【第28話】決戦の地へ。反撃の狼煙とアルノの采配
闘技場を飛び出したアルノたち8人は、エテルニスへと続く王都のメインストリートを全力で駆け抜けていた。
普段ならば大勢の人々でごった返し、店先からの活気に満ちた声と様々な香りが溢れているはずの大通り。
しかし今の王都には、不気味なほどの静寂が満ちていた。
住民の避難がうまくいった証拠ではあるが、無人の市街地はまるで別の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を抱かせる。
「グルルルォォッ!」
その不気味な静寂を切り裂くように、路地裏から突如として二匹の影が飛び出してきた。
額に紫の結晶を突き出させた、小型の狼型ビーストだ。
「もう市街地にまで入り込んでるのか……!」
ロイドが顔をしかめる。
エテルニスから溢れ出した魔獣がすでに防衛線をすり抜け、市街地まで侵入し始めているという絶望的な事実。
「止まるな!オレの背中から絶対離れるなよ!」
カイルは足を止めることなく、自身の肉体と盾を魔力で強化した。
漆黒の大盾を前面に構え、重戦車のような勢いで強引に突進する。
「おおぉぉぉぉっ!!」
ガイィンッ!!
重い衝撃音と共に、飛びかかってきたビーストの一匹を撥ね退け、強引に道をこじ開けた。
「邪魔だッ!」
体勢を崩した魔獣の死角から、ルイスが疾風のように躍り出る。
神速の剣撃が、一瞬にして狼型ビーストを真っ二つに両断した。
残ったもう一匹がカイルの背後に回ろうとした瞬間、ミラの杖から放たれた精密な炎の弾丸がその頭部を正確に撃ち抜き沈める。
8人の一瞬の減速すら許さない、洗練された連携。
「いい連携だ!だが、油断するな。こんなところにまで魔獣が侵入しているということは、広場の防衛線がすでに決壊しかけている証拠だ!」
ロイドがヨレヨレの白衣を風に翻しながら、周囲の状況を冷静に分析し、教え子たちへ注意を促す。
「ええ。……しかし、ヴォルガンたちがいながら一体何をやっているのか。…ほら、また来ましたよ!」
ギルベルトが走りながら片手を前に伸ばす。
彼の手のひらから放たれた極小のキューブ結界が、建物の屋根から飛び降りてきた猿型ビーストの両足を空中で正確に拘束し、その動きを完全に封じ込めた。
「ガハハハ!なら、さっさと広場まで行って確認すればいいだけの話だ!急ぐぞお前ら!」
バルガスが豪快に笑い飛ばし、拘束されて落ちてきた猿型ビーストを素手で殴り飛ばしながら進撃を後押しする。
大人たちの頼もしい援護を受けながら、アルノは左手のエーテルガンを強く握りしめ、前を見据えた。
(待ってて、シエル姉ちゃん、みんな……!)
焦る心を必死に抑え込み、アルノたちは疾風のごとく走り続けた。
やがて大通りの向こう側に、天を突く巨大な岩山と、高さ50メートルの『エテルニス』前に広がる、広大なタルタロス広場へと辿り着いた。
しかし、そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。
「はぁっ……はぁっ……!エリシア、右翼の陣形が保ててないわ!」
「分かっています!ですが、もはや連携はボロボロです!…ここからは各個で対処するしかありません!」
広場の中央で、シエル、エリシア、ウィリー、セレンたちを含む、第十騎士団と第十魔導師団の新人部隊が、血みどろの防衛線を張っていた。
彼らの周囲を黒い波のように埋め尽くしているのは、おびただしい数の魔獣たちだ。
普段のビーストであれば、本能のままに無秩序に襲いかかってくるはずである。
しかし、そのビーストたちの後方には、不気味な黒装束を纏ったゼルディア帝国の工作員たちの姿があった。
彼らが放つ禁忌の『洗脳魔法』によって理性を縛られた魔獣たちは、まるで訓練された軍隊のように高度な連携を取り、波状攻撃を仕掛けてきている。
「そこです……!」
セレンの双剣が滑るようにビーストの首を落とすが、間髪入れずに次のビーストが死角から襲いかかる。
上空からはウィリーを乗せたファントム『ピロー』がしっぽから氷結魔法の散弾を放つが、工作員が操る頑強な亀型の魔獣が自ら盾となり、他の個体を守るという異常な行動を見せていた。
「くそっ…なんて数なの……キリがないわ……」
シエルのプラチナブロンドの髪は、泥と返り血で汚れ、制服も至る所が破れている。
魔力はすでに限界に近く、剣を握る手は激しい疲労で小刻みに震えていた。
ただの力押しではない、知性を持った『数の暴力』。
防衛線が崩壊し、王都の奥深くへ魔獣が雪崩れ込むのは、もはや時間の問題だった。
(ここで私たちが倒れたら、アル君たちの暮らすこの街が……!)
