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Moon Light Lover  作者: 巡
第4章 渡月編

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第22話 神様とお月見

 九月の終わりが近づくと、夕方の空気が急に変わる。


 昼間はまだ暑い。大学の構内を歩いていると、背中に汗が滲むし、日差しの中に出れば、夏はまだ居座る気でいるように思えた。


 けれど、夕方になると違う。講義棟を出た瞬間に、あかりは思わず肩をすくめた。


「涼しぃ……」


 口からこぼれた声は、自分でも驚くくらい自然だった。


 日差しはまだ残っている。それでも、肌に触れる風だけが、もう夏のものではなかった。


 あかりは鞄の肩紐を持ち直した。中には、今日も分厚い本が入っている。


 古事記、日本書紀、月神信仰の本、ノートパソコン。それから、昨日返しそびれたノート。


 物理的な重さには慣れたけれど、中に入っている言葉の重さには、まだ慣れない。


 ーー月読命が、保食神(うけもちのかみ)を殺した。


 この短い一文は、残された記録であり、消えない事実でもあった。そして、あの六畳の部屋で、「食物を侮る神を、我は許せなかった」と語った月読命のあの声を思い出すたび、あかりの胸の奥に小さな熱が戻ってくる。


 ーー怖かった。いや、今も怖いけど。


 でも、ただ怖いだけではなかった。理由を知ったから許せる、という話でもない。殺したことは消えないし、月読命自身も逃げなかった。


 だからこそ、あかりは余計に分からなくなっていた。


 怖いまま、知りたいし......そばにいたい。つまり、そういう自分のことが、よほど分からなかった。


「何その顔」


 後ろから声がして、あかりははっとした。


 振り向くと、今日も涼しい顔をした千晴がスマホを片手にこちらを見ていた。ベージュのシャツに細いパンツ。髪は後ろでまとめていて、現実的で、冷静で、いつも通り鋭い。


「......え、......ど、どんな顔?」


「殺神事件(さつじんじけん)について考えてます、みたいな顔」

「その言い方やめてって本人にも言われた」


「本人に言ったんだ」


「言った」


「強いな、あかり」


 千晴は軽く笑った。けれど、その目はちゃんとあかりを見ている。


「大丈夫?」


「……大丈夫、かは分かんない」


「まあ、そうだよね」


「でも、話せた。 ちょっとだけ」


「そっか」


 千晴はそれ以上、無理に聞かなかった。


 踏み込む時は踏み込むのに、引く時はちゃんと引く。あかりが言葉を選んでいる時は、その沈黙を焦らせない。こういうところが、千晴だった。


 少し歩いてから、千晴がスマホの画面を見た。


「ていうか、今日、十五夜じゃん」


「え、何?」


「十五夜!」


「……そうだっけ」


「月読さんもだけどさー、月イベントへの感度低すぎない?」


「月イベントって!」


 あかりは思わず突っ込んだ。


 言葉としては知っている。月を見て、団子を食べて、すすきを飾る日。それくらいの、ふわっとした知識しかない。


「今日なんだ」


「今年は今日らしいよ。 中秋の名月」


「へえ……」


「へえ、じゃないでしょ。 月の神様いるんでしょ、家に」


「いるけど」


「じゃあ、月見くらいしたら?」


「月見かあ」


 あかりは空を見上げた。


 夕方の空に、まだ月は見えない。けれど、夜になれば見えるのだろう。あの白い光が、今日の夜には特別な名前で呼ばれる。


「……ツク、お月見って分かるかな」


「分かんないんじゃない?」


「やっぱり?」


「だって、月の本人側でしょ。 人間が月を見て団子食べるって、意味分かんないと思う」


「本人側って何」


「知らんけど」


 千晴はさらっと言った。それから、少し声を落とす。


「でも、いいんじゃない」


「何が?」


「怖い話した後に、綺麗なもの見るのも」


 千晴は空を見たまま続ける。


「まあ、綺麗なものって、しんどい時に見ると逆に痛いこともあるけど」


「うん」


「でも、たぶん必要な時もある」


「……うん」


