【第9話】旧式ポンプと、気高き第一王子
数日後、放課後の生徒指導室。
張り詰めた空気の中、カイルと数人のAクラスの生徒たちが直立不動で並んでいた。
彼らの前に立つのは、Aクラスの担任であるギルベルトだ。
「学園内での私闘、および無許可での魔法行使。言語道断だ」
氷のような声が室内に響く。
「Aクラスのお前たちには、中庭の草むしりを命じる。魔法は一切使用禁止。全て手作業で抜くことだ」
エリートである自分たちが泥にまみれる屈辱的な罰に、Aクラスの生徒たちは顔を青ざめさせた。
ギルベルトの裁定は厳しいが、極めて公平だ。続いて、彼はカイルへと視線を移す。
「カイル。お前には屋上にある『魔力集光板』の清掃を命じる。学園の各設備へ魔力を変換・供給する重要なパネルだが、砂埃で効率が落ちている。一人で全て綺麗に磨き上げろ」
「そしてそこ、ドアの外で立ち聞きしている者。入りなさい」
ギルベルトの言葉に、ギクリと肩を揺らしてドアの陰から姿を現したのは、カイルを心配していたアルノとミラだった。
「あのっ、ギルベルト先生!」
ミラが勢いよくカイルの隣に並び立ち、声を張り上げる。
「カイルはケンカをふっかけられた側です! 広大なパネルを一人で掃除するなんてあんまりです。ワタシたちにも手伝わせてください!」
必死に直談判するミラ。
ギルベルトは少しだけ目を細め、冷たく言い放った。
「…まあ、いいだろう。そっちは一人だからな」
「ありがとうございます!」
そこへ、アルノがのんきな声で尋ねる。
「ギルベルト先生、掃除の仕方に指定はありますか?」
「…好きにしろ。だが、自動ポンプの使用は禁止だ。あれは魔石を消費する。罰として働く者に、使用を許可する理由はない」
生徒指導室を出た後、カイルが深い溜め息をついた。
「どうする? 屋上まで水を運んで、あの広大なパネルを手作業で洗うなんて、何日かかるか分からないぞ」
するとアルノは少しイタズラっぽく、意味ありげに微笑んだ。
「ボク、いいもの知ってるんだー。この前、クラフトの工具を借りに古い倉庫へ行った時にねー」
アルノの案内で倉庫へ向かうと、そこには埃を被った移動式の旧式手押しポンプと、分厚く長い布製のホースがあった。
「手押しポンプか…。手作業よりは早いけど、結局水を運ぶのは一緒か…」
カイルは、仕方がなさそうな顔でつぶやいた。
「まあまあ、ボクにまかせてよ。あと、そこにある連結用のホースも全部持ってきて」
カイルとミラは訝しげに視線を交わしたが、アルノの言葉を信じ、ポンプを倉庫から運び出した。
三人が屋上へ向かうエレベーターにポンプを無理やり押し込もうと悪戦苦闘していたその時、
「やあ、アルノさん……でよかったかな?」
背後から響いた上品で柔らかな声。振り返ると、そこには透き通るような金髪と碧眼を持つ青年が立っていた。
それを見た瞬間、カイルの顔色が変わる。
代々近衛騎士の家系である彼は、その顔をよく知っていたからだ。
カイルは弾かれたように姿勢を正し、直角に頭を下げる。
「ル、ルイス第一王子殿下! 奇遇でございます!」
ミラも慌ててカイルにならい、同じように深く頭を下げた。
だが、アルノはルイスを見つめたままその場に立ち尽くしている。
カイルは真っ青な顔で
「アルノも早く頭を下げろ! 不敬だぞ!」
と小声で急かした。
その様子を見て、ルイスはクスリと優雅に微笑む。
「学園では身分は関係ないから、普通に接してほしいな」
「分かったよ、ルイス。ボクもアルノでいいよ」
「おまっ……気安く呼ぶな!」
アルノの軽すぎる返事に、カイルがあたふたとうろたえる。
しかしルイスは距離感を感じさせないアルノに、どこか嬉しそうだ。
「…そういえば先日の騒ぎの件、聞いているよ」
ルイスのその言葉に、カイルの表情がわずかに引き締まる。
「うちのクラスの者が迷惑をかけた。すまなかったね」
穏やかに頭を下げたあと、ルイスは周囲の様子、運び出された道具や、これから始まるであろう作業に目を向ける。
「その……よければ、僕にも手伝わせてくれないか?」
思いがけない申し出に、ミラが目を見開いた。
だが、カイルは一歩前に出ると、静かに首を振る。
「いえ、ルイス。殿下。これはオレの責任で引き受けた罰です。どうか、お気になさらず」
その言葉に、ルイスは一瞬だけ目を細めた。
そして、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
「……そうか」
短く頷き、どこか感心したようにカイルを見つめた。
ルイスは軽く手を振り、
