【第8話】謎の侵入者と、ラクリマの叫び
「誰だ、お前は!そこで何をしている!」
エルウィンの鋭い声が、静寂に包まれていたドーム状の空間に響き渡った。
シルフィアがタクトを構え、カイルが即座に大盾を前に出し、ミラも臨戦態勢をとった。
しかし、泉のほとりに立つ暗い灰色のフードを深く被った侵入者は、振り返る素振りすら見せなかった。
ただゆっくりと、その手に握られた黒い杖を掲げる。
杖の先端からは粘り気のある、どす黒い魔力の波が放たれ、まるでインクのように、美しく澄み切っている『ラクリマの泉』へ溶け込んでいく。
「なっ、なんだ……あの気持ち悪い魔力は……」
カイルが顔をしかめ、無意識に漆黒の大盾を握る手に力を込めた。
最前でそれを見ていたアルノは、愛用の丸眼鏡で拡大し、その魔力の波長を冷静に分析していた。
通常の属性魔法とは明らかに違う。
かつてアルノたちが、暗い森の中で密輸業者と対峙した時に感じた、あの禍々しい気配に極めてよく似ていた。
「…ただの侵入者じゃない……、いやな予感がする……」
アルノが呟いた直後、地底湖の底から不気味な震動が伝わってきた。
ボコボコと、沸騰したように水面が泡立ち、やがて巨大な渦を巻き始める。
ドパァァァァァァンッ!!
ドームの天井まで届かんばかりの巨大な水柱が立ち上がり、辺りに激しい飛沫を撒き散らした。
そしてその飛沫の中から迷宮の主、『ラクリマ』がついにその姿を現した。
「う、うそ……ほんとにトカゲだわ。それに……真っ白……」
ミラが呆然と口を開け、その巨体を見上げた。
体長はゆうに20メートルを超えているだろうか。
全身は凹凸のない、つるりと滑らかな質感で、発光植物の光を反射して真珠のように輝いている。
そしてその背中には、巨大なライムグリーンの魔石が脈打つように輝いていた。
「ミラ、よく見て!顔の横にフリルのようなエラがある。あれはトカゲじゃない……サラマンダー(ウーパールーパー)だ!そして間違いなく、あれがこの世界樹の迷宮の主『ラクリマ』だ!」
アルノが叫ぶが、その声すらもラクリマの放つ圧倒的な魔力のプレッシャーにかき消されそうになる。
これまでのダンジョンで出会ってきたビーストとは、すべての格が違いすぎる。
ただそこにいるだけで、空間そのものが押し潰されそうな重圧感、まさに神ともいえる存在だった。
『ギュルロロロォォォォォォォォォォォッ!!』
ラクリマが巨大な口を開き、空気を震わせる咆哮を上げた。
「……っ!?」
その瞬間、シルフィアが悲鳴を上げ、両手で耳を強く押さえ、その場にうずくまった。
彼女の耳を飾る波長同調イヤーカフ『ハルモニア』が、かつてないほど激しく明滅している。
「シルフィア!どうしたんだ!?」
アルノが駆け寄り、彼女の震える肩に手をそえる。
シルフィアの大きな瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。
「違う……怒ってるんとちゃう……!この子は……泣いてるんや!」
シルフィアの声は、絶望に震えていた。
「精霊さんたちが、みんな泣いてる……。真っ黒な怒りの感情が流れてきて、痛い、苦しい、助けてって……。この子は誰かに操られて、無理やり動かされてるんや!」
『操られている』
シルフィアのその言葉を聞いた瞬間、アルノ、カイル、ミラの脳裏に、2年時の夜の森で遭遇した、あの出来事が鮮明に蘇った。
本来テイム(使役)が不可能なはずのビースト(狂獣)を、意思を持つ兵器のように操っていた、あのシャドウの男。
それから、担任のロイド先生から聞かされた、かつての大戦で生み出された禁忌の技術。
「…ゼルディア帝国の…、『洗脳魔法』か……!」
カイルが絞り出すように言った。
目の前のフードの侵入者が何者かはわからない。
だが、この巨大なファントム(幻獣)を力ずくで従わせ、確実に兵器として利用しようとしている。
その事実はこの迷宮が、いやこの王国が、かつてない危機に瀕していることを意味していた。
フードの侵入者は、ゆっくりと杖を5人に向けた。
その無言の指示に答えるように、ラクリマの瞳が意志のない不気味な深紅へと染まり始める。
顔の横にある真っ白なエラが激しく明滅し、高速で震え始めた。
それと同時に泉に生息する水の精霊たちがラクリマに呼応し、水面が激しく波立つ。
「…っ、来るよ!全員、防御の姿勢をとって!」
アルノの叫びが響くと同時に泉の水面から、高水圧の巨大な水の刃が猛烈な勢いで射出された。
シュパァァァァァッ!!
空気を切り裂く高い音がドームにこだまする。
狙いは、先頭に立っていたシルフィアたちだった。
「あかん……落ち着いて、精霊さん……!」
シルフィアは動けなかった。
彼女の耳には、攻撃を強要されている多くの精霊たちの「やりたくない」という悲痛な叫びが、ハルモニアを通じて痛いほど流れ込んでいたからだ。
一瞬の判断の遅れ。
それが命取りになるほどの速度で、水の刃が彼女に迫る。
「シルフィアッ!!」
悲痛な叫びと共に、エルウィンが妹を庇うように猛然と飛び出した。
彼は手に持ったタクトを一閃し、土の精霊に全魔力をもって命じる。
ドゴォォォンッ!
白い石畳を突き破り、分厚く強固な土の防壁がシルフィアとエルウィンの前にそびえ立った。
しかし、相手は世界樹の迷宮を統べる主であり、さらには洗脳魔法によって限界以上の力を強制的に引き出されている。
ズバァァァァンッ!!
圧倒的な水圧の刃は、エルウィンの土の防壁をまるで粘土細工のようにあっさりと貫通した。
「ぐあぁっ!……!」
砕け散った土塊がエルウィンを直撃し、さらにその水の刃の先端が彼の右足を深くえぐった。
鮮血が舞い、エルウィンはもだえながら冷たい石畳の上を転がる。
「兄さんっ!!」
シルフィアの悲鳴がこだまする。
彼女は血を流して倒れ込んだ兄のもとへ駆け寄った。
エルウィンは苦痛に顔を歪めながらも、妹を守るため立ち上がろうと身をよじる。
しかし深く切り裂かれた足に力は入らず、その場に崩れ落ちた。
彼は機動力を完全に失い、もはや戦うことは不可能だった。
だが、敵の攻撃は終わらない。
灰色のフードを被った侵入者が、再び不気味な杖を振るうと、ラクリマのエラが明滅し、次は無数の水の刃が形成され始めた。
「追撃が来る!カイル、エルウィンさんを守って!」
アルノの鋭い指示が飛ぶ。
「言われるまでもねぇ!」
カイルが漆黒の大盾を構え、倒れたエルウィンとシルフィアの前に立ち塞がる。
しかし、あれほどの手数と威力を、盾一枚で防ぎきれるはずがない。
「カイル!、踏ん張りなさいよ!」
ミラが叫び、特製の杖のダイヤルを「カチリ、カチリ」と3に回す。
彼女は敵に向けてではなく、前に立つカイルの背中、鎧に刻印された盾の紋章のレシーバー(受信陣)へ向けて杖を突き出す。
「フィジカル・ブーーストッ!」
ミラによって極限まで圧縮・制御された強化魔法が、寸分の狂いもなくカイルの背中へと撃ち込まれる。
ミラの莫大な魔力がカイルの肉体を駆け巡り、漆黒の大盾との間に尋常ではない密度のエーテルが滞留し始めた。
「うおおおおぉぉぉぉっ!!『マッスル・オーバーッ!』」
カイルの全身の筋肉がミシミシと音をたてて隆起し、制服がはち切れんばかりに膨張する。
漆黒の大盾もカイルに呼応するかのように、赤黒いスパークが走り始める。
無数に迫り来る高水圧の刃に対し、カイルは盾を構えたまま、前方の空間すべてを押し潰すような渾身の踏み込みを見せた。
「シーールドー・バァァァーーーーーッシュ!!」
ズオォォォォォォォォォッ!!
2年生の時のクラス入れ替え戦で見せた、広域面制圧の強化版。
カイルの大盾から放たれた、赤い稲妻をまとう黒い衝撃波が、巨大な壁となって前方に展開される。
殺意のこもった無数の水の刃は、カイルが放った黒い障壁と空中で激突して弾け飛んだ。
バシャァァァァァンッ!!…………ザアァァァァァァァァァ…………
凄まじい衝撃と共に大量の水が霧散し、ドーム内に激しい雨となって降り注ぐ。
「はぁっ……はぁっ……。やべぇ、とんでもねぇぞ、やっぱ……」
カイルが荒い息を吐きながら、大盾を地面に突き立ててなんとかその場に踏みとどまる。
ミラのサポートとカイルの機転により、間一髪で全滅は免れた。
「カイル君、ミラちゃん、おおきに……!」
シルフィアは、カイルがバッグから投げ渡したポーションを受け取り、震える手で兄の傷口へ振りかける。
「シルフィア……私はいい。お前たちは……早く逃げなさい……!」
エルウィンが荒い呼吸の合間に、必死に妹を逃がそうと声を絞り出す。
大人の強力な戦力であった彼が倒れ、残されたのは学生である4人のみ。
相手はダンジョンの主と、未知の洗脳魔法を操る、おそらく帝国の工作員だ。
勝機など、どこにもないように思えた。
だが、アルノは逃げなかった。
彼は冷たい雨に打たれながら、愛用のエーテルガンを静かに抜き、呟く。
「…逃げはしないよ、エルウィンさん。ボクたちは、あなたも、ラクリマも救ってみせる!」
アルノの視線の先には、背中の魔石を禍々しい黒いエーテルに侵食され、苦しげに咆哮を上げる哀しき『ラクリマ』の姿があった。
「それに、ラクリマは敵じゃない。苦しんでいるんだ。なら、助けてあげなきゃ」
アルノの言葉に、濡れたくせっ毛が暴発しそうなミラが、強気に笑う。
「そうね。この美しいダンジョンを、これ以上壊させはしないわ」
カイルも力強く頷き、再び大盾を構え直した。
「オレの盾は、仲間を守るためにある。ラクリマはシルフィアの家族だ。ならそれも全部守ってやるぜ!」
「…みんな……」
シルフィアは兄の止血を終えると、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の瞳からはもう涙は消えていた。
そこにあるのは、領地の守り神と、精霊たちを絶対に救い出すという、エレメンター(精霊術師)としての強い覚悟だ。
「アルノ君、ミラちゃん、カイル君。……ウチに力を貸して。ラクリマさんたちを、この迷宮を、これ以上あいつの好きにはさせへん!」
我を忘れた迷宮の主と、それを操る帝国の工作員。
最悪の状況下でも、チームガレオスの4人は俯かない。
彼らの目的は、強大な魔獣を「倒す」ことではなく「救い出す」こと。
学生という枠をはるかに超えた、決死の反撃が今始まろうとしていた。




