【第8話】縦穴の要塞と、空を駆けるエレメンター(精霊術師)
時は遡り、アルノたちがファントムと出会う少し前。
亀型ビーストが崩れ落ちた泥沼の跡地で、4人は荒い息を吐いていた。
「はぁ……はぁ……」
魔力を極限まで絞り出したミラは、杖を支えにして立っているのがやっとだった。
その横で、シルフィアが優しく彼女の身体を支える。
「ミラちゃん、ほんまにすごかったよ。少し休もか」
「……ええ、少しだけ、寄りかからせて……」
泥だらけになったユリウスとニコラスも、痛む身体を引きずりながら二人の元へ歩み寄ってきた。
ユリウスの折れた左腕は、ミラが残った魔力を振り絞ってかけた簡易的なヒール(回復魔法)と、添え木代わりの木の枝で固定されている。
ユリウスは眼鏡のブリッジを泥のついた指で押し上げると、深く頭を下げた。
「……僕の傲慢でした。君たちを一方的に『守るべき対象』だと決めつけ、勝手に戦線を構築しようとしていた。君たちの力を信じていれば、あんな無様な怪我はしなかったかもしれない。本当に、申し訳ない」
「俺からも謝る。……いや、謝るっていうより、純粋にすげえよ、お前ら。とんでもねぇ強さだ」
ニコラスも照れくさそうに頭を掻く。
ミラは少しふらつきながらも、誇らしげに胸を張った。
「ふふん、分かればいいのよ。ワタシたちチームガレオスは、一味違うんだから!」
「そやね。ウチら、強敵に立ち向かうのは、初めてやないし」
シルフィアもおっとりと微笑む。
彼らの間にあった見えないズレが、完全に揃った瞬間だった。
しかし、実習はまだ終わっていない。
彼らはアルノたちとの最終合流地点を目指し、再び重い足を引きずって歩き出した。
やがて4人が辿り着いたのは、塔のように高く切り立った「縦穴エリア」だった。
見上げると、天井高は30メートルほど、周囲の岩壁には大小無数の横穴がポッカリと口を開けている。
「地図通りなら、この縦穴を抜ければ合流地点の近くに出るはずです。本来ならビーストの出ない、安全なルートですが……」
ユリウスが警戒を緩めずに周囲を見渡した、その時だった。
ブゥゥゥゥゥン……。
不気味な羽音が、縦穴の底に反響した。
「…おいおい、…まさか……」
ニコラスがつぶやくと同時、壁面の横穴から、黒と黄色の縞模様を持った小型ビースト「キラーホーネット」の群れが滝のように溢れ出してきた。
単体であれば、鋭い毒針を持つだけの取るに足らない小型のビーストだ。
Aクラスの二人やミラの魔法なら、苦戦するような相手ではない。
しかし、満身創痍の今の彼らにとって、その無数の群れは致命的な脅威だった。
「くっ……! 下がってください!」
ユリウスが前に出て、動く右腕一本で光のバリアを展開する。
しかし、片腕での出力では普段の半分以下のサイズしかなく、表面は頼りなく波打っていた。
「はぁぁぁッ!」
ニコラスがバリアの端から飛び出し、魔力を纏わせた剣を振るう。
剣筋に一点の狂いもなく、迫り来るホーネットを次々と両断していく。
ミラとシルフィアは、その極限状態でも無駄のない、研ぎ澄まされた省エネ戦法にAクラスの真髄を見た。
だが、倒しても倒しても、羽音は一向に鳴り止まない。
「チィッ! 数が多すぎる……!」
疲労でニコラスの剣がわずかに鈍り、群れに押されてじりじりと円陣が狭まっていく。
ユリウスが脂汗を流しながら、周囲の状況を鋭く分析する。
「目撃情報にあったキラーホーネットは、ここに巣を作っていたのか。おそらく新しいクイーン(女王蜂)が生まれた他の巣から、古いクイーンが群れの一部と移動したきたと思われる!」
「解説どーもっ!んで、どうすんだこれ!」
ニコラスが二匹まとめてホーネットを叩き落としながら叫ぶ。
「このままではジリ貧です。……上を見てください!」
ユリウスが視線を向けた先。
はるか上方、壁面から突き出した巨大な鍾乳石の影に、ひときわ大きな羽音を立てる個体が身を隠した。
「クイーンです! あれを叩けば、統率を失った群れは散開するはずです!」
明確な正解。
しかし、ニコラスは悔しげに顔を歪めた。
「正解が分かっても、どうすんだよ! この距離じゃ俺の剣は届かねえし、魔法を撃ったって、あの分厚い護衛の壁と空気抵抗で、届く頃には威力が死んじまう!」
「くそっ……手段が、ない……!」
ユリウスもまた、右手を震わせながら絶望的な声を漏らした。
エリートとしての知識があり、状況を打破する正解を導き出せる分析力がある。
それなのに、物理的な「高度」という壁を前に、手が届かない。
初めて味わう無力感に、Aクラスの二人は打ちひしがれそうになっていた。
盾としてボロボロになりながらも前に立つユリウスと、息を荒らげながら必死に剣を振るうニコラス。
彼らの背中を見つめながら、シルフィアは強く唇を噛んだ。
(ユリウス君もニコラス君も、限界やのにウチらを守ろうとしてくれとる……)
Aクラスとしての誇りだけではない。
純粋に仲間を死なせまいとする二人の不器用な優しさが、痛いほど伝わってきた。
