後日譚3※R15 性的表現あり
黒河律。俺の名前。
容姿はそこそこ恵まれてて、頭は基本アホだけど、可愛い伴侶と一緒になれて順風満帆の人生を送っていると思う。
そういえば、俺の顔は先祖返りらしい。
実家に写真があった。
遺品整理をしていたら出てきたそうで。
画像が添付されてきた。
母から送られてきたそのいつの時代か分からない画像の男の顔は、あまりにも俺と瓜二つで驚いた。
親族の誰なのか聞きたかったけど、祖父母は闘病期間の長い病気が原因で安楽死で死んじゃってるから、過去を知っているものが誰もいなくて、結局誰なのか分からずじまい。
そんなある日だった。
「あ、あ⋯⋯ッ!も、む⋯⋯ッ!りつ⋯⋯!もう⋯⋯無理⋯⋯ッ」
(あ、いけない)
「ごめん、澪⋯⋯。気持ちよすぎて⋯⋯はぁ、も⋯⋯少しだけ付き合って」
澪の白くてなだらかな細腰を掴んで、ゆるゆると動き出す。
感極まる直前、澪を抱きしめ唇を重ねる。
澪の懸命に応えてくれる、舌の動きすらも可愛らしい。
溶け合ってひとつになって――
本当は子供が出来ているのかもしれないのに、自重しなくちゃいけないことは分かっているのに。
着床すると、澪の身体はどんどん変化すると思ってた。
でも、その変化はまだ見られず、まるで絵画に出てくる御使いの少年のような身体つきの澪。
(あと、数日、検査日まで――)
「澪、みお、好きだよ⋯⋯」
見つめ合って抱きしめて、唇を重ねる。
(しあわせ―――)
でも、母から送られてきた俺そっくりの画像を、『ねぇねぇ、澪。これ見て〜、俺のご先祖らしいんだけど』と、話のネタで見せてから澪の様子が、なんだか以前に戻ったよう――。
(俺⋯⋯、あの時なにかしたかな⋯⋯しつこくしすぎたからかな。不快にさせること言ったかな⋯⋯)
澪は普段どおりを努めていてくれる。
でも⋯⋯
(目線が合わない⋯⋯)
就寝前、洗面所に立つ澪が目に入る。
「澪⋯⋯」
近づき、ぎゅっ、と後ろから抱きしめた。
こわばる身体――
なんで――?俺、また君を怯えさせているの⋯⋯?
澪、俺のことちゃんと好き?
もしかして、俺のこと嫌いになっちゃった⋯⋯?
前は、聞けたのに⋯⋯
(『うん』て、言われたらどうしよう⋯⋯)
怖くて聞けない。
鏡越しの澪の表情を見るのが怖くて、出来なかった。
「ごめん、先に寝るね。――おやすみ」
俺はそう告げ、澪を解放すると一人寝室へと向かった。
薄明かりの寝室。
ベッドに横になり、目を瞑っても胸には重苦しい不安が俺を苛んでくる。
(俺の世界、澪がいてくれるだけで十分なのに⋯⋯。その澪に嫌われたら俺は――)
母になった澪を想像する。
(澪が俺の子供を身籠ってたら良いのに⋯⋯)
そうしたら、子供のことを考えて俺の処に留まっていてくれるかもしれない。
俺は、身勝手なことばかり考えていた。
寝室のドアが開く音がして、俺は慌てて寝たふりをする。
起きてたら、会話しなくちゃいけない。
(素っ気ない返事をされたら、いやだ⋯⋯)
パタン、とドアが閉じられ、澪がやってくる気配を背中越しに感じた。
澪を背にして横になってて良かった、と安堵する。
顔を見られたら寝たふりなのが、分かってしまう。
ギシリ、とベッドが軋む音に、何故だが心拍数が上がった。
「律、起きてる⋯⋯?」
澪の問いかけに、思わず返事をしそうになって慌てて堪えた。
シン、と耳鳴りがしてくるのでは、というほどの静かな室内に澪のため息がひとつ――。
気になり、振り向きそうになる自分を慌てて制止した。
(澪、どうしてため息ついてるの?⋯⋯も、もしかして別れ話⋯⋯)
ぎゅっ、と目を瞑る。
嫌な想像ばかりしてしまう。
(澪は、俺の前から二回いなくなった⋯⋯。どうしよう、明日起きたら澪が隣にいなかったら⋯⋯)
買い出しからホテルに戻って来た日と、澪を初めて抱いた翌日、またあの喪失感を味わうのか――。
(いやだ⋯⋯)
浮かれたままホテルの部屋のドアを開けた時の空っぽな部屋が――。
澪を抱いた翌日の、冷たいシーツの感触が――。
(もうあんな思いはしたくないのに――)
心臓が早鐘のようにドクドクと鳴り響く。あまりの激しさに口から出るんじゃないかと思ってしまうほど。
指先が震える。嫌な想像に涙腺も緩みかけるのを、なんとか堪えた。
(澪、みお、行かないで⋯⋯!俺のこと嫌いにならないで⋯⋯!)
