電子の枷と雨の残像
ほっ、としたのと同時に、レンに見られたことでの恥ずかしさで、視界が揺れた。
濡れた手を拭き、眦を拭っていたところに、今度はナギが現れた。
「え!?ミオ大丈夫!?アイツに泣かされたの!?」
まずいところを見られてしまった。
「え、いや、あの、顔に水が跳ねて⋯⋯」
「そんな誤魔化し、ナギさんに通じるわけないでしょ。何されたか聞かないけど、今からアイツ、木にくくりつけてもらうから、ミオ!アンタ、気が済むまであいつに石を投げつけてやりなさい!」
「え!?」
ナギの提案に驚く。
(じょ、冗談?本気?どっち?)
「や⋯⋯あの、暴力は⋯⋯」
「何言ってんのよ!泣かされたんだから、二度と過ちを犯さないように痛みとともに記憶付けさせるのよ!怒ったら怖いってとこ分からせないと!図に乗る前にね!」
ナギの超理論に面食らう。
「で、でも暴力は良くないよ⋯⋯。暴力の仕返しが暴力に」
“なる”という前にナギから「暴力振るわれたの!?」
と、凄まじい剣幕で問われた。
「ち、違う。ごめ、言い間違え」
「襲われてた」
その言葉のする方をナギと共に向く。
「襲われ⋯⋯え?なに、レン、アイツやっぱり暴力振るってたわけ?」
ナギの問いかけに、
「いや、⋯⋯⋯⋯どちらかというと、痴情のもつれ」
「「痴情のもつれ!?」」
ナギと同時に、声に出た。
一気に顔が熱くなった。
(レンは、いつからいたの⋯⋯)
「⋯⋯アイツ、投石だけじゃ足りないわ。倒木にくくって、川に捨てましょ」
ナギが静かに言った。
「大体、『伴侶』を免罪符にするなっての!ミオ、あたしがボコボコに教育しておいてあげるから、川流しでも投石でも、アンタの気が晴れる方法でアイツにやり返すのよ!分かったわね!」
そこまで言って、ナギはなにかを思い出したかのように、レンを見た。
「⋯⋯て、アイツはどうしたのよ?なんでレンがいるのさ」
ナギの問いかけに、レンは、
「⋯⋯外の木に縛りつけてある」
と、答えた。
「ちょうどいいじゃない。手頃な石拾ってぶつけてやりましょ」
笑顔のナギ。
「じょ、⋯⋯冗談?冗談だよね?」
冗談だと思うが、念のため確認した。
「⋯⋯え?」
「⋯⋯え?」
(⋯⋯え?)
恐ろしいほどの文化の違いを肌で感じたところで、「血を見るのが苦手だ」と言ったら、律は、無傷の状態で長老の家に連れ帰ってもらうことになった。
ナギが「しばらく、大黒柱に縛りつけておこうかしら?」などと言っていたが。
レンは、長老の家に律を連れ帰ってから、ナギの家の修理をしてくるという。
一人になる不安が顔に出ていたのか、レンから
「多分、ナギがしばらく監視するし、アイツのことだから、本当に柱にくくるように俺に言うと思う。心配なら家の鍵をかけてても問題ないよ」
と、微笑むと頭をさらりと撫でて、レンはナギが待つ玄関口へと向かった。
レンの言いつけどおり家中の鍵を閉めると、あんなに騒がしかった家の中が、急に耳鳴りがするほど静かになった。
でも、何故だかほっ、とした。
野菜洗いを再開する。
今度は、虫が怖い葉物。
ゴム手袋を装着して、一枚一枚確認しながら洗う。
洗っている最中、先程の光景を不意に思い出した。
シャツの首根っこを掴まれて、驚いたような顔をしていた律。
首根っこを掴んだレンに引きずられていく姿。
夢の中の少年は、機嫌を損ねさせることが怖かったのに、同じ顔をした律は、レンとナギの前では形無しだった。
思わず、口から笑みがこぼれた。
(あんなに驚いた表情、律でもするんだ)
無表情のレンからシャツを掴まれ、驚いたように目を見開いた律の姿を再び思い出す。
前世と重ねていた律の、知らない側面だった。
朝食の片付けも、野菜も洗って、やることもない。
(そういえば⋯⋯)
麦わら帽子を被って外に出る。
(雑草抜いておくように言われたんだった)
畑に生えた、雑草だけ。
初日に教えられた雑草を抜いていく。
(草ってこんなにあっという間に生えるんだ)
雑草なんてレンとナギに出会うまで、抜いたことなんてなかった。
庭や道路の手入れは、“役目を終えた大人”たちの仕事。
子供は、学ぶこと。
成熟する年齢になれば、伴侶を見つけること。
適齢期になったら、生殖の義務に従うこと。
役目を終えたら、社会の歯車になること。
死を受け入れること。
(人の手でないと出来ない仕事以外は、義務を果たすことをなにより優先しなくてはいけない⋯⋯のが当たり前だけど)
子供たちの模範になるように、そんな大人になることをなによりも大事にされてきた。
(暴力で分からせる、なんて都会で言ったらびっくりされちゃうよ)
ナギの言動を思い出し、クスリ、と笑いが漏れた。
ふいに、ナギの言葉が蘇る。
『あんたのこの皮膚の下、ここにチップが入ってる。生体反応に、GPS。アンタがどこで、いつ、誰と、何をしたか、全部こいつが国に教えてる』
『国は定期的にチップを体内に戻す埋め直し作業をしてる。それさえサボれば可能って話』
(律がここに辿り着いたのも、このGPSの軌跡を辿ってきたのかな)
そっ、と手首に触れた。
でも、思い浮かぶのは雨の中。
傘を差し、去り際に振り向いた律の、自分を見つめる淋しげな表情だった。