正解が分かっているのに、届かない。
彼らが持つ洗練された技術と分析力をもってしても、物理的な「高さ」という壁はどうすることもできない。
ならば。
(今、ウチにしかできひんこと……)
シルフィアの脳裏に、不意にアルノの言葉が蘇った。
『シルフィアのエルフの耳は、精霊に愛される特別な証だ』
「…特…別……」
これまでは、ただ彼らの力を借りることしか考えてこなかった。
でもそれは、他のエレメンターでも同じこと。
もし精霊たちが他の誰よりも、自分に寄り添ってくれるのなら……。
「……ユリウス君、ニコラス君。少しだけ道を開けて」
シルフィアは一歩前に出ると、おっとりとした、しかし芯のある声で告げた。
「ウチ、行ってくるわ。……みんなを守るために」
「シルフィアちゃん!? 何を言うんだ、壁を登るのは自殺行為だ!」
ニコラスが制止する声を背に受けながら、シルフィアは耳元のマギア『ハルモニア』にそっと指を触れた。
目を閉じ、意識を深く沈める。
(ウチは今まで、精霊の群れのリーダーの声だけ聴こうとしていた。でも、…それじゃだめ、…群れ全体の声を1つとして捉えるんや)
チューニングされたイヤーカフを通じて、縦穴に満ちる無数の風の精霊たちの声が、クリアな輪郭を持って響き渡る。
彼女は手にしたタクトを高く掲げた。
「精霊さん、お願い……ウチを、あの空へ連れてって!」
直後、シルフィアの足元から猛烈な風が巻き起こった。
それは周囲の岩を削るような荒々しい突風ではなく、彼女のしなやかな身体だけを正確に包み込む、極めて高密度の『上昇気流』だった。
フワリと、シルフィアのブーツの底が地面から離れる。
重力という絶対の理から解放されたように、彼女の身体は一直線に、垂直の縦穴を急上昇し始めた。
「へ…?……跳んだ?」
「馬鹿な、あれは……飛行魔法…?! いや、あれは……精霊憑依…なのか?…」
精霊に深く愛されるものは、精霊と同調することができ、まるで自身も精霊であるかのように、その特性を使いこなすことが可能になる。
これを『精霊憑依』と呼ぶが、今ではその使い手はおらず、文献にのみ記載されている幻の精霊魔法である。
頭上を舞い上がっていくシルフィアの姿に、ユリウスとニコラスは驚愕に目を見開いた。
だが、感嘆している暇はない。
目標へ向かって一直線に昇っていくシルフィアに対し、巣を守ろうとするキラーホーネットの群れが、黒い槍のような軌道で殺到する。
「行かせるかよッ! ミラちゃん、合わせてくれ!」
「言われなくても! ワタシの大切な友達に、指一本触れさせないわよ!」
ニコラスが残る力を振り絞り、剣から魔力を放ち、飛ぶ斬撃を上方へと放つ。
同時に、魔力枯渇で倒れかけていたミラが、最後の気力を振り絞って杖を突き出し、精密な熱線の雨を降らせた。
Aクラスの洗練された剣技と、Dクラスの意地がこもった魔法。
二つの力が完璧に交差し、シルフィアに迫るホーネットの群れを次々と撃ち落とし、彼女が駆け上がるための『道』を切り開いていく。
(みんな……ありがとう!)
仲間の援護を受け、シルフィアはついに遥か上方の鍾乳石へと到達した。
その陰にへばりついていたのは、通常の数倍はあろうかという巨大な「女王蜂」だった。
額には、どす黒い魔力結晶が不気味に脈打っている。
侵入者に気づき、怒り狂った女王蜂が鋭い毒針を振り上げようとした瞬間。
シルフィアは至近距離でタクトを鋭く振り抜いた。
「これで……終わりやッ!」
極限まで圧縮された『風の刃』が、空気を切り裂く甲高い音と共に放たれ、女王蜂の額の結晶を正確に両断した。
ビキィィィンッ!という硬質な音が響き、魔石を砕かれた女王蜂は痙攣しながら縦穴の底へと落下していく。
主を失ったことで、ホーネットの群れはパニックを起こし、統率を失って四散していった。
不気味な羽音が消え去り、縦穴に元の静寂が戻る。
「やった……」
安堵の息を吐いた瞬間、シルフィアの全身からふっと力が抜けた。
魔力と体力を使い果たし、彼女を支えていた上昇気流が消滅する。
「きゃあっ……!」
支えを失い、高所から落下していくシルフィア。
しかし、泥だらけの地面に叩きつけられる前に、力強い腕が彼女の身体をしっかりと受け止めた。
「よくやった、シルフィアちゃん! 最高にカッコよかったぜ!」
ニコラスが笑いかけ、その横で右腕一本を添えたユリウスが、眼鏡の奥の瞳を和らげて深く頷く。
「見事な一撃でした。……君がいなければ、僕たちはここで全滅していた。本当にありがとう」
「ううん……みんなが、道を切り開いてくれたからやよ」
シルフィアが照れくさそうにはにかむと、駆け寄ってきたミラが「もう、無茶するんだから!」と涙目で抱きついてきた。
AクラスとDクラス。
互いの強みを認め合い、足りない部分を補い合った彼らの間に、クラスの格差など存在しなかった。
彼らは確かな信頼と絆を胸に、アルノとカイルが待つ最終合流地点へと、再び歩みを進めるのだった。




