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【第1話】近づく帝国の足音と、友への思い

王城の最奥、石壁に囲まれた円卓の間には、かつてないほどの緊張感が満ちていた。


国王の他に円卓を囲むのは、宰相や国の要職にある大臣たちと、魔導師団の代表、そしてこの国の防衛の要である第一騎士団長ヴォルガン・ラインハルト(アルノとシエルの父)が同席していた。


そしてその末席には、第一王子ルイスも同席していた。


沈黙を破ったのは、息を切らして駆け込んできたファルシア公国の伝令官だった。


「はぁ、……同盟国グラン・フォリア王国に対し、緊急の報告および支援要請を申し上げます!北西のゼルディア帝国軍が、我が国との国境を流れる大河の対岸にて、大規模な『前線補給基地』の建設を開始しました!」


震える手で差し出された書状を、国王に代わって宰相が受け取る。


会議室の温度が下がったかのような静寂が訪れた。


これまで、軍事大国ゼルディアがファルシアへ容易に手を出せなかったのには、二つの大きな理由がある。


一つは背後に控える大国グラン・フォリアとの同盟という「抑止力」。


そしてもう一つは、両国の国境を隔てる巨大な「大河」という自然の要因の存在だ。



「ついに、動くつもりか……」



ヴォルガンが重い声で呟いた。


「基地の建設規模とペースから推測するに、帝国の狙いは間違いなく『今年の冬』でしょう。あの国境の大河の一部は、真冬の冷え込みで完全に凍結し、大軍が渡れる天然の氷の橋となる。連中は、そのタイミングに合わせて本格侵攻を開始する目算です」


「冬の侵攻か……」


国王が深く頷き、力強く宣言した。


「同盟国の窮地を見過ごすわけにはいかん。だが、今すぐ国軍の主力を動かすのは時期尚早だ。まずは先遣隊として第九騎士団を国境へ派遣し、ファルシア軍の支援とこちらの防衛拠点の建設に当たらせよ。主力部隊の大規模派遣は、冬の開戦時期に合わせて行う!」


「はっ!」


将軍たちが一斉に立ち上がる中、国王は総司令官であるヴォルガンへと視線を向けた。


「……ヴォルガン。貴殿には、冬の決戦に向けた主力部隊の再編成と、この王都の守りを任せる。特に、今春入団したばかりのお前の娘たち新兵を、いきなり最前線へ送るわけにもいかないからな。彼女らを鍛え上げ、王都の治安維持に当たらせよ」


「承知いたしました。陛下」


ヴォルガンは静かに頭を下げた。


来たるべき冬の総力戦に向けた準備。


それは軍として極めて真っ当な戦略であった。


だが、その様子をじっと見ていたルイスは、胸の奥に一つの葛藤があった。



(冬のファルシア侵攻。……彼らに、伝えておくべきだろうか……)



