第29話 神様と小さな祈り
雨上がりの昼、月読神社の鳥居は、濡れたせいなのか深い朱色に見えた。
鳥居の向こうには、秋が近づいてもなお緑を残した木々が重なっている。雨上がりの空気の中に、金木犀の甘い匂いが混じっていた。
あかりは、鳥居の前で足を止めた。
ここで、あかりと月読命は出会ったのだ。
あの満月の夜は、月明かりの中でこの鳥居を見た。境内の奥から呼ばれているような気がして、ひとりで石段を上がり、木の門をくぐった。何が待っているのかも知らずに、ただ胸の奥がざわめく方へ歩いていった。
けれど今は昼で、月は見えない。
境内は秋の色に包まれていて、そして隣には、その本人が立っていた。
「ツク」
「何だ」
「……変な感じ」
あかりがそう言うと、月読命は鳥居を見上げたまま、静かに目を細めた。
「何がだ」
「ここに、ツクと一緒に来てること」
月読命は答えなかった。
黒髪の上に、雨上がりの光が白銀めいて乗っている。まだ日中だというのに、彼だけが月の光を薄くまとっているみたいだった。
「あの夜は、ここに来るまで私ひとりだったから」
「そうだったな」
「なのに今は、隣にいる」
「それが不思議か」
「うん。 ちょっとね」
自分で言って、あかりは少し笑った。
月読命は、どこか不本意そうに眉を寄せる。
「我を見世物のように言うな」
「だって、本当に不思議なんだもん」
「不敬だな」
「最近、それ言われ慣れてきた」
「慣れるでない」
そんなやり取りをしてから、あかりはもう一度、鳥居の向こうを見た。
朱の鳥居、濡れた石段と石畳、金木犀の匂い、明るい境内。
あの夜とは景色も雰囲気も違う。けれど、不思議な感じだけは薄れていなかった。
「入ろっか」
「ああ」
二人は鳥居をくぐった。
十メートルほど進むと、十七段の石段がある。石段の脇では、萩の細い枝が雨を含んで、薄紫の小さな花を揺らしていた。あかりは足元が滑らないように気をつけながら、ゆっくりと上がる。
月読命は、隣でほとんど音も立てずに上がっていた。
石段を上がりきった先の木の門をくぐると、左手には祈祷殿があった。祭具がいくつか備えられていて、その奥には太鼓も見える。雨上がりの風が吹き抜けたのか、祭具の一つがかすかに揺れた。
——シャラン。
あかりは、その音から呼びかけられたように周囲を見渡した。
——あの夜も鳴った気がする。
昼の光と、雨を含んだ萩の花と、どこからか漂う金木犀の匂いのせいで、あかりには記憶の中の月読神社とは違って見えていた。けれど、音があの夜の静けさを連れてきた。
「ここは、薄い」
月読命が、ふいに言った。
「薄い?」
「人の世と、そうでない場所との境が、他よりも薄い」
あかりは月読命を見上げる。
その横顔は、分からないものを前にして困っている顔ではない。むしろ、分かっているものを確かめるような顔だった。
「水も、石も、社も、境を留めるものとして置かれている。 人がそれをどこまで知っているかは別としてな」
「……それ、分かってて言ってる顔だ」
「分かることを言っているのだからな」
「さすが神様」
「今のは褒めているのか」
「たぶん」
「たぶんで済ませるな」
あかりは小さく笑ってから、社殿の方へ向かった。
手水舎はなく、奥に湧き水がある。初めてここを訪れた夜、あかりが不思議な気配に導かれた場所だ。そのことを思い出しながら、あかりは社殿の前に立った。
財布から小銭を取り出して、賽銭箱に入れる。
二礼二拍手。
目を閉じる。
前に来たときは、祈るというより、胸の奥のざわめきに押されるまま手を合わせた気がする。でも、今は違う。隣には月読命がいて、あかりの日常は、あの夜からもう大きく変わってしまっている。
——どうか、この時間が、少しでも長く続きますように。
そう願いかけて、あかりは、はっと気づいた。
——違う!