「無理に明るいイベントにしなくていいかもね。 月見るだけでもいいじゃん」


 それだけ言って、千晴は駅の方へ歩いていった。


「じゃ、私はバイト」


「うん。 ありがと」


「月読さんによろしく」


「何て?」


「月イベントへの感度、上げろって」


「絶対言わない!」


 千晴は片手をひらひら振って去っていった。


 あかりはしばらく、その背中を見送った。それから、スマホを取り出して検索する。


「……ちゃんと知らないなぁ」


 画面に並ぶ説明を見ながら、あかりは小さく呟いた。


 旧暦八月十五日の月、中秋の名月、収穫への感謝、芋名月、月見団子を供える、すすきは稲穂の代わり、魔除け。


 月を見て団子を食べるだけの行事だと思っていたものが、調べるほど少しずつ重くなる。月に食べ物を供えるのは、ただ季節を楽しむためではなく、収穫への感謝でもあるらしい。しかも、供えたものは飾って終わりではなく、後で人がいただくのだそうだ。


 あかりの指が、画面の上で止まった。


 ーー食物は、軽く扱うものではない。


 月読命の声が、ふいに耳の奥で響いた気がして、あかりはスマホを閉じた。


     *


 あかりは、駅前のスーパーに寄った。自動ドアが開くと、涼しい空気と一緒に果物の甘い匂いが流れてきた。


 月見団子は、入り口近くの季節商品コーナーに置かれていたので、すぐに見つけることができた。透明なパックに、白い団子が並んでいる。横には、すすきの飾りがセットになったものもあった。


「本格的……ではないけど」


 あかりは小さく呟きながら、パックを手に取った。


 食べ物を軽く扱ってはいけないと主張する月読命が、これをどう見るのか気になった。けれど、これは捨てるためでも、飾るためだけでもない。月に供えて、それから一緒に食べるものだ。


 そう思うと、ほんの少しだけ救われる気がした。


 あかりは月見団子と、すすきのセットをかごに入れた。ついでに紙皿も見る。本当は三方とかいう台があるらしいが、大学生の一人暮らしの部屋にそんなものはない。


「紙皿で許して」


 あかりは、誰にともなく呟いた。


 それから、ふと思って、少しだけ良いほうじ茶も買ってみた。月見団子と麦茶でもいいけれど、今日は少しだけ、特別感を出したかったのだ。


      *


 アパートへ戻る頃には、空はもう藍色になっていた。階段を上がると、二階の廊下に昼間の熱がまだ少し残っているのを感じた。


 けれど風は涼しい。


 鍵を開ける前に、あかりは息を吸った。


 ーーよし。


 部屋の中には、保食神を殺したと認めた神様がいる。怖いと告げた相手がいる。そして、ーー知りたいと思った相手。


「ただいま」


 ドアを開けると、六畳の部屋の方から月読命の声がした。


「おかえり」


 いつもの声だ。


 あかりは靴を脱ぎ、買い物袋を持って部屋に入ると、月読命は窓辺に座っていた。白いTシャツに黒い細身のパンツ。黒い髪は後ろでゆるくまとめられている。


 月読命は、窓の外を見ていたらしい。


「何見てたの?」


「空だ」


「月?」


「まだ、はっきりとは見えぬ」


 月読命はそう言って、あかりを見た。それから、あかりの手元の袋に視線を移す。


「それは何だ」


「今日は、お月見をします」


「月を見るのか」


「そう」


「なぜ」


「なぜと言われると困るけど」


 あかりは買い物袋をテーブルの上に置いた。


「人間には、そういう行事があるの」


「月を見る行事」


「そう。 旧暦八月十五日の月を、中秋の名月って言うんだって」


「八月十五日」


「今のカレンダーだと九月だけどね」


「人の世の暦は、月を見ながら、月から離れたのだな」


 あかりは、確かにそうだ、と思った。人間は太陽を眩しすぎて直接見れないのに、太陽の動きに合わせて動いている。月だったら見れるのに。


「……その詩的な感じ、好き」


 月読命は不思議そうにした。


「変なことを言ったか」


「ううん。 たぶん、ちょっと綺麗なこと言った」


 月読命は、綺麗という言葉を確かめているようだった。


 あかりは、袋から透明なパックに入った白い月見団子を取り出した。続いて、小さな紙の飾りと簡易的なすすきを取り出して、組み立て始める。月読命は、そのあかりの手元をじっと見ていた。 



