第18話 婿入り王子は配偶者を可愛がりたい
その日からというもの、セドリックはとにかくノエルの世話を焼いた。
朝起きて集中モードだったら温かいタオルで顔を拭いてやり、化粧水と乳液を塗る。
髪の毛も濡らしたタオルで包んだ後、丁寧に梳る。ノエルの髪の毛は短いからとてもやりやすい。
パジャマ姿のまま仕事をしていたので、部屋着に着替えさせた。
右手の親指の爪がささくれていた。セドリックよりも小さい手を取って小さなハサミでささくれを切ってヤスリがけする。保湿クリームを塗ることも忘れない。
手を取られたノエルは数秒固まった後、ラジオのスイッチを入れて、ペンを左手に持ち替えて仕事を再開した。
彼女は爪のささくれを引っ張って悪化させる癖があるようで、他の指ではそれをやって化膿した跡があった。
ノエルは集中モードであったとしても、セドリックを邪険にはしない。
むしろ、手をしっかりとセドリックに預けてくれている。世話を焼かれるのを嫌がっている素振りはない。……少なくとも、今のところは。
元王子様の自分が、今となっては配偶者のノエルの世話を甲斐甲斐しく焼いている。
そんな状況がなんだか面白くて、笑えた。
「ノエル、君、元王子様にこんなに世話を焼かせてるんだよ。分かってる?」
耐えきれずに笑いながら問いかける。もちろん、ノエルから反応は無い。
視線は机の上に書かれている書類だけに向けられている。
だけど、拒絶されていない。それだけでよかった。
セドリックはノエルの執務スペースへとやってきた。――片手にスープを持って。
ふわふわと近づいてくるシャボン玉メモを手のひらで向こうへ押しやった。今度は割ってしまわずに済んだ。
紙人形たちもヒップアタックでセドリックをシャボン玉から守ってくれる。
シャボン玉メモは、突くと破裂することを知った。
初日に破裂させて慌てていたセドリックはもういないのである。
今日、セドリックが思いついたのはノエルにご飯を食べさせることだ。
紙人形たちが水を飲ませたり、パンをちぎって食べさせているのであれば自分が作ったご飯も食べられるのでは?と思ったのだ。
早速ダッチオーブンを使ってスープを作った。
魚も野菜も細かく切った。口の中に入れただけでほろほろと崩れるくらい柔らかく煮込まれている。味も美味しい。
ドキドキしながらノエルの口にスープを乗せたさじを運ぶ。
もぐ、もぐ……ごくん。
確かに咀嚼して飲み込んだ。何度か繰り返してみるが、確かに食べてくれる。
喉につっかえる様子や、咳き込む様子は無い。
スープは、今までノエルが食べていたようなパンと水だけよりも栄養価は高い。
何回か繰り返していると、咀嚼後に口を開けて待つようになった。
(楽しい!)
感想は返ってこなくても、自分の作ったものを誰かが食べてくれるだけで、こんなにも嬉しいなんて。
これまではノエルが正気に戻る時間が分からなくて、なかなか出来立ての料理を食べさせることができなかった。せいぜい買ってきたパンや作り置きしておいたものを温めて食べさせてやるくらいしか。
時間を決めてセドリックが食べさせれば、ノエルにもっと美味しいものを食べさせてあげることができる。
もはややってることは給餌とか介護だ。
それでも、彼女のためにできることが増えていくのは、嬉しかった。
宮廷に居た頃の方がもっと孤独だった。今はノエルが近くにいて、セドリックを受け入れてくれている。
それだけで、セドリックは幸せだった。
***
ノエルは、ふと意識を取り戻した。全身バキバキだ。ぐぅーっと座った状態で伸びをして、ゆっくりと肩を回した。
前回正気だった時から十二時間以上机に向かい続けていたらしい。
仕事を始めたときに着ていたパジャマじゃなくて、いつも着ているシャツとズボンに着替えさせられている。
よく着ているシャツではあるが……いつの間にか袖口には見覚えのない刺繍まで施されていた。
ノエルの髪の毛は好き勝手な方向にぴょんぴょんと飛び跳ねる性質を持っていたが、丁寧に梳かれたのか毛先は落ち着いている。前髪はピンで止められていた。
(また奥様が知らない間に色々やってくれてたのかな)
手元にはセドリックからのメモも置かれていた。ノエルのことを労る文面と、今後始まっていくであろう領主業について、質問したい項目が箇条書きでまとめられていた。書かれている内容も的はずれなものは一つもない。
足元に散らばっていた紙が、綺麗に整理されてまとめられている。
ノエルの執務スペースを掃除するついでに落ちている書類を読み込んで、思いついた内容をまとめたのだろう。
びゅん、びゅん、と外から何か聞き慣れない音がする。
窓を開けてみれば、セドリックが庭で剣の素振りをしているところだった。
聞き慣れない音は、訓練用の剣が空を切る音だ。
近くにあるダッチオーブンは火にかけられており、美味しそうな匂いが二階にいるノエルのところまで届いた。
少し遠くの物干し竿では、洗濯物が風に吹かれて揺れていた。
家事を一通り終えた後に、一人で訓練しているらしい。
(奥様は働き者だな〜)
家の補修をして、家事をして、領主業の準備をして、ノエルの世話を焼いている。
食事はノエルの好きな食べ物を探したいらしく、毎日違う食べ物を準備してくれる。ノエルは、別にパンと水だけでいいと言ったのに。
ここではノエルが魔獣の討伐をするのだから、彼が今後戦うことは無いというのにこうして訓練を続けているのだ。真面目なことである。
そんなふうに窓の外を見ていたら、ふといつもとは違う違和感に気づいた。思わずお腹に手を当てる。
「なんか。お腹がぽかぽかする気がする……?」
集中モード中にスープを飲ませてもらっただけだが、久しく忘れていた感覚過ぎて自分の身に何が起こっているのか分からない。
嫌な感じはなく、セドリックがなにかしてくれたんだろうな、と思った。
セドリックはどんどんこの家を住み心地よくして、ノエルのためになる「何か」をしてくれている。
ふと、ノエルはセドリックに抱きしめられたことを思い出した。
ノエルを抱きしめてくれたのは、”にいに”くらいだった。それも三歳くらいの時で、物心付いてから誰かに抱きしめられた経験なんてなかった。
”にいに”が抱きしめてくれた時は安心した。
セドリックが抱きしめてくれた時は安心以上に、もっとドキドキした。
心臓の鼓動が早くなっていることをセドリックに気付かれそうだった。気付かれても良いのだけど。
離れた時は少しさみしくなってしまった。
好きな人に抱きしめてもらうのは、こうも違うのか。
ノエルがセドリックを好きなように、セドリックもノエルのことを好きになってくれればいいのに。
――ああ、でも、お金を受け取ってもらえないんだった。
セドリックはやっぱり自分のことはそんなに好きじゃないのかもしれない。
胃がぎゅうう、と沈む。
でも、好きじゃない相手を抱きしめたりするだろうか。
自分は、セドリックに何が返せるだろうか。
意識があるときに一緒に居てくれるだけで嬉しいと言われる。
なにかしてほしいことを聞いても「なにもないよ」といわれる。
その言葉を聞いて、ぴくりと固まってしまった。
脳裏をよぎるのは、かつての鉱山の記憶である。
鉱夫たちはお酒を煽りながら、おいおいと泣き、焚き火の前で語り合っていた。
そういう時に話題に上がるのは、たいてい彼らの「奥様」の話だった。
『”奥様"の言う『なにもない』は、絶対に嘘だ』
『何か不満があるんじゃないかって聞いても、『なにもない』って言われたから信じたのに……!』
『ほんとは不満だらけだったんだ!』
『それに気づけてたらこんなクソみたいな鉱山に来ることはなかったのに!』
“奥様”が口にしない不満を察し、改善し、心象を挽回しなければ、待っているのは机の上に置かれた書き置きと離婚届。
それに気付かないやつは「馬鹿」なのだと。
ノエルはその時、「へえ〜〜たいへんだな〜〜〜」と、テントの中の寝袋の中で丸まって、他人事のように聞いていた。
男たちが肩を組んで慰め合うシルエットをじいと見つめながら、未来の「奥様」に思いを馳せて。
――まさか、自分が“奥様”の『なにもない』に直面する日が来るとは思っていなかった。
自分の部屋で思わず頭を抱えて呻いた。
ノエルはセドリックに世話をしてもらうのはとても嬉しい。
同じことをやってあげたら喜んでもらえるだろうか。 家事を手伝えば喜んでもらえるだろうか。
……むしろセドリックの手間を増やしてしまうだけな気がする。やっぱりやめたほうが良いかもしれない。
「人に喜んでもらえる何かをする」というのはノエルにとって、とても難しい。




