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【第3話】舞う双剣と、不吉な予兆

ウィリーが東の住宅街で静かに勝利を収めていた頃、タルタロスタウンの西側に位置する商業区でも、一匹の「獣」が疾走していた。



「……見つけました」



セレン・アクセルの、グレーの短髪が風を切る。


彼の視線の先には、露店のパラソルの屋根から屋根へと俊敏に跳ね回る、もう一匹のイタチ型ビースト(狂獣)の姿があった。


商業区はタウンの中でも最も人口密度が高い。


立ち並ぶ露店の陰や建物の隙間には、逃げ遅れた商人や買い物客たちが、震えながら石畳に伏せていた。


小型のイタチ型ビーストは、獲物を物色するように赤い瞳をぎらつかせると、商品棚の陰で身を寄せ合う親子へと狙いを定めた。


殺意に満ちたビーストが、本能のままに跳躍する。


だが、その牙が親子へ届くよりも早く、空中から音もなく、一振りの刃が現れた。



キィィィンッ!


「……王国騎士団です。動かないでください」



静かな声が響く。


宙を舞っていたはずのビーストは、セレンの一撃に弾き飛ばされ、近くの石壁に叩きつけられた。


母親が恐る恐る目を開けると、そこには逆手持ちの双剣を構えた長身の男セレンが、まるで最初からそこにいたかのように立っていた。


セレンは王国騎士団の中でも隠密・工作に特化したジョブ『シャドウ(斥候)』のプロフェッショナルだ。


彼の本領は、目の前にいながらにして存在を消し去る極限の『気配遮断』にある。


ビーストは自分を弾き飛ばした相手をうまく認識できず、苛立ちを露わにして周囲を激しく威嚇した。



「シャァァッ!」



ビーストが再び地面を蹴る。


イタチ型特有の、残像を残すほどの超高速移動。


しかし、肉体的な「速さ」だけを武器にする魔獣に対し、魔力で身体を極限まで強化したセレンの動きは、その数段上を行っていた。


セレンは静かに息を吐き、足裏から全身へ魔力を流転させた。


一瞬で最高速度に達する、バネのような瞬発力。


それは、ルイスのような華やかさはないが、音も揺らぎもない暗殺者の踏み込みだ。



「……捉えました」



セレンの姿が、掻き消える。


次の瞬間、空中で交差したのは、ビーストの鋭い爪と、セレンの双剣が描く軌跡だった。



キンッ!カキィィンッ!!



火花が散り、激しい金属音が商業区の広場に鳴り響く。


ビーストは壁や柱を足場に縦横無尽に跳ね回り、死角からセレンの首筋を狙う。


だが、セレンは一切の無駄がない最小限のステップでそれらをかわし、すれ違いざまに確実に魔獣の体表を切り裂いていく。



「ギイィィィッ!!?」



魔獣の焦りが、動きの乱れとなって現れる。


セレンは紳士的な立ち振る舞いとは裏腹に、その戦闘スタイルに容赦はない。


彼はビーストが次の跳躍のために溜めを作った刹那、その懐へと一気に踏み込んだ。



「二撃で終わらせます」



セレンの双剣が、三日月のような鋭い閃光を描いた。



ザシュッ!



一撃目で魔獣の片脚の腱を断ち切り、その動きを完全に封じる。


そして、バランスを崩して落下する魔獣の眉間、紫色の魔力結晶の根元へと、もう一振りの刃を真っ直ぐに突き立てた。



バキンッ!



