十
「子怜さまや阮之どのは、夢を見ないのですか」
ふと思いついて春明はふたりに尋ねた。
「もちろん見ますよ」
阮之がゆったりと微笑む。
「ですが、幸いにも、と言うべきですかね。わたしは夢の内容をあまり覚えていないのですよ。目がさめて、ああ嫌な夢を見たと思う程度で」
「ぼくも似たようなものかな。もともと眠りも浅いほうだし」
「いいですね、おふたりとも」
春明は心底ふたりを羨んだ。眠りが深い自分の性質が、このときばかりは恨めしい。
「ひとによって差がありまして。ひどい者は春明どののように細部まではっきり覚えているようですが……」
そこで阮之はしげしげと春明の顔をのぞきこんだ。
「春明どのは大丈夫のようですね」
「大丈夫? どこがです」
とがった声をあげてしまった春明に、阮之は「すみません」となだめるような笑みを向ける。
「以前、人が死にまして」
物騒な台詞に春明はぎょっとした。子怜は平然としているところを見るに、すでに承知の話なのだろう。
「皆が悪夢を見ると騒ぎはじめたばかりの頃でしたね。ある晩、夢にうなされていた兵の一人が眠ったまま死んでしまったのですよ。死因は不明です。外傷はなく、持病があったわけでもありません。何もわからぬまま埋葬をすませましたが、それ以来ある噂が広まりまして」
阮之はわずかに声をひそめた。
「あれは楼西の兵に殺されたのだと」
春明の脳裏に、初日に出会った脱走兵の顔が浮かんだ。殺される。震えながらそう訴えていた男の顔が。
「殺されるのは、夢の中だけでしょう」
「そのとおりです。ですが春明どのは、こんな話を聞いたことはありませんか。戦では、しばしば軽傷で命を落とす兵がいるのだそうです。たとえば、腕に矢を受けただけで絶命する者もいるとか。命を落とすほどの傷ではなかったのに、矢を受けたという衝撃があまりに強く、おそらくここが」
阮之は自分の頭を指さした。
「死んだ、と判断してしまった。体はそれに従い、動くことをやめたというわけです」
「ちょっと待ってください。だって夢ですよ? 夢の中で殺されて、死んだと思いこんで、たったそれだけで本当に死んでしまうのですか。そんな簡単に……」
「簡単だよ」
口をはさんだのは子怜だった。
「簡単に人は死ぬんだ」
とらえどころのない表情は一瞬で、すぐに子怜はにこりと笑った。
「春明は気をつけてね。夢は、所詮夢だ。要は慣れだよ。殺されなきゃ目がさめないなら、へたに抵抗しないでさっさとやられちゃえばいいのさ。で、また寝ればいい」
「本当に簡単におっしゃいますね」
春明はため息をついた。繊細な人形のような顔をしているくせに、その下に詰まっているのは荒縄や石くれの類いらしい。まあ、人形のつくりなんてだいたいそんなものだが。
「不安にさせてしまいましたね」
阮之がとりなすように言う。
「先ほどの話は、あくまでわたしの想像です。なに、そうめったなことにはなりませんよ。奎厦どのも気をつけてくださってますから」
「奎厦さまが?」
「ええ。例の一件以来、奎厦どのは毎晩かかさず城内の見回りをされているのです。うなされようが酷い兵がいたら、すぐに起こしてやれるよう」
その見回りのおかげで、春明も助かったというわけだ。あの晩、奎厦が通りかかってくれなかったら、自分はあの兵の手にかかって命を落としていたことだろう。冗談ではなく、本当に幽鬼になっていたかもしれない。
「奎厦さまは、どちらに」
あの後、春明はすぐに気を失ってしまい、それから奎厦には会っていない。おかげで命の恩人に礼も言えていないのだ。
「城外に出ておられますよ。東の城壁の一部が崩れていましてね。その補修を指揮していらっしゃいます」
「よくやるよ」
あきれたように子怜が鼻を鳴らす。
