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影添いの契 余白録 ―雨夜綴り―  作者:


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影のもしも

雨は、降っていない。


珍しい夜だった。


森は、静まり返っている。


影添の社の前に、一人の子どもが立っていた。


まだ幼い。

恐れというものを、深く知らない年頃。


「……ねえ」


誰に向けたのかも曖昧な声。


返事はない。


当然だ。


ここは、そういう場所だから。


それでも、子どもは気にしない。


小さな足で、一歩だけ前に出る。


本来なら、越えてはいけない境。


けれど。


その意味を、まだ知らない。


森の奥。


静けさの中に、わずかな揺らぎ。


白と、黒。


いつもと同じ距離で、並んでいる。


ただ——


その夜は、少しだけ違っていた。


子どもが、まっすぐに二つの影を見る。


怖がらない。


逃げない。


ただ、そこにいるものとして見ている。


黒が、わずかに視線を落とす。


その小さな存在を、確かめるように。


「……ねえ」


もう一度。


子どもが声をかける。


「さみしくないの?」


雨もない。

風もない。


その言葉だけが、やけに響いた。


白は、動かない。


黒も、すぐには応えない。


けれど——


ほんのわずかに、空気が揺れる。


それは、普段なら起こらない変化。


「……どうして」


黒が、静かに問う。


それは、初めて“問い”の形を持った言葉だった。


子どもは、少し考えて。


首をかしげる。


「だって」


当たり前のように、言う。


「いっしょにいるけど、さわってない」


その一言。


とても小さな違和感。


けれど。


それは、決して触れられてこなかった部分。


黒の瞳が、わずかに揺れる。


白が、ほんの少しだけ近づく。


変わらないはずの距離が。


ほんの、わずかに。


縮まる。


——もしも。


そのとき。


ほんの少しだけ、違っていたなら。


触れることが、許されていたなら。


何かは、変わっていたのかもしれない。


けれど。


次の瞬間。


その揺らぎは、静かに戻る。


白と黒は、元の距離へ。


変わらないかたち。


変わらない在り方。


黒が、目を伏せる。


「……そうだな」


それは、肯定でも否定でもない。


ただ、“知った”という響き。


子どもは、満足したように頷く。


それ以上、深く考えない。


「じゃあね」


軽く手を振って、森を離れる。


振り返ることもない。


やがて、その気配は消える。


静寂が戻る。


白と黒は、並んだまま。


何も変わっていない。


何も、起きていない。


ただ——


ほんの一瞬だけ。


あり得たかもしれない形が、そこに触れた。


黒が、わずかに視線を上げる。


「……触れれば」


続きは、言わない。


白は、何も答えない。


それが、答えだから。


雨は、降らないまま。


森の奥。


誰も知らないその場所で。


白と黒は、今日も寄り添っている。


触れずに。

離れずに。


変わらないかたちで。


けれど——


その在り方の中に。


確かに一度だけ、“もしも”が訪れた。


それは記録されない。


語られることもない。


ただ。


影のあわいに、溶けていく。


小さな、まぼろしのように。

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