【第12話】信じ抜いた帰還と、勝利の祝杯
「ギャァァァウッ!」
血走った目を剥き出しにしたハイエナ型ビーストが、鋭い牙を剥いて飛びかかってくる。
「させねぇよッ!」
カイルが、ニ分の一のサイズになってしまった大盾の破片を強引に振り抜き、宙を舞うビーストの顎を物理的にカチ上げる。
ゴキャッ!
鈍い骨の砕ける音が響き、一匹が吹き飛んで草むらを転がった。
「ハァァァッ!」
ザンッ!!
その隙を突き、ニコラスが低い姿勢からもう一匹を両断する。
ポーションによって一時的に肉体の痛みが和らぎ、活力を得た6人は、驚異的な粘りを見せていた。
魔力が枯渇しているため、魔法による攻撃や防御はほぼ使えない。
ユリウスの片腕によるバリアも、二人が隠れられる程度の極小サイズしか維持できなくなっていた。
それでも、テレサが短剣で牽制し、ユリウスが的確に指示を出し、カイルとニコラスが前線を死守する。
ミラとシルフィアは後方から石を投げ、泥をぶつけて少しでも敵の目を逸らす。
泥臭く、エリートらしさなど微塵もない総力戦。
しかし、彼らの目には「仲間が帰ってくる場所を守り抜く」という強靭な意志が宿っていた。
「これで……六匹目ッ!」
ニコラスが剣を振り抜き、血の気の多いハイエナの首を落とす。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
だが、ポーションがもたらした一時的な活力も、いよいよ底を尽きようとしていた。
肉体の疲労は消えたわけではなく、無理やり意識しないようにしていただけだ。
限界を超えた活動により、筋肉が悲鳴を上げ、ニコラスの足がもつれて泥に膝をつく。
「ニコラス!」
ユリウスが慌てて極小のバリアを彼の方へ向けるが、それを見た残る二匹のハイエナは、狡猾にも守りの薄くなった後衛へと狙いを定めた。
「グルァッ!」
一匹が、完全に魔力が尽きてへたり込んでいるミラの隣、シルフィアを目掛けて一直線に跳躍する。
「だめっ!シルフィア! 逃げてっ!」
ミラが悲鳴を上げる。
「う……ぁっ!」
シルフィアは立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、迫り来るハイエナの凶悪な牙を前に、思わず目をギュッと瞑った。
万事休す。
誰もが最悪の事態を覚悟した、その瞬間だった。
「ルーン・ステッチ!!」
ジャングルの奥から、凛とした少年の叫び声が響き渡った。
キュインッ!
微かなキャスト音と共に、薄暗い茂みの奥から一直線に『極細の光の糸』が飛来する。
目にも留まらぬその魔力線は、空中に飛び上がっていたハイエナのすぐ横、地面に突き出していた岩の表面へと、寸分違わず着弾。
それと同時に、純粋なエーテルの波動が、的形のルーンのど真ん中を撃ち抜いた。
カッ!
岩の表面の、直径30センチほどの『吸着』のルーンが一瞬にして発動する!
「ギャンッ!?」
直後、空中にいたハイエナの身体が、見えない巨大な磁石に引かれたように、凄まじい勢いで軌道を逸らされた。
ドゴォォォッ!という鈍い音と共に、ハイエナはルーンが刻まれた岩へと激しく叩きつけられ、無様に張り付けられて身動きが取れなくなる。
「今だ、カイルッ!!」
声の主が叫ぶ。
「オオォォォォォォッ!!」
その声に反応したカイルは、一切の躊躇なく地面を蹴った。
彼は張り付けられてもがくハイエナに向けて、構えた二分の一の大盾ごと、自身の巨体を砲弾のようにぶちかました。
メキィィィッ!
岩と盾の間に挟まれ、ハイエナは完全に絶命して力なく崩れ落ちる。
そして、仲間が殺されたことに気づき、残った最後の一匹が声のした茂みの方へと敵意を向けて振り返った。
「どこを見ているの。汚い獣」
冷たく、しかし誇り高い少女の声。
バキィィィィンッ!!
