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【第6話】現れた強敵。エリートの誤算

左ルートから轟いた、常識外れの爆鳴と地響き。


その余波は、分厚い岩壁を隔てた右ルートを進むアルノたち『チームR』の頭上にも、パラパラと乾いた天井の土が降り注いでいた。


足裏から伝わる振動が収まっても、微かに鼓膜を揺らす重低音が迷宮の通路に反響して残っている。



「……何が起きたのよ、今の…」



ディアナが杖を握る手に力を込め、不安そうな顔で呟く。


Aクラスの優秀な彼女をして、今の衝撃は計り知れないものだった。


自らが得意とする精密で強固な氷結障壁を展開したとしても、果たして防ぎきれるのか。


瞬時に計算が立たないほどの、圧倒的な熱量と質量を伴う物理的な震動を肌で感じたのだ。


「さぁな。だが、只事じゃねぇ。おい、お嬢様、道を開けろ! オレが先頭を行く!」


カイルが分厚い鋼鉄の大盾を前面に押し出し、ガシャンと重い鎧の音を鳴らしてディアナを背後に庇うようにして強引に前に出る。


アルノは土埃を払いながら、冷静に状況を分析しようと思考を巡らせた。


彼の脳裏に、ゲート前で教員が言っていた言葉が蘇る。


『この地上層には小型のビーストやカームしか生息していない』


(はたして本当にそうなのだろうか?)


もしミラたちが、先ほどの震動を引き起こすような質量の化け物と遭遇しているのだとしたら、後衛主体の彼女たちでは耐えきれないかもしれない。


「みんな、急ごう。ミラたちと約束した合流地点まで、最短ルートで向かう!そこに『チームL』がいなければ、そのまま左ルートを逆走する!」


アルノがいつになく真剣な声で駆け出そうとすると、すかさずディアナがピシャリと言い放った。


「ちょっと、勝手に仕切らないで! この『チームR』のリーダーは私よ! ……でも、急ぐことには賛成してあげるわ」


ディアナの言葉に、後方を警戒していた斥候のテレサが苦笑しながら後に続く。


4人は表情を引き締め、湿った土を蹴り上げながら、ジャングルの奥へとペースを上げた。


入り組んだ獣道は、巨大なシダ植物や絡み合う太いツルに覆われ、視界が極端に悪い。


カイルが大盾で邪魔な枝葉を物理的に押し退けながら進むこと数分。


不意に、鼻をつく土の匂いが変わり、ひんやりとした風が頬を撫でた。



視界が大きく開けた。



そこは、左右に分かれていたルートが再び交わる、巨大なドーム状の空洞、当初予定していた『合流地点』だった。


魔力を吸って青白く光る美しい苔やキノコが岩肌に自生し、淡い光源となっている。


そして足元には、一面に柔らかな草が広がる、洞窟内とは思えないほど開けた草原となっていた。


鍾乳石の天井は高く、先ほどの狭い通路とは全く異なる静寂が支配している。


だが、そこにミラたちの姿はなかった。


代わりに、草原の中央に『それ』は静かに佇んでいた。



「……え?」



先頭のカイルが、思わず足を止めた。重いブーツが草を踏む音が、ぴたりと止まる。


そこにいたのは、しなやかなカモシカのような姿をした、一頭の魔獣だった。


透き通るような白銀の毛皮は、地下の微かな発光植物の光を受けて滑らかに波打っている。


頭部からは、天に向かって真っ直ぐに伸びる、黒く、力強くも美しい二本の角が生えていた。


そして何より異彩を放っていたのは、その胸元のど真ん中だった。


まるで意図的に埋め込まれたブローチのように、一点の曇りもない、深く、鮮やかな『青色』の結晶が、一つだけ眩い光を放ちながら定着していたのだ。


「……嘘でしょ? なんで、こんなところに……」


ディアナが、信じられないものを見る目で絶句した。声のトーンが、先ほどの爆鳴を聞いた時以上に下がっている。


「すげぇ……初めて見た。……ファントム(幻獣)だろ、あれ」


カイルもまた、大盾を構えるのも忘れ、その神々しい姿に驚嘆の声を漏らす。


Aクラスのエリートである彼らにとっても、実物のファントムとの遭遇は、一生に数回あるかどうかの奇跡的な出来事だった。


座学の教科書でしか見たことのない存在が、数メートル先の草原に息づいているのだ。


本能のままに他者を襲うビースト(狂獣)や、野生動物に近いカーム(静獣)とは生物としての構造が根本的に違う。


体内に蓄えられた莫大な魔力が飽和し、逃げ場を失ったエーテルが体表に『魔力結晶』として物理的に実体化した、魔法を操る高位の存在。


それがファントムだ。


ファントムは、駆け込んできたアルノたちを見ても、威嚇の唸り声を上げることもなく、ただ知性を宿した透き通る瞳で、静かに、何かを値踏みするように見つめていた。その立ち姿には、野生動物特有の落ち着きの無さがない。


