【第29話】銀の剣閃と、500年の真実
絶望が、再び広場を支配しようとしていた。
エテルニスの巨大なルーンが不気味に明滅し、結晶ガラスの隙間から新たな魔獣の群れが滝のように溢れ出してくる。
後方に控えていたゼルディア帝国の工作員たちは、シエルたち以外の騎士団が退避し、アルノたちの戦力が手薄になったこの瞬間を逃さなかった。
「一気に方をつけてやる!」
工作員の一人が高く杖を振り上げ、黒く濁った魔力の波を放つ。
洗脳魔法を浴びた新たなビーストたちは、瞬時に理性を奪われ、まるで統率の取れた軍隊の隊列のように整然と並び立った。
そして工作員が杖を振り下ろした瞬間、魔獣の軍隊は地鳴りを響かせながら、一斉にアルノたち目掛けて突撃を開始した。
息をつく暇もない波状攻撃。
カイルやミラ、そしてシエルたちの顔に、抗いようのない絶望の色が浮かぶ。
(ここまで、なのか……!)
誰もが最悪の結末を覚悟した、その時だった。
「シルバーーッ・ブレイク!!」
空気を震わせる野太くも凛とした声が広場に響き渡った。
直後、キラキラと輝く美しい銀色のエーテルの尾を引く、巨大な魔力の斬撃が広場を横薙ぎに駆け抜けた。
ズガァァァァンッ!
凄まじい衝撃と共に、突撃してきていた魔獣の軍隊の1/3近くが、まとめて空高く吹き飛ばされる。
「えっ……!?」
アルノたちが驚いて振り返ると、そこには二人の男女が並び立っていた。
少し暗めのシルバーの髪を風になびかせ、手にした大剣から立ち上る残滓を払う王国騎士団長ヴォルガン・ラインハルト。
そしてその隣で、おっとりとした笑みを浮かべる魔導師団長リディア・アークライトの姿があった。
「父さん……!リディアさんも!」
「遅くなってすまなかったな…みんな」
ヴォルガンが、鋭い眼差しを前方の敵に向けたまま口を開く。
「王城の内部で、同時多発的なテロが起きてな。そちらの鎮圧に手間取ってしまった」
「王城でテロ!?…王様たちは無事なの!?」
シエルが血相を変えて尋ねると、リディアがふんわりとした口調で答えた。
「ええ、内部のネズミはすべて退治したわ。今はカイル君のお父さんたちが率いる近衛騎士団が、王城の周囲を鉄壁の守りで固めてくれているから、もう心配はいらないわよ」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの顔がハッと上がった。
一族から欠陥品と見放されてきたカイルだが、王家の盾として近衛騎士団を率いる父の実力と誇りは、誰よりも強く信じている。
(親父が王城を死守してるんだ……なら、オレはここで、絶対に仲間たちを守り抜いてみせる!)
カイルは再び漆黒の大盾を強く握り直し、己の心に燃えるような誓いを立てた。
ヴォルガンはアルノへと視線を移し、その泥だらけになった小さな体と、頼もしくなった顔を見つめた。
「よく耐えた、アルノ」
「父さん……」
「ここは私に任せて、お前はお前のやるべきことをしろ。……あのゲートを直せるのは、お前たちだけなのだろう?」
その力強い言葉に、アルノは真っ直ぐに頷いた。
「よう、随分遅かったな、お前ら」
ロイドが嬉しそうに憎まれ口を叩く。
その言葉に、ヴォルガン、リディア、ロイド、ギルベルトの4人は互いに目線を交わし、小さく微笑んだ。
ここに魔導学園の歴史上、最強と謳われた、元祖チームラインハルトのメンバーが再集結した。
「さぁて、それじゃあここからは、大人の時間とまいりましょうか」
リディアが、ピンク色の魔石がはまった杖を優雅に構える。
「ここは石畳だから砂鉄が少なくて困るわね。……ごめんなさい、ちょっとお借りするわね。……マグネ・フォース」
リディアが杖を振るうと、先ほど退避していった騎士たちが広場に落としていった数十本の鋼の剣や槍が、カタカタと震えながら一斉に宙へと浮き上がった。
「よくも若い子たちをいじめてくれたわね……いきなさい!」
彼女が杖を優雅に振るうとピンクの魔石が輝きはじめ、宙に浮いた数十本の剣や槍が、まるで意思を持った魚の群れのように空中を舞い踊る。
ズバッ、ズババババババッ!
