【第6話】シルフィアの帰省。深緑のエーテリス領
王都グラン・フォリアの喧騒を離れ、ガタゴトと揺れる獣車に揺られること丸1日。
アルノたちはさらに馬車へと乗り継ぎ、王都の西側に広がる緑豊かなエーテリス領へと足を踏み入れていた。
「ごめんね、みんな。このあたりは自然環境の保護のため鉄道が通せないんよ。長旅で疲れさせてしもうたねぇ」
馬車の窓から外を眺めながら、シルフィアが申し訳なさそうに耳を下げる。
「いいってことよ!獣車での旅も風情があって良かったしな。それに見てくれよ、この景色。空気が王都とは比べ物にならないくらい澄んでやがる」
カイルが窓から身を乗り出し、深く息を吸い込む。
王都近衛騎士の名門であるヴァン・ブラッドレイ家の嫡男である彼は、王都中心地での育ちのため、この手付かずの自然が残る風景は新鮮に映るようだった。
「本当ね!緑の匂いがすごいの。なんだか魔力が満ち溢れてる感じがするわ」
ミラも目を輝かせ、移り変わる深い森の景色に釘付けになっている。
「あ、見えてきたわ。あれがウチの家の門やで」
シルフィアが、懐かしむような顔で指をさす。
一行を乗せた馬車は、やがて巨大な石造りの門をくぐり、どこまでも続くかのような美しい並木道へと入った。
「……ねぇ、シルフィア。さっきの門からもう10分くらい走ってるけど、ここって敷地の中なんだよね?」
アルノがふと疑問を口にする。
並木道の両側には手入れの行き届いた広大な草原と、色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がっているが、肝心の屋敷が見えてこない。
「うん、もうすぐやで。あの丘を越えたところやから」
シルフィアが指差した先。
小さな丘を登り切り、馬車の視界が開けた瞬間、アルノ、カイル、ミラの三人は同時に息を呑んだ。
「……は?」
「うそ、でしょ……」
目の前に現れたのは、もはや『屋敷』という言葉では収まりきらない代物だった。
白亜の壁に深い緑の屋根。
いくつもの尖塔が空を突き、建物自体がひとつの芸術品のように美しい。
それは広大な湖のほとりに佇む、まるでお城そのものだった。
建物の前には、燕尾服に身を包んだ執事や、完璧に整列した数十人のメイドたちが、今か今かとお嬢様の帰りを待ち構えている。
「シルフィア、お前……ここが『実家』なのか?」
カイルが引きつった顔で尋ねる。
彼のヴァン・ブラッドレイ家も、近衛騎士のトップとして王都の中心地に立派な邸宅を持っている。
だが、目の前のエーテリス邸は、その規模も、漂う風格も、桁が違いすぎていた。
「うん。ウチの家はただの地方領主やから、王都の貴族の皆さんの家よりは簡素やと思うけど……。そんなに驚かんといて?」
「……どこが簡素よ!これ、王様の別荘って言われたほうが納得いくわよ!」
ミラが叫ぶのも無理はない。
一介の地方領主だと思っていたシルフィアが、実は王国全土の農業と土木を支えるエーテリス家の、『超お嬢様』であったことを、三人はこの時初めて痛感した。
馬車が正面玄関に停まると、初老の執事がうやうやしくドアを開けた。
「おかえりなさいませ、シルフィアお嬢様。長旅、さぞお疲れでございましたでしょう」
「ただいま、アルフレッド。お父様とお母様は?」
「旦那様と奥様は応接室にてお待ちです。エルウィン様も、お嬢様のご帰宅に合わせて、先ほど開拓地から戻られました」
シルフィアに促されるまま、屋敷の装飾に興味津々のいつも通りのアルノと、ガチガチに緊張した2人は、美しい内装の回廊を進んでいく。
カイルに至っては、あまりに高価そうな絨毯を踏むのを躊躇し、まるで生まれたての小鹿のようにつま先立ちになっていた。
メイドによって重厚な扉が開かれ、応接室へと入る。
そこには、シルフィアと同じ緑の瞳を持つ、穏やかだが威厳のある両親。
そして、その傍らに立つ一人の青年がいた。
「おかえり、シルフィア。手紙を出してすぐに帰って来てくれるとは」
立ち上がって歩み寄ってきたのは、知的な面持ちに、シルフィアよりも少し濃いアッシュグリーンの髪を短く整えた青年だった。
スマートな立ち振る舞いと、隠しきれない強力な魔力の気配。
「兄さん、ただいま。急ぎやって聞いたから、学園の友達も手伝ってくれるって言うてくれて、一緒に来てもらったんよ」
「君がシルフィアの言っていた……チームガレオスの皆さんだね。私はエルウィン・エーテリス。シルフィアの兄だ。妹がいつもお世話になっているね」
エルウィンは完璧な微笑みを浮かべ、アルノたちの前で優雅に一礼した。
「ボクは、アルノ・ガレオスです。ルーン・テイ……クラフターをやってます」
「そうか、君がアルノ君か……。君がシルフィアに『ハルモニア』を……。そしてそちらが、王国最強の盾と名高いヴァン・ブラッドレイ家の……」
エルウィンの視線がカイルに止まる。
カイルは直立不動のまま、絞り出すような声で挨拶をした。
「カイル・ヴァン・ブラッドレイです!その……シルフィア殿には、いつも助けられております!」
「はは、そんなに固くならないでくれ。君は騎士だね。それも、素晴らしい鍛錬を積んでいるようだ」
