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【第15話】夏休みの終わりと、戻らない日常

極秘の通信会議が終わり、重厚な通信マギアの電源が切られると、応接間を満たしていた極度の緊張感がふっと解けた。



「まさか、あのセリア先生が帝国のスパイだったなんてな……」



カイルが、未だに信じられないというように頭を掻きむしる。


「去年のクラス総入れ替え戦で、ワタシたちがBクラスに上がって、代わりにセリア先生のCクラスがDクラスに落ちたじゃない?あの時も、自分のクラスが落ちたのにワタシたちに『おめでとう』って優しく言ってくれたのに……。でも、まだスパイじゃない可能性も……」


ミラも、複雑な表情で肩を落とした。


その言葉に、アルノも静かに頷く。


現在Dクラスの担任であるセリア。


落ちこぼれの生徒たちにも分け隔てなく接するその優しさがあったからこそ、巧妙に周囲の警戒を解き、学園の日常に溶け込むことができたのだろう。


しかし、いつまでも落ち込んではいられなかった。


王都から夜通し駆けつけてくれたシエル、リディア、ウィリーの3人は、それぞれの職務があるため、すぐに王城へ帰還しなければならないのだ。


屋敷の玄関前には大きなあくびをしているファントムのピローと、帰路につくための早馬が準備されていた。


「アル君……っ!お姉ちゃん、もっとアル君と一緒に夏休みを過ごしたかったわ……!」


出発の直前、シエルがアルノを力強く抱きしめ、涙目で頬ずりをした。


先ほどの会議で見せていた冷徹な騎士の顔は完全に消え去り、重度のブラコンの顔になっている。


「ちょ、ちょっとシエル姉ちゃん、苦しいよ……。またすぐに会えるから、気をつけて帰ってね」


アルノが苦笑いしながら姉の背中をポンポンと叩くと、シエルは名残惜しそうにアルノから離れた。


その様子を微笑ましく見ていたミラが、ふと思い出したようにリディアに尋ねた。


「そういえば、さっきの会議でリディアさんとギルベルト先生が同じチームだったって聞いて、すごくびっくりしたんですけど……当時から実習は4人チームだったんですか?」


「ええ、そうよ。これは学園の伝統ですからね」


魔女帽子を直しながら、リディアがおっとりと頷く。


「ということは、もう一人いたんですよね?もしかして、またワタシたちの知ってる人だったりして」


ミラは軽い冗談のつもりだった。


しかし、リディアはニコリと笑って、とんでもない爆弾を落とした。



「ふふっ、よく知ってるわよ。もう一人はロイドちゃんだもの。元祖チームラインハルトは3年間Aクラスで、トップチームだったのよ。学園史の中にも私たちのことが載ってるわよ」


「「「「えええええーーーーーっ!!!」」」」



アルノ、カイル、ミラ、シルフィアの4人の声が、美しく晴れ渡った空に響いた。


いつもヨレヨレの白衣を着て、やる気なさそうにしているロイド先生が、あの超神経質で厳格なギルベルト先生と、さらには魔導師団長のリディア、そして王国騎士団長のヴォルガンと同じチームだったというのだ。


「え?でもロイド先生、ギルベルト先生とチームやったなんて、学園で一言も言ってへんかったやんね!?」


シルフィアが目を丸くして身を乗り出す。


「それはね、学園内で気軽に声をかけたり馴れ合ったりしたら、『公私混同だ!』ってギルベルトちゃんが本気で怒るからだと思うわ」


リディアがくすくすと笑いながら答える。


「今でも定期的に連絡は取り合っているのよ。でも、みんなで揃って顔を合わせることは本当に少なくなったわね。私とヴォルガンちゃんは、こう見えても一応組織のトップだから、気楽に外を歩ける立場じゃなくなっちゃったしね」