原因が分からないから、解決の方法も分からない。
謝ったところで、澪から
『何に対して謝ってるの?』なんて聞かれても答えることが出来ない。
(なにが悪かったの⋯⋯?あんなに幸せだったのに⋯⋯。戻れるなら過去に戻りたいよ⋯⋯)
抱き合って眠ってた、幸せだった時間。
今は不安でたまらない⋯⋯。
ギシリ――。
ベッドのかすかに軋む音で、現実に引き戻される。
後ろには澪の気配。
(寝たフリ、寝たフリ⋯⋯)
俺はそう、自分に言い聞かせて身体を弛緩させる。
そっ、と頬にかかった髪を搔きあげられた。
そのまま流れるように後頭部へと優しく髪を梳かれる。
「ごめんね⋯⋯律。律は違うって、俺分かってるのに⋯⋯」
(⋯⋯ちがう?⋯⋯なにが、なにが違うの?)
ほんの少し、影ができたような気がした。
頬になにかが触れた。
チュ⋯⋯、と音を立てたことで、それが澪の唇だった事に気付いた。
(え⋯⋯ッ)
自覚した途端、胸の内から歓びが花開く。
(澪の方から、俺におやすみのキス⋯⋯!?)
いつもしつこいぐらいに自分がしていた。
澪は困ったように笑っているだけだったのに。
(信じて良いの?⋯⋯澪から俺、愛されているって⋯⋯)
キスひとつ、されどキスひとつ。
先程までの不安の沼から抜け出して、触れられた頬が熱を持つような。
頭の中がフワフワするほどの幸福の海に漂っていた。
でも――澪から出た次の言葉に、俺は思考が停止する。
「⋯⋯レンとナギに会いたい」
ぽそり⋯⋯、と呟いた言葉。
(なんで⋯⋯)
忘れられたような場所にあった集落。
そこにいた単一の男と、やたらと乱暴な女。
なんで今ここで⋯⋯その名前を
(夫婦の寝室で他の奴の名前を口にするなんて⋯⋯ッ!)
猛烈な独占欲に絡め取られそうになる。
レンという男を思い出す。
大柄で筋肉質でボサボサの髪に、まばらに生えた髭。
澪に容易く触れて、澪もそれを許していた。
二人が見つめ合って微笑んでいる様は、今も目に焼き付いている。
ナギという女も、なにかと澪にかまっていた。
日に焼けた小麦色の肌に、赤茶けた髪色。
俺に対して、横柄な物言いで、顎でこき使い、暴力まで振るわれた。
(心根は悪い奴らではないけど――)
悪い奴らじゃないからこそ、どちらも澪の“対象”になる可能性のある二人だった。
しかも、当の澪は二人を慕っていた。ものすごく。
(澪があの里で生きていくなら、俺もあの里で生きていくつもりだった。澪が俺じゃない伴侶を選んでも、俺は、澪の幸せだけを願うつもりだった)
でも、澪との幸福を知った今、誰にも譲る気なんて、これっぽっちもない。
澪が俺以外に、笑いかけて、甘えさせてくれて、肌も合わせるなんて。
どうにか二人と澪を再会させる機会を阻止する方法はないのか、と苛立ちながら考えていたら、いつの間にか、相当な時間が経っていたのか、部屋の中は真っ暗になっていた。
澪から規則正しい寝息が聞こえる。
夢でうなされていたのはいつだったか。
今は全くその気配もない。
(そういえば、初対面からだったような⋯⋯)
夜目が効いているので、澪の側まですり寄り、寝ているのを確認して、澪の華奢な身体に腕を回した。
(どこにも行かないでね――澪)
そう願いながら澪の項に鼻を寄せて眠りについた。
朝目覚めると、たしかに腕の中にいたはずの澪の姿がなかった。
慌てて起き上がり、周りを確かめる。
(うそ⋯⋯本当に出て行っちゃったの?)