それは、ここで願っていいことではなかった。
アパートの近くの小さな神社で、月読命は言った。願いは残ることがある、と。言葉は消えないことがある、と。
なら、この場所で願ったことも、きっとどこかに残る。
まして、ここは月読神社だ。
月読命の名を冠した社でこの祈りをするということは、月読命に「帰らないでほしい」と言っているのと同じだ。
月読命が月へ帰る方法を探りに来たのに、あかり自身の本音が全く逆だったことに、今更ながらに気づいた。
いや、この場所に気付かされた。
だから、あかりはその願いを胸の奥にしまった。
代わりに、短く祈る。
——ツクが、幸せでありますように。
目を開けると、背後から月読命の声がした。
「……幸せとは、人が享受するものだ」
「やっぱり、筒抜け!?」
あかりが振り返ると、月読命は、やはり手を合わせていなかった。
「手は合わせないんだ」
あかりが言うと、月読命は社殿を見たまま答える。
「祈る側ではない」
「アパートの近くの小さな神社に行った時もそうだったよね」
「ああ」
「でも、ここは月読神社だよ。 ツクの名前の神社でも、祈らないんだ?」
「我が、我に祈る意味はない」
「それもそうか」
あかりは社殿を見上げた。
静かな社だった。観光客でいっぱいになるような大きな神社ではない。けれど、誰かが掃き清め、誰かが守り、誰かが祈ってきた場所だということは分かる。
「でも、ちょっと変な感じ。 神様が、自分の神社に来て、普通に立ってるの」
月読命は、しばらく黙っていた。
風が、祈祷殿の祭具をまた軽く鳴らす。
「我の名を冠していても、ここにあるのは我だけではない」
「どういうこと?」
「人が祈ってきた時間がある。 願い、畏れ、感謝、縋る思い。 そういうものが、我の名の下に重なっている」
月読命の声は平坦だった。けれど、軽い言葉ではなかった。
「だから、我がここで祈るのは違う」
「じゃあ、何をするの?」
「……ただ受けるのだろうな」
「祈りを?」
「ああ」
祈らない神様ではなく、祈りを受ける神様。
「祈りや願いを受けて、それを叶えてあげるの?」
「祈りと願いは違う」
「まあ、祈りを叶えるのはなんか違う気がする。 願いは?」
「ただ聞くだけだ」
「え? 聞くだけ?」
「願えば叶う。 それは世の理であり、我の力の及ぶところではない」
「みんな神頼みに来てるのに、神様は願いを叶えてくれないんだ」
「神は願いを聞く。 だた......」
「ただ......?」
「響きを変えることはある。 良い響きはさらに良く、悪い響きは良い響きへと和ませる」
そう語る月読命の雰囲気が少しだけ悲しい姿に見えた。なんとなく、あかりはこれ以上聞くのをやめた。
あかりは境内をゆっくり歩くことにした。前に来たときは夜だったから、細かいところまでは見えていなかった。昼に見る月読神社は、あの夜に感じた時よりもかなり小ぶりで、けれど不思議と奥行きがある。
その途中で、あかりは足を止めた。
「あ、これ」
視線の先に、石が祀られていた。
——月延石。
案内の文字を読んで、あかりは首をかしげる。
「安産……?」
月読命が、その名を低く繰り返した。
「つきのべいし」
「ツク、知ってた?」
「知らぬ」
即答だった。
あかりは月読命を見上げる。願いについて語っていた先の様子は露ほどもなく、我関せずといった顔だ。
「神様なのに分からないことが多すぎない?」
「神であることと、人が何を祈ってきたかをすべて知ることは、同じではない」
「便利なようで、不便なんだね、神様って」
