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【第10話】奪われた友。絶望の先の道標

「アルノ君っ!!」


シルフィアの悲痛な叫び声だけが、静かなドームに虚しく響き渡った。


シャドウの男はぐったりとしたアルノを肩に抱え、恐ろしいスピードで跳躍しながら出口方向へと逃げ去っていく。


カイルとシルフィアが弾かれたように駆け出そうとしたその時、背後から温かい魔力の波が放たれた。


「カイル、シルフィア……!、行って……!」


振り返ると、杖を支えにしてようやく立っているミラが、最後の魔力を振り絞っていた。


彼女の杖の先端から放たれた魔力の光が、二人の体を包み込む。


肉体強化魔法『フィジカル・ブースト』だ。



「ミラ……!」


「ミラちゃん!」


「ワタシたちの……アルノを、絶対に取り戻して……!」



その言葉と共に、ミラはついに膝をついた。


その様子を見ていたエルウィンも「行くんだっ!」と叫ぶ。



「任せろ!、必ず連れ戻す!」


「ミラちゃん、兄さん……ごめんな!すぐ戻るから!」



カイルとシルフィアは、ミラの魔法で一時的に限界を超えた身体能力を得て、シャドウの背中を追って迷宮のジャングルを疾走した。



「カイル君!、相手はリターンキーは持ってへんはずや!」



走りながら、シルフィアが声を張り上げる。



「今朝みんなで金庫に入った時、キーは全部揃っとった!あのフードの侵入者と合流して、ウチらのキーを奪いに来る前にあいつを捕まえるで!」


「ああ!そういうことか!」



重い鎧を身に着けたカイルでも、ミラのブーストのおかげでシャドウの背中を視界に捉え続けることができていた。


前方を逃げるシャドウの肩で揺れるアルノは、だらりと手足を垂らし、先ほどとは違い完全に意識を失っているようだ。



「アルノ……!、絶対に取り戻してやる!」



カイルは奥歯を噛み締め、さらに地面を強く蹴った。


2人はヤシガニ型ビーストの死骸の横を駆け抜け、必死にシャドウの背中を見失わないように追跡し、やがて巨大なタルタロスのガラス障壁が見えてきた。



「追い詰めたで!、あと少しや……!」



シルフィアが風の精霊に背中を押してもらい、さらに加速する。


しかし、ゲートを目前にした二人の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。


そこには、先に逃亡していた『灰色のフードの侵入者』が立っていたのだ。


そして、その手には虹色に煌めく『リターンキー』が握られていた。



「なっ……なんで、キーが!?」



シルフィアが驚愕に目を見開く。



「今朝、確かに金庫には全てのキーが揃っていたはず、…いやそんなことよりこのままじゃ……」



2人が考える暇もなく、侵入者がキーをゲートの魔力結晶ガラスにかざすと、強固な一方通行の術式が反転し、ガラスの表面が水面のように静かに波立った。



「行かせるかぁぁっ!!」



カイルが渾身の力で跳躍し、手を伸ばす。


しかしシャドウは一瞬の迷いもなく、アルノを抱えたままその波打つゲートの外へと飛び出した。


続いてフードの侵入者も身を翻してゲートをすり抜ける。


次の瞬間、反転術式は効力を失い、虹色の結晶ガラスは再び絶対の防壁としての強固さを取り戻した。



「アルノーーーーーッ!!」



カイルの手は届かなかった。


そして彼らがいくら力任せにぶつかろうが、タルタロスはびくともしない。



「そんな……嘘や……アルノ君が……」



シルフィアはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。


絶望的な静寂が二人の間に重くのしかかり、シルフィアの頬に涙が伝った。


アルノが、おそらく帝国の工作員であろう者たちに連れ去られてしまった。


最悪の想像が頭をよぎり、カイルの大きな拳が血を滲ませるほど強く握りしめられた。



その時だった。



シルフィアの耳につけた波長同調イヤーカフ『ハルモニア』が、淡い光を放ち始めた。



『……ここ……おちてる……』


「え……?」



シルフィアはハルモニアに触れ、顔を上げる。


それは、迷宮の土の精霊たちからの囁きだった。



『……ちいさな……ひかり……ぽつり、ぽつり……ここ、おちてる……』


「小さな光……?精霊さん、それは何なん?」


『……エーテルの、しずく……あのくろいおとこのくつから……おちてた……』



その言葉を聞いた瞬間、シルフィアの目に光が戻った。


人間には視認できないほど微小な魔力エーテルの痕跡。


それがシャドウの足元から一定間隔で落ちていたという事実。



「カイル君!」



シルフィアは弾かれたように立ち上がり、カイルの腕を力強く掴んだ。



「アルノ君は、まだ諦めてへんよ!」


「!?、どういうことだ?」


「アルノ君、きっと気を失う直前に、自分の最後の魔力を振り絞って、あいつのブーツに『追跡のルーン』を縫い付けたんや!微小なエーテルを定期的に落とすようなルーンを!」



