【第5話】ミラの意地、記憶された魔法の形
ズシン、ズシンと、泥を跳ね上げながら亀型ビーストが向き直る。
絶対的な盾であったユリウスを破り、邪魔者がいなくなった魔獣の血走った両眼は、完全に後衛のミラとシルフィアを捉えていた。
「逃げてください、二人とも……っ!」
泥まみれになりながら、ユリウスが右腕だけで身を起こして叫んだ。
折れた左腕が力なく垂れ下がっている。
その顔は苦痛に歪んでいたが、声には必死の懇願が込められていた。
「俺たちが囮になる! 奴の気は俺が引くから、その隙に出口へ走れ!」
ニコラスもまた、痺れる両手で強引に剣を構え直し、ビーストと二人の間に割って入った。
エリートとしてのちっぽけなプライドなどではない。
純粋に、大切な友人たちを自分たちの身代わりで死なせてはならないという、彼らなりの誠実さと優しさからの行動だった。
今のミラたちの火力では、あの異常な化け物の、牽制にすらならないと判断したのだ。
だが、ミラはその場を一歩も動かなかった。
「馬鹿言わないでよ! 友達を囮にして自分たちだけ逃げるなんて、そんなダサい真似できるわけないでしょ!」
「そうや! ウチらDクラスは落ちこぼれやない!絶対に誰も置いていかへんよ!」
シルフィアもタクトを握り直し、ミラの隣に並び立つ。
「君たちはDクラスとは思えないほど確かに強い!しかしヤツには火力不足だ! このままじゃ全員殺されるぞ!」
ニコラスが血相を変えて怒鳴るが、ミラは新調した木杖を両手で強く握り締めた。
列車の旅の途中、アルノが組み込んでくれた特別な機構。
杖の胴部分には、以前と同じく過剰なエーテルを光の粒子として排出する『唐草模様』のルーンが美しく刻まれている。
だが今回の杖には、手元のグリップ部分に金属製のリングが嵌め込まれていた。
それはエーテルの排出量、すなわち魔法の威力を意図的にコントロールするための『可変式バルブ』である。
リングの表面には、小さな花柄のルーンが並んでいる。
花が5つならダイヤル5、花が4つならダイヤル4。
数が減るほどエーテルの排出(抑制)が弱まり、本来の威力が引き出される仕組みだ。
ダイヤルは0〜5までの6段階。
現在の設定は、絶対に暴発しない安全圏である『ダイヤル4』。
ミラは意を決して、金属リングに指をかけた。
カチリッ。
硬質な音が鳴り、リングが回転する。
手元で光る花柄のルーンが4つから、3つへと変わった。
一つ上の火力制限を解放した『ダイヤル3』だ。
ミラはビーストの正面から泥を蹴って素早く横へ回り込むと、無防備に晒された甲羅の側面へと杖を向けた。
「燃え上がりなさい、真紅の炎よッ! 『フレイム・バレット』!!」
ミラが素早く杖を振り抜く。
先ほどとは比べ物にならないほど高密度に圧縮された魔力が、杖の先端で激しく渦を巻いた。
周囲の湿った空気が一瞬で乾燥し、熱波となって広がる。
ドゴォォォォォンッ!!
放たれた炎の弾丸は、空気を焼き焦がしながら一直線に飛び、亀型ビーストの分厚い甲羅の側面に直撃した。
先ほどよりも遥かに凄まじい爆発音がジャングルに轟き、巨大な火柱が泥沼を蒸発させる。
「なっ……なんだ、今の威力は!?」
ニコラスが熱風に腕で顔を庇いながら驚愕の声を上げた。
ユリウスも目を見開く。
とても後衛の支援火力のレベルではない。
もうもうと立ち込める水蒸気と煙が晴れていく。
そこにいたのは、わずかに後退した亀型ビーストの姿だった。
ピシリ……。
静かな空間に、硬いものが割れる音が響いた。
見れば、ニコラスの剣も、先ほどのミラの魔法も完全に弾き返した異常な硬度の外殻に、確かな亀裂が走っていた。
「やった……ヒビが入ったわ!」
ミラが歓喜の声を上げる。
Aクラスの二人も、突破口が開いたことに希望を見出した。
しかし、それは致命傷には至っていなかった。
「グルルルルォォォォォォンッ!!」
側面を攻撃された痛みが、ビーストの野生の本能を完全に狂わせた。
亀型ビーストの瞳がどす黒い怒りに染まり、全身の筋肉が異様に膨れ上がる。
これまで以上の殺意を撒き散らしながら、ミラの息の根を止めるべく、地を深く抉って最も重い突進の姿勢を取った。
「くそっ、これでも倒れねえのかよ!」
ニコラスが悪態をつく。
(ダイヤル3でもダメ……小手先の魔法じゃ、あの突進は止められない!)
