【第7話】最強の盾が、最強の矛に変わる時
ズドォォォォンッ!!!
鼓膜を破るかのような凄まじい衝撃音が、地下ドーム全体に重く響き渡る。
ファントムの放った高圧縮の空気の塊は、無防備なディアナの頭部を粉砕する寸前で、カイルの構えた分厚い鋼の大盾に正面から激突した。
「ぐぅぅぅッ……!」
金属が軋む嫌な音と共に、カイルの巨体がわずかに浮き上がる。
分厚い革のブーツが、根を張った草を無惨に引きちぎり、土を深く削りながら後方へ数十センチ押し込まれた。
腕の筋肉がはち切れんばかりに隆起し、鋼鉄の盾越しに伝わる規格外の運動エネルギーを全身の骨格で受け止める。
しかし、彼は決して倒れなかった。
「カ、カイル……?」
尻餅をついたまま、呆然と見上げるディアナ。
その頭上で、カイルは苦痛に顔を歪めながらも、鋼鉄の壁を支えたまま不敵に笑いかけた。
「立て、お嬢様。ここはオレの領域だ」
その言葉は、決して虚勢ではなかった。
遠距離主体のマジックキャスター(魔導師)、ヒットアンドアウェイのソーサナイト(魔導騎士)とは違い、最前線で泥と血に塗れながら敵の物理的な攻撃をその身で受けるヘビーナイト(重騎士)にとって、この暴力的な衝撃の嵐が吹き荒れる場所こそが、自らの存在意義を証明する場所だった。
標的を分厚い鉄板に阻まれたファントムは、不快そうに「フンッ」と小さく鼻を鳴らした。
その高い知性は、目の前の障害物が魔法ではなく純粋な物理であることを即座に理解する。
ファントムはしなやかな前脚を軽く上げ、胸元の青い結晶にさらなる魔力を急速に収束させた。
今度は、一発の重い一撃ではない。
四方八方の空気が不自然に歪み、マシンガンのような無数の空気の弾丸が形成される。
ガガガガガガガガガガッ!!!
一拍の隙もなく、魔力をまとった大気の雨がカイルに降り注いだ。
魔法攻撃そのものは、特異体質を持つカイルの肉体には直接的なダメージを与えられない。
しかし、彼が構えている物理的な大盾は違う。
鋼鉄の表面が悲鳴を上げ、鋭い空気の刃に少しずつ、だが確実に削り取られていく。
火花が散り、無数の凹みが生まれ、縁の装甲がひしゃげる。
さらに、大盾で防ぎきれずに弾かれた空気の弾丸が、カイルとディアナの周囲に散弾のように降り注ぐ。
ドスッ、ドスッと鈍い重低音を立てて柔らかな草地が吹き飛ばされ、土埃が舞い上がる。
「くそっ、重てぇ……!」
カイルは歯を食いしばり、盾の裏のグリップを握る両手から血が滲むのを感じていた。
だが、その一方的な猛攻に耐える中で、カイルはある『奇妙な感覚』に気づき始めていた。
(……さっきからなんだ? 盾とオレの体の間に、妙な圧力が溜まってる……?)
カイルの持つ、極めて稀有な特異体質『絶対魔力耐性』。
それは敵味方問わず、あらゆる魔法エネルギーを無効化し、文字通り弾き飛ばす体質だ。
普段であれば、飛んできた魔法はカイルの体表に触れた瞬間に霧散するか、別の方向へと逸れていく。
だが、今は状況が違った。
彼の正面には、魔力によって強化された、物理的な鋼鉄の大盾が壁として存在し、絶え間ない高密度の魔法の連射を浴び続けている。
大盾の鉄板を突き抜けようとするファントムの強力な魔法エネルギーが、背後に立つカイルの特異体質によって行き場を阻まれ、弾き返される。
しかし前には大盾があるため、逃げ場を失った不可視のエネルギーが、物理盾と、魔法を弾く肉体の間というごく狭い空間で、魔力が極限まで圧縮され、異常な密度で滞留し始めていたのだ。
それはまるで、行き場を失った濁流が、分厚い壁に堰き止められ、今にも決壊しそうな『ダム』のように。
(このままじゃ、物理的に盾が保たねぇ……なら!)
ミシミシと限界を訴える鋼鉄の盾の感触を掌に感じながら、カイルは一瞬の直感で、その滞留した莫大なエネルギーを利用することを決断した。
「アルノ、テレサ! ディアナを連れて下がれッ!!」
カイルの怒号が、爆音の響く空洞に轟いた。
その切羽詰まった声色に、アルノは一瞬で事態を察知した。
即座にテレサと共にディアナの腕を引き、弾かれたように後方へと跳躍する。
直後、カイルは自身の体内に眠る莫大な魔力を、一切外へ放出することなく、己の肉体という器の内部のみで爆発的に循環させた。
魔法として外部へ放つのではない。
純粋な物理的筋力と骨格の強度を極限まで高め上げる、ヘビーナイトの真骨頂にして肉体強化の極致、『マッスル・オーバー(剛体化)』。
「ぐ、オォォォォッ……!!」
カイルの喉から獣のような低い唸り声が漏れる。
制服の下にある筋肉がミシミシと音を立てて異常に膨張し、分厚い布地がはち切れんばかりに張り詰めた。
皮膚の下で血管が太く脈打ち、巨大な質量を支える両脚の筋肉が岩のように硬化する。
時を同じくして、ファントムが止めの一撃を放とうと、これまでにないほど高密度に圧縮された巨大な空気の塊を頭上に形成した。
周囲の空気が吸い寄せられ、凄まじい風圧が草原の草を根元から薙ぎ払う。
大気の弾丸が、カイルを粉砕すべく撃ち出された、その瞬間。
「オオォォォォォッ!!」
カイルは、盾と体の間で圧縮され続けていた魔法エネルギーの『ダム』を意図的に解放するように、前方へ向かって渾身の踏み込みを見せた。
重いブーツが地面を蹴り砕く。
行き場を失い、極限まで高まっていたファントム自身の魔力が、カイルの規格外の突進力という物理的な推進力に乗って、盾を通して前方へ一気に爆発的に押し出された。
「シールド・バァァァッシュ!!」
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!
カイルの盾から放たれた、普段の『シールド・バッシュ』とは比べ物にならない、巨大な魔力の衝撃波は、迫り来る巨大な空気の塊と真正面から激突した。
本来なら相殺など不可能な質量の差だったが、カイルが押し返したのは他ならぬファントム自身の魔力だ。
二つの強大なエネルギーがぶつかり合い、空洞の空気をビリビリと震わせる大音響と共に弾け飛んだ。
さらに、相殺しきれなかった凄まじい余波が、そのまま直進してファントムの細身の身体を激しく打ち据えた。
「ピィィッ!?」
想定外の強烈なカウンターを浴び、ファントムの体が数メートル後方へと無防備に吹き飛ばされる。
しかしファントムは、空中で素早く体をひねると、しなやかな四肢で地面に音もたてずに着地してみせた。
だが、その誇り高き白銀の毛皮の一部はハゲ落ち、一定だった呼吸がわずかに乱れて肩を上下させている。
ファントムは琥珀色の瞳を細め、カイルを鋭く睨みつけた。
知性の低いビースト(狂獣)であれば、ここで痛みに怒り狂い、死ぬまで突進を繰り返してくるだろう。
だが、ファントムは高い知性と冷静な判断能力を持つ。
眼前の重装甲に身を包んだ人間が、自分にとって『これ以上戦うには割に合わない、危険な獲物』であると即座に判断したのだ。
ファントムは「コロロ…」と短く喉を鳴らして警戒の意を示すと、身を翻し、驚くべき跳躍力で草原の奥の暗闇へと姿を消した。
微かな光の尾を引いて、霧のように気配すらも完全に消え去っていく。
爆音と風の嵐が去り、静寂が戻った草原。
土埃がゆっくりと舞い落ちる中、ただカイルの荒い息遣いだけが響いていた。
「……逃げた、のか?」
カイルが肩で息をしながら、信じられないというように呟く。
全身の筋肉の緊張を解くと、どっと疲労が押し寄せてきた。
「カイル、すごいよ! ファントムを退散させるなんて!」
後方に避難していたアルノが、興奮した面持ちで駆け寄ってくる。
テレサに支えられながら立ち上がったディアナも、信じられないという顔でカイルの背中を見ていた。
「あ、あんた……ただの脳筋じゃなかったのね……。その、助け、てくれて……」
ディアナが目を逸らしながら、気まずそうに、しかし確かな感謝を込めて礼を言おうとした、その時。
パキッ……。
乾いた、しかし決定的な破断音が、カイルの手元から響いた。
カイルがゆっくりと視線を落とす。
彼の手に握られていた分厚い鋼鉄の大盾の中央に、深い亀裂が走っていた。
ファントムの強力な魔法の連射と、圧縮された魔力のダム化。
さらには『マッスル・オーバー』による強引なシールドバッシュ。
その常識外れの負荷の連続に耐えきれず、頑強な鋼鉄の塊はとうに限界を迎えていたのだ。
ガシャァァァンッ!!
鈍い音を立てて、愛用の大盾が真っ二つに割れ、カイルの足元に崩れ落ちた。
地面に転がった断面をよく見ると、それは偶然割れたわけではなかった。
1年の時のダンジョン実習で、黒い狼型のビーストから受けたあの爪痕。
何度も手入れをしてきたが、思ったより深く付いていた古傷のラインから、綺麗に両断されていたのだ。
「あ……あぁぁぁっ!? オレの盾がぁぁぁっ!!」
先ほどまでの頼もしい姿はどこへやら、カイルは慌てて地面に膝をつき、二つに割れた鋼鉄の塊を拾い上げて悲痛な叫び声を上げた。
「ちょっと、せっかく見直したのに台無しよ……」
ディアナが深々と呆れたようにため息をつく。
激戦を生き延びた『チームR』に、安堵と少しばかりの呆れを含んだ空気が流れた。