エルウィンはカイルの筋肉質な体格を称賛しつつ、緊張をほぐすように軽く肩をたたいた。
「そして君が魔導師の名門、フォルテシモ家のご令嬢だね」
「ご、ご令嬢だなんてっ!ミ、ミラ・フォルテシモです」
ミラもあわてて帽子を脱いで、お辞儀をする。
「さあ、まずは長旅の疲れを癒やしてほしい。話はそれからだ。……父上、母上。シルフィアが、本当に良い友人を連れて帰ってきましたよ」
エルウィンの言葉に、領主夫妻も深く頷き、4人を温かい笑顔で迎え入れるのだった。
案内された応接室のふかふかのソファに腰を下ろすと、メイドが香り高い紅茶と彩り豊かな焼き菓子を運んできた。
貴族出身のカイルは、そのティーセットの価値に気後れし、一切手を付けられずにいたが、ミラは出されたお菓子の美味しさにすっかり緊張を忘れて目を輝かせていた。
「皆さんがうちの娘と仲良くしてくれていること、本当に感謝しています」
領主である父親が、優しく微笑みながら口を開いた。
「シルフィアは昔から、このエーテリス家の名前に……エレメンター(精霊術師)の名門というプレッシャーに、ずっと押し潰されそうになっていました。私たち家族は、精霊の声が聞こえなくても、お前は大事な娘だと伝えてきたのですが……」
「シルフィアは優しすぎるからね。自分のせいで両親が失望しているのではないかと、ずっと気に病んでいたんだ。実家にいる時も、いつも伏し目がちで、心から笑うことは少なかった」
エルウィンが、隣に座る妹を愛おしそうに見つめる。
シルフィアは少し照れくさそうに、けれど今では自信をもって、真っ直ぐに兄と両親の目を見返していた。
「でも、手紙で学園での様子を知るたびに、あの子が少しずつ変わっていくのが分かりました」
母親が目元をハンカチで拭いながら、アルノたちに向かって深く頭を下げる。
それに合わせて、領主も、エルウィンも、姿勢を正して頭を下げた。
「アルノ君が『ハルモニア』を作ってくれたおかげで、シルフィアは精霊と心を通わせることができた。そして何より、君たちのような素晴らしい仲間に出会えたおかげで、あの子は心からの笑顔を取り戻してくれた。家族として、これほど嬉しいことはない。本当に、ありがとう」
大貴族に等しいエーテリス領の領主一家が、一介の学生である自分たちに深々と頭を下げる光景に、カイルは慌てて立ち上がりそうになる。
だが、アルノはいつも通りの涼しい笑顔で、お茶請けのクッキーをかじった。
「ボクはクラフターとして、仲間に合わせた道具を仕立てただけです。シルフィアがすごいエレメンターになれたのは、彼女自身の努力によるものです。ね、ミラ、カイル」
「そうです!シルフィアはワタシたちの自慢の仲間です!」
「オ、オレの盾はいつでも仲間たちを守るためにあります!」
カイルが裏返った声で宣言すると、応接室は温かい笑い声に包まれた。
シルフィアは顔を真っ赤にして両手で頬を押さえながらも、その口元には幸せそうな笑みがこぼれていた。
「迷宮の調査は明日からだ。今日は長旅の疲れをしっかり癒してほしい。それまでは領地の自然を楽しんでくるといい。…そうだ、河原でのバーベキューを準備させよう」
エルウィンの提案に甘え、4人はその日の午後、広大なエーテリス領を存分に満喫することになった。
王都では見られない珍しい植物や、魔力を帯びた鉱石が転がる河原で、アルノは目を輝かせながら採取用のバッグをパンパンに膨らませる。
ミラは屋敷のパティシエが用意してくれた最高級のフルーツタルトを木陰で頬張り、至福の表情を浮かべていた。
一方、すっかり緊張の解けたカイルは、同行したシェフとすっかり意気投合していた。
領地で採れた珍しい野菜のカッティング方法について、暑苦しいほどの情熱で語り合っている。
「みんな、ほんまに楽しそうやね」
小川に足をつけて涼みながら、シルフィアが微笑む。
愛されてはいたものの、少し居場所のなさを感じていた故郷が、今は大切な仲間たちと共に笑い合える場所になっていることが、彼女には何よりも嬉しかった。
「あ、そういえばシルフィア。ご家族はみんなエルフなまりがないんだね?」
アルノがそう尋ねると、シルフィアは少し口を尖らせる。
「みんな、仕事中やお客さんと話す時は、よそ行きモードやねん。家族で話す時はコテコテになまってるのに、ずっこいわ」
珍しいシルフィアの愚痴に、皆が笑いころげる。
やわらかい木漏れ日を浴びながらの、美しい自然の中での休息は、4人の心と身体を癒した。
ーー
その日の夜。
アルノは客室の広すぎるベッドに寝転びながら、天井を見つめていた。
右手親指にはめられた、おじいちゃんから貰った大きめの指輪を外し、内側に刻まれた効果不明のルーンを無意識になぞる。
(世界樹の迷宮……それに、ダンジョンの主か…。一体どんな魔獣なんだろう)
未知のダンジョンへの純粋なワクワク感が胸を膨らませていく。
「今日は最高の一日だった」
みんな笑顔で、美味しいものを食べて、誰も傷つくことなく、ただ平和な時間が流れていた。
(明日もきっと、良い一日になるよね)
アルノは指輪をはめ直し、ふかふかの布団に包まれて静かに目を閉じた。




