【第22話】死線を乗り越えろ!ビーストとの戦い
地底湖の波打ち際は、長い年月をかけて削られた細かい砂利と、水分を含んだ粘土質の泥が混ざり合い、ひどくぬかるんでいた。
足を踏み出すたびにブーツが沈み込み、踏ん張りがきかない。
周囲には湖の水を吸って群生する奇妙な植物が、発光苔の淡い光を受けて不気味な影を落としている。
グルルルルォォォォォンッ……!!
空洞を揺るがす咆哮と共に、赤茶けた分厚い毛皮を持つ熊型のビースト(狂獣)が四つ足で泥を蹴り上げ、猛烈な勢いで突進してきた。
「来るよ! カイル、踏ん張って!」
アルノの鋭い声と同時に、ミラが杖を突き出す。
「フィジカル・ブースト(筋力強化)!」
放たれた支援魔法が、カイルの背中のレシーバーに正確に吸い込まれる。
強化された筋肉が限界まで膨張し、カイルは大盾を構えて突進を真正面から受け止めた。
ドゴォォォンッ!!
「ぐおおおっ……!?」
凄まじい衝撃音が響く。
先ほどの狼型とは比較にならない、圧倒的な暴力と質量。
強化されたカイルの腕力をもってしても完全に受け止めることはできず、分厚い毛皮の塊に押し込まれる。
地底湖のぬかるんだ泥にカイルのブーツが深くめり込み、ズルズルと無惨に後退させられていく。
「カイル君!……風の精霊さん、あいつを縛り付けて!」
シルフィアがタクトを振るう。
湖畔の湿った空気が渦を巻き、目に見えない『風の鎖』となってビーストの太い四肢に絡みついた。
しかし。
ガァァァァッ!
ビーストが苛立ちに任せて豪腕を振り回すと、風の鎖はあっけなく引きちぎられ、霧散してしまった。
「嘘やん……力任せに精霊魔法を引きちぎった!?」
「なら、これでどう? 消し飛べっ!」
驚愕しているシルフィアの横から、ミラが極限まで圧縮した真紅の炎弾を放つ。
炎はビーストの分厚い肩口に直撃し、激しい爆発を起こした。
しかし、煙が晴れた後、ミラは絶望に目を見開いた。
「効いてない……!?」
ビーストの赤茶けた毛皮には、地底湖の泥が長年にわたって幾重にもこびりつき、硬い鎧のように固まっていた。
その分厚い泥と硬い毛皮、さらに脂肪の層に阻まれ、ミラの高火力な炎ですら表面を少し焦がしただけで、致命傷には程遠い。
「なんて硬さだ……化け物かよ!」
カイルが歯を食いしばりながら大盾で必死に耐えるが、その腕はすでに限界を迎え、小刻みに震えている。
魔法も通じず、純粋な質量と暴力の前に、4人は確実に押し潰されようとしていた。
その絶望的な状況の中、アルノだけは冷静に戦況を見つめながら、手元に先程突貫で作った『時限爆弾マギア』を1つ取り出した。
「…これは微量な魔力を流すことで、爆発までの時間を調整出来るように作ったけど、その時間を計算できるのはボクだけだ」
アルノは小箱型の『時限爆弾マギア』を、カイルを押し込んでいるビーストの背中を目掛けて思い切り投げつけた。
マギアが分厚い背中に当たった瞬間。
ドガァァァンッ!!
強烈な爆風が地底湖の水を巻き上げる。
しかし、泥の鎧は吹き飛んだものの、その分厚い毛皮はビクともせず、ビーストは鬱陶しそうに身をよじるだけだ。
「くそっ、爆弾でも背中は無理みたいだ!」
爆発に苛立ったビーストは、カイルを完全に押し潰そうと、後ろ足で立ち上がり、太い両腕を大きく振り上げた。
その瞬間、ビーストの無防備な腹部が4人の前に晒される。
「カイル!全力で盾を強化してっ!」
「分かった、アルノ!」
カイルは身体強化に回していた魔力の一部をさらに盾にまわす。
それを見てアルノはすかさず、2つ目の『時限爆弾マギア』を、振り上げられた腕の下、がら空きになった腹部へと向かって投げつけた。
爆弾が腹部に触れた瞬間。
バガァァァンッ!!
「ギャァォォォォォッ!!」
至近距離での爆発。
ビーストはかつてない悲鳴を上げ、バランスを崩して大きく後ずさった。
土煙が晴れると、ビーストの腹部には、先ほどの背中への攻撃とは明らかに違う、皮膚が裂けた生々しい傷跡が刻まれていた。
「……見つけたっ!」
アルノの瞳に、理知的な光が鋭く走った。
「みんな、聞いて! あいつの弱点は腹部だ。お腹側は、毛皮も脂肪も薄いみたいだ!」
傷口から血を流し、痛みに怒り狂ったビーストが、再び四つん這いになって凄まじい殺意を向けてくる。
「カイル、もう一度だけ攻撃に耐えて、あいつを立ち上がらせて! シルフィアとミラはボクの合図を待って!」
「なんかやるんだな、リーダー!だがさっきので、かなり魔力を消費しちまったみてぇだ。次の爆弾に耐えられるかはわからねぇ!」
アルノは残り1つとなった最後の『時限爆弾マギア』を握り締め、ぬかるんだ泥の地面を見つめた。
「……わかった! カイル、爆弾の近くまであいつを引きつけて! シルフィア、タイミングを合わせてあいつの足元を固めて!」
アルノはビーストの攻撃をすれすれで避けながら、地底湖の波打ち際のぬかるんだ泥の中に、最後の『時限爆弾マギア』を素早く埋め込んだ。
「おうっ、任せろ! デカブツ、こっちだ!」
カイルは泥まみれになりながら大盾を構え、罠の真横に立ちはだかり挑発する。
腹部の激痛に荒れ狂ったビーストが、泥を蹴り上げ、カイルに向かって突進してくる。
「残り15秒だ!シルフィア!」
「土の精霊さん、あいつの足を固めて!」
シルフィアがタクトを振り、土の精霊に働きかける。
ビーストが罠の真上に踏み込み、カイルに襲いかかろうと、再び立ち上がった瞬間、足元の泥が不自然な速度で水分を失い、石のように硬化してビーストの太い後ろ足をがっちりと拘束した。
「ガァッ!?」
予期せぬ拘束に、ビーストの動きがピタリと止まる。
「あと10秒!ミラ、お願いっ!」
アルノの指示が出た瞬間、ミラは杖の先端を、カイルの背中にあるレシーバーではなく、彼の大盾に向けて突き出した。
「了解っ!カイル、ごめんね!、彼方へーー、吹っ飛べぇ!!」
「5!」
「はぁッ!?」
カイルが驚愕の声を上げるより早く、ミラが杖に刻まれたルーンを起動させる。
放たれたのは支援魔法ではない。
圧縮された空気の塊を撃ち出す攻撃魔法『エアバレット』だ。
ドパァァァァァンッ!!