王族として、そして友人として。


ルイスの心は揺れていた。



ーー



一方、王立グラン・フォリア魔導学園の中庭では、そんな大国間の思惑を知らない生徒たちが、春の穏やかなひと時を過ごしていた。


「ねえ、あそこ!チームガレオスの先輩たちよ!」


「わぁ……本当だ。アルノ先輩、今日も可愛い……」


「馬鹿、男の人だって言ってるだろ。でもシルフィア先輩も、あの細い手足でシエル先輩と打ち合ったなんて信じられないよな」


遠巻きに集まった下級生たちが、憧れの混じった視線でヒソヒソと噂し合っている。


昨年の「クラス総入れ替え戦」で、最底辺のDクラスから一気にBクラスへと飛び級を果たした彼らは、今や学園のちょっとした有名人になっていた。


そんな喧騒の真ん中で、当のカイルは周囲の視線などどこ吹く風で、芝生にどっかりと座り込んでいた。


「……よし、これでワックスも完璧だ」


カイルは大きな布を手に、漆黒の盾を熱心に磨き上げている。


ファルシア公国でディアナから贈られた、最新の魔力伝導鋼で作られた最高級の大盾だ。


「カイル君、ほんまにその盾大事にしてるなぁ。ディアナさんが見たら、喜ぶんと違う?」


隣で2年の時の交換実習を思い返しながら、シルフィアが微笑む。


彼女が少し髪を耳にかける仕草をするだけで、遠くにいた男子生徒たちが「おぉ……」と声を漏らし、あちこちで顔を赤くしている。


もともと見惚れるほどの美少女であったが、三年生になり、凛とした気品が加わった今の彼女は、学園一の美女と名高い。


かつてのシエルと同じく、密かにファンクラブもあるという。


「当たり前だ。あの大商会のお嬢様、口は悪いが扱っている物は最高だからな。いざって時にお前らを守るもんなんだ、手入れを怠るわけにはいかねぇ」


カイルが几帳面な手つきで盾の縁を拭き上げる。


「ちょっと、カイル。そんなに一生懸命磨いたって、どうせダンジョンに入ればすぐ泥だらけになるわよ」


ミラが呆れたように言いながら、昼食のサンドイッチをかじる。


彼女のオレンジ色のくせっ毛は、以前より少し伸びたが、相変わらず首元で跳ねていた。


「いいじゃないか、ミラ。手入れはクラフターの仕事だけど、それを騎士であるカイルがやってくれるのは、ボクとしては嬉しい限りだよ」


アルノがカイルの横で屈み込み、大きな丸眼鏡の奥の瞳が楽しげに微笑む。


相変わらず中性的な美少女顔のままだが、その姿には数々の死線を乗り越えてきた者だけが持つ、不思議な落ち着きが漂っていた。


「カイル先輩もかっこいいよなー。俺、ソーサナイト(魔導騎士)志望だったけど、ヘビーナイト(魔重騎士)にジョブチェンジしようかなー」


「見て、私この前ミラ先輩と似たデザインの杖に変えたの。かっこいいでしょー」


下級生たちの熱狂は高まるばかりだったが、そこへ一人の生徒が近づいてくるのが見えた。


その威厳ある足取りと、王族特有の圧倒的なオーラ。


生徒たちの人だかりが自然と左右に割れ、道ができる。



「……ルイス?」



アルノがいち早く気づき、顔を上げた。


歩いてきたルイスは、いつもなら周囲の歓声に爽やかな笑顔で手を振り応えるはずだが、今日の彼は違った。


その碧眼には、隠しきれない焦燥と、重大な決意の色が宿っている。



「アルノ、それにみんな。……少し、場所を変えられないか。人目のないところで、話したいことがあるんだ」



その一言で、アルノたちの空気は一変した。


ルイスのただならぬ気配に、カイルは手にしていた布を置き、ミラは杖を引き寄せた。


アルノも無言で頷き、3人に目配せをして立ち上がった。


「わかった。……裏手の旧修練場なら、今は誰もいないはずだよ」


5人は中庭の喧騒から離れ、学園の裏手にある屋外の旧修練場へと足を運んだ。



ーー



ここは一年生の時、アルノがカイルの鎧に初めて『レシーバー』を刻んだ、人目のつかない場所だ。


周囲を囲む木立や、崩れかけた古い防壁の影に誰もいないか、ルイスが鋭い視線を巡らせる。


その様子を見たアルノは、ダミーのグローブを外し、右手を近くの朽ちた石壁にかざした。



「ルーン・ステッチ!」



指先から極細の魔力線が放たれ、石の表面に一瞬にして星型のルーンが縫い込まれる。


アルノがエーテルガンで純粋な魔力を撃ち込んで起動させると、淡い光が5人の周囲をドーム状に包み込んだ。


「『防音』と『目隠し』の複合ルーンだよ。これで外に声は漏れないし、外からはスリガラスのように見える。……で、話ってなあに?」


アルノが振り返り、まっすぐにルイスを見据える。


ルイスはアルノの鮮やかな手際に見とれていたが、気を取り直し、意を決したように口を開いた。



「……王族として、機密を漏らすのは重大な規律違反だ。だが、君たちから2年の交換実習で、ファルシア公国に素晴らしい友人ができたと聞いていたから、伝えておかなければならないと思った」



