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【第14話】小さなコンパスと、姉弟の決意

ファルシア公国での合同実習を終え、王都へ帰還してから数週間。


グラン・フォリアは夏の終わりを迎えていた。


気候が温暖なこの国では、まだ少し日差しの強さが残るものの、吹き抜ける風にはわずかに秋の涼しさが混じり始めている。


休日の昼下がり、アルノは王都の賑やかな石畳の通りを歩いていた。


ふと、視線の先にプラチナブロンドの美しい髪をなびかせて歩く女生徒の姿を見つけた。



「あれ?、シエル姉ちゃん……?」



王立グラン・フォリア魔導学園3年Aクラスのトップチームのリーダーであり、アルノの実姉であるシエル。


いつもはチームメンバーと一緒にいるか、凛とした態度で学園内を歩いている彼女が、今日は一人で、しかも少しキョロキョロと落ち着かない様子で街を歩いている。


アルノは少しの好奇心から、気づかれないように人混みに紛れて彼女の後を追うことにした。


シエルは王都のメインストリートを外れ、路地裏のマギアショップ、マギア修理店、古道具屋などを次々とはしごしていた。


何かを探しているのか、店に入っては数分で残念そうな顔をして出てくる、という行動を繰り返している。


「何を探してるんだろう……」


アルノが建物の陰からそっと様子をうかがっていると、その後ろからさらにコソコソと近づく影があった。



「……シルフィア、こんなところで何やってんだ?」



「ひゃあっ!?」



背後から急に声をかけられ、シルフィアはビクッと肩を震わせて振り返った。


そこには、両手に大量の紙袋を抱えてうんざりした顔のカイルと、満足げに新しい帽子をかぶり直している、ミラが立っていた。


「か、カイル君にミラちゃん……。ちゃうねん、あっこでアルノ君がお姉さんの後をコソコソつけとるのを見かけて、気になってつい……」


シルフィアは悪びれながら、前方のアルノを指差した。


「アルノが? あの冷血なお姉様を?」と、ミラが目を丸くする。


「なんだ、面白そうじゃねえか」と、カイルも口元をニヤリと歪めた。


結果として、シエルを尾行するアルノを、さらにミラ、シルフィア、カイルの三人がぞろぞろと尾行するという、珍妙な列が形成されることになった。


やがて、シエルはある古びたマギア修理店から出てきた。


アルノも時折顔を出す、気のいい店主がいる店だ。


シエルがため息をつきながら去っていくのを見送った後、アルノは思い切って店へと足を踏み入れた。


「おや、アルノじゃないか。今日は何の用だい?」


「おじさん、さっきの女生徒……何を相談しに来たの?」


アルノの問いに、店主は少し首を傾げながら答えた。


「ああ、彼女か。手のひらサイズの小さなコンパスを直せないかって相談でね。裏に3センチほどのルーンが刻まれていたんだが、経年劣化ですっかりかすれて、欠け始めていたんだ。ルーンを刻むには最低でも5センチは面が必要だろ? だから『これは直せないし、そもそも本当に動いていたのかい?』って聞いたら、他を当たると言って帰っちまったよ」


