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沙州関異聞  作者: いろは
第二章
12/42

十一

 崩落がおさまってしばらくたっているにもかかわらず、現場にはまだ濛々と砂ぼこりがたちこめていた。


「突然崩れまして……」


 病みあがりのこととて息を切らしながら春明が到着したとき、子怜と阮之は兵の一人から報告を受けているところだった。

 なんでも、焼き固めた煉瓦を積んだ壁が突然崩れ、不運にもその場にいた何人かが瓦礫の下敷きになったのだという。


「巻きこまれたやつらは全員ひっぱりだしましたが、そいつらも腕やら足やら折れちまって……」


 暗い顔でぼそぼそと語るその兵も、頭に血のにじんだ布を巻いている。あたりには血と汗のまざりあった匂いがたちこめ、怪我人のうめき声がそこかしこから聞こえてくる。


 ひととおりの報告をうけると、子怜は瓦礫の撤去を指示している長身の青年に声をかけた。


「奎厦」


 ふりむいた城輔は、あからさまに顔をしかめた。


「大変だったね。でも、とりあえず死人は出ていないようでなによりだ。きみも怪我は……」

「帰ってくれ」


 ぴしゃりと奎厦は子怜の声をさえぎった。


「見てのとおり、おれは忙しい。あんたの相手をしている暇はない」


 げ、と春明は声にならない悲鳴をあげた。いまの言葉、いまの口調、これが斉の官界における一般的な上官への接し方なのだろうか。おそらく、いや、絶対にちがう。


 だが子怜はまるで気にしたふうもなく、ひらひらと手をふった。


「ぼくのことならおかまいなく。適当に調べさせてもらうから」

「報告なら、ここの片づけが終わった後でまとめて届ける」

「いらないし、もらっても読まない」


 ぴしり、と二人の間にひびが入ったような音が聞こえたのは、おそらく春明だけではあるまい。周囲の兵たちも、仲間と不安げな視線を交わし合う。


「奎厦どの」


 不穏な気配を漂わせる二人の間に、阮之が割って入る。


「まずは怪我人の手当てを優先すべきかと」

「ああ……そうだな」


 冷静な指摘に奎厦は怒気をおさめた。


「怪我人をむこうに寝かせてあるから見てやってくれないか。いま荷車を呼んでいる。車がきたら動けない者をまとめて運ぶ」

「承知しました」


 阮之は怪我人が寝かされた一隅へ急ぎ、子怜はやや勢いがそがれた体で肩をすくめると、くるりと踵をかえした。


「おい、どこへ行く」


 返事のかわりに子怜は片手をあげ、あたりを歩き回りはじめた。時折しゃがみこんでは崩れた煉瓦のかけらを手にとっている。


 勝手にしろと言いたげに舌打ちをもらした奎厦は、そこで春明に目をとめた。


「なんだ、おまえは」


 険しい眼差しに、春明はひるんだ。このひとに会ったらまず礼を言おうと、そう決めていたのに、いざ本人を目の前にすると声が出てこない。


「邪魔だ。とっとと帰れ」


 この言葉、おそらくは子怜にこそ浴びせたかったのだろう。とんだとばっちりだと主人を恨みながら、勇気をふりしぼって口を開きかけたときだった。


「やつらのしわざだ」


 風に乗って密やかな声が聞こえてきた。


「まさか、いくらなんでも……」

「いや、まちがいないね」


 すこし離れたところで数名の兵がかたまって、何やら熱心に話しこんでいた。本人たちはささやき声のつもりだったのだろうが、話しているうちに興奮してきたのか、その声は次第に大きくなり、熱をおびる。


「──だから、これも楼西の呪いだって!」


 楼西の呪い。その言葉がはこばれてきたとたん、奎厦の眉がはねあがった。


「おい」


 不意に割って入った低い声に、男たちはぎくりと肩を震わせる。そこへ奎厦は歩みよった。


「くだらんことを話している暇があるなら、さっさと手を動かせ」


 叱責された兵たちは気まずそうに互いの顔を見合わせたが、しかし誰もその場から動こうとしなかった。


「おまえたち……」


 奎厦が声を荒げかけたとき、いちばん背の低い兵がきっと顔をあげた。春明とそう年は変わらないだろう。そばかすがいっぱいに散った顔は、興奮と、そしておそらく怒りのために紅潮していた。