ルイスの声はいつもより低く、そして重かった。


「北西のゼルディア帝国が、冬の訪れと共にファルシア公国へ本格的な侵攻を開始する可能性が高い。すでに国境の大河の向こう岸で、大規模な補給基地の建設が始まっている」


「……っ!」


その言葉を聞いた瞬間、修練場の空気が凍りついた。



「……ゼルディア…帝国…」



アルノがポツリと口にする。


彼ら5人にはその国の名前に聞き覚えがあった。



「侵攻って……、これから戦争が始まるっていうのか?じゃあ、ディアナたちはどうなるんだよ!ルイス殿下、オレたちに何かできることはないんですか!」



カイルが血相を変えてルイスに詰め寄る。



「ウチらの友達がおるんよ……。ルイス殿下、どうにかならへんの……?」



シルフィアが両手を胸の前で組み、震える声で告げる。


ミラも悔しそうに唇を噛み、手にした杖をきつく握りしめていた。


「父上……国王陛下は、すでに先遣隊として第九騎士団を、双国の国境へ派遣する決定を下された。だが開戦のタイミングは、川が凍りつき橋となる冬だ。それまでは静観するしかない」


ルイスは苦渋の表情を浮かべた。


彼自身も、友人を助けに行きたいカイルたちの気持ちは十分理解できる。


しかし一国の王子という立場で、彼に出来るのはただ事実を伝えることだけだった。



「すまない。私にできるのは、こうして君たちに現状を伝えることだけだ」



ルイスが静かに目を伏せる。


その実直な態度に、カイルは握りしめていた拳をゆっくりとほどいた。


自分たちはまだ学生だ。


大国同士の軍事行動を止める力など、どこにもない。


どうしようもない現実を前に、重苦しい無力感が4人を包み込んだ。


その静寂の中、アルノは右手親指にはめられた、古ぼけた指輪をゆっくりと外した。


祖父シュタールから受け継いだ、何の装飾もない幅広の指輪。


アルノは考え事をする時の癖で、その指輪の内側に刻まれた、いまだ効果のわからない1センチほどのルーンをじっと見つめた。



「……アルノ君?」



シルフィアが不安そうに声をかける。


アルノは指輪を再び親指にはめ直すと、顔を上げた。


アルノの瞳には、一切の絶望も諦めもなかった。



「ルイス、教えてくれてありがとう。君がボクたちを信頼して話してくれたこと、無駄にはしないよ」



アルノはいつもの飄々とした、しかし確かな芯のある声で告げた。



「ボクたちは学生で、戦争を止める力はないかもしれない。でも、いざという時に友達を助けられるように、今ボクたちにできる準備をしておこう」



アルノの言葉に、ミラが顔を上げる。



「準備って……具体的にどうするのよ」


「わからない。でも、立ち止まってたら何もできないだろ?ボクは『ルーン・テイラー(魔刻縫製師)』だ。どんな状況でも仲間を支えられるように、もっともっと、ルーン・ステッチを磨き上げる。みんなも、今よりもっと強くなれるはずだ」



アルノは仲間たちの顔を一人ずつ見回し、力強く頷いた。



「ボクたちは、今までみんなが『無理だって』笑うような状況でも、全部ひっくり返してきたじゃないか」



その言葉に、カイルの顔にいつもの不敵な闘志が戻る。



「……違いない。ディアナにもらったこの盾に誓って、あいつらを絶対に守ってみせる」


「当たり前よ。もしゼルディアが攻めて来たら、ワタシの魔法でまとめて吹き飛ばしてやるんだから」



ミラが強気に笑い、シルフィアも「そやね、ウチらならきっとできる!」と力強く頷いた。


落ちこぼれのDクラスから這い上がり、学園最強を打ち破った彼らの目には、大国の脅威を前にしても決して折れない強い意志が宿っていた。


その姿を見たルイスは、ふっと憑き物が落ちたように微笑んだ。



「……やはり、君たちに話して正解だったよ」



迫り来る戦争の足音。


そしてそれが、自分たちの日常を脅かそうとしていることを、アルノたちはまだ気づいてはいなかった。


極細の出力しか持たない一人の『ルーン・テイラー』と、その仲間たちの確かな決意と共に、最大の試練となる最後の1年の幕が、今静かに上がろうとしていた。


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