その言葉を聞いた瞬間、アルノの心臓が大きく跳ねた。


手のひらサイズで、裏に刻まれた3センチの小さなルーン。


それは間違いなく、両親が離婚してアルノが田舎へ旅立つ最後の日に、手渡したあのコンパス。


極度の方向音痴だった姉のために、どんな磁場でも狂わないように、アルノ自身が作って渡したものだった。


当時から平均以下のサイズのルーンを刻むことができたアルノが、姉を想って精一杯の技術で仕立てた、初めてのプレゼント。


「シエル姉ちゃん……まだ、あのコンパスを……」


7年もの間、音信不通だった。


学園で再会した時も、「田舎へ帰れ」と冷たく突き放された。


だが、壊れてもなお、二人だけの思い出の品を必死に直そうと持ち歩いてくれている。


決して、嫌われたわけじゃないんだ。


その確信が、アルノの胸に温かい光を灯した。


アルノは店主に礼を言い、慌てて店を飛び出した。


シエルが向かった方向へ走ると、案の定、路地裏の交差点で同じところをぐるぐると歩き回り、完全に迷子になっている姉の姿があった。


昔から変わらないその姿に、アルノは小さく吹き出しそうになるのをこらえ、真っ直ぐに彼女の背中へ近づいた。



「シエル姉ちゃん」



背後から声をかけられ、シエルはビクッと肩を揺らして振り返った。


「ア、アルノ!? なんであなたがこんなところに……」


いつもの氷のような冷静さを失い、焦ったようにコンパスを背中に隠すシエル。


アルノはいつもの飄々とした態度を捨て、真剣な眼差しで姉を真っ直ぐに見つめた。


「話があるんだ。少し、いいかな」


弟の見たことのない真剣な表情に気圧され、シエルは小さく頷いた。


二人は近くの公園へと場所を移し、夕暮れが近づく噴水前のベンチに並んで腰を下ろした。


少し離れたベンチの裏の木陰では、カイル、ミラ、シルフィアの三人が、息を潜めて二人の様子をジッと見守っていた。


「おい、なんか深刻そうな雰囲気だぞ……」と、カイルが声を潜める。


「しっ、聞こえないじゃない」とミラがカイルの頭を軽く叩き、シルフィアもハラハラしながら身を潜めていた。


夏の終わりの少し生温かい風が、公園の木々の葉を揺らす。


沈黙を破ったのは、アルノだった。


「ねえ、お姉ちゃん。さっき背中に隠したそのコンパス……ボクが昔、作ったものだよね?」


シエルの肩が、ピクリと震えた。


シエルはギュッと膝の上で両手を握りしめ、ため息をつくように口を開いた。


「……そうよ。あなたが田舎へ発つ最後の日に、私にくれたコンパス」


「壊れてもずっと大切に持ってくれていたのに、どうして学園であんなに冷たい態度をとったの?」


アルノが静かに問うと、シエルは伏せていた目を上げ、遠くの夕焼けを見つめた。


「アルノが6歳の時に受けた簡易測定……覚えているかしら。あの時、あなたの魔力出力が極端に低いことが分かった。父さんも王立学園の出身で、魔力量7.8、出力8.0という圧倒的な力を持っていたわ。その力で騎士団長にまで上り詰めた父さんは、誰よりもこの王都の現実を知っていた」


「現実……」


「ええ。王都は『高魔力量・高魔力出力至上主義』が絶対の世界。その数値が低い者は、欠陥品として容赦なく切り捨てられ、蔑まれる。父さんは、あなたがこの王都にいれば、必ずその重圧と差別に苦しむことになると分かっていたの。だから、お母さんと話し合って……あえて離婚という形をとり、あなたを田舎でのびのびと育てる道を選んだ」


シエルの言葉に、アルノはわずかに目を見開いた。


両親の不仲だと思っていた離婚の真相が、自分を守るためのものだったとは思いもしなかったからだ。


「父さんから、『アルノと連絡を取れば、好奇心旺盛なあの子は王都に興味を持ってしまうから』と固く禁じられていたわ。だから7年間、ずっと手紙すら出せなかった。でも、1年半前……おじいちゃんが亡くなって、あなたがこの学園に来ることを決めたと、お母さんから手紙が来たの」


シエルの声が微かに震える。


「私は、本当はあなたと一緒に過ごしたかった。でも、この残酷な実力主義の学園であなたが傷つくのを見るくらいなら……私が誰よりも辛く当たって、平和な田舎へ帰らせようと思ったのよ」


不器用すぎる、あまりにも深い姉の愛情。


その告白を聞きながら、ベンチの裏の茂みでは異変が起きていた。


「ううっ……お姉ちゃぁん……っ!」


「ちょっとカイル! 鼻水かみなさいよぉっ、ぐすっ……」


「ええ話や……お姉さん、めっちゃアルノ君のこと想っとるやんか……っ」


大柄なカイルが顔をくしゃくしゃにして号泣し、ミラが涙目でカイルの背中を叩き、シルフィアがハンカチで必死に目元を押さえている。


三人のすすり泣く声が微かに漏れていたが、姉弟は気づいていなかった。


公園は夕暮れに包まれ、辺りは少しずつ薄暗くなってきた。


ふと、シエルの視線がアルノの右手親指に向けられる。


「それ……おじいちゃんの指輪ね?」


「そう、おじいちゃんの形見だよ」


アルノは少し大きな指輪を愛おしそうに撫でた。


「マギアみたいなんだけど、今まで何度魔力を流しても、一度も起動したことがないんだ。でも……これを着けていると、まるでおじいちゃんがボクを支えてくれているみたいで、すごく安心するんだ」


アルノはふっと微笑むと、ベンチから立ち上がった。


「ありがとう、シエル姉ちゃん。お姉ちゃんがボクを想ってくれていたこと、すごく嬉しい。でもね」


アルノは噴水前の開けた地面に向かって歩み出ると、右手のダミーグローブを外し、振り返った。


「ボクなら大丈夫さ、シエル姉ちゃん。見てて」


アルノが指先を地面に向ける。


「ルーン・ステッチ!」



キュイーーンッ!