ビーストの圧倒的な質量と、怒り狂ったプレッシャーを前に、ミラは悟った。
あの岩山の様な装甲を打ち破り、仲間全員を救うためには、あの一撃を完全に上回る圧倒的な『瞬間火力』でぶち抜くしかないのだと。
ミラは震える指で、再び手元のリングへと触れた。
「ミラちゃん、あかん! それ以上リングを回したら、暴発してまう!」
ミラの意図を察したシルフィアが、悲鳴に近い声を上げた。
ミラの「高すぎる魔力を制御できず、すべてが大爆発してしまう」という体質と、それがもたらした「一族の恥」という深いトラウマ。
それを知るシルフィアだからこその、必死の制止だった。
だが、ミラはリングの手を止めなかった。
(……いいえ、暴発なんてさせない)
ミラの脳裏に、1年時のダンジョン実習の記憶が蘇る。
あの暗闇の中で、アルノのアタッチメントに守られながら、安定した『灯り』を灯せた、あの時の感覚。
『いや、ミラ自身の魔力コントロールが上手くなった証拠だよ』
あの時、アルノはそう言って笑ってくれた。
アタッチメントという補助輪をつけて、何度も、何度も魔法を放つうちに、ワタシの身体は、暴走しない「正しい魔法の形」を、ちゃんと覚えていたんだ。
「シルフィア、ワタシと……アルノの仕立てたこの杖を信じて!」
カチリ、カチリ。
ミラは確かめる様に1段階ずつ、ゆっくりリングを回した。
最大の0は、まだ怖い。
でも、今はこれが必要だ。
花柄がたった一つだけ浮かび上がる、『ダイヤル1』。
エーテルの排出抑制がほぼ完全に解除され、ミラの体内から規格外の莫大な魔力が、堰を切ったように杖へと流れ込んだ。
「う……嘘だろ……?」
ニコラスが呆然と呟く。
ミラの周囲の空間が、強大な魔力の波動によって陽炎のように歪み、泥沼の水面が激しく波打ち始めた。
「グルルルォォォッ!!」
ビーストが突進を開始する。
重戦車のような質量が、泥を弾き飛ばしながら迫る。
ミラは、かつてないほど澄み渡った集中力の中で、杖を正面に構えた。
身体の中を駆け巡る莫大な魔力を、怯えることなく、アルノが教えてくれた「正しい形」へと、一気に圧縮していく。
「……ワタシの仲間に、…なにしてくれてんのよぉーーっ!!!」
ドンッ!!!
それは、魔法が放つ音ではなかった。
まるで巨大な大砲が炸裂したかのような、重低音の衝撃波がジャングルを震撼させた。
杖の先端から放たれたのは、火球ではない。
すべてを蒸発させる、極太の『真紅の熱線』だった。
熱線は一直線に空気を焼き切りながら進み、突進してくる亀型ビーストを、その正面から捉えた。
ドガァァァァァァァァァァァンッ!!!!
至近距離での規格外の爆発。
ビーストの叫び声すら、爆鳴にかき消される。
閃光が周囲を真っ白に染め上げ、凄まじい熱風が泥沼表面の水分を一瞬で蒸発させ、周囲の巨大なシダの葉は、散り散りに吹き飛んだ。
ユリウスとニコラスは、そのあまりの衝撃に、泥の中に這いつくばって爆風をやり過ごすしかなかった。
やがて閃光が収まり、もうもうたる土煙が晴れていく。
そこにあったのは、無残に破壊された亀型ビーストの巨体だった。
ミラの放った極太の熱線は、異常な硬度を誇った装甲ごと、ビーストの右半身を大きく抉るように吹き飛ばしていた。
断面からは黒焦げになった肉と砕けた骨が覗き、残された左半身がバランスを失い、乾ききった泥の跡地へズシンと重い音を立てて崩れ落ちる。
ビーストの額にあった紫色の魔石が、剥がれ落ちた甲羅と共に地面へ転がり、まだ鈍い光を放っていた。
圧倒的な硬度と質量を誇った怪物を、物理的な破壊力で完全にねじ伏せたのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
緊張の糸が切れ、ミラは魔力枯渇による脱力感で、その場に膝をついた。
杖を支えに、なんとか倒れるのを堪える。
「ようやった、ミラちゃん! 、次はウチの番や!」
ミラの魔法が炸裂した、その直後だった。
まだ爆風と閃光が残る中、シルフィアが即座に膝をつくミラの前に滑り込んだ。
彼女はミラの魔法の威力を、計算などしていなかった。
ただ、「ミラちゃんが全力を出すんやから、凄まじいことになる。その後はウチが守らな」という、無意識の確信があった。
シルフィアはタクトを掲げ、瞬時に高密度の魔力を練り上げる。
「精霊さん! ウチらを、この爆風から守ってぇッ!! 『風の結界』!」
ミラの魔法の余波が襲いかかる直前、シルフィアを中心に、これまでになく強固で広範囲な風のドームが展開された。
降り注ぐ泥や炭化した木の破片、そして規格外の威力の余波である天井の崩落、大小様々な岩の雨が結界に叩きつけられるが、風の壁はそれらを完璧にいなし、内部の4人を無傷で守り抜いた。
……やがて、天井の崩落が収まり、ジャングルに静寂が戻った。
風の結界を解いたシルフィアは、額に滲む汗を拭い、凛とした姿勢で立っていた。
膝をついたミラを、しっかりと守るように。
その二人の姿を、ユリウスとニコラスは、泥だらけのまま、ただ呆然と見つめていた。
自分たちの全力の攻撃も防御も通用しなかった敵を、右半身ごと吹き飛ばしたミラの、文字通りの『規格外の火力』。
そして、その規格外の魔法の直後、まだ結果も分からないうちに、仲間を信じて完璧な防御を展開したシルフィアの『信頼と連携』。
エリートである彼らがこれまで培ってきた「教科書通りの戦術」を、チームガレオスの二人は、圧倒的な力と絆で、根本から覆してみせたのだ。
「……すげぇ、なんだ…あれ……」
ニコラスが、痺れの取れた手で剣を握り直すことも忘れ、乾いた声で呟いた。
ユリウスもまた、眼鏡の奥の瞳に隠しきれない驚愕を浮かべ、言葉を失っていた。
ミラの意地と、シルフィアとの絆が、ジャングル迷宮に刻まれた瞬間だった。




