第11話 神様と封じられた水
コンビニを出たあと、三人は駅前の通りへ向かって歩いた。
午前中の京都は、すでにじわじわと熱を帯びてきている。
アスファルトから立ち上る空気は白く、店先ののぼりが弱い風に揺れていた。自転車が横を通り過ぎ、どこかの店から開店準備の音が聞こえる。
月読命は、あかりが渡した水のペットボトルを片手に持ったまま、黙って歩いていた。
ただし、持ち方がおかしい。
キャップの部分を、指先でつまんでいる。しかも、なぜかそれを目線より少し高い位置に保っていた。まるで、小さな供物か、何か神聖な器でも捧げ持っているみたいだった。
「ツク、それ、飲み物だから。捧げるものじゃないから」
月読命は、あかりの方へ顔を向けた。
「奉げてはおらぬ」
「じゃあ、なんでそんな恭しい持ち方してるの」
千晴が横から言った。
「持ち方が完全に儀式なんだけど」
月読命は、指先につまんだペットボトルを見た。
「透明な器に水が封じられている。粗雑に扱うものではなかろう」
「ペットボトルに対する敬意が高い」
あかりは思わずつぶやいた。
「でも、それ、そうやって持つものじゃないよ」
「そうなのか」
「うん。普通は、こっちを持つ」
あかりはペットボトルの胴の部分を指さした。
月読命は、目線より高く掲げていたペットボトルをゆっくり下ろし、言われた通りに透明なボトル本体を握った。その瞬間、ほんの少しだけ目を細める。
「冷たい」
「そりゃ冷たいよ。さっきコンビニの冷蔵ケースに入ってたから」
「人の世は、水を冷やして持ち歩くのか」
「夏は特にね」
月読命は、手の中の水を見た。
透明な器の中で、水が朝の光を受けて揺れている。
「飲んでもいいんだよ」
「飲む」
「じゃあ、ここ。キャップを回して」
あかりは、ペットボトルの先についている白い蓋を指さした。
月読命は、指さされた部分を見る。それから、透明な器の胴を見て、もう一度キャップを見た。どうすればよいのか、構造を確かめているようだった。
「……この白き蓋を、取るのか」
「そう。そこだけ回す」
月読命は、しばらく考えたあと、ボトル本体を握ったまま、キャップを回そうとした。
回らない。
ボトルごと回っている。
「……開かぬ」
「逆に器用だね」
千晴が、感心したような顔で言った。
「そっちも一緒に回してるからだよ」
「一緒に」
「ボトルを押さえて、キャップだけ回す」
月読命は、言われた通りにしようとした。だが、力の加減が分からないらしく、ボトルがクシャりとへこんだ。
「待って待って待って。潰さないで」
あかりは慌てて手を伸ばした。
「貸して。開けるから」
「我が開けられぬと思うのか」
「思う。今のところ、かなり思う」
「失礼な」
「じゃあ、現代初心者への生活支援です」
あかりは月読命からペットボトルを受け取り、キャップを軽くひねった。
パキッと小さな音がして、月読命の目がその音に反応する。
「壊したのか」
「開けたの」
「今、音がした」
「最初に開ける時は鳴るの。未開封だった証拠」
「みかいふう」
「まだ誰も開けてないってこと」
「封じられていた水を、そなたが解いたのか」
ペットボトルのキャップを開けただけなのに、急に世界の封印を解いたみたいな空気になった。
「フタ開けただけです」
千晴がぼそっと言った一言は、空気を現実に引き戻した。
さすが現実担当だ。
あかりは苦笑しながら、ペットボトルを月読命に返した。
「はい。飲んで」
月読命は、今度は慎重にボトルを持ち、口をつけた。
ほんの少しだけ水を飲み、そして、また静かに言った。
「冷たい」
「さっきも言ったよ」
「手で触れる冷たさと、喉を通る冷たさは違う」
「……妙にちゃんとしたこと言うのやめて」
あかりが笑うと、千晴が横から言う。
「でも、あかり」
「何?」
「今の、完全にお母さんだった」
「また!?」
「キャップ開けてあげてたし」
「だって開けられなかったから!」
「小さい子にペットボトル開けてあげるやつ」
「やめて。昨日までそっち側だったの千晴だからね?」
「バッドステータス、移ったね」
「状態異常なの!?」
月読命は、二人の会話を聞きながら、静かに視線を行き来させた。
「人の世の母とは、今のように封じられた水を解く者でもあるのだな」
「違う!」
「かなり違う」
言葉は違ったが、否定の勢いだけはぴったり重なっていた。
「人の世は、水を器に閉じ込め、冷やし、それを持ち歩くことができるようになった」
「そう言われると、急にすごいことしてる気がしてくる」
あかりがケラケラと笑う様子を見ても、月読命は表情を変えずに言った。
「そなたも、その中で生きている」
また、それだ。
何気ない言葉のはずなのに、月読命が言うと、心の奥にまっすぐ届いてしまう。
あかりは笑うのを止めて、視線をそらした。
「……まあ、そんな大げさなものじゃないけど」
「はいはい」
千晴が横から声を挟んだ。
「いい感じの空気はそこまで。服屋、着いたよ」