磁力で精密に操られた剣の群れが、押し寄せるビーストたちを次々と串刺しにし、圧倒的な力で戦場を蹂躙していく。
「す、すごい…これが魔導師団長……」
アルノ奪還チームに同行できなかったミラは、はじめて目にする洗練された魔法の暴力に息をのんだ。
「アルノ、行くぞ!ヴォルガンたちが敵を引きつけてくれている、今しかない!」
ロイドの声にハッと我に返り、アルノはエテルニスへと向き直った。
広場の中央には、先ほどマギア協会のクラフターたちが逃げ出した際に残していった、エテルニスのルーンへ届く巨大な金属製の足場が組まれたままになっていた。
「うん!ロイド先生、行こう!」
カン、カン、カン、カン……
アルノとロイドは、金属製の足場を駆け上がり、高さ数十メートルの位置にある巨大な魔力結晶ガラスに刻まれたルーンの眼前に到達した。
目の前に広がるのは、直径20メートルにも及ぶ、規格外に巨大で精密な『一方通行』のルーン。
少し離れて見れば、それは極太の一本の線で描かれた、ただただ巨大な魔法陣にしか見えない。
しかし、間近に迫ったアルノが、丸眼鏡の拡大鏡マギアをズームしてその「かすれ」た部分を覗き込んだ瞬間、彼の灰色の瞳が驚愕に見開かれた。
「なんだ……これ……っ!」
「どうしたアルノ、何があった!」
ロイドが尋ねると、アルノは震える声で答えた。
「これ…一本の線じゃない……。この極太の線に見えていたものは、極小ルーンの無数の集合体なんだ……!」
「な……なんだと…!?…つまり、ルーン・ステッチで刻まれた魔法陣ってことか!?」
ロイドも自らのクラフターの目を凝らしてガラス表面を凝視する。
そこには、信じられないほど微細なルーンが、まるで細胞のように敷き詰められ、一つの巨大なルーンを形成していた。
ルーンでルーンが刻まれていたという盲点。
あまりにもスケールが大きすぎたため、過去500年以上もの間、誰一人としてその事実を拡大して確認しようとすら思わなかったのだ。
「この独特の配列……おじいちゃんから教えられたルーンと、まったく同じ法則だ……」
アルノの脳裏に、かつて祖父シュタールから教わった技術と、自らの血脈が重なり合う。
これは紛れもなく、かつてこの大陸に生きていた『ドワーフ』たちの遺産。
「サイズは約0.8ミリ。……今のボクなら、ギリギリ刻めるサイズだ」
アルノは右手親指の祖父の形見の指輪を見つめながら、指先に魔力を集中させた。
「マギア協会の連中が、失敗して当然だったんだっ!ルーン・ステッチを普通になぞって修復なんて、そもそも出来るはずがなかったんだ……。アルノ、俺にも手伝えることはあるか?」
ロイドの問いかけに、アルノは頼もしそうに微笑む。
「もちろん。先生がそばにいてくれるだけで、ボクは安心できるんだ」
教師と生徒でありながら、クラフターとしては同じルーン・ステッチを追求する不思議な師弟関係の2人が、巨大なロストテクノロジーを前に並び立つ。
極細の、出力0.01の魔力が指先に灯り、アルノが全身につけた特製マギアのアクセサリーたちが淡く共鳴するように輝き始める。
「ドワーフの子孫であるボクが…このルーン・ステッチで、絶対に直してみせる!」
アルノがガラスの表面に指先を触れようとした、まさにその時だった。
「……っ!?」
キィィィィィンッ!
耳をつんざくような高周波の音が響き、巨大な魔力結晶ガラスがかつてないほど激しく共鳴した。
ガラスの表面を覆っていた一方通行のルーンの光がゆるやかに反転し、魔力結晶ガラスが水面のようにゆったりと波打つ。
直後、ゲートの内側の暗闇から、巨大な質量の塊が凄まじい勢いで飛び出してきた。
「バオォォォォーーーーッ!!」
広場全体を震わせるような、象に似た重低音の咆哮。
姿を現したのは、体高20メートル以上はあるだろうか、超大型のマンモス型ビーストだった。
牙と長い鼻を振り乱しながら、マンモス型ビーストがエテルニスを勢いよく通り抜ける。
ドゴオォォォーーーーォンッ!!
ゲートが爆発したかのような衝撃が走り、マギア協会の残していった金属製の巨大な足場が、紙くずのように粉砕された。
「うわぁっ!」
「くそっ!」
重い足場が木の葉のように吹き飛び、アルノとロイドの体が空高く跳ね飛ばされる。
何十トンもの金属の残骸が、下で戦っている仲間たちへ向けて降り注ごうとした、その時だった。
「あらあら、危ないわね」
ふんわりとした声と共に、リディアがピンク色の大きな魔石がはめ込まれた杖を天へと掲げた。
「反転しなさい……『マグネ・フォース』」
彼女の杖の先のピンクの魔石が淡く輝いた瞬間、強烈な磁力が発生する。
崩落してくる何十トンもの足場の残骸は金属製であったため、リディアの放つ圧倒的な磁力魔法によって、空中でピタリと静止した。
「すごい……あの巨大な金属の足場を、そのまま空中に留めた!?」
ミラが驚愕する中、空中に放り出されたアルノに向かって、シエルが血相を変えて駆け出した。
「アル君っ!今助けるわ!」
シエルが地面を蹴り、驚異的な脚力で跳躍しようとした瞬間。
「風の精霊さん、お願い!……『精霊憑依』!」
ハルモニアを輝かせ、風の精霊を憑依させたシルフィアが、重力を無視したようにふわりと宙を舞う。
彼女はシエルよりも一足早く空中のアルノへたどり着き、その細い腕でアルノをしっかりと、そして優しく抱きとめた。
「アルノ君、大丈夫やった?」
「うん、ありがとうシルフィア。助かったよ」
「ふふっ、ウチが先やで」
ふわりと安全に石畳へと着地した二人を見て、シエルが「ああっ!私の役目なのに……!」と露骨に唇を尖らせて拗ねた。
一方、アルノと一緒に放り出されていたロイドはというと…。
「オラァッ!」
カイルが漆黒の大盾を放り出し、ゴリラのような太い両腕で、落ちてきたロイドを乱暴にガシッと受け止めていた。
「ぐはぁっ!……お、お前ら……俺のこと全く眼中になかっただろ……」
あまりの衝撃に白目を剥きそうになりながら、ロイドがシエルとシルフィアへ恨めしそうにぼやく。
「ぜ、贅沢言うなよ先生!オレだって必死だったんだからな!」
「あはは、先生かんにんやで!」
この絶望的な状況下で繰り広げられた、彼ららしい少し気の抜けた救出劇。
そのやり取りに、張り詰めていた広場の空気が一瞬だけ緩み、ほんのわずかな安堵の息が漏れた。
しかし、状況は最悪だ。
エテルニスから現れた、規格外のマンモス型ビースト。
灰色の巨体は光沢のある分厚い鱗に覆われ、口元からは左右に大中小、計6本もの巨大な牙が凶悪に反り返って生え、真っ赤に染まった瞳は狂乱に満ちていた。
そして何より異様なのは、その額の真ん中から角のように突き出している、3メートル以上もある緑色の巨大な魔石だった。
「あれって……」
その魔石を見た瞬間、アルノ、シルフィア、ミラ、カイルの4人の脳裏に、かつてエテルニスの前で交わした何気ない会話がよみがえる。
ーー
『でも、あのゲートの上についてるくらいの、でっかい魔石を持つビーストが出てきたらどうすんのよ?』
『ふふっ、そん時は、みんなで返りうちやで』
(2章1話参照)
ーー
かつて冗談半分で語り合った、まさにその想像を絶する規格外の存在が今、現実となって彼らの目の前に現れたのだ。
「冗談じゃないわよ……本当にあんなのが出てくるなんて!」
ミラが悲鳴のような声を上げる。
突如現れた、巨大なビーストにアルノたちだけでなく、広場の全ての視線がそこに集まっていた。
だが、戦場においてその「一瞬の隙」は、あまりにも致命的だった。
「……え?」
誰の口から漏れたのかもわからない、間の抜けた声。
アルノが振り返った先。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「…バルガス、…先生?」
常に豪快に笑い、生徒たちと肩を組んで汗を流していた、熱血教師のバルガス。
その彼が、手にした鋼の剣を、ギルベルトの背中へ深々と突き刺していた。
「ガハッ……!き、さま……!」
ギルベルトの口から大量の鮮血が吐き出され、その場にうつ伏せに倒れ込む。
彼の周囲に浮かんでいたキューブ型結界は力を失って地面に転がり落ち、エーテルの粒子となり宙に消えた。
「ギルベルト先生!!」
ルイスが叫び、剣を構えようとするが、バルガスはギルベルトの背からゆっくりと剣を引き抜くと、まるで別人のような冷酷な目でルイスを見据えた。
「おや、いけませんね。…ビーストになど気を取られていては、背中がお留守になりますよ」
その声には、いつもの暑苦しいほどのエネルギーも、人懐っこい響きも一切なかった。
極めて丁寧で、洗練された所作。
そしてその氷のように冷たい声色に、アルノが動揺する。
「ボクがさらわれた時に聞いたもう一人の声、…こいつだ……バルガスだ!…普段の口調とあまりに違っていて、思い出せなかった……!」
そこには「熱血教師」の仮面を完全に脱ぎ捨てた、帝国のスパイとしての冷酷無比な本性が現れていた。