どこか懐かしそうに目を細めるリディアの言葉に、4人はただただ圧倒されていた。


先生や父親たちが伝説的な最強チームを組んでいたという奇跡的な事実。



「はは……さすがにこれは、情報過多でびっくりだね……」



次々と明かされる驚愕の事実に、さすがのアルノも脳の処理が追いつかず、乾いた笑いを漏らすしかなかった。


「それじゃあ、私たちは行くわね。アルノちゃんたちも、残りの夏休みをしっかり楽しむのよ」


リディアがふわりと馬に飛び乗り、シエルもキリッとした騎士の顔に戻って手綱を握る。


「じゃあね、みんな。ピロー、帰るよ」


ウィリーがアイマスクを額に乗せたままピローの背にまたがると、大きな猫型ファントムが「にゃおん」と短く鳴いた。


「ライガード様、エルウィン殿、。今回は大変お世話になりました」


シエルがエーテリス家の面々に深く頭を下げる。


「道中、お気をつけて。王都の防衛、頼みますぞ」


ライガードが力強く頷き返した。


蹄の音とピローの軽やかな足音が、エーテリス家の敷地から遠ざかっていく。


アルノたち4人とエーテリス家の人々は、小さくなっていく3人と1匹の背中を、見えなくなるまでいつまでも見送った。


見送りを終え、屋敷の中へ戻ると、エルウィンがアルノたちに向き直って優しく微笑んだ。


「色々と大変な事態にはなってしまったが……君たちさえ良ければ、残りの夏休みはこのままエーテリス家で過ごしていかないかい?」


「えっ、でも、事後処理も大変な時にワタシたちが長居したら、ご迷惑に……」


ミラが慌てて遠慮しようとするが、ライガードも大きく頷いた。


「いや、むしろ君たちのような腕の立つ若者がいてくれる方が、我々としても心強い。それに、シルフィアがこんなに素晴らしい友人たちに恵まれたのだ。父として、もっと君たちをもてなしたいんだよ」


「せやでみんな、遠慮せんと!」


その温かい言葉に、アルノ、カイル、ミラは顔を見合わせた。



「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうか?」



アルノの言葉に、カイルとミラも嬉しそうに頷く。



「おっっしゃ!なら、今日の昼メシはオレがエーテリス領の特産品を使って、最高のフルコースを作ってやるぜ!」


「ちょっとカイル、また野草や毒キノコとか入れないでよ!?」


「あんなミス二度とするか!」



4人はこの冬が終わると学園を卒業する。


きっと皆が揃って、こうしてのんびりと過ごせる長期休暇はこれが最後になるだろう。


世界樹の迷宮での死闘や、背後に迫る帝国の陰謀という重い現実を一旦心の隅に置き、4人はエーテリス領の豊かな自然の中で、残りの夏休みを全力で楽しむことに決めたのだった。


