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Moon Light Lover  作者: 巡
第2章 日常入門編

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第8話 神様、説教される


「相当やばい人拾ったんだね」


 千晴のその一言は、六畳の部屋にしばらく残った。


 あかりは、畳に正座したまま両手を膝の上で握りしめていた。目の前には、腕を組んで座る千晴がいた。


 その横には、何が問題なのか分からないという顔で、静かに二人を見ている月読命。


「違う。拾ったんじゃない」


 あかりは、まずそこから訂正した。


「神社にいたの」


「神社にいた男を連れて帰ってきたんでしょ」


「ラノベのタイトルになりそう」


「ふざけないで。新聞の見出しになるレベルの話」


 千晴はぴしゃりと言った。


 いつもの千晴なら、ここで少し冗談めかしてくれる。


 けれど今は違った。


 本気で怒っている。


 いや、怒っているというより、心配している。


 それが分かるから、あかりも強く言い返せなかった。


「昨日の夜、私がどれだけ心配したと思ってるの」


「……ごめん」


「連絡もない。既読もつかない。電話しても出ない。で、朝になって部屋に来たら、知らない男がいる」


「知らない男じゃなくて、月読命さん。神様」


「そこが一番やばいって言ってるの」


 千晴は頭を押さえた。


 あかりは、少しだけ視線を落とす。たしかに、普通の説明では通らない。


 神社で月読命に会いました。月の神様でした。追われていたので連れて帰りました。


 以上です。


 そんなものを二十歳の女子大生が真顔で言い出したら、まず病院か警察の話になる。けれど、昨日の夜に起きたことは現実だった。


 ーー月読神社。


 月明かりの中、白とも銀ともつかない衣。境内の外から近づいてきた車の音。そして、あかりを抱えたまま夜道を駆け抜けた、息ひとつ乱さない男神。


 あれを夢だったとは、もう思えない。


「千晴」


 あかりは、ゆっくり顔を上げた。


「信じろって言っても、無理なのは分かってる。でも、昨日の夜、本当に変な人たちが来たの。ツクを探してた」


「ツク?」


「……月読命のこと」


「もう愛称つけてる」


「そこ今ツッコむところじゃない」


「大事でしょ。距離の詰め方が早すぎる」


 千晴の声は厳しい。けれど、その目は月読命を観察していた。


 白とも銀ともつかない衣。


 長い黒髪。


 整いすぎた顔立ち。


 夏の朝の六畳に座っているには、あまりにも場違いな男。その姿だけなら、たしかにコスプレか演劇関係者に見えなくもない。でも、千晴は昨夜のあかりの様子を知っている。そして今の月読命から、普通の人間にはない静けさを感じ取っているようだった。


「月読命さん」


 千晴が、わざと丁寧に呼んだ。

「私は、あなたが本当に神様だなんて、認めてません」


「そうか」


「でも」


 千晴は一度、あかりを見た。


 あかりは、何も言えずにその視線を受け止めた。


「もし、あなたが本当に神様なのだとしたら」


 千晴はもう一度、月読命を見た。


「この子を、危ない目に遭わせないでください」


 その声は大きくなかった。


 ただ、言葉の奥にある怒りと心配だけは、はっきり伝わった。


 月読命は、ほんのわずかに目を細めた。まるで、その声に含まれた何かを聞き分けたみたいに。


 やがて、月読命は低く言った。


「危うき目に遭わせぬと、今ここで断じることはできぬ」


「……どういう意味ですか」


「我は、なぜ地上に下ろされたのかを知らぬ。我を探す者もいるようだ。そなたの言う危うさが、すでに近くにあるのならば、我がいること自体が、この者を危うくするやもしれぬ」


 あかりの胸が、少し冷えた。


 月読命は、嘘をつかなかった。


 安心させるための言葉を、選ばなかった。


 千晴は何か言い返そうとして、わずかに口を開いた。


 けれど、言葉はすぐには出てこなかった。怒りが消えたわけではないはずだ。


 ただ、目の前の男が、あかりを丸め込もうとしている人間ではないことだけは、分かってしまった。


 それが余計に、怖かった。


「……じゃあ、なおさらです」


 千晴は、声の温度を少し落として言った。


「危ないと分かっているなら、あかりだけを巻き込まないでください。何か起きたら、私にも分かるようにしてください」


 月読命は、静かに千晴を見た。


「心得た」


「それと」


 千晴は続けた。


「あなたが神様なのだとしたら、人間がどれくらい簡単に限界になるか、軽く見ないでください。あかりは、あなたよりずっと弱いです。怖がるし、疲れるし、傷つきます」


「……心得た」


 あかりは、思わず千晴を見た。


 千晴はあかりを見なかった。ただ、月読命だけを見ていた。


 その横顔を見て、あかりは何も言えなくなる。


 千晴は、知っている。


 あかりが明るくしているからといって、いつも平気なわけではないことを。冗談を言って、何でも面白がっているように見えても、急に糸が切れたように動けなくなる夜があることを。


 たぶん、あかり自身よりもずっと冷静に。


「……ごめん」


 あかりが小さく言うと、千晴はようやくこちらを見た。


「謝るところじゃない」


「でも」


「謝るくらいなら、次からちゃんと連絡して」


「はい」


「一文字でもいいから。無理、でも、生きてる、でもいい」


「生きてるって」


「笑いごとじゃない」


 千晴の表情は、まだ硬いままだ。


 その表情を見たあかりは、一瞬だけ、昔のことを思い出してしまった。


 ーー高校二年の夏。


 何がつらいのか、自分でも言葉にできなかった夜があった。


 窓から差し込む月明かり、微(かす)かに感じる磯の香りと波の音。扉の向こうで、千晴が何度も名前を呼んでくれた。

 

 ーーあの時も満月だったかもしれない、と考えつつ、その記憶を胸の奥に押し戻した。


 今は、それを話す時ではない。


 けれど、千晴が怒っている理由がなんとなく分かった。千晴は、昨日の夜のあかりを、あの夜のあかりと重ねていたのかもしれない。

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