シエルが気力だけで剣を振り上げようとした、その時。
長い牙を持つ猫型のビーストが、彼女の隙を突き、完全にがら空きになった首元へと跳躍した。
「シエル姉ちゃん!!」
聞き慣れた弟の叫び声が、広場に響いた。
「汚い顔を近づけてんじゃないわよっ!、フレイム・バレット!!」
「我が国民に手を出すな!!、グラン・ド・クロォーース!!」
広場の入り口から放たれたミラのレーザーのような熱線が、シエルへ襲いかかろうとしていたビーストの頭部を正確に貫く。
さらに、ルイスの放った巨大な蒼い十字の斬撃波が、シエルの前に群がっていた魔獣たちを、分厚い石畳ごと真っ向から吹き飛ばし、焼き払った。
「ア…アル君たち!?…ルイス殿下……それに、先生たちまで!……」
一瞬死を覚悟したシエルが信じられないというように目を見開き、崩れそうになる膝を必死に支える。
「よく耐え抜いたな、お前ら!ここからは俺たちが引き受ける!」
ロイドが広場に響き渡る声で騎士たちを鼓舞する中、アルノは真っ直ぐにシエルの元へと駆け寄った。
「シエル姉ちゃん、加勢するよ!」
「アル君……今日はクラス入れ替え戦だよね?…ここにいて大丈夫なの…?」
息も絶え絶えな状態でありながら、それでも姉として弟の立場を心配するシエルに、アルノはいつもの飄々とした、しかし力強い笑顔を向けた。
「入れ替え戦なら大丈夫。全力で戦って、僕たちは引き分けたんだ。悔いはないよ」
「そう…残念だけど、アル君が納得してるなら、それが一番ね……」
緊張が解け、精神力だけで持ちこたえていたシエルが崩れ落ちそうになる。
アルノは姉を力強く支え、その左手に素早くルーンを刻む。
キュインッ!
「アル君、これは……?」
「『吸収』のルーンだよ。倒したビーストの魔石に手を当てて、このルーンを起動して。そうすれば、魔石から直接魔力を回復することができるから!」
「ほんとうに…そんなことが……」
シエルは手のひらに刻まれたルーンを見つめ、弟のルーン・テイラーとしての底知れぬ成長に息を呑んだ。
「……ありがとう、アル君。でも気をつけて、奴らは普通の魔獣じゃないわ。あいつら連携して……」
「分かってる。あいつら、洗脳魔法で操られた軍隊なんだ…」
アルノは立ち上がり、冷静な目で戦場全体を見渡した。
エテルニスを背にした広場には、まだ多数のビーストと、それを操る工作員たちが陣取っている。
洗脳魔法に純粋なエーテルを撃ち込んで中和する術は知っているが、この数では一体ずつ解除していくのはあまりにも非現実的だった。
「みんな、敵の数が多すぎて、全ての洗脳を解くのは難しい。ここは陣形を立て直して、総力戦で乗り切るよ!」
アルノは即座に、この状況を打破するための采配を始めた。
「ミラ、シルフィア。2人は騎士団の負傷者を守って!」
「うん、ウチらにまかせとき!」
シルフィアのイヤーカフ『ハルモニア』が淡く輝く。
滑らかな手つきでタクトを振ると、彼女の呼びかけに呼応した土と風の精霊たちが一斉に動き出した。
怪我をして動けない騎士たちを包み込むように、強固な二重の防御陣が瞬時に形成される。
「絶対に近寄らせないわよ!、フレイム・ガトリング!」
ドドドドドドドドドドドドドッ!!
ミラが杖のダイヤルを絞り、防御陣に近づこうとする魔獣たちを精密な炎の弾幕で次々と足止めしていく。
後方の安全を確保したアルノは、シエルへと真っ直ぐに向き直った。
「シエル姉ちゃんのチーム以外の騎士たちに、負傷者を連れてこの広場から退避するように伝えて」
「えっ……でも、騎士団が退いたら、ここの防衛線が……」
「これ以上守る対象が増えたら、ボクたちが自由に動けなくなって戦線が崩壊する。足手まといを無くして、フットワークを軽くするんだ」
冷酷にも聞こえるが、それは戦場を俯瞰するリーダーとして、これ以上犠牲者を出させはしないという、極めて的確な判断だった。
シエルは弟の揺るぎない灰色の瞳を見て、そこに一人の優れた指揮官の姿を見た。
「分かったわ!……騎士団、魔導師団は全員負傷者を連れて、直ちに広場外へ退避しなさい。ここは私たちが食い止める!」
シエルの凛とした号令により、新人騎士たちが傷ついた仲間を庇いながら、迅速に広場の外へと離脱していく。
守るべき対象を最小限に絞ったことで、広場に残された者たちは、互いの背中を完全に預け合える『少数精鋭の戦闘布陣』へと移行した。
「ルイス、カイル。2人は正面の魔獣たちをお願い!」
「よし、任された!いこうか、カイル!」
「オレは王国の盾です。殿下には指一本触れさせません!」