涼やかな声と共に、アルノの指先から極細の魔力線が放たれた。


それは信じられない速度で石畳の上を這い回り、わずか数秒で直径1メートルにも及ぶ、巨大なコンパスの柄をしたルーンを描き出した。


「あれは……魔法陣?」


シエルは驚き、目を見張る。


「シエル姉ちゃん、あのルーンのど真ん中に向けて、思いっきりエーテルを放ってみて」


「えっ? で、でも……」


「いいから、全力で!」


弟の迷いのない真っ直ぐな瞳に押され、シエルは腰の剣を引き抜いた。


3年Aクラス首席の莫大な魔力が剣身に収束し、鋭い斬撃のようなエーテルの波動となって、地面のルーンへと放たれた。



バシューンッ!!



破裂音とも、風切り音ともつかない音を放ちながら、エーテルの波が着弾した瞬間。


ルーンが目も眩むような強烈な光を放ち、その中心から巨大な光の玉が、薄暗くなり始めた王都の空へ向けて一直線に打ち上がった。



ヒューーーー、……ドンッ!!



はるか上空で弾けた光の玉は、夕暮れの空に無数の光の尾を引く、壮大で美しい大輪の花火となって咲き誇った。


赤、青、緑、黄色。眩い光の粒が降り注ぎ、王都を歩く多くの人々が足を止め、その奇跡のような光景に心を震わせて夜空を見上げた。


誰よりも一番近くでその光を浴びていたシエルは、ただ呆然と空を見上げていた。


放ったエーテルからは想像もつかない出力の、規格外の術式。


それを、たった数秒で描き切るほどの異常な精度。


「ボクは、出力が0.01しかない。でも、自分にしかできない技術を、武器を、おじいちゃんから受け継いだんだ」


アルノは空を見上げたまま、誇らしげに笑った。


「それに、ボクに足りない部分を助けてくれる、心から信頼できる仲間たちもいる。だから大丈夫。ボクは王都でも、決して負けないよ」


力強く語る弟の横顔は、7年前に別れた時の小さく可愛らしいアルノではなく、一人の立派な『ルーン・テイラー』としての逞しさに満ちていた。


シエルは涙で視界を滲ませながら、深く息を吐き出した。


「……負けたわ。あなたの言う通りね。本当に……強くなったのね、アルノ」


シエルは弟に向き直り、優しく微笑んだ。


「分かったわ。お姉ちゃんも、あなたの学園生活を応援する。どこまでやれるか、しっかり頑張ってみなさい」


アルノは「うん!」と頷くと、シエルの手に握られていた古いコンパスを手に取った。


指先から微かな魔力を流し、経年劣化で欠けていた3センチのルーンを、瞬きする間に修復し、上書きする。


「はい、直ったよ。これからも迷子にならないようにね」


「……ありがとう、アル君」


昔の呼び方に戻ったシエルの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。彼女はコンパスを胸に抱きしめると、これまでの冷徹な姉の仮面を完全に脱ぎ捨てた。


「さあ、それじゃあお姉ちゃんと一緒に寮に帰りましょうか! ほらアル君、手を繋いで! 晩ご飯は何がいいかしら? お姉ちゃんがアーンしてあげ……」


「ストップ、ストップ!」


急激に重度のブラコンぶりを発揮し始めた姉に、アルノは慌てて一歩後ずさった。


「とりあえず……そこの三人、もう出ておいでよ」


アルノが茂みの方へ声をかけると、ビクッという音と共に葉っぱが揺れた。


やがて、目を真っ赤に腫らし、鼻をすすりながら、カイル、ミラ、シルフィアが、すごすごと気まずそうに姿を現した。


「い、いやぁ、奇遇だなアルノ! オレたちはたまたま、この公園の落ち葉の数を数える自主練をしててだな……!」


「そ、そうよ! ワタシは火魔法で、その落ち葉を使って焼き芋を作る役割で……!」


「ウチは……ええっと、水の精霊さんに頼んで、その後の火の始末を……ぐすっ」


誰がどう聞いても苦しすぎる言い訳を並べる三人に、シエルは一瞬きょとんとした後、ふふっと吹き出した。


アルノもつられて笑い出し、やがて公園には5人の明るい笑い声が響き渡った。


高魔力量・高魔力出力至上主義の王都で、欠陥品と笑われた少年。


しかし彼は今、自分だけの技術と、最高の仲間、そして長年のすれ違いを乗り越えた優しい姉に囲まれていた。


夏の終わりの夜風は、どこまでも心地よく彼らの間をすり抜けていった。


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