「供物を、このような透明な箱に入れて売るのか」


「また透明な箱って言ってる」


「供物が、売り場に並ぶのか」


「現代はだいたいそうです」


「人の世は、祈りの品までも棚に置くのだな」


「罰当たりみたいな感じになっちゃったじゃん」


 あかりは苦笑しながら、パックを開けた。


「でも、まあ、そうだね。 買ってきた」


「供物を買う」


「そう。 それでいいんです」


「人の世は、不思議だ」


 月読命は真顔で言った。


 あかりは紙皿を出し、月見団子をいくつか並べる。


「本当は十五夜だから、十五個供えるらしいんだけど……」


 あかりはパックの中を見た。


「まあ、数が足りないので、そこは気持ちで」


「気持ち」


「そう。 現代大学生のお月見は、気持ちが大事です」


 すすきをコップに差す。月読命がそれを見た。


「これは稲か」


「すすき」


「稲ではないのか」


「稲穂の代わりに飾るんだって。 まだ稲刈り前だから、とか、魔除けとか、いろいろ意味があるらしいよ」


「代わるものに、祈りを宿すのか」


 その言葉に、あかりの手が止まった。


 ーー代わるものに、祈りを宿す、か。ツクは、自分で気づいていないだろうけど、時々こういう詩みたいなことを平気で言うんだよなぁ。


「……やっぱ、その詩的な感じ、好き」


「詩的」


「うん。 ていうか、今日のツクは冴えてるじゃん」


 月読命はすすきを見た。それから、窓の外の暗くなり始めた空を見る。


「人は、遠いものに近づきたいのだな」


「たぶんね」


 あかりはスマホを見ながら、思い出したように言った。


「あ、そうだ。 今年って、中秋の名月と満月がずれるんだって」


「ずれる」


「今日が中秋の名月で、満月は二日後」


「名月でありながら、満ちきってはいないのか」


 月読命が静かに言ったその言葉を、あかりは胸の中で繰り返した。


 ーー名月でありながら、満ちきってはいない。


 欠けているのに、名月。満ちていないのに、美しいと呼ばれる月。


 あかりは月読命を見て、昨日の言葉を思い出す。


 殺した......怒りはあった......今はまだ言葉にできぬ。


 月読命も、満ちきってはいないのかもしれない。語れないものがある。残されなかった言葉がある。


 それはつまり、ーー欠けている。


 目の前にいる神様は、だから綺麗なのかもしれない。


「変だね」


「何がだ」


「満月じゃないのに、名月って呼ぶの」


「変なのか」


「ううん。 好きだなって思った」


「なぜ」


「完璧じゃなくても、綺麗って思っていいんだなー、って思うから」


 言ってから、あかりは少し恥ずかしくなって窓の外に目を向けた。つられて、月読命も窓の外を見た。


 よく見ると部屋の窓からは、月が少し見えづらかった。向かいの建物と電線が邪魔をしている。


 あかりは窓辺に近づき、背伸びをした。


「うーん……見えるけど、微妙」


「月はある」


「そういう問題じゃなくて」


「違うのか」


「違う」


 あかりは少し迷った。ついこの前、公園で子供たちに囲まれた一件以来、外に出ると何か起こる気がしてしまう。


 白いラスボス、あかりお姉ちゃん、母親たちの視線。


 噂になりそう、では済まなかった。もう、なっていた。しかも、本人の知らないところで。けれど、今は夜だし、人通りも少ない。


 それに、今日は月を見る日だ。


「少しだけ、外行く?」


「外へ」


「月、ちゃんと見えるところ。 近くの川沿いなら、空が開けてるかも」


「よいのか」


「うん。 今日は、ちょっとだけ」


 あかりは団子の皿にラップをかけた。


「供えたものを置いていくのか」


「あとで食べるから」


「供えたものを食うのか」


「食べるところまで含めて、お月見です」


「人の世は、供物にも終わりがあるのだな」


「終わりっていうか……いただく、かな」


「いただく」


 月読命が、その言葉を小さく繰り返したのを見て、あかりは頷いた。


「そう。 いただく」


 部屋を出ると、風が頬に触れた。