澪の居場所なんてGPSで確認すればすぐ分かるのに、ショックを受けた俺は、そんなこと頭から飛んでしまっていた。
震えが走る身体を叱咤し、ベッドから降りると力の入らない足をなんとか前へと動かした。
部屋を出る。
玄関。靴箱を開けた。
靴は全部揃っていた。
踵を返し、リビングへと急いだ。
澪はいた。キッチンに立っている。
「み、みお⋯⋯っ!」
俺は焦りのまま澪に縋り付くように抱きついていた。
「わっ!あぶないよ⋯⋯!どうしたの?そんなに慌てて⋯⋯」
キッチンでめずらしくエプロン姿の澪に可愛いと思いつつ、ハッと我に返って、慌てて澪から離れた。
「ご、ごめん⋯⋯!」
「良いけど⋯⋯。どうしたの?怖い夢でも見たの?」
澪はこちらを向いて聞いてくれた。
穴開きのお玉には味噌がのっていた。
澪は、お味噌汁を作っている最中だった。
(もう、いっそ夢のせいにしてしまったら⋯⋯)
「⋯⋯そう、怖い夢見たんだ。みおが、⋯⋯澪がこの家を出ていく夢」
「え?出ていかないよ」
まさかの即答だった。――――だから、つい
「嘘!会いたいって言ってたじゃん!レンとナギに!」
「あいたい⋯⋯?れんとなぎ⋯⋯」と、呟きながら澪はハッ、となにかに思い当たるような表情になると、
「それ、きのうの⋯⋯!あ!も、もしかして、寝たふりしてたの!?」
問いただす澪の顔は、真っ赤。熟れたリンゴのよう。
(しまった⋯⋯!)
俺は慌てて口を開いた。
「ごめん!それについては謝る!それよりもレンとナギに会いたいってどういうこと!?⋯⋯俺が違うってなに!?伴侶として不足ってこと!?」
謝るつもりがうっかり、昨夜我慢していた分だけ決壊したダムのごとく、矢継ぎ早に問いただしてしまった。
「え!?ちが、ちがうよ!そういう意味で言ったんじゃなくて⋯⋯」
と、澪が発したところで『ご飯が炊けました』の合図が鳴った。
「とりあえず、起きたのなら御飯食べよう。歯まだ磨いてないでしょ?先に歯磨きしてきなよ」
エプロン姿でむぅ、と頬を膨らませた澪に言われた。
(可愛い⋯⋯。やっぱり、レンやナギには渡せない⋯⋯!)
俺は足早に洗面所に行くと、口臭も原因で嫌われないように丁寧に磨き上げた。
朝食は、いつもは俺が率先して作っているが、今日は珍しく澪が作った朝食!
昨日の晩御飯の残りと、浅漬、お味噌汁に炊きたてのご飯!
スマホで食卓を撮っていると、エプロンを外した澪から「なんで、撮ってるの?」と聞かれた。
「俺が死んだ時の遺影のため」と答えると「意味が分かんないよ」と言われた。
死後も飾りたいほど貴重だってこと⋯⋯!
「わぁ、玉子が入ってる!」
お味噌汁は玉子入り。具はシンプルにワカメと豆腐と油揚げだった。
割るとトロトロとした半熟で、口に含むと、いっぱいに黄身の味が広がった。
「美味しい⋯⋯。朝早くから御飯作ってくれてありがとう、澪」
嬉しさのまま、俺は笑顔で目の前の澪にそう言うと、久しぶりに澪と視線を交わした。
澪の、硝子玉のように大きな瞳が更に大きく見開いていた。
(あ⋯⋯余計なことだったかな⋯⋯)
不安になる。不安のまま澪の次の反応を待った。
澪は、俺を優しげな表情で見た後、
「大したものは作れてないけど、どういたしまして。律こそ、毎日御飯作ってくれてありがとう」
澪に微笑まれ、そう言われ、俺の心をフワリと満たす。
「俺は、けっこう自分が食べたいの作ってるし、それに澪が美味しそうに食べる姿が見たいからさ、俺も味噌汁の味、澪に習おっかな。俺のかつお出汁だし」
(あ⋯⋯意図せずダジャレに⋯⋯)
とりあえず、笑って誤魔化した。
「ううん。このお味噌汁の味は、俺が作るよ。⋯⋯俺だってひとつぐらいは律に美味しいって言ってもらいたいし」
澪はそう言うと、恥ずかしそうに手に持つお椀に視線を移して、誤魔化すようにお味噌汁に口を付けていた。
「みお⋯⋯」
横並びに座らなくて良かった。
口を付けるならお椀じゃなくて俺にして、と強引に唇を奪うとこだった。
「澪は、レンとナギに会いたいの?」
会わせたくないけど、と俺の心の声を添えて聞いてみた。
「うん⋯⋯、こうして律と過ごせるのもあの二人のお陰だしさ。律と二人だけなら俺、律から逃げてばかりだったと思う。あの二人のお陰で律の知らない一面が見れたし。俺、あそこで少し自信とか勇気が持てたんだ。それに律もあそこで⋯⋯なんていうか、少し変わったよね」
(俺の場合は、素が全部出ただけだけど)
「俺、律と出会った頃、悪い夢ばかり見てたんだ。それで律が怖くなっちゃって」
「え⋯⋯、あのうなされてたの、原因俺なの?」
(⋯⋯泣いてなかったっけ⋯⋯)
恐る恐る自分を指さしながら聞いてみた。
澪は逡巡しながら、「えと⋯、」と言うと話し始めた。
「律じゃないけど、律そっくりの人にいじめられる夢だよ」
気遣ってなのか遠回しに澪は言うけど、“律そっくり”の時点でそれってもう俺じゃん。
(俺がいじめ!?澪を!?)
「え!?しないよ!いじめなんて!澪をいじめるなんてそんなこと!⋯⋯それに、いじめなんて家訓に逆らうなんて、鉄拳制裁食らっちゃうよ!」
(あ、でもベッドの上では、少しいじめてる⋯⋯)と、思ったが敢えて無視した。
「⋯⋯かくん?」
澪が小首を傾げて尋ねてきた。可愛い。
「うちの家のルール。て、一族のルールみたいな?代々“虐めだけはダメだ!”っていう良く分からない教えが我が家にあるの。他にもあるんだけど。“その時は憂さ晴らしになるかもしれないが、絶対に後悔することになるからするな”、っていう⋯⋯なんか私情が入ってるから俺未だに両親のどちらかを疑ってるんだよね」
「そういえば、婚姻手続きは済ませたけど、戸籍ってどっちに入る?俺、澪の家の子になっても問題ないけど」
ペラペラ喋って気付いたら、澪の綺麗な目から涙が零れてた。
「え!?ど、どうしたの!?」
(また俺、余計なことを!?)
「あ⋯⋯、」
俺に聞かれて、澪は自分が涙を流していることに気付いたのか、慌てて零れる涙を拭って
「なんでもないよ」
と、だけ言った。
(なんでもないで泣くわけないじゃん⋯⋯)
俺の頭の中では、“泣かした事が原因で澪から捨てられる”という想像が、ドラマのように展開されて、最終的に澪は、里の集落にいるレンのもとへと再び訪れ、すっかり女性へと変貌した澪にレンが一目惚れ、澪も男らしいレンに絆され、そして二人は⋯⋯
「俺を捨てて、レンと一緒になるの!?」
気付いた時には叫んでた。
「な、なんでそうなるの?⋯⋯さっきまで戸籍の話、してなかった?」
澪は俺の妄想を知らないから、俺の突然の訴えに涙が引っ込んだようだった。
「あ⋯⋯そうだったね。あはは」
ダジャレに引き続き、俺は笑って誤魔化した。
「戸籍は追々決めよう。まだ提出期限まで余裕があるし」
澪の言葉を聞きながら、俺は次の質問。
“律は違う”という言葉の意味を探してた。
「ねぇ、澪、昨日言ってた俺が“違う”っていう意味も聞いて良い?」
「良いよ。でも、もう答えてるよ。夢の話だよ。俺、自分に言い聞かせてた。律は、夢の中の人とも違うって。あと、良く分からない質問だけど、俺はレンとは一緒にならないよ?伴侶は、律なんだし」
“伴侶は、律なんだし”⋯⋯
“伴侶は、律なんだし”⋯⋯
澪の言葉が俺の頭に木霊する。
(澪の伴侶は⋯⋯俺!!)
会話を録音しておけば良かった、と後悔した。
(だって、これって、もうプロポーズじゃん!)
プロポーズなんて、AIが決めた婚姻で聞かされるなんて思わなかった。
澪の作ったお味噌汁を口に含む。
少し冷めてしまったが、一口目より味わい深くて、なにより幸せの味がした。
(この味噌汁も、俺のために作ってくれたんだ⋯⋯)
澪にとっては、何気ない言葉だったかもしれない。
でも、不安で仕方なかった俺には、澪の言葉は福音だった。
「あ、でも、レンとナギには近い内に会いに行こっかな」
福音直後の死の言葉。
「なんで!?」
吹き出しそうになるお味噌汁を、一滴も溢さないよう、慎重に飲み下して、俺は澪に問いただす。
「え⋯⋯、単純に元気にしてるか気になるし。それに子供が出来てたら、受精卵が国の合格基準に達しているか、検査入院もあるじゃん。その後定期検診でしょ?妊娠初期は悪阻もあるだろうから、迷惑かけられないし。安定期に入ったら、遠出になったらお腹張っちゃったら大変だし。それに動きづらいし、産んでも赤ちゃんの荷物が嵩張るだろうから移動がもっと辛くなると思うんだよね。だから今の内に行こうかな。なんなら、明日にでも」
普段喋る倍以上かけて、澪は喋りだす。
「手土産に養鶏場の玉子と野菜の種なんてどうかな?レンもナギも喜ぶかな?」
満面の笑顔。
(俺は澪から手土産なんて貰ったこともないのに!)
「俺も二人にお土産用意しよっかな!手切れ金ていうお土産!」
鼻息荒くそう言うと、「なんでだよ!」と、澪からツッコまれた。