「そなたは時折、不敬を生活の一部のように扱うな」
「だって、分からないって言うんだもん」
月読命は月延石を見つめていた。
その顔に、不快そうな色はない。祀られているものを否定するような冷たさもない。ただ、分からないものを前にした静かな違和感だけがあった。
「子を宿す者が、無事を祈る。 その祈りは小さくとも軽くはない」
「うん」
「だが、なぜそれが我の名の下に置かれているのかは、分からぬ」
その時だった。
月延石の前に、若い夫婦らしい二人が近づいてきた。女性は腹部にそっと手を添えている。まだ大きく目立つほどではないけれど、その仕草だけで、あかりには分かった。
安産祈願に来たのだろう。
二人は月延石の前で静かに手を合わせた。
女性の表情は、少しだけ硬かった。祈っているというより、何かを怖がっているようにも見えた。
月読命は、それを黙って見ていた。
祈祷殿の方で、祭具が鳴る。
——シャラン。
その音は先ほどより少しだけ強く、濡れた境内の空気に広がり、風の音が少しだけ穏やかになった気がした。
そして、月読命が、ほんのわずかな時間、目を瞑った。
次の瞬間、水の気配も、祭具の揺れる音も、境内の湿った空気も、すっとひとつの場所に収まっていく。
手を合わせていた女性が、ふっと肩の力を抜いた。
隣の男性が、心配そうに顔を覗き込む。女性は小さく笑って、首を横に振った。大丈夫、と言っているようだった。
あかりは、月読命を見る。
「今、何かした?」
「何もしておらぬ」
「でも」
「祈りが、少し乱れていた」
「祈りって、乱れるの?」
「恐れが強すぎれば、揺らぐ」
「……それをどうしたの?」
「小さな祈りだ。 どうしたというほどではない」
月読命は、もう一度、月延石を見た。
「安産の祈りか」
あかりはその横顔を見つめながら、胸の奥が暖かくなっていることに気づいた。
月読命が何をしたのか分からないけれど、祈りを軽く扱わなかったことだけは分かった。そのことが、なぜかとても月読命らしく思えたのだ。
「失礼ですが」
背後から声がした。
あかりはびくっと肩を揺らし、振り返る。
そこに立っていたのは、白い上衣に浅葱色の袴を合わせた、若い女性だった。
長い髪は高い位置でひとつに結ばれていて、雨上がりの湿気にも乱れていない。派手な飾りはない。ただ、袖口も襟元もきちんと整えられていて、境内の静けさに自然に溶け込んでいた。
年齢は、あかりより少し上くらいに見える。涼やかな切れ長の目をしていて、にこやかな眼差しで、けれど確かにあかりたちを見ていた。
「あ、すみません」
あかりは反射的に頭を下げた。
「驚かせてしまいましたねぇ。 申し訳ありません」
彼女は丁寧に頭を下げる。
「白峰伊織と申しますぅ。 こちらの神社に関わらせていただいていますぅ」
凛とした佇まいと涼やかな表情から、もっとキリッとした言葉を話すのかと思いきや、京訛りの強い、のっそりとした話し方をする女性だったことに、あかりは少しだけ拍子抜けした。
「......あ、汐見あかりです。こんにちは」
伊織の視線は、あかりではなく月読命の方へ向いていた。
「そちらの方は?」
「あ、えっと、この人は……知人です」
「知人」
月読命が、なぜか重々しく繰り返した。
あかりは内心で頭を抱える。
——言い方。
その言い方だと、余計に怪しい。
「月読だ」
「ツク!」
あかりは思わず声を上げた。
伊織がこちらを見る。
「あ、月読……えっと、名字です。 たぶん」
「たぶん?」
「細かいことは、……ちょっと、あはは」
あかりは笑ってごまかした。
——ごまかし方ヘタか、私!
