051 出会い②【ジュナイ】
そういう遣り取りがあった後も、俺とエイデンさんは変わらず…
いや、なお一層ラブラブで暮らしていた。
「リュウ、出掛けるのか?」
二階の窓をカリカリと引っ掻くリュウに、エイデンさんが優しく尋ねる。
リュウは「にゃあ」と鳴いて、エイデンさんが開けた窓からするりと出て行った。
猫の友達がたくさん出来たらしく、この頃のリュウはよく外に出るようになった。
それでも飯は必ず家で食うし、家にいる時は今までと同じように
俺にもエイデンさんにも変わらず甘えてくるので、特に心配はしていない。
猫の年齢ってのはよく分からないが、獣医が人間でいうと高校生くらいだと言っていた。
確かにそれくらいの歳なら、親きょうだいより友達とつるんでいた方が楽しいだろうな。
グラディウスの一件でも大いに活躍した事で分かるように、
リュウはそこらの人間よりも賢くメンタルも強い。
今や守るべき存在というよりは、頼れる同居人と言った方が正しい。
なんせ俺にとっては命の恩人…恩猫だからな。
そういや、俺とエイデンさんを結びつけてくれたのもリュウだった。
出会いもそうだし、もし最初からエイデンさんと俺の二人きりだったら、
親しくなるのにもっと時間が掛かっただろう。
これから話す、ある事件の発端を運び込んだのも…
そして、俺達と新しい家族を結びつけたのも、やっぱりリュウだった。
***
その日も定時きっかりに仕事が終わり、俺は駅から遺物横丁までの
道のりを歩きながら、夕飯のメニューを考えていた。
駅から家まで一番近いルートで五分。
だが、そっちの道は狭いくせに馬車の往来が多く、景色がつまらないので
急いでいる時以外は通らない。ちょっと迂回する第二ルートは十分強ほど。
舗道が広々としていて、街路樹の緑が目を楽しませてくれる。
不意に背後から「にゃあ」と聞きなれた鳴き声が響く。
「お、なんだリュウ。お前も帰りかぁ?」
舗道の上にちょこんと座るリュウは、再び「にゃあ」と鳴いた。
軽く頭を撫でてやると、リュウはとっとこ歩き出した。家とは逆の方向だ。
「晩飯までには帰って来いよ」
遊びに行くんだろうと放って歩き出すが、また鳴き声がする。
振り向くと、リュウがこちらをじっと見ている。
その青い眼は「ついて来て」と言っているように見えた。
さっきも話したとおり、こいつは並の猫じゃない。
何事かあったんだろうと察した俺は、リュウの後ろをついて歩く事にした。
そうして三分くらい歩くと、近所の児童公園に着いた。
ここいらは少し行った先の高台に住宅街があり、ファミリー層が多く住んでいる
せいか、こういう児童公園は多い。しかし、ここはその中でも不人気な部類だった。
日当たりが悪いからか、貧相な花壇に錆びたブランコにすべり台。
古びたあずまやには流民避けの間仕切りの入った、古びたベンチが二つ。
そのうちの一つにちんまりと座る、小さな人影が見えた。
男の子だ。年の頃は四~五歳と行ったところか。かなり体が小さい。
ざんばら髪に痩せこけた体。垢じみた服。
胸に分厚い本をしっかりと抱えている。
(子供の流民か?)
だったら珍しいなぁと、ついまじまじと眺めていると俯いていた子供は
ようやく俺の存在に気付いたらしく、怯えたようにそそくさと立ち去ろうとした。
しかし、すぐに足元をふらつかせて、ベタンと地面に転んでしまった。
抱えていた本が地面に転がる。俺はそれをすかさず手に取って「おや」と思った。
『悲しきコーデュアルに捧ぐ ラルフ・ロックハンド』
北国に引っ込んだ不良作家「ラルフ先生」の本だったからだ。
もう五~六年前になるのか?グラディウスの持ち物である屋敷の一室で
ラルフ先生、俺、レオ・イーサン・フレデリックのメンツで
共同生活しながら書き上げた本で、俺としても結構思い入れがある。
「へぇ~!いい本持ってるね」
「……」
思わずそう口に出すと、子供は驚いたように顔を上げ、痩せた頬をぽっと赤くした。
その様子は随分と可愛かったが、同時に不健康そうな肌の色とガリガリに痩せた
体つきが気になった。子供は転んだ拍子に膝をすりむいていたが、
俺から本を取り返そうともせず、やはり怯えた様子で逃げようとした。
俺は考えるよりも先に、その枯れ枝のように細い腕を掴んでいた。
「膝、擦り剥いてるぞ」
「……」
子供はきょろきょろと忙しなく目玉を動かしている。
かさかさに乾いた、色の悪い唇が震えている。
「うち、来いよ。手当てしてやる」
「……」
「傷口に痛~い消毒液を塗るだけだ。他に何もしないよ」
「……」
なんてジョークを飛ばしてみても、子供はうつむいたままピクリとも笑わない。
ちょっとガキ相手には冗談が過ぎたか。リュウがにゃあと鳴くと、子供は小さく
「猫さん…」と言った。ははあ、とようやく俺は合点がいった。
「こいつと友達か?」
「……はい」
ようやく子供は口を利いた。消え入りそうな声だ。
「俺はこいつの同居人で、ジュナイってんだ。怪しいモンじゃないよ」
「……」
「こんなケガだって、膿みでもしたらコトだ。手当てしてやるよ」
「……」
「うちは歩いてすぐそこなんだ。…いいな?」
こくり。子供が無言で頷くのを見て、俺はなんでかホッとした。
そうと決まればさっさと帰宅だ。
よろよろ歩くガキの足に合わせていたら、夕飯を食う頃には日付が変わっちまう。