「三人とも無理はしないように。健闘を祈っている」
そう言い残すと、静かにその場を後にした。
ルイスの背中が見えなくなった瞬間、ミラがパァァッと顔を輝かせた。
「ヤバい……めっちゃイケメン。お近づきになりたい」
「お前な…寿命が縮むかと思ったぞ」
げっそりとしたカイルをよそに、アルノがポンプのレバーをキコキコさせながら口を開く。
「さて。ボクとミラはこのポンプを持って屋上へ行くから、カイルは下でお留守番だよ」
「は? 屋上を掃除するんじゃないのか?」
「この棟の真横に、屋外プールがあるでしょ? ボクたちが屋上からホースを垂らすから、カイルはそれを受け取ってプールに突っ込んでほしいんだ」
アルノの提案に、カイルは古い手押しポンプを見下ろした。
「プールの水を使うのか?どうやって汲み上げる?手動式だと流石にこの高さは無理だぞ」
「そこはほら、ルーン・ステッチでさ…、ただ魔石が無い以上、誰かが残って魔力を流さないといけないよね」
カイルはへービーナイト(重騎士)として、普段から自身の重い鎧や盾に魔力を通して運用している。
強靭な体力と魔力量を誇る彼にとって、一時的なポンプ代わりになることなど造作もない。
「なるほど、しゃーねーな。じゃあ、オレは下で待ってるぞ」
カイルはそう言い残し、一階の中庭を回り込み屋外プールへと向かっていった。
残されたアルノとミラは、ホコリまみれの古い手押しポンプと、何本も繋ぎ合わせた分厚い布製のホースをエレベーターに押し込み、学園の屋上へとたどり着いた。
重い扉を開けて屋上に出たミラが、思わず顔をしかめる。
見渡す限りの広大な屋上に敷き詰められているのは、学園のインフラを支える漆黒の『魔力集光板』だ。
太陽の光を効率よく魔力に変換できる重要な施設である。
しかし、どのパネルも砂埃や花粉などが薄く積もり、本来の艶を失ってすっかり汚れていた。
「これを全部一人で拭けって、いくらなんでもギルベルト先生も容赦ないわね」
「うん。でも、ボクたちのやり方なら一瞬だよ」
アルノはダミーのグローブを外し、カイルが受け取る予定のホースの先端(吸入口)に右手の指先を這わせた。
キュインッ……!
微かなキャスト音と共に、アルノの指先から極小のルーンが紡ぎ出され、キャンバス生地の表面に緻密な回路を描き出していく。
「よし、これでホースの先端から水を吸い上げる『ポンプのルーン』のステッチは完了。ミラ、これを下へ垂らして」
「オッケー!」
ミラが長く連結したホースを、屋上の柵の間からスルスルと真下へ向かって垂らしていく。
数十メートル下の地上で、屋外プールの水際に立つカイルが、降ってきたホースの先端をガシッと受け止めた。
「おーい! カイル、よろしくねー!」
ミラが柵の間から手をのばし大きく振ると、カイルも頭上で力強く手を振り返した。
しかし次の瞬間、ホースの先端を見たカイルの動きがピタリと止まる。
「……おい!」
数十メートル下から、怒気をはらんだカイルの声が響き渡る。
「なんで吸い込み口に、デカデカと『ダーツの的』のルーンが刻まれてるんだよ!!」
カイルが握りしめているホースの先端には、いつぞやの特訓で見覚えのあるダーツの的が、嫌がらせのように大きく描かれていた。
アルノは屋上の柵の間から顔だけ出し、楽しそうに笑って答える。
「だって、その方がカイルも魔力を流し込みやすいでしょ! 的に向かって全力でお願い!」
「絶対わざとだろ! …なんだか今後、的以外のルーンを見られない気がしてきたぞ…」
顔を真っ赤にして抗議するカイルを見下ろし、ミラはお腹を抱えて笑い転げている。
「それじゃあ、仕上げといくよ」
アルノは笑いをこらえながら、手押しポンプを経由したホースの出口(吐出口)を両手でしっかりと脇に抱え込んだ。
「ミラ、ボクがこのホースの出口を持つから、水が噴き出してきたらミラの魔法で拡散させて」
「まかせて! その程度、楽勝なんだから!」
ミラは笑いすぎて目元に滲んだ涙を拭いながら頼もしく胸を張り、アルノが抱えるホースの先端に向けて木杖を構えた。
「カイルー! 準備できたよー! ホースを水に突っ込んで、魔力を流し込んでー!」
屋上からのアルノの合図を受け、カイルはため息をつきながら、ダーツの的が刻まれたホースの先端をプールの水の中へと深く沈めた。
「くそっ……! やってやるよ!」
カイルが自身の体内に眠る魔力を解放し、的のルーンへと一気に流し込んだ瞬間。
屋上にある古い手押しポンプが、ズンッ!と地響きに似た駆動音を立て、長く伸びたホース全体が生き物のように大きく脈打った。