この白峰という女性は明らかに月読命に何かを感じて目をつけたと、あかりは勘づいていた。
月読命は悪びれる様子もなく、伊織を見ている。
伊織は少し黙ってから、月延石の方へ視線を移した。
「先ほど、何かお気づきになりましたか」
「祈りが揺れていた」
月読命が答える。
あかりは、もう少し人間向けの言い方をしてほしいと思った。
伊織は驚いたように、わずかに目を見開く。
「……祈りが?」
「ああ」
「神社のことに、お詳しいのですか?」
「詳しい、というほどではない」
「では、先ほどのは?」
「恐れを取り除いただけだ」
伊織は、しばらく月読命を見ていた。
普通なら、何を言っているのか分からない会話だと思う。けれど伊織は、笑わなかった。変な人を見るような目もしなかった。
ただ、何かを確かめるように、その涼やかな目で月読命を見ていた。
「……そうどすか」
伊織は小さく頷く。
「もしよろしければ、少し社務所の方へいらっしゃいませんか?」
「あ、そうだ。 お守り!」
あかりは思い出して、ぱっと顔を上げた。
——なんとか話の中心を逸らさないと。
「今日、それ見たかったんです!」
社務所には、小さな袋守りが二種類だけ並んでいて、あかりは、そのうちのひとつに目を留めた。
白銀のお守りだ。
白い地に、銀色の糸が控えめに刺繍されていた。派手ではないけれど、光を受けると、銀糸だけがそっと浮かび上がる。
「……これ、……ツクっぽい」
「我っぽい、とは何だ」
「白くて、銀色で、ちょっと偉そう」
「最後の一つは不要ではないか」
「でも似合うよ」
あかりは白銀のお守りを手に取った。
月読命は、それを少し不思議そうに見る。
「そなたが持つのか」
「うん。 私用」
「なぜ」
「なんとなく」
「なんとなくで守りを選ぶのか」
「こういうのは、なんとなくが大事なの」
あかりはそう言ってから、もう一つのお守りに目を移した。
紫地に金刺繍のお守りだった。
白銀のものより気品があって、少し重みが感じられた。けれど、金糸の光が柔らかくて、どこか月読命の静かな神々しさにも似ていた。
「こっちもいい」
あかりは紫のお守りを手に取る。
「これは、ツクに買ってあげる」
「我に」
「うん。 ツク用」
「神に、守りを持たせるのか」
「いいじゃん。 せっかくだし」
「せっかく、で済むものか」
「でも持っててほしいの」
月読命は何か言いたげにしたが、あかりの楽しげな表情を見て結局黙った。
あかりが二つのお守りを授かると、伊織が丁寧に包んでくれた。
その手つきは慣れていて、静かだった。
「白と紫ですねぇ」
「はい」
「よくお似合いだと思いますぅ」
伊織はそう言って、月読命を見た。
月読命は、白峰が丁寧に包んでくれたにもかかわらず、さっさと取り出してしまった。紫のお守りを手の掌にのせて、まじまじと見ていた。
神が、人の世のお守りを持っている。
その光景が少しおかしくて、なんだか可愛い。
社務所から離れようとした時、伊織が口を開いた。
「月読さん」
月読命が振り返る。
「もしよろしければ、時々こちらを手伝っていただけませんか」
あかりは目を瞬かせた。
「手伝う?」
「はい。 境内の掃除や、社務所まわりの整理、参拝者の案内などですぅ。 もちろん、無理にとは言いませんけどぉ……」
月読命は、社殿の方を見た。
祈祷殿の祭具が、風に揺れて小さく鳴る。
「祈りの場を整える務めか」
「……はい。 とても的確なご理解ですぅ」
「ならば、軽い務めではないな」
あかりは少し驚いて月読命を見上げた。
てっきり、不敬だのなんだのと言うかと思った。けれど月読命の表情は、思ったより真面目だった。
「やるの?」
「祈りを受ける社で、祈りの場を整える。 神の務めとして、おかしくはない」
「そこは前向きなんだ」
「神は、役目を持つものだ」
「なんか急に神様っぽい」
「我は元より神だ」
「忘れそうになる時がある」
「忘れるな」
あかりは、はっとして伊織を見た。
「あ、違います。 違うっていうか、この人、自分を神様だと思ってる、ちょっと痛い彼氏なんです。 だから、手伝いなんて……」
「かれし」
月読命が、低く繰り返した。
あかりは月読命の袖を軽く引き、彼にだけ聞こえる声でささやいた。
「……とりあえず今はそういうことにしといて」
「なぜだ」
「怪しい人だと思われて、通報されちゃうかもしれないでしょ」
「しかし、白峰は、我を神だと知っておる」
「え」
あかりは固まった。
伊織は、にこやかな眼差しのまま、何も否定しなかった。