 月読命が隣で空を見ながら言った。


「風が変わったな」


「ツク、そういうの分かるんだ」


「分かる」


「神様っぽい」


「神だ」


「そうでした」


 アパートの階段を下りて、住宅街の道を歩く。どこかの家から夕飯の匂いがした。カレーか、煮物か分からないけれど、生活の匂いだった。


 月読命は黙って歩いていた。白い衣ではなく現代の服を着ているのに、やはり夜の中でさえ少し浮いて見えた。背が高く、姿勢がよく、歩く音が静かすぎる。


 川沿いに出ると、視界が開けた。


 ーー月が見えた。


 満月ではなく、ほんの少しだけ欠けているけれど、とても明るかった。


 川の水面に白い光が揺れている。風が吹くたび、月が細かく砕けるように揺れた。月明かりは川下の水面に落ち、流れに逆らうように、白く細い帯になってこちらへ伸びてきていた。


 その光は水と一緒に揺れながら、橋の下の暗がりをくぐり抜け、ゆっくりと川を遡ってくるように見えた。


 まるで、遠い月からこぼれた道が、夜の川をたどって地上へ届いているみたいに。


「……綺麗」


 あかりは素直に呟いた。


 月読命は、月を見上げていた。


 その顔は、白く、静かで、遠い。けれど、ここにいる。


 月読命は、月を美しいと思っているのだろうか。それはもしかしたら、人間が遠くから月を見上げて綺麗だと言う感覚とは少し違うのかもしれない。月は彼にとって、帰る場所で、神域で、今は手の届かないものだ。


 ーーたぶん、美しいと思ってることは間違いない。


 あかりは勝手にそう思った。


「そういえば」


 月を見上げながら、あかりは思い出した。


「“月が綺麗ですね”って、告白の意味になるって話があるんだよ」


「告白」


「あなたが好きです、ってこと」


「なぜ、月が美しいという言葉が、人を好くことになる」


 月読命は本気で分からない顔をした。


 あかりは久しぶりに『月読命の分からない顔』を見た気がして、少し笑ってしまった。


「そこが文学なんだよ」


「文学とは、遠回しに言うことか」


「だいたい合ってるけど、ちょっと違う」


「違うのか」


「うん。 たぶん」


 あかりはスマホを握ったまま、少し視線を落とした。


「夏目漱石っていう、昔の作家がね」


「なつめそぉせき」


「人の名前ね」


「その者は、月の神官か」


「違う。 作家」


「作家」


「文章を書く人」


「では、月に言葉を捧げる者か」


「惜しい。 ……いや、全然違う」


 あかりは笑ってしまった。月読命は真面目な顔をしていて、たぶん、本当に惜しいと思っている。


「本当にあった話かは分からないよ。 都市伝説っぽいんだけど」


「都市伝説」


「人の世に流れる、ちょっと怪しいけど面白い話」


「人の世は、怪しいものも残すのだな」


「残すね。 好きだから」


「好きだから、残す」


「うん」


 あかりは、月を見上げながら言った。


「私は、その話けっこう好きなんだよね」


「なぜだ」


「好きって言わないのに、好きって言えるから」


「分からぬ」


「うん。 分からなくていいと思う」


「よいのか」


「だって、分からないまま、なんとなく伝わることの方が多いんじゃない」


 月読命は黙ってしまったが、あかりはその静けさが心地よく思えた。


 川の水音がかすかに聞こえる。遠くの木が枝葉を揺らしている。夜風が手元を撫でていく。


 あかりは、少しだけふざけるつもりで言った。


「月が綺麗ですね」


 けれど、口にした瞬間、自分の声が思ったより小さかったことに気づいた。


 ふざけたつもりだった。都市伝説の話をした後の、軽い冗談のつもりだった。なのに、言葉は夜風に乗って、思ったよりずっと透き通ってしまった。


 月読命は月を見上げた。白い光が、その見上げた顔に落ちている。


「そうだな」


 彼は短く答えた。それから、あかりの方を見た。


 あかりの目を、まっすぐに見つめて。

 

「そして、そなたも……」


 あかりは、胸の鼓動が早くなるのを感じた。


「……私も?」


 月読命は、何かを探すように、月を見る。

 