その言葉に、カイルはハッと息を呑んだ。


ラクリマとの戦闘で、アルノはほぼ全ての魔力を使い果たしたはずだった。


だが、彼の出力0.01という極小の出力であれば、ほんのわずかなエーテルでもルーンを刻むことが可能だ。


そして、それを実行したからこそ、完全に魔力が枯渇して気を失ってしまったのだ。



「あいつ……!自分がいちばん怖い思いをしてるはずなのに……!」


「精霊さんにナビゲートしてもらえれば、そのエーテルの痕跡を辿れる!ウチらしか気づけない、道しるべを残してくれたんや!」



絶望の底にいた二人の目に、力強い闘志が戻った。



「すぐにミラとエルウィンさんの元に戻るぞ!エルウィンさんのキーで、ここを出るんだ!」


「うん!」



二人は踵を返し、仲間たちの待つ地底湖へと全力で駆け戻っていった。



ーー



地底湖の岸辺でしゃがみこんでいたミラとエルウィンの元へ、カイルとシルフィアが駆け戻った。



「アルノは……?」



息も絶え絶えに顔を上げたミラに、カイルは首を横に振った。



「あいつらなぜかキーを持っていて、ゲートを抜けられた。…だが、希望はまだある…」



カイルはシルフィアを促し、精霊が教えてくれた『微小なエーテルの痕跡』について手短に説明した。


アルノが最後の力を振り絞り、敵のブーツに追跡のルーンを刻んだこと。


そして、精霊の導きがあればそれを辿れるということを。



「あいつ……バカみたいに無茶をして……!」



ミラは涙を滲ませながらも、強く唇を噛み締めて立ち上がろうとした。



「エルウィンさん、これを」



カイルは自身のバッグからポーションを取り出し、重傷を負っているエルウィンに飲ませた。


即座に傷が塞がるわけではないが、自力で歩ける程度には回復するはずだ。


「すまない、カイル君…恩に着る。キーは私が持っている、すぐに出よう」


エルウィンが痛みに堪えながら立ち上がり、腰のホルダーから取り出した正規のリターンキーを確認する。



「やっぱり、盗まれたわけではなさそうやね……。でも今は考えるより、動くしかないわ!」



シルフィアの声に突き動かされ、4人は満身創痍の体を引きずりながら、再びゲートへと向かい、ダンジョンからの脱出を果たした。



「絶対にアルノを取り戻す」



固く誓い合った彼らは、王都の騎士団へ至急の応援を要請するため、エーテリス家の屋敷へと全速力で急いだ。



ーー



西の空が赤く染まり日没が迫る頃、屋敷に飛び込んできた4人の、泥と血だらけの姿に、使用人たちは悲鳴を上げた。



「アルフレッド!大急ぎで通信マギアを用意して!緊急事態やの!」



シルフィアの切羽詰まった声に、初老の執事アルフレッドは一瞬動揺したが、すぐさま深く頷き、別室から重厚な箱型の通信マギアを運び出してきた。


その準備が進む中、カイルがエルウィンに歩み寄り、真剣な表情で話しかける。


「エルウィンさん。可能であれば、王国騎士団の『騎士団長様』へ直接回線を繋いでもらえないだろうか」


「騎士団長……ヴォルガン・ラインハルト様に?エーテリス家の緊急回線を使えば可能だが、なぜ直接トップに?」