アルノの指示を受け、つい先ほどまで闘技場で互いの全力をぶつけ合った二人が、今度は最強の盾と矛として前線に並び立った。
「オォォッ!!マッスル・オォーバァーッ!!」
カイルの全身に魔力がめぐり、その筋肉が大きく隆起する。
最大出力の剛体化を発動したカイルが、漆黒の大盾を構え重戦車のような質量で、迫るビーストの突進を正面から受け止め、文字通り鉄壁の盾となる。
その分厚い壁が作ってくれた絶対的な安全圏から、ルイスが疾風のごとく躍り出る。
蒼い炎のようなオーラを纏った騎士剣が一閃されるたび、宙を舞う魔獣たちが次々と両断されていく。
王国の盾と、王国の剣。
その呼吸は完璧に同期し、付け入る隙を一切与えない。
そして、生徒たち以上に凄まじかったのが、大人たちの戦いだった。
「ガハハハ!後ろは任せたぜ、ギルベルト先生!」
バルガスが豪快に笑いながら、地面を蹴る。
移動の瞬間は脚に、攻撃の瞬間は剣と腕へと魔力を瞬時に移動させる、最高峰のソーサナイト(魔導騎士)としての魔力操作。
炎の属性を纏わせた大剣が、周囲のビーストを文字通り蹂躙していく。
その背後では、ギルベルトが冷徹な三白眼を細め、両手を前に突き出していた。
「ピアシング・キューブ…」
彼の周囲に展開された十数個の小型キューブが、超高速回転を始め、ドリルの群れのように空を駆け巡る。
トリッキーな軌道でビーストの外皮を貫き、時には合体し強固なバリアとなってバルガスへの死角からの攻撃を弾き返す。
感情を交えない、氷のように冷たく完璧なコントロールだ。
そしてロイドは、ヨレヨレの白衣を翻し、両手の特製トンファー型マギア『ルーン・ドライヴ』の属性を次々と切り替える。
クラフターとは思えない滑らかで無駄のない体術でビーストの死角に潜り込み、炎と雷の打撃で的確に額の魔石だけを粉砕していく。
「お前ら、無理はするなよ!」と生徒たちに声をかけながらもその無双ぶりは、かつての学園の最強チームとしての凄みをまざまざと見せつけていた。
一方、後方ではシルフィアの使役する土と風の精霊が、退避に時間のかかる重症者たちを包み込む堅牢な結界を維持し続けていた。
その防衛線を抜けてこようとする魔獣には、ミラが杖のダイヤルを絞り、極限まで制御された炎の弾幕『フレイム・ガトリング』を浴びせる。
空気を焦がす真紅の炎と、精霊たちを使役するエーテルの淡い光。
それらが広場に希望の灯りをともすように力強く、そして美しく輝いていた。
「アル君、ありがとう!これならいけるわ!」
『吸収』のルーンにより、倒れたビーストの魔石から魔力を全回復させたシエルも、本来の神速を取り戻していた。
彼女は戦場をプラチナ色の残像となって駆け抜け、次々と敵の連携を寸断していく。
圧倒的な個の力と、互いを信じ抜く完璧な連携。
あれほど絶望的だったビーストの群れは、確実にその数を減らしていた。
「はぁ……はぁ……いける!これなら押し切れるわ!」
ミラが額の汗を拭いながら、明るい声を上げる。
誰もが、このままの調子で押し切れば王都を守り抜けるという、確かな手応えと希望を胸に抱き始めていた。
その時だった。
「……ジジ……ッ」
耳の奥を引っ掻くような、不気味で微かなノイズ音が広場に響いた。
まるで凍りついたように全員の動きが止まり、視線が、高さ50メートルの巨大な門、『エテルニス』へと引き寄せられる。
虹色に輝く魔力結晶ガラス。
そこに刻まれた直径20メートルにも及ぶ巨大な魔法陣が、まるで寿命が近づいた街灯のように、不自然に明滅したのだ。
ルーンが明滅したその一瞬、絶対の防壁に一時的な「隙間」が生じた。
「…嘘…だろ……ちくしょう……」
カイルが、絶望の声を漏らす。
その隙間を突くように、ゲートの内側にひしめき合っていた新たな魔獣の群れが、雪崩となって外へと溢れ出してきたのだ。
だが、本当の悪夢はここからだった。
新たに溢れ出てきた大量のビーストたちへ向け、最後方に控えていたゼルディア帝国の工作員の一人が、不気味な杖を振り上げた。
杖の先端から、泥のようにどす黒く粘り気のある魔力の波が放たれ、新たに現れたビーストたちをすっぽりと包み込んでいく。
工作員の放つ禁忌の『洗脳魔法』。
それにより、本能で暴れていたはずの魔獣たちは一瞬にして理性を縛られ、再び軍隊のように統率された凶悪な兵器へと変貌していった。
「くっ…なんてこと!…これじゃ、振り出しよ……」
シエルが震える声でつぶやく。
圧倒的な絶望を前に、広場にいた全員の心に、言葉にできないほどの深く暗い影が落とされた。
希望の光は、再び漆黒の闇に飲み込まれようとしていた。