「4!」
至近距離でミラの放った衝撃波が大盾を直撃する。
次の爆弾に耐えられるか分からないカイルを、爆発の巻き込みから強引に引き剥がすための、ミラなりの安全策だった。
「3!」
「うおおおおおっ!?」
カイルの巨体が大盾ごと後方へ凄まじい速度で吹き飛んでいく。
「2!」
それと同時に、立ち上がったまま後ろ足の拘束を振りほどこうとしたビーストは、バランスを崩し、『時限爆弾マギア』に覆いかぶさる形で前足をついた。
「1!」
ビーストが見せた、先ほどの爆発で傷ついた柔らかい腹部。
その真下の泥の中から、強烈な魔力の光が突き上げた。
バガァァァァァァンッ!!
地雷としてセットされた最後の爆弾が、完璧なタイミングで炸裂する。
「ギィギャァァァッ!!」
高純度の魔力エネルギーが傷口を容赦なく抉る。
真下から全ての威力を受け止め、その巨体が空中に浮き上がる。
ビーストは空中で仰け反り、地底湖の泥水の中へとドスンと仰向けに倒れ込んだ。
パタ…パタタタタッ……と、爆風で巻き上がった泥が辺りに降り注ぎ、その後静寂が訪れた。
ビーストは白目を剥き、ピクリとも動かなくなった。
「や、やった……!」
ミラがへなへなとその場に座り込む。
「はぁッ、はぁッ……倒した、マジで倒しちまったぞ!」
カイルも泥にまみれながら、体を引きずりつつ、こちらに駆けてくる。
そして、仰向けに倒れ込んで動かなくなったビーストを見て、安堵の息を吐きながら、「うしっ!」っとガッツポーズをした。
アルノも小さく息を吐き、張り詰めていた肩の力を抜く。
3人が完全に安堵し、警戒を解いた、その瞬間だった。
カッ、と。
倒れていたビーストの黄色い両目が見開かれた。
「え……?」
カイルが間の抜けた声を漏らすより早く、ビーストは痛みに脳を焼き切られた狂乱状態のまま、凄まじい速度で跳ね起きた。
死に物狂いの最後の一撃。
狙われたのは、大盾を下ろして完全に油断していた、一番近くにいるカイルだった。
血走った目と鋭い牙が、無防備なカイルの首筋へと迫る。
「カイルっ!!」
アルノが絶叫するが、間に合わない。
その絶望の隙間に、ふわりと滑り込んだ影があった。
シルフィアだ。
彼女は一切の恐怖を見せず、迫り来るビーストの鼻先へ一歩踏み込んだ。
「ウチの仲間に、手ぇ出さんといてぇ!」
鋭く澄んだ声と共に、波長調整イヤーカフ『ハルモニア(精霊の囁き)』が淡く光り輝き、シルフィアがタクトを水平に振り抜く。
その瞬間、地底湖の空気が異常な密度で圧縮され、『風の刃』と化した。
ヒュンッ!
風の刃は、爆発で無防備に裂けていたビーストの腹部の傷口へ、ピンポイントで吸い込まれるように直撃する。
「ガ、ァ……」
外側の硬い毛皮ではなく、柔らかい体内を直接、深く切り裂かれたビーストは、今度こそ完全に力尽きた。
カイルの目の前でその巨体がどさりと崩れ落ち、二度と動かなくなる。
今度こそ訪れた、完全な静寂。
4人は泥と汗にまみれ、荒い息を繰り返しながら、目の前の動かなくなったビーストをただ見つめていた。
「…はぁ…はぁ…、今のはマジで…、しょんべんチビるかと思ったぜ………ナイスだ、シルフィア。ところで、なぁ…、ミラ」
泥まみれのカイルが、這いつくばったままミラに視線を向けた。
「さっきお前……『彼方へ吹っ飛べ』って言わなかったか? オレ、死ぬかと思ったぞ」
「あら、き、気のせいじゃない? ちゃんと助かったんだから、いいじゃない」
ミラがわざとすました顔で、杖についた泥を払う。その様子を見て、
「二人とも、息ぴったりやったで」
シルフィアがふふっと笑い、アルノも小さく微笑んだ。
そしてアルノが完全に沈黙したビーストに歩み寄り、携帯工具で額から突き出た赤い魔力結晶を抉り出した。
「……採れた。20センチ以上、確実にある」
血と泥に汚れたその赤い魔石は、4人が自らの力で死線を越え、希望をもぎ取った何よりの証だった。