頭蓋骨の割れる鈍い音とともに、ビーストの瞳から光が消える。


セレンは血を払うように双剣を一振りすると、音もなく鞘へと収めた。



「……怪我はありませんか?」



呆然と立ち尽くす親子の元へ歩み寄り、セレンは穏やかな笑みを浮かべる。


その振る舞いは、先ほどまで冷酷に魔獣を切り裂いていた男と同一人物とは思えないほどに紳士的だった。


通信用マギアを起動し、セレンは静かに報告を入れる。


「こちらセレン。西側商業区の一匹、討伐完了しました。民間人の被害はありません。……はい、ウィリーの方も終わったようですね。……広場へ合流します」


セレンが屋根の上へと身を躍らせると、その姿は再び夕闇に溶けるようにして消え去った。


タウンに放たれた三匹の魔獣は、すべて新人騎士たちの手によって、迅速に、そして完璧に処理されたのだ。


広場へと戻るシエルたちの前に、国王の命で派遣された「調査団」が到着したのは、それから数十分後のことだった。


重厚な馬車から降りてきたのは王国が誇る、『グラン・フォリアマギア協会』の面々。


金糸で刺繍が施された贅沢なローブを纏い、片手には最新鋭のエーテルコンバーター(出力変圧器)を輝かせた、エリートクラフター集団だ。



「……やれやれ。これしきの事で協会から足を運ばされるとは、現場も少々騒ぎすぎではないかね」



まとめ役と思われる初老の男が、不満を漏らしながらエテルニスの門を見上げた。


マギア協会からの調査団は、豪華な馬車から降り立つなり、現場の惨状よりも自分たちの靴が汚れることを気にするような素振りを見せた。


『グラン・フォリアマギア協会』、それは国内のマギアの特許管理や、国の防衛に関わるマギア開発を引き受ける王国の頭脳である。


彼らは皆、高魔力量と高魔力出力を誇る、王国の魔導技術の最高峰だ。


それを証明するかのように、片手には宝石がはめ込まれた豪奢なエーテルコンバーターが、誇らしく光っている。


「早速、調査を開始しろ。どうせただの偶然だろうが、国への報告書は書かねばならんからな」


まとめ役の指示で、数人のエリートクラフターが巨大な測定器を魔力結晶ガラスへと向ける。


淡い光が二十メートルに及ぶ巨大なルーンを舐めるように走った。


シエルたち新人騎士部隊の4人は、その作業を少し離れた場所から静かに見守っていた。


十数分の調査の後、まとめ役の男が測定器の数値を一瞥し、やれやれと大袈裟に肩をすくめた。


「原因が分かりましたよ、騎士団の方々。……ここだ。一方通行のルーンの端、ほんの数センチほどだが、『かすれ』が生じている。まぁ、経年劣化でしょうな」



「かすれ……?」



シエルが眉をひそめる。


「それが原因で、ゲートが破られたというのですか?ならば、すぐに修繕を……」


「はっ、修繕ですと?冗談を言わないでいただきたい」


まとめ役のとなりに立っていた、エリートクラフターの男は鼻で笑い、そびえ立つエテルニスを見上げた。


「これは500年以上前に造られた、現代技術では再現不可能なロストテクノロジーだ。この直径20メートルの巨大なルーンの制作者、刻印方法は一切不明。エテルニスの技術で唯一記録が残っていたのは、一方通行ルーンの暗号解読手順のみ。そのため修復には慎重を期すのです。それに、その必要もない」


「必要がないとは、どういう意味ですか?」


エリシアが冷静な声で問いただす。


「文字通りの意味ですよ。この程度の『かすれ』は、500年という歳月を考えれば誤差の範囲にすぎない。今回は、たまたまあの魔獣たちの持つ魔力の波長が、劣化した部分と偶然噛み合ってしまい、一時的なすり抜けを起こしただけだ。全体としての防壁機能は、依然として極めて強固。つまり、何も心配はいらんということです。」


男がそう結論づけると、まとめ役は、部下たちにそそくさと撤収の指示を出し始めた。


「待ってください!現に魔獣は外へ出たのです!万が一、次にもっと巨大な個体が……」


食い下がるシエルを、エリートクラフターの男は面倒くさそうに手で制した。


「だから、それは天文学的な確率の『たまたま』だと言っている。我々マギア協会の見解に異を唱えるというのかね?見習い騎士くん。それに、この程度のかすれは、我々であれば直そうと思えばいつでも直せる。その時がくるまで、今は見守っておけば良いのだ」


権威を笠に着たその言葉に、シエルは奥歯を噛み締めることしかできなかった。


彼らは王国の頭脳だ。


その彼らが「問題ない」と断言した以上、下っ端の騎士がこれ以上口を挟むことは許されない。


やがて、仰々しい馬車が協会へと帰っていった。


広場には、少しずつ日常の活気を取り戻そうとする人々の声が響き始めていた。


だが、シエルたち4人は、誰一人としてその場を動こうとはしなかった。



「……シエル。本当に、あれでいいと思う?」



いつもは気怠げなウィリーが、アイマスクを上げたまま、珍しく真剣な声で尋ねた。



「まさか。……納得できるはずがないわ」



シエルは夕日に赤く染まり始めたエテルニスの巨大なルーンを、じっと見上げていた。


頭に浮かぶのは愛すべき、小柄な弟の顔だった。



『アルノ・ガレオス』



魔力出力0.01という最低値でありながら、ミリ単位の極小ルーンを寸分の狂いもなく敷き詰める、異端の『ルーン・テイラー(魔刻縫製師)』。


シエルは、彼がどれほどの執念と精度でルーンと向き合っているかを知っている。


アルノはかつて、シエルにこう言ったことがある。



『ルーンは精度がすべてなんだよ、シエル姉ちゃん。たったコンマ数ミリの線の乱れが、魔力の流れを歪めて、性能を低下させるんだ』



魔法陣において『たまたまだ』と切り捨てる大人たちの言葉が、シエルにはひどく薄っぺらく、そして恐ろしいものに聞こえた。



「あの『かすれ』…、本当に放置しておいて大丈夫なのかしら……」



シエルがぽつりとこぼした言葉に、セレンが鋭く反応する。



「放っておくと、また何かが起こると?」


「分からない……。でもこのままじゃ、取り返しのつかないことが起きる気がする」



もし、あの『かすれ』により、また魔獣が街に放たれてしまったら。


そして、次にその穴から出てくるものが、小型の魔獣程度では済まなかったとしたら。


エテルニスという絶対の盾に守られ、慢心しきったこの王都は、一瞬にして地獄へと変わる。



「……王都の警備レベルを引き上げるよう、父さ…騎士団長様に掛け合ってみるわ。私たちも、しばらくはこの周辺のパトロールを強化しましょう」


「了解しました」


「ええ、異存はありません」



エリシアとセレンが頷き、ウィリーもピローの頭を撫でながら静かに頷いた。


春の終わりの生温かい風が、広場を吹き抜ける。


そびえ立つ永遠の防壁は、何も語らず4人を見下ろしていた。


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