「……え?」
あかりの声が、裏返った。
「おそらく、そうなのではと。 この場所に立たれる姿が、普通の方とは違うように見えましたので」
「ほら」
「ほら、じゃない!」
心なしかドヤ顔を見せる月読に、あかりは思わず否定した。
けれど、伊織の表情は少しも揺れていない。からかっているわけでも、怖がっているわけでもなかった。ただ、目の前にいる月読命を、境内にあるものの一部として確かに受け止めているように見えた。
「もちろん、お二人の関係を詮索するつもりはありません」
伊織はそう言って、月読命に向き直った。
「どうでしょう。 お手伝いしていただけますか?」
「聞きたいことがある」
「はい」
「給金はいかほどか」
あかりは、思わず月読命を見上げた。
「そこ聞くの!?」
「必要であろう」
「いや、必要だけど。 神様が社務所の前で真顔で給料聞く?」
「我は、そなたの部屋に住み、そなたの食事を食べている」
「うっ」
「人の世で暮らすには金が要る。 ならば、務めには相応の対価があるはずだ」
あかりは言葉に詰まった。
月読命は、お金に興味を持っているわけではない。自分があかりの生活の中にいることを、ちゃんと知っているのだ。家賃も、食費も、電気代も。あかりが冗談にしてごまかしてきたものを、月読命は月読命なりに見ていた。
「そなたにばかり負わせるのは、よくない」
しっかりと正論で返されて、あかりには反論することができない。
伊織は少し困ったように、けれど真面目に頷いた。
「正式な雇用にするには、手続きが必要ですぅ。 住所や身分証明の確認もありますから」
月読命が、あかりを見た。
あかりは、すっと目を逸らした。
「……ですので、まずは奉仕という形ではどうでしょう。 できる日に境内のことを手伝っていただく。 給与ではありませんが、御礼として、少しならお渡しできます」
「御礼」
「はい。 金額は大きくありません。 けれど、何もないよりは」
月読命は少し考えた。
「給金ではないのだな」
「はい。 正式には、そういう扱いにはできません」
「だが、銭は渡される」
「……言い方を選ばなければ」
「ならば、受けよう」
「ツク、そこだけ理解が早い」
「現実を軽んじる神は、祈りを扱えぬ」
「急にいいこと言うのやめて。 突っ込みにくい」
伊織は小さく笑った。
「では、まずは時々ということで。 詳しいことは、また相談させてください」
「ああ」
月読命は頷いた。
それは、思ったより自然な返事だった。
「早速、そなたの願いが叶ったな」
月読命が、ふいに言った。
「なんのこと?」
「我の幸せを願ったではないか」
「え、うそ。 こんな形で? こんな簡単に?」
「願えば叶う」
「そんな雑な神様理論ある?」
「神の社で願ったのだろう」
「本人が言うと説得力あるような、ないような……」
あかりはそう言いながらも、笑ってしまった。
月読命がこの社で役目を得ること。
それが本当に幸せなのかは、まだ分からない。けれど、少なくとも彼が人の世にただ迷い込んでいるだけではなくなる。
それは、あかりが思っていたよりも、ずっと大きなことのような気がした。
*
帰り道、あかりは白銀のお守りを鞄につけた。
月読命は、紫のお守りを手にしたまま、ずっと見ている。
「気になる?」
「……これは、我のための守りなのだな」
「うん。 ツク用」
「神に、守りを持たせる人の子がいるとは思わなかった」
「いいから、持っててよ」
「なぜだ」
「私が選んだから」
月読命は、あかりの鞄についたお守りと自分の手の掌にあるお守りを交互に見た。
あかりの鞄には白銀、月読命の手元には紫と金。
「そなたが我に似た守りを持ち、我がそなたから渡された守りを持つ。 ……それが、妙に」
「交換したみたいだね」
「交換?」
「私はツクっぽいのを持って、ツクは私が選んだのを持つ。 で、祈りを込めるの」
「……祈りか」
「そう」
「何を祈る」
「それは、なんか交通安全とか、恋愛成就とか……。 もう、そこはツクが考えてよ」
月読命は、改めて手元のお守りを見た。
紫の布地に、金の刺繍が光っている。
「ならば、軽く扱うべきではないな」
「うん。 大事にして」
「そなたもだ」
「するよ」
雨がすっかり乾いた帰り道には金木犀の匂いだけが残っていて、やっぱり昼の光の中では月は見えなかった。
結局、月読命が神域へ帰る手がかりなんて何も掴めないまま、ただ二人は出会った場所から、それぞれ色の違う小さな祈りを持ち帰っただけだった。




