十一
崩落がおさまってしばらくたっているにもかかわらず、現場にはまだ濛々と砂ぼこりがたちこめていた。
「突然崩れまして……」
病みあがりのこととて息を切らしながら春明が到着したとき、子怜と阮之は兵の一人から報告を受けているところだった。
なんでも、焼き固めた煉瓦を積んだ壁が突然崩れ、不運にもその場にいた何人かが瓦礫の下敷きになったのだという。
「巻きこまれたやつらは全員ひっぱりだしましたが、そいつらも腕やら足やら折れちまって……」
暗い顔でぼそぼそと語るその兵も、頭に血のにじんだ布を巻いている。あたりには血と汗のまざりあった匂いがたちこめ、怪我人のうめき声がそこかしこから聞こえてくる。
ひととおりの報告をうけると、子怜は瓦礫の撤去を指示している長身の青年に声をかけた。
「奎厦」
ふりむいた城輔は、あからさまに顔をしかめた。
「大変だったね。でも、とりあえず死人は出ていないようでなによりだ。きみも怪我は……」
「帰ってくれ」
ぴしゃりと奎厦は子怜の声をさえぎった。
「見てのとおり、おれは忙しい。あんたの相手をしている暇はない」
げ、と春明は声にならない悲鳴をあげた。いまの言葉、いまの口調、これが斉の官界における一般的な上官への接し方なのだろうか。おそらく、いや、絶対にちがう。
だが子怜はまるで気にしたふうもなく、ひらひらと手をふった。
「ぼくのことならおかまいなく。適当に調べさせてもらうから」
「報告なら、ここの片づけが終わった後でまとめて届ける」
「いらないし、もらっても読まない」
ぴしり、と二人の間にひびが入ったような音が聞こえたのは、おそらく春明だけではあるまい。周囲の兵たちも、仲間と不安げな視線を交わし合う。
「奎厦どの」
不穏な気配を漂わせる二人の間に、阮之が割って入る。
「まずは怪我人の手当てを優先すべきかと」
「ああ……そうだな」
冷静な指摘に奎厦は怒気をおさめた。
「怪我人をむこうに寝かせてあるから見てやってくれないか。いま荷車を呼んでいる。車がきたら動けない者をまとめて運ぶ」
「承知しました」
阮之は怪我人が寝かされた一隅へ急ぎ、子怜はやや勢いがそがれた体で肩をすくめると、くるりと踵をかえした。
「おい、どこへ行く」
返事のかわりに子怜は片手をあげ、あたりを歩き回りはじめた。時折しゃがみこんでは崩れた煉瓦のかけらを手にとっている。
勝手にしろと言いたげに舌打ちをもらした奎厦は、そこで春明に目をとめた。
「なんだ、おまえは」
険しい眼差しに、春明はひるんだ。このひとに会ったらまず礼を言おうと、そう決めていたのに、いざ本人を目の前にすると声が出てこない。
「邪魔だ。とっとと帰れ」
この言葉、おそらくは子怜にこそ浴びせたかったのだろう。とんだとばっちりだと主人を恨みながら、勇気をふりしぼって口を開きかけたときだった。
「やつらのしわざだ」
風に乗って密やかな声が聞こえてきた。
「まさか、いくらなんでも……」
「いや、まちがいないね」
すこし離れたところで数名の兵がかたまって、何やら熱心に話しこんでいた。本人たちはささやき声のつもりだったのだろうが、話しているうちに興奮してきたのか、その声は次第に大きくなり、熱をおびる。
「──だから、これも楼西の呪いだって!」
楼西の呪い。その言葉がはこばれてきたとたん、奎厦の眉がはねあがった。
「おい」
不意に割って入った低い声に、男たちはぎくりと肩を震わせる。そこへ奎厦は歩みよった。
「くだらんことを話している暇があるなら、さっさと手を動かせ」
叱責された兵たちは気まずそうに互いの顔を見合わせたが、しかし誰もその場から動こうとしなかった。
「おまえたち……」
奎厦が声を荒げかけたとき、いちばん背の低い兵がきっと顔をあげた。春明とそう年は変わらないだろう。そばかすがいっぱいに散った顔は、興奮と、そしておそらく怒りのために紅潮していた。
「まだ、やるんですか」
「なんだと」
「……おい、刀児」
仲間が袖をひっぱったが、刀児と呼ばれた少年兵は奎厦の顔を見上げてきっぱりと言った。
「おれはもう嫌です。こんなことやってられない」
「命令を拒むと? おまえ、死にたいのか」
「このままじゃどのみち死にますよ」
挑戦的に言い返されても、奎厦はまだ冷静さをたもっていた。
「こういった作業に事故はつきものだ。だから注意しろと日頃から……」
「おれたちのせいだって言いたいんですか!」
刀児は叫んだ。いまや仲間の兵たちだけでなく、現場にいる全員が手をとめ、固唾を呑んでふたりの様子をうかがっている。
「おれの……おれたちのせいで事故が起こったんじゃない。あなただってわかっているでしょう。これがただの事故じゃないってことくらい。これは呪いだ! 楼西の亡霊のせいに決まっている!」
──とうとう言った。
その場にいた全員の顔に、そう書いてあるようだった。おそらく誰もがひそかに胸のうちに抱えていながら、口に出せなかったこと。それをこの少年が白日のもとにさらしたのだ。
息が詰まるような沈黙の中、刀児の声だけが響きわたる。
「やつらが邪魔してるんですよ。だって、やつらにしてみれば、城壁が崩れていたほうが都合がいいでしょうが。だから何度やっても積んだそばから崩れて……」
「黙れ」
殺気をはらんだ奎厦の低い声に、刀児はさすがにひるんだように口をつぐむ。
「それ以上ひと言でもしゃべってみろ。懲罰房送りではすまんぞ」
「……あんたが」
刀児はきっと奎厦をにらみつけた。
「あんたがそんなだから! だから洪のやつもおかしくなったんだ。わかってんのか? 全部あんたが悪いんだよ!」
「貴様……!」
奎厦がさっと右腕をふりあげた、その瞬間だった。
ガシャンッ! と、何かが砕ける音がした。
「あー……ごめん」
つづいて、どこか間の抜けた声が。
瓦礫のそばで、華奢な青年が情けなさそうに両手をひろげていた。その足もとには、たったいま落として割ったのであろう、粉々になった煉瓦のかけらが散らばっている。
「……この」
まっさきに我に返った奎厦は、子怜のもとへ歩みよると、頭ごなしに怒鳴りつけた。
「馬鹿が! 玩具じゃないんだ。足の上にでも落としてみろ。へたすれば骨がくだけて一生足をひきずることになるんだぞ!」
「だからごめんって」
悪びれない様子の子怜に、奎厦は疲れた顔でため息をついた。
「もういいから、あんたは帰ってくれ」
「はいはい。でも、皆も一緒に帰ろう。そろそろ日も暮れる。ほら、ちょうど車もきたことだし」
子怜の言うとおり、怪我人を運ぶための荷車がようやく到着したところだった。奎厦はいまいましそうに子怜をにらみつけると、その場を離れて撤収の指示を下しはじめた。
張りつめていた空気がゆるみ、ぎくしゃくと兵が動きだす。刀児という名の少年はまだ何か言いたげだったが、年配の兵に頭を小突かれて、しぶしぶ仲間のもとへもどっていった。
「……子怜さま」
春明がおずおずと声をかけると、子怜は「あれ」と瞬きをした。
「春明、いつからいたの」
「最初からいましたよ。さっきの、わざとですか」
質問ではなく確認の意味をこめて春明はたずねた。あのとき、誰かが止めていなかったら、おそらく激昂した奎厦はあの少年に手をあげていたことだろう。そして仲間が殴られるさまを目にした他の兵は、城輔への反感を募らせたはずだ。
「どうかな」
肯定とも否定ともつきかねる笑みを浮かべ、子怜は足もとに散らばる煉瓦のかけらをつかみとった。
細い指のすきまから砂がこぼれ、風に吹かれてどこかへ消えていった。




