【第4話】砕かれたバリアと、迫り来る絶望
鬱蒼としたジャングル迷宮の左ルート。
洞窟内はいたる所から雨水が染み出している。
それによって作られた小川に沿って、ミラ、シルフィア、ユリウス、ニコラスの『チームL』の4人は慎重に歩みを進めていた。
「皆さん、足元に気をつけてください。この先は少しぬかるんでいます」
先頭を歩くユリウスが、周囲を警戒しながら的確に指示を出す。
その後ろでは、ニコラスが魔力で強化した剣を軽やかに振るい、行く手を阻む太いツタや巨大なシダの葉を鮮やかに切り払って道を作っていた。
「おっと、そこには小さなカームがいるね。刺激しないように、静かに通り抜けようか」
ニコラスの言葉通り、葉の陰に隠れていた大きめのトカゲのような小動物が、彼らの気配を感じてササッと逃げていく。
(さすがAクラス……無駄な動きが全くないわ)
ミラは少し後ろを歩きながら、ノートに素早くカームの生態をスケッチし、特徴を記録していく。
ユリウスの絶対的な防御と、ニコラスの素早い露払い。
教科書通りで洗練された彼らの動きは、Dクラスの吹き溜まりにいたミラから見ても、基礎レベルの違いをまざまざと見せつけられるものだった。
「ほんま、すごい安定感やね。ウチらも足手まといにならんように、しっかり記録せな」シルフィアも、イヤーカフ型のマギア『ハルモニア』を通じて周囲の精霊の声に耳を傾けながら、ミラの横で頷いた。
「当然よ。ワタシたちはグラン・フォリアの代表なんだから。新しい杖の調子も最高だし、いつでもサポートできるわ」
ミラが新調した杖をギュッと握り直す。
水辺のルートを順調に進み、開けた泥地のエリアに出た、その時だった。
ゴボッ…ゴボンッ……。
泥沼の淵に大きな気泡が2つ浮かび上がり、泥をはねながら弾けた。
「え……?」
ミラが顔を上げた瞬間、前方の巨大な泥の沼がボコボコと泡立ち、盛り上がった泥水が滝のように流れ落ちた。
ズザァァァァッ!!
泥沼の中から姿を現したのは、小山のように巨大な亀型の魔獣だった。
岩のように分厚く隆起した甲羅。丸太のように太い四肢。
そして何より、その凶悪な顔の額からは、禍々しい紫色の魔力結晶が鋭く突き出していた。
「あれは……ビースト(狂獣)!?」
ニコラスが剣を構え、いつもの軽い声色を消して鋭く叫ぶ。
「馬鹿な……あんな巨大な魔獣、この地上層にいるはずがありません!」
ユリウスの顔に焦りが浮かぶ。
予想だにしていなかった「異常事態」が、彼らの前に立ちはだかった。
グルルルルォォォォォンッ!!
亀型のビーストが、空気を震わせる咆哮を上げた。
血走った瞳が、明確な殺意を持って4人を捉える。
「全員、退がってください!決して立ち向かわないで!逃げに徹します!」
ユリウスが叫び、退路を確保しようとした瞬間だった。
ドゴォォォンッ!!
巨大な亀型ビーストが、その鈍重そうな見た目に反する恐ろしいスピードで、泥を蹴り上げ突進してきたのだ。
「嘘でしょ、あの図体で速すぎるわ!」
ミラが悲鳴を上げる。
重戦車のような突進が、彼らの退路を完全に塞ぐ軌道で迫る。
「させへんよ!土の精霊さん、あいつの顔と足を、泥で覆ってカチカチに固めたって!」
シルフィアが一歩前に出て、タクトを鋭く振り抜いた。
周囲の泥沼が意思を持ったように激しく波打ち、大量の泥がビーストの顔面と足元に叩きつけられる。
泥は一瞬にして水分を失い、石のように硬化してビーストの視界と動きを封じた。
「よしっ、ナイスだシルフィアちゃん!」
ニコラスが安堵の声を上げた、次の瞬間。
バキィンッ!!
「そんな……泥の鎖が、力任せに壊された!?」
亀型ビーストは太い四肢で泥の拘束を強引に砕くと、顔面に泥を張り付けて視界を失ったまま、一直線にこちらへ突進してくる。
その質量がもたらす地響きが、4人の足元を激しく揺らした。
「くっ……防ぎます!」
ユリウスが前線に飛び出し、両腕を前に突き出して最大出力の光のバリアを展開する。
直後、ビーストの巨大な頭部がバリアに激突した。
ガガガガガァァァンッ!!
「ぐうぅっ……!」
凄まじい衝撃波が周囲のシダ植物を吹き飛ばす。
バリアに激突した衝撃でビーストの顔面から泥が剥がれ落ち、血走った爬虫類のような両眼がユリウスを睨みつけた。
強固なはずのバリアにはピシリと亀裂が走り、ユリウスの靴底が泥で滑りながら後方へ押し込まれていく。
圧倒的な質量の力を前に、足を踏み止まるだけで精一杯だった。
逃げ道は完全に塞がれた。
想定外の巨大なバケモノを前に、彼らはジリ貧の総力戦へと引きずり込まれていく。
「くっ……離れてください!僕が抑えている間に!」
ユリウスが脂汗を流し、軋むバリアを必死に維持する。
ミラとシルフィアは弾かれたように後方へと下がった。
「ユリウス、持ちこたえろー!はぁぁぁッ!」ニコラスがバリアの死角から飛び出す。
極限まで魔力を纏わせ、白熱するほどの光を放つ剣を、無防備なビーストの首筋へ向けて思い切り振り下ろした。
バキィィィィンッ!!