エルウィンが怪訝な顔をすると、カイルは静かに、しかしはっきりと告げた。



「連れ去られたアルノは、騎士団長様の息子なんだ」


「……なっ!?」



エルウィンだけでなく、執事のアルフレッドまでもが驚愕に息を呑んだ。


あの小柄なクラフターの少年が、王国最強と謳われる騎士団長の息子などと、誰が想像できただろうか。



「……わかった。すぐに繋ごう」



エルウィンは通信マギアのダイヤルを合わせ、エーテリス家の名を使い、最高レベルの緊急回線を開いた。


数回のコールの後、重く威厳のある声が響く。



『……ヴォルガン・ラインハルトだ。エーテリス家から、私に直接何の用件だろうか?』



エルウィンが手短に世界樹の迷宮での異常事態を説明し、通信機をカイルへと譲った。


カイルは直立不動の姿勢をとり、声を張り上げた。



「第一近衛騎士団長、ダレス・ヴァン・ブラッドレイの嫡男、カイルと申します!本日の午後、ダンジョン内でアルノ殿が何者かに連れ去られました。敵は2名、おそらく帝国の工作員と思われます!」



通信機の向こう側で、ガタンと椅子が倒れる激しい音が響いた。



『……なんだと!?アルノが攫われただと!?』



常に冷静沈着なはずの騎士団長の、激しく動揺した声。


カイルはアルノが残したエーテルの痕跡について説明し、すぐにでも追跡部隊を送ってほしいと懇願した。


しばらくの沈黙の後、ヴォルガンは感情を押し殺したような、低く鋭い声で返答した。



『……状況は理解した。エーテルの痕跡があるのなら、追跡は可能だろう。奴らは森を抜け山脈沿いに南下し、隣接するファルシア公国への国境か、手薄な隣領へと行方をくらます気だろう』



ヴォルガンは手元の地図を広げるような音をさせながら、言葉を続けた。



『だが今夜は新月だ。森の中は完全な暗闇に近いだろうし、灯りをともせば見つかってしまう可能性が高いため、長距離の移動をするとは思えない。敵もそれを理解しているからこそ、おそらく日の出までは安全な場所で身を潜めているはずだ』


「しかし、それではアルノが……!」


『焦るな、カイル君。アルノは……あの子は、そう簡単に折れはしない。日の出までに、そちらへ最も信頼できる者たちを送る。それまで待機し、君たちは全力で回復に努めるんだ。これは騎士団長としての命令だ』



通信が一方的に切られ、静寂が部屋を包んだ。


今すぐにでも飛び出したい衝動に駆られるカイルとシルフィアだったが、ミラがカイルの腕を強く握った。



「騎士団長様の言う通りよ。今のワタシたちじゃ、アルノを見つけても助け出せない。それに、精霊のナビゲートがあるとはいえ、真っ暗な森の中では追跡の効率も落ちるわ」


「……ああ。わかっている」



カイルは強く拳を握り締め、己の不甲斐なさに唇を噛んだ。


シルフィアもまた、窓の外の完全に暮れきった夜空を見つめる。


(ウチらが絶対に見つけ出すから…。だから、待ってて、アルノ君……)


4人はヴォルガンの言葉を信じ、来たるべき夜明けの反撃に向け、静かに傷を癒す夜を過ごすことを選んだのだった。


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