茂みの中から放たれた極低温の冷気が、最後の一匹を瞬時に氷の彫像へと変え、自重で粉々に砕け散った。
静寂が降りたゲート前の草原。
泥だらけの6人が、信じられないものを見る目で、声がしたジャングルの茂みを見つめる。
ガサリ、と葉が揺れた。
そこには、右手の指先を真っ直ぐに突き出したアルノと、高級な杖を優雅に構えたディアナが、息をぴったりと合わせて並び立っていた。
「お待たせ、みんな。怪我はない?」
アルノが、いつもと変わらない飄々とした笑顔で手を下ろす。
「……遅いわよ、この馬鹿ッ!!」
ミラが大粒の涙をボロボロとこぼしながら、怒鳴り声を上げた。
「お、お嬢様ぁぁぁっ!!」
テレサが短剣を投げ捨て、泥だらけになるのも構わずにディアナへと飛びつき、わんわんと声を上げて泣き崩れる。
「ちょ、ちょっとテレサ、鼻水つけないでよ! 私は無事よ、泣き止みなさい!」
ディアナは悪態をつきながらも、その手は優しくテレサの背中を撫でていた。
「……アルノ君、ディアナ。よくぞ、生きて戻ってきてくれました」
ユリウスが眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、深く頭を下げる。
ニコラスも、カイルも、安堵のあまりその場にへたり込み、天を仰いで深く息を吐き出した。
クラスの壁も、エリートと落ちこぼれの立場も関係ない。
絶体絶命の危機を乗り越え、誰一人欠けることなく、8人の仲間が再び一つに繋がった瞬間だった。
「みんな、本当に無事でよかった…」
アルノが泥だらけの身体で、へたり込んでいる仲間たちを気遣う。
「アルノ君……信じとったで……」
シルフィアが涙を拭いながら笑いかける。
「気にするな。……お前らが無事に戻ってきてくれただけで、十分だ」
カイルが強がって白い歯を見せるが、その身体は満身創痍で、立っているのもやっとの状態だった。
そのカイルは、茂みの近くの岩に張り付けられたまま絶命しているハイエナの死体と、その岩にくっきりと残る直径30センチほどの『吸着のルーン』をじっと見つめていた。
「……アルノ」
カイルが呆れたような、しかし深い安堵の混じった声でアルノを呼んだ。
「お前、あの崖っぷちの状況で、わざわざまたこの『ダーツの的』の柄を描きやがったな?」
「え? ああ、描き慣れてるし、視認性が高いから、ディアナが一番正確に狙えるかなって」
あっけらかんと答えるアルノに、カイルは額を押さえて吹き出した。
「……ただこのルーンを見た瞬間、『ああ、やっぱアルノの野郎、生きてやがった』って、変な確信が持てちまったじゃねえか」
カイルの言葉に、ミラとシルフィアが堪えきれずに笑い声を上げた。
「あはは! 確かにあの的を見たら、嫌でもアルノを思い出すわよね!」
「カイル君のトラウマなんやもんね。でも、あれがウチらを救ってくれたんやわ」
シルフィアもおっとりと微笑み、死線を越えた彼らの間に、温かく柔らかな空気が広がった。
ひとしきり笑い合い、互いの無事を確かめ合った後、アルノがふと真面目な顔に戻る。
「みんな、とにかく早く出よう。ここはまだ危険がいっぱいだ」
「ええ、本当にね。……さあ、帰りましょう。感動の再会は外に出てからよ」
ディアナが泥だらけのバッグの奥から『リターンキー』を慎重に取り出し、タルタロスの巨大なガラス防壁へと押し当てる。
キィィィィン……。
甲高い共鳴音と共に、ガラス面と、キーに刻まれた『反転』のルーンが淡く発光した。
一方通行の強固なセキュリティ術式が一時的に書き換えられ、硬質なガラスの壁が、水面のように柔らかく波打つ。
「さあ、みんな! 早く!」
ディアナの合図で、ユリウスを支えるニコラス、ミラに肩を貸すシルフィア、そしてカイルとテレサが次々と波打つゲートをすり抜けていく。
最後にディアナとアルノが飛び出し、リターンキーをガラスから離した一呼吸の後、ゲートは再び冷たい物理障壁へと戻った。
「……あぁ……」
誰からともなく、深い安堵の吐息が漏れた。
ゲートの外は、ファルシア公国の穏やかな森の中だった。
時刻はまだ昼下がり。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、ダンジョン特有の重く湿った魔力の気配は一切ない。
澄んだ新鮮な空気が、彼らの肺を満たしていく。
「終わった……終わったんだ……」
ニコラスが大の字になって柔らかな草の上に倒れ込むと、他のメンバーも次々とその場に座り込んだ。
少し落ち着きを取り戻したところで、ユリウスが背筋を正し、アルノに向き直った。
「……アルノ君、みんな。改めて、礼を言わせてほしい。僕たちは、君たちを『守るべき対象』だと思い込んでいた。でも、実際は違った。僕たちがここまで生き残れたのは、間違いなく君たちの強さと、その絆のおかげだ」
ユリウスは眼鏡の奥の瞳を伏せ、深く頭を下げた。
ニコラスもそれに続き、ディアナも気まずそうに目を逸らしながらも、小さく頷いた。
「いや、ボクの方こそ。……みんながいてくれたからこそ、こうして8人無事に帰ってこれたんだよ」
アルノが照れくさそうに笑う。
「カイル……」
ディアナが、大盾の残骸を横に置いて座るカイルの前に立った。
「……あなたのその盾、私を庇って割れてしまったのでしょう。街に戻ったら、マグノリア商会の伝手で、最高級の業物を特別に安く……いえ、無償で提供させてちょうだい。……その、ありがとう」
消え入るような小さな声で、しかし真っ直ぐに感謝を伝えるディアナに、カイルは優しく吹き出した。
「へっ。……ありがたく受け取っておくぜ、お嬢様。でも、ディアナがいなかったら、アルノは戻って来れなかったかもしれない。ありがとう、感謝する」
エリートと落ちこぼれ。
交わるはずのなかった二つのクラスが、過酷な迷宮での死闘を経て、互いの欠陥を補い合い、確かな絆で結ばれた。
「さあ、帰還の報告をしましょう。15時半には先生が戻ってくるはずよ。……あら、アルノ、どうしたの?」
ディアナが立ち上がり、メモを探すため、バッグを漁っている横で、アルノが突然ハッとして、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
何か大変なことでも起こったのであろうか。
いつも涼しいアルノの顔からサァッと血の気が引き、。
「あ、あああぁぁぁっ!! ボクとしたことがぁぁぁッ!!」
「な、なんだよ! まだ魔獣でもいるのか!?」
カイルが慌てて身構えるが、アルノの口から出たのは悲鳴のような絶叫だった。
「あの巨大な亀型ビーストの死体……あのサイズなら、絶対にとんでもなくデカくて高純度な『魔石』があったはずなのに……急ぎすぎて、取ってくるの完全に忘れてたぁぁぁッ!!」
アルノは地面を叩いて悔しがった。
「ボクの馬鹿! あれがあれば、あんなマギアや、こんなマギアが作れたかもしれないのにっ!」
「…………」
数秒の沈黙の後、今度はカイルが腹を抱えて爆笑した。
「ははははは! 命からがら逃げてきたってのに、お前は最後までそれかよ!」
「ちょっと! 笑い事じゃないよ、一生に一度の素材だったかもしれないのに!」
アルノが涙目で抗議するが、もはやディアナやユリウスまで肩を揺らして笑っている。
「まあいいじゃねえか。魔石なんかより、全員五体満足で帰れたんだ。それが一番の成果だろ」
カイルが笑い涙を拭いながら、リュックの奥から二つの小瓶を取り出した。
「ほらよ、アルノ、ディアナ。とっといたぜ」
カイルが二つの小瓶をふわりと放り投げる。
それは、死闘の前にカイルが二人のために残しておいたポーションだった。
「わっ、ありがとうカイル!」
アルノが両手でしっかりと受け取る。
「……ふふっ。あなたって、本当に心配性なヘビーナイトね。ありがとう」
ディアナも美しい所作で小瓶を受け取った。
泥だらけでボロボロの二人。
だが、その表情はこれまでにないほど晴れやかだった。
アルノはポーションの小瓶を掲げ、ディアナの方へと差し出した。
「最高のチームと、生還に」
「……ええ。私たちの、勝利に」
カチンッ。
キラキラとした淡いブルーのガラス瓶が触れ合う、澄んだ音が森に響く。
ポーションを一気に飲み干した二人の笑顔を、木漏れ日が優しく照らし出していた。
落ちこぼれのDクラスと、エリートのAクラス。
ファルシア公国のジャングル迷宮で交差した彼らの合同実習は、誰も予想しなかったほどの強い絆と成長を残し、ここに幕を閉じた。