それからの数日間、アルノたちは言葉通り、エーテリス領の豊かな自然を全身で満喫した。


カイルは宣言通り、領地で獲れた新鮮な川魚や珍しい野鳥の肉、そして瑞々しい高原野菜をふんだんに使い、毎日のように豪華な食事を振る舞った。


エルウィンやライガードもカイルの料理の腕前には驚嘆し、「王宮の料理人になれるのではないか」と太鼓判を押すほどだった。


日中はエルウィンの案内で、精霊が多く集まる美しい鍾乳洞を見学したり、草原で魔法の合同訓練を行ったりした。


シルフィアはハルモニアのおかげで以前よりも精霊との対話がますますスムーズになり、ミラの魔法もアルノの調整によってさらに精度を増していた。


カイルも新しい大盾の扱いにすっかり慣れ、その鉄壁の守りはさらに強固なものとなっていた。



「……なぁ、アルノ。本当に終わっちまうんだな、夏休み」



ある夜、屋敷のバルコニーから、降るような星空を眺めながらカイルがポツリと漏らした。



「そうだね。来年の今頃は、ボクたちはもう学生じゃない。それぞれの道に進んでるはずだよ」



アルノが隣で答える。



「ウチ……、卒業しても、みんなとこうして笑ってたいわ」



シルフィアが少し寂しげに微笑み、ミラも「当たり前じゃない。ワタシが立派な魔導師になっても、あんたたちと疎遠になるなんてありえないから!」と強がってみせた。


帝国の影、洗脳された魔獣、そしてスパイの疑い、4人は学生には重すぎる現実の渦中にいる。


それでもこの美しい星空の下で誓い合った絆だけは、何があっても揺るがない。


4人はその確信を胸に、エーテリス領での最後の夜を過ごした。



ーー



翌朝。


別れを惜しむシルフィアの両親や、再会を約束したエルウィンに見送られ、4人はエーテリス家の紋章が入った立派な馬車に乗り込んだ。


「お父様、お母様、兄さん。本当にお世話になりました。行ってきます!」


シルフィアが窓から身を乗り出して大きく手を振る。


馬車がゆっくりと動き出し、深緑の領地の景色が次第に遠ざかっていく。


王都グラン・フォリアへの帰路。


それは、平和な学生生活の終わりへと向かう片道切符のようでもあった。



ーー



1日半の旅を経て、アルノたちは久しぶりに王立学園の門をくぐった。


学園は新学期を控えた生徒たちの活気に満ちていたが、その裏側では、大人たちによる極秘の網が張り巡らされていた。


王宮の宰相ロベルから、アーチボルド学園長へ。


そして騎士団長ヴォルガンから、ロイドとギルベルトへ。


エーテリス領で起きたアルノ誘拐事件の全容と、セリアへのスパイ容疑は、信頼できる最小限の者たちにのみ共有されていた。


始業式当日の朝。


教職員室の空気は、生徒たちの賑やかさとは対照的に、張り詰めた沈黙に支配されていた。


ロイドはいつも通り気怠げではありながらも、その鋭い視線は教職員室の入り口に向けられていた。


その隣で、ギルベルトは一分の隙もない姿勢で椅子に座り、眉間に深い皺を寄せて時計の針を見つめている。


彼らの目的はただ一つ。


セリアが学園に姿を見せた瞬間に、騎士団と連携してその身柄を確保することだ。


しかし……。



「……遅いな」



ギルベルトが低く、苛立ちの混じった声で呟いた。


始業式の開始時刻が迫っても、Dクラスの担任であるセリアの席は空席のままだった。


一方、大講堂で行われた始業式に参加していたアルノたちも、壇上に並ぶ教師たちの列を凝視していた。


ルイスもAクラスの列の中で、平静を装いつつ教壇を見つめている。



「……いないね」



アルノが小さく呟いた。


壇上のどこを探しても、あのふんわりとした茶髪と、包容力のある優しい笑顔を持ったセリアの姿はない。


始業式が終わっても、セリアは現れなかった。


それどころか、彼女が借りていた王都の住居もすでに引き払われており、身の回りの品の一切が消えていたことが、その後の調査で判明した。



「どうやら、逃げられたようだ……」



放課後、旧修練場に集まったアルノたち4人とルイスの元へ、ロイドがやってきて重々しく告げた。


「学園の門番やセキュリティルーンの記録も調べたが、夏休みの期間中に不自然な出入りはなかった。おそらくアルノを攫った直後、すでに王都を離れていたんだろう」


その言葉に、ミラが悔しそうに拳を握りしめた。


「やっぱり、あの日、アルノを攫ったのはセリア先生だったのね……。ワタシたちを騙して、ずっと近くにいたなんて……」


「ウチらのこと、どう思っとったんやろ……。あの優しさも、全部嘘やったんかな……」


シルフィアが沈んだ声で俯く。



「いや、嘘だけじゃなかったかもしれない…」



アルノが、エテルニスの巨大な門の方向を見つめながら言った。


「セリア先生は、ボクがリターンキーを複製できることを知った。そしてそれを帝国に報告したのも彼女だろう。でも、ボクを攫った時に彼女は『丁重に扱って』と言っていた。それは単なる『道具』としての価値を認めていたからなのか、それとも……」


アルノはそれ以上の言葉を飲み込んだ。


その答えを知るすべは、もう風と共に消え去ってしまった。


セリア・フローレンスの失踪。


それは、彼女が紛れもない『敵』であったという動かぬ証拠であり、平和だった学園生活に完全に終止符が打たれたことを意味していた。


「……行こう。もう、迷っている暇はない」


ルイスが、碧眼に強い決意を宿して言った。


「帝国は動き出した。この国とファルシア公国を守るために、私たちができることをやるしかない」


秋の訪れを感じさせる涼しい風が、修練場を吹き抜けていく。


アルノは自らの右手に嵌められた、祖父の形見の指輪をそっと撫でた。


暴かれた真実と、二度と戻ることのない穏やかな日常。


アルノたちは、見えない巨大な嵐がすぐそこまで迫っていることを肌で感じながら、残り少ない学生生活を歩み始めた。


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