「まだ、やるんですか」

「なんだと」

「……おい、刀児とうじ


 仲間が袖をひっぱったが、刀児と呼ばれた少年兵は奎厦の顔を見上げてきっぱりと言った。


「おれはもう嫌です。こんなことやってられない」

「命令を拒むと? おまえ、死にたいのか」

「このままじゃどのみち死にますよ」


 挑戦的に言い返されても、奎厦はまだ冷静さをたもっていた。


「こういった作業に事故はつきものだ。だから注意しろと日頃から……」

「おれたちのせいだって言いたいんですか!」


 刀児は叫んだ。いまや仲間の兵たちだけでなく、現場にいる全員が手をとめ、固唾を呑んでふたりの様子をうかがっている。


「おれの……おれたちのせいで事故が起こったんじゃない。あなただってわかっているでしょう。これがただの事故じゃないってことくらい。これは呪いだ! 楼西の亡霊のせいに決まっている!」


 ──とうとう言った。


 その場にいた全員の顔に、そう書いてあるようだった。おそらく誰もがひそかに胸のうちに抱えていながら、口に出せなかったこと。それをこの少年が白日のもとにさらしたのだ。


 息が詰まるような沈黙の中、刀児の声だけが響きわたる。


「やつらが邪魔してるんですよ。だって、やつらにしてみれば、城壁が崩れていたほうが都合がいいでしょうが。だから何度やっても積んだそばから崩れて……」

「黙れ」


 殺気をはらんだ奎厦の低い声に、刀児はさすがにひるんだように口をつぐむ。


「それ以上ひと言でもしゃべってみろ。懲罰房送りではすまんぞ」

「……あんたが」


 刀児はきっと奎厦をにらみつけた。


「あんたがそんなだから! だからこうのやつもおかしくなったんだ。わかってんのか? 全部あんたが悪いんだよ!」 

「貴様……!」


 奎厦がさっと右腕をふりあげた、その瞬間だった。


 ガシャンッ! と、何かが砕ける音がした。


「あー……ごめん」


 つづいて、どこか間の抜けた声が。


 瓦礫のそばで、華奢な青年が情けなさそうに両手をひろげていた。その足もとには、たったいま落として割ったのであろう、粉々になった煉瓦のかけらが散らばっている。


「……この」


 まっさきに我に返った奎厦は、子怜のもとへ歩みよると、頭ごなしに怒鳴りつけた。


「馬鹿が! 玩具じゃないんだ。足の上にでも落としてみろ。へたすれば骨がくだけて一生足をひきずることになるんだぞ!」

「だからごめんって」


 悪びれない様子の子怜に、奎厦は疲れた顔でため息をついた。


「もういいから、あんたは帰ってくれ」

「はいはい。でも、皆も一緒に帰ろう。そろそろ日も暮れる。ほら、ちょうど車もきたことだし」


 子怜の言うとおり、怪我人を運ぶための荷車がようやく到着したところだった。奎厦はいまいましそうに子怜をにらみつけると、その場を離れて撤収の指示を下しはじめた。


 張りつめていた空気がゆるみ、ぎくしゃくと兵が動きだす。刀児という名の少年はまだ何か言いたげだったが、年配の兵に頭を小突かれて、しぶしぶ仲間のもとへもどっていった。


「……子怜さま」


 春明がおずおずと声をかけると、子怜は「あれ」と瞬きをした。


「春明、いつからいたの」

「最初からいましたよ。さっきの、わざとですか」


 質問ではなく確認の意味をこめて春明はたずねた。あのとき、誰かが止めていなかったら、おそらく激昂した奎厦はあの少年に手をあげていたことだろう。そして仲間が殴られるさまを目にした他の兵は、城輔への反感を募らせたはずだ。


「どうかな」


 肯定とも否定ともつきかねる笑みを浮かべ、子怜は足もとに散らばる煉瓦のかけらをつかみとった。


 細い指のすきまから砂がこぼれ、風に吹かれてどこかへ消えていった。




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