「幽鬼みたいな兵たちを引きずって作業をさせたって、ろくに進みやしないだろうに」
「そうおっしゃる子怜さまは、何をなさっているんです」
非難がましい目を向けられた子怜は、けろりとして手にしていたものを春明にさしだす。
「春明もやってみる?」
それは手の中にすっぽりおさまるほどの、素朴な木の笛だった。
「ぼくが暇にしているのを見かねて、阮之どのが作ってくれたんだよ。なかなかいい出来だろう」
「暇……なんですか」
「そんな目で見ないでよ。だって奎厦が来るなって言うんだもの。にわか城主にうろうろされても邪魔なだけだから、引っこんでろって」
「あの、ご城主、奎厦どのはそうはおっしゃってはいなかったと……」
「言葉は丁寧だったけど、つまりはそういうことだろう」
「はあ、まあ」
阮之も完全には否定できないらしく、苦笑いを浮かべている。
「どうやらあの男はぼくが、というより、城主というものがとことん嫌いらしい。まあ、無理もないけどね。なにせ沙州関の再建がはじまってから三人も立てつづけに城主が逃げ出しちゃあ……」
「三人!?」
春明は思わず大声をあげた。
「半年で三人ですか」
「そ。ぼくで四人目だよ。前任者たちはそろいもそろって、この城に巣食う楼西の亡霊とやらに恐れをなして逃げ出したってわけさ」
そうなのですよ、と阮之がうなずく。
「最初の方はひと月ももちませんでしたね。次の方はもう少し長くいらっしゃいましたが、その分いろいろと面倒なことをしでかしてくださいました。方々からあやしげな道士やら呪い師やらを呼びよせて、連日呪いをはらう儀式とやらに興じておりましたっけ」
もちろん効き目などあろうはずもなく、そのくせ代金だけはしっかりぶんどっていったのだという。
「その次は三日だっけ? 次から次へとろくでもない上官をよこされて、あの城輔もすっかり腐っちゃったみたいだよ。それは同情するけど、だからといってぼくに八つ当たりされてもねえ」
「ご城主、お気持ちはわかりますが、しばらくは大目に見ていただけませんか」
苦笑を浮かべた阮之がやんわりと割って入る。
「城主不在のなか、奎厦どのはお一人でこの城を支えていらっしゃったのですから。あのお若さで、なかなかできることではありません」
「若いって、彼いくつ?」
「たしか二十二におなりですよ」
「へえ、意外と若いんだ。もうちょっといってるのかと思った。その年で城輔なんて、ずいぶんと過ぎた地位じゃないか」
あなたが言うか、と春明はあきれた。おそらく阮之も同じ気持ちだったのだろうが、そんな思いは露も表に出さず、「少々事情がございまして」と、つつましく答える。
「奎厦どのは、正式な城輔ではありません。代理でいらっしゃいます」
半年前に沙州関の再建が決定した際、城主の補佐役である城輔は、この地の事情にあかるい土豪から選出されることになった。有力者の合議の末に選ばれたのが、慶州でも指折りの名家である崔家であったという。
「はじめは崔家のご当主が任につくことになっていたのですが、赴任の直前に急な病にお倒れになりまして。その代理として、当主の甥御である奎厦どのが派遣されたというわけです」
「病ね……」
子怜が皮肉っぽく唇をゆがめたときだった。
ずん、と重い衝撃が地を走った。
「わっ……」
不気味な地響きが起こり、城全体が小刻みに震えた。思わずその場にしゃがみこんだ春明の横で、子怜は阮之をふり仰ぐ。
「いまの、こっちからだった?」
子怜が指差したのは東の方角。阮之が青い顔でうなずいた。
「城壁の……」
東の城壁。そこでは補修工事が行われているはずだ。
「行こう」
駆けだした子怜の後を、阮之が無言で続く。
「ええっ、ちょっと子怜さま! 阮之どのも……」
あっという間に小さくなる二人の背中を、春明はあわてて追いかけた。