俺は小麦粉袋を担ぐように、その子供を脇に抱えて歩き出した。
子供は抵抗するでもなく、うんともすんとも言わない。
俺はあまりに軽い子供の体と、掌に伝わる骨っぽい感触に不快感を覚えながらも、
極力それを顔に出さないようにして、リュウの先導で帰路を急いだ。
***
「…どうしたんだ?」
おかえり、と言いかけたエイデンさんが、驚いた様子で俺と子供とリュウを見た。
「お客さん。ちょっと膝を擦り剥いてさ」
「そうか。救急箱を取ってくる」
「ああ、頼む。それに濡らしたタオルも」
「分かった」
子供をレジ前の椅子に座らせると、改めて膝の傷を見る。
擦り剥いた範囲は広くないが、少々深く肉を抉っている。
かなり痛いはずだが、子供は涙ひとつ見せない。ぼんやりと自分の膝を眺めている。
ほどなく、救急箱と濡れタオルをいくつか手にしたエイデンさんが戻って来た。
「俺が手当てしよう」
「うん。お願い」
「…ちょっと染みるが、我慢してくれ」
「……」
エイデンさんは濡れタオルで子供の膝を拭き清めると、
消毒し、化膿止めを塗り、ガーゼを当ててテープで留め…
てきぱきと流れるように手際よく手当てをした。
これも前職で身につけたスキルに違いない。
子供はその間、人形のように固まって俯いていた。
レリックハートに遊びに寄る騒々しいガキ共の態度を思えば、
その様子が尋常ではないことくらい、どんな馬鹿でも分かるだろう。
きゅうう。
可愛い声で腹の虫が鳴いた。子供が真っ青な顔をして、薄い腹を押さえている。
エイデンさんは子供に目線を合わせると、優しく話しかけた。
「お名前は?」
「……リアム…」
「そうか…。リアムくんは、お芋は好き?」
「……」
「今日はたまたま、ふかした甘芋がたくさんあるんだ。
食べるの、手伝ってくれないか?」
「……」
再びこくりと子供が頷くのを見て、エイデンさんは店の奥の引き戸を開けた。
一段上がったその奥はタタミ敷きの居間で、俺達が飯を食ったり
だらだら魔石板を観てくつろいでいる部屋だ。
「アマイモ買ったの?」
「ああ、八百屋さんがひと箱安く分けてくれてな」
「おっ。儲けたね」
「なかなか良い芋だぞ。ジュナイ、皿出してくれないか」
「おう。塩とバターも出すな」
エイデンさんは器用な人だが、なぜか料理だけはまるで出来ない。
する習慣が無いと言った方が正しいのか…。けれどさすがに目玉焼きや
芋をふかすくらいの事はできるので、今日みたいにおやつを用意してくれる事はある。
丸いローテーブル上に、大きなざるに盛られた
ふかしイモがどんと置かれる。
子供はイモの山からほかほかと立ち上る湯気を、
世にも珍しいものでも見るかのように目をまん丸くしている。
俺も靴を脱いで居間に上がると、上着をハンガーに掛けて
三人分の皿とコップを用意した。リュウのためのエサ皿も畳の上に置いた。
獣医に聞いたんだが、意外にも猫にイモ類を食わせても害はないらしい。
食糧庫から牛乳瓶を取り出し、コップに注ぐ。
「牛乳飲めるか?アレルギーは?」
「のめます…ないです」
子供は年齢の割に、随分きちんと答える。
台所から戻ったエイデンさんが定位置についた。
「じゃあ食べようか」
「うん。いただきます」
「いただきます」
俺とエイデンさんが手を合わせると、子供はそれにならって手を合わせ
「いただきます」と消え入りそうな声で言った。
イモを手に取って二つに割ると、鮮やかな紫色の皮の下からねっとりと
甘そうな金色の身が現れた。
熱いうちにバターをのせて、塩を軽く振ってぱくり。
あ~美味い。これが不味い訳ないんだよなぁ。
「まだちょっと熱いな。貸してごらん」
「…はい」
ふかしたてのイモは、子供にはちょっとばかり熱く食べにくかったらしい。
エイデンさんは子供の皿とそれに乗ったイモを持って台所に行き、すぐ戻ってきた。
見ると、子供の口にあわせた大きさに切り分けられた湯気のたつイモに、
とろりとバターがかけてあった。
「熱いから、慌てず食べるといい」
「…はい」
「フォーク使えるかな?」
「はい…ありがとうございます…」
エイデンさんから差し出されたフォークを手にすると、
子供は恐る恐るといった風情で、小さなサイコロ状のイモを口に入れた。
痩せて青ざめた顔に、ぱっと花が咲いたように血の気が戻る。
「……~~~~!!」
子供が何を口走ったのか、よく聞き取れなかったが、それ以降子供は
取り憑かれたようにがつがつと皿の上のものをたいらげた。
「お~!!いい食いっぷりだなぁ!!」
「まだ沢山あるから、どんどん食べてくれ」
「次は手づかみで食えよ。これ熱くないぜ?」
「リュウも食べやすくしてやろうな」
エイデンさんはリュウの食べやすいように、イモをフォークで皮ごと潰してやっている。
…本当にマメな人だ。俺は相変わらずがつがつとイモを食べる子供を見守った。
たまに喉につかえそうになってるのに、口に詰め込むのをやめようとしない。
飽食と言われるこのシナノワで、まるで食事したのが何ヶ月も前だと言わんばかりだ。
窒息されちゃ面倒なので、その度に牛乳を飲ませて喉に詰まらせないよう注意した。
そんなこんなで、ザルいっぱいに盛られたふかしイモは、半時間ほどで消えた。
俺もエイデンさんも結構食ったが、ほとんどが子供の