「しー……、みんな、静かに…」


アルノが極力音を立てないよう、囁き声で制止をかけた。


彼の目は、ファントムの胸元の青い結晶の大きさと純度を冷静に観察し、釘付けになっていた。


「あれはファントムだね。知性が高いから、こちらから敵対行動をとらない限り、襲ってはこない。……ゆっくり、静かに後退して様子を見るんだ」


アルノの的確な指示に、ディアナたちも弾かれたように我に返る。


(……そうね、アルノの言う通り。ファントムの知能はすごく高い。無益な戦闘は避けるべきだわ)


ディアナは優秀なエリートらしく、湧き上がる未知への恐怖を理性で抑え込み、杖の切っ先を下ろして、静かに後退の体制に入ろうとした。


カイルも同様に、決して敵意を見せないよう、大盾をゆっくりと体側に引き寄せる。


誰もが息を潜め、一歩、後ろへ足を下げようとした。


しかし、その瞬間だった。



ブブブブブブブブブッ!!!!



突如として、左ルートへ続く薄暗い通路の奥から、不快な羽音が空洞に響き渡った。


単なる羽虫の飛ぶ音ではない。硬い羽を打ち鳴らすような、低く重い音が反響して近づいてくる。


「……え?」


ディアナが顔を向けた瞬間、通路から大量に飛び出してきたのは、パニックを起こした拳大ほどもある巨大な甲虫の群れだった。


黒光りする硬い甲殻を持った無数の虫たちが、無秩序に宙を舞っている。


それは、先ほどのミラの規格外の砲撃による衝撃と熱風に驚き、左ルートの棲家を追われた虫たちが、狂乱状態でこの合流地点へと逃げ込んできた姿だった。


微かに焦げたような土の匂いが混じっている。


「……イヤァァァァァァァァァァァッ!!!!」


不快な羽音と共に、自分の顔面に向かって一直線に突進してくるおびただしい数の虫の群れ。


完璧なエリートであるディアナだが、年頃の少女としての、そして生理的な「虫への嫌悪感と恐怖」だけは、理性で抑え込むことができなかった。


予期せぬ不測の事態。


眼前を埋め尽くす不快な群れに、訓練されたエリートの思考よりも、反射的な防衛本能が理性を上回る。


「近寄らないでッ! アイス・バレット!、アイス・バレット!、アイス・バレットーーー!!」


ディアナは悲鳴と共に、とっさに杖を前に突き出し、迎撃魔法を展開してしまった。


彼女の放った高威力の氷の弾丸は、迫りくる虫の群れを次々と撃ち落としていく。


凍結した甲虫がパラパラと草の上に落ちる。


だが、パニック状態で放たれた魔法の余波が、虫の群れを突き抜け、あろうことかファントムの足元へと着弾してしまった。



バキィィィィンッ!!!!



氷の弾丸が、ファントムの蹄のすぐ側で砕け散り、鋭い氷片が白銀の毛皮を掠める。



静寂が、訪れ……なかった。



ブブブブブブ………



(……あ)



ディアナは、自分が何を仕でかしたのか、瞬時に理解した。全身の血の気が引いていく。


アルノは、呆然と、しかしはっきりとその瞬間を見た。


ファントムの澄んでいた瞳が、スッと細められる。


そこにあった知性は、一瞬にして冷徹な『敵意』へと書き換えられた。


ファントムが低く喉を鳴らすと、胸元にある青色の結晶が、眩い光を放ち始める。


周囲の空気が急速に渦を巻き、ファントムの周囲に、魔力を極限まで圧縮した目に見えない『空気のエア・バレット』が無数に展開された。


大気が不自然に歪み、風圧で足元の草が激しく波打つ。


「ディアナ……っ! 伏せろぉぉぉッ!!!」


アルノの叫びと同時に、ファントムから矢継ぎ早に空気の弾丸が放たれる。



ドガガガガガガガガガガッ!!!



目にも留まらぬ連射。


魔力をまとった空気の弾丸は岩肌を容易く抉り、空洞の壁や地面に着弾して凄まじい破壊力を撒き散らし、パラパラと土くれが舞い上がる。


「私の防壁で凌ぐわ!」


ディアナが我に返り、何層にも重ねた強固な氷の魔法障壁を展開する。


分厚い氷の壁が彼女の前にそそり立った。


しかし、ファントムの放つ魔法は彼女の想定を遥かに超える威力と連射力を持っていた。


パリーンッ! バキィンッ!!


鉄板以上の硬度を誇る、彼女ご自慢の氷の障壁が、飴細工のように次々と粉砕されていく。


物理的な質量を持ったかのような空気の塊が、氷を砕き、その破片を容赦なく撒き散らす。


「きゃあっ!」


最後の障壁が破られ、ディアナは無防備な姿で尻餅をついた。


ファントムの角の間に、これまでにないほど高圧縮された空気の塊が収束し、彼女の眉間へと狙いを定める。


大気が軋むような音が響く。


(……あれ?、私、死んだかも…)


回避も防御も間に合わない。


ディアナが絶望に目を閉じた、その瞬間だった。


「物理盾なんて時代遅れって、言ったのはどこのどいつだ!」


怒号と共に、彼女が見下していたカイルが、その分厚い大盾を構え、重い鎧の音を響かせて彼女とファントムの間に力強く立ちはだかった。


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