった。これは大きな進歩である。
何より、毎晩ベッドの上で二人で話す時間が増えた。
夜は二人でご飯を食べた後、お風呂に入って、そのあとはシングルベッドの上でセドリックが絵本を読み聞かせるのがルーティーンだ。
もっとも、ノエルはそれでも寝られず、夜中は執務スペースに戻って仕事をしたり、本を読んでいることが多いのだが……。
その日の夜は珍しく、ノエルがセドリックの世話を焼いていた。
なにせ、セドリックは未だに税金の件でちょっと不機嫌だったので。
ベッドの上でラベンダーのハンドクリームをセドリックの手に塗り込む。
そうしたら少しは機嫌が戻ったようだった。
ノエルを抱きしめたままお腹あたりをぽんぽんと優しく叩いて寝かしつけをしてくれている。
それを見たアンは紙人形たちをカゴの中に寝かせて、その上にハンカチをかけた。ぽんぽんと紙人形の薄い腹を撫でている。
「まだ不機嫌なんですか?」
それは、嫌味などではなく素朴な疑問のように問いかけられた。
「不機嫌なんてものじゃない。王宮のやり方に久々に触れて、殺意が湧いた。あの人達は……」
しまった。話し過ぎたかもしれない。
そう思ってノエルを見た。彼女は、セドリックの腕の中で次の言葉をじぃっと待っていた。
だから、つい本音が漏れ出てしまった。
「私からだったら何を奪っても良いと思っている」
自分でもひどい声が出た。積年の恨みつらみがそのままこもったような。
声と同じくらい、きっと今の自分は酷い顔をしている。
愛されたことのない王子様の顔を見られたくなくて、ノエルをぎゅうと強く抱きしめた。
「お話、続けても良いんですよ」
「やだよ。私は妻の前では格好いい所だけ見せたいんだ」
苛立ちのあまりに足をぶつけて悶絶していたことや、ゴッキーにビビっていたことは格好悪い所に入らないのかな。と思ったノエルだったが、今のセドリックの前で言う気にはなれなかったので、口をしっかりと結んでおいた。
「昔の鉱山仲間が言ってたんです。『奥様が不機嫌な時こそチャンスだ。寄り添って、ただ話を聞いてやればいい』って」
腕の中のノエルが、「でも……」と悩ましげに唸った。
「困ったことに……『奥様が何も話してくれないときの対処法』は、教えてくれなかったんです」
本気で困っている声色に、ふは、と笑い声が漏れた。
セドリックが笑うと、ノエルもつられたように、ほんの少しだけ笑った。
「そう。ノエルは今、困ってるの?」
「はい、とても。……あっ、妻を困らせるのは、格好悪いことでは?」
ふと、ノエルを膝枕にして、彼女の過去を聞いた夜のことを思い出す。
あの時、彼女は言った――「次は奥様の番ですね」と。
なら、今度は自分の番なのかもしれない。
ハグによるリラックス効果なんて、あまり信じていなかった。
だけど、こうやってノエルを抱きしめながら体温を分け合っていると、思っていた以上に距離が近くて、ノエルの体が暖かくて、今なら話しても良いのかな、なんて思ってしまえる。
(なるほど、これは確かに、何でも話してしまうかもしれない)
「そうだね。格好悪くなりたくないから――話そうかな」