「……分からぬ」


「分からないの?」


「月を見た時と、似ていた」


「何が?」


 月読命は、月から視線をゆっくりと滑らせ、あかりの瞳の奥を見つめた。


「そなたを見た時の、思いが」


「……思い?」


「ああ」


 月読命は、口元をゆるめた。


「そなたは、我にとっての月かもしれんな」


 その瞬間、あかりは言葉を失うということの意味を知った。


 ーー微笑(ほほえ)んだ。


 目が細まるとか、ほんの少し表情が変わるとか、そういう曖昧(あいまい)なものではなかった。


 月読命が、はっきりと微笑(ほほえ)んでいた。


 ただ静かに、形容し難いほどに美しく。濃(こま)やかな月明かりを頬に受けて、微笑(ほほえ)んだ。


 あかりは、その表情を初めて見た。


 胸の鼓動が、直接耳の奥で鳴っているみたいだった。


 ーードクドクうるさい。


 逃げたいのに、目を逸らせない。目が離せない。目に焼き付けたい。


「……それ、たぶん、めっちゃずるいやつぅ......」


 やっと出た言葉は、自分でも驚くほど頼りないツッコミだった。


 月読命の顔から微笑は消え、怪訝そうな顔に変わった。眉根には少しシワが見える。


「ずるいのか」


「ずるい!」


「なぜだ」


「分かってないところが、特にずるい!」


「分かっていないのか」


「分かってないよ!」


「そうか」


 月読命はもう一度、月を見上げた。


 微笑は、もう消えている。けれど、あかりの目には残っていた。いや、しっかりと焼きついていた。


 怖いと思ったのは嘘ではない。保食神を殺したことを認めた。罪を抱え、まだ言葉にできないものを持っていることも聞いた。それが真実であるかどうかは、正直なところ、あかりには分からない。


 けれど、月明かりの中で微笑んだ月読命のことを美しいと思ったことは、あかりが経験した紛れもない真実だった。


 怖いと美しい。


 その二つは、同じ胸の中に同時にあった。


 中秋の名月は、満月ではない。それでも名月と呼ばれるのは、完璧ではなく、少しだけ欠けているからだ。


 あかりは月読命を見て、そう思った。


「帰ろっか」


「もうか」


「うん。 お団子食べないと」


「供物をいただくのだな」


「そう。 いただきます」


 月読命は考えたあと、頷いた。


「いただく」


 その声が、なぜかとても優しかった。


     *


 部屋に戻ると、月見団子は紙皿の上で待っていた。すすきはコップの中で、頼りなく立っている。スーパーで買った団子と簡易的な飾りは、正式でも、本格的でもないけれど、あかりにはそれで十分だった。


「そういえば」


「なんだ」


「ほうじ茶買ってきたの」


 あかりはスーパーで買ってきたほうじ茶を思い出した。湯を沸かして二人分を淹れると、香ばしい匂いがふわりと六畳の部屋に広がった。湯気の立つ湯呑みを月読命の前に置き、自分の分も団子の隣へ置いた。


 そして、あかりは月見団子をひとつ手に取った。


「じゃあ、食べます」


「よいのか」


「いいの。 食べるところまで含めて、お月見だから」


「人の世は、神に供え、人が食う」


「うん」


「神と人の間で、食物を巡らせるのだな」


 あかりは笑った。


「今はまさに、人が食うところだね」


 月読命は団子を見つめる。それから、ゆっくり手を伸ばした。


「いただきます」


 あかりが言うと、月読命も少し遅れて言った。


「いただきます」


 その言葉が、六畳の部屋にやわらかく響いた。


 団子は少し甘くて、少し固い、スーパーの味だ。特別に高級でもないし、驚くほどおいしいわけでもない。


 でも、月読命は丁寧に食べた。噛んで、飲み込んで、それから静かに頷いた。


「よい」


「神の食レポ、今日は短いね」


「供物は、騒がしく評するものではない」


「そういうルールなの?」


「今、そう思ったのだ」


「今なんだ」


 あかりが笑うと、月読命も、ほんの少しだけ口元を動かした。さっきの微笑ほどではないけれど、あかりには分かった。


 ーーちょっとだけ笑った。


 それだけで、胸の鼓動がまた少しうるさくなった。


 あかりは団子をもうひとつ口に入れた。甘さが、ゆっくり舌の上に広がる。


 ーー月が綺麗ですね。


 心の中でつぶやきつつ、窓の外に目を向けた。


 月はやっぱり綺麗だった。

皆さんから、綺麗な月が見えることを、この後書きにお祈りいたします。


「代わるものに、祈りを宿す」


素敵な夜をお過ごしください。

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