小気味良い金属音がジャングルに響き渡る。
だが、それは肉を裂く音ではなかった。
「なっ……!?」ニコラスの顔が驚愕に歪む。
渾身の一撃は、ビーストの硬い外殻に完全に弾き返されていた。
ニコラスの両手には、骨が軋むほどの強烈な反動だけが残る。
ニコラスの攻撃を意に介さず、亀型ビーストはユリウスのバリアを押し潰そうと、さらに前傾姿勢で体重を乗せてくる。
ミシミシと、バリアが限界を告げる不気味な音が響いた。
「精霊さん、あいつの動きを止めて!『風の鎖』!」
シルフィアがタクトを振り、ビーストの四肢に目に見えない風の奔流を絡みつかせる。
風の力でビーストの突進力を削ぎ、ユリウスへの圧力を僅かに和らげる。
「よし、効いてるぞシルフィアちゃん!これならどうだッ!」
ニコラスが再び地面を蹴る。
首が駄目ならと、比較的柔らかいであろう眼球の粘膜を狙って剣を突き出した。
だが、ビーストは煩わしそうに瞬きをしただけだった。
そのまぶたさえも、岩のように硬い鱗に覆われている。
ガキィンッ!
またしても剣は弾かれた。
「くそっ、どこもかしこも硬すぎる!、ミラちゃん、何かデカいの一発頼む!」
ニコラスが後方へ飛び退きながら叫ぶ。
「了解っ!、燃え上がりなさい、真紅の炎よ!『フレイム・バレット』!」
ミラは新調した高品質な木杖を突き出す。
アルノの『アタッチメント(出力抑制陣)』によって完璧に制御された魔力が、杖の先端で極限まで圧縮され、針の穴を通すような精密さでビーストの閉じた右眼へと放たれた。
ドォォォォンッ!!
至近距離での大爆発。
もうもうと土煙がビーストの顔面を覆い隠す。
「やったか!?」ニコラスが期待を込めて叫んだ。
しかし、煙が晴れた後に現れたのは、右眼のまぶたが少し煤けただけの亀型ビーストだった。
「……嘘でしょ?」
ミラは絶望に目を見開いた。
彼女の制御された最高火力の魔法は、致命傷を与えるには程遠かった。
前衛が防ぎ、遊撃が隙を作り、後衛が弱点を的確に撃ち抜く。
これまでの実習であれば完璧に機能した「エリートの戦術」が、この常識外れの硬度と質量の前には全く通用しないのだ。
「グルルルォォォッ!!」
度重なる攻撃により逆鱗に触れたか、ビーストが狂ったように咆哮を上げる。
そして、これまで以上の力を込めて、前足を高く上げ、亀裂の入ったバリアへ強烈な叩きつけを行った。
バキィィィィンッ!!
「くっ……!」ついにユリウスのバリアが限界を迎え、無数の光の破片となって砕け散る。
殺意を剥き出しにしたビーストの巨体が迫る。
とっさにユリウスは右方向へ身を捩った。
メシャッ!!
「ぐぁぁっ!」回避しきれなかったビーストの分厚い左肩が、ユリウスの左半身を容赦なく撥ね飛ばす。
嫌な骨の音が響き、ユリウスの身体は宙を舞って泥水の中へ叩きつけられた。
「ユリウスッ!」
ニコラスが慌てて駆け寄り、彼を泥の中から引き起こす。
「ユリウス君!ニコラス君!!」
シルフィアが悲鳴を上げた。
主の集中が途切れたことで風の鎖はあっけなく引きちぎられ、霧散する。
「ユリウス!大丈夫かっ!」
「ぐぅぅ……くそっ!左腕が……動かない…」
ユリウスは苦悶の表情で、力なく垂れ下がった左腕を押さえていた。
ガーディアンは基本的に腕を前へ突き出し、魔力を面として放出してバリアを形成する。
片腕を骨折した状態では、強固なバリアを展開することは不可能だ。
ここに来て『チームL』は、大型ビーストの圧倒的な暴力を前に、絶対的な「盾」を失ってしまった。
そして、邪魔者がいなくなった亀型ビーストは、ゆっくりと、しかし確実に、残された後衛、ミラとシルフィアの方へと巨体を向ける。
「嘘……ユリウスのバリアが、破られるなんて……」
「ウチらの攻撃、全然効いてへん……」
完璧な連携を誇ったAクラスの戦術が、儚く打ち砕かれた。
理不尽なまでの「硬度」と「質量」を前に、二人はただ、立ち尽くすことしかできなかった。
魔力も体力も底をつき始め、『チームL』は全滅の淵へと、刻一刻と追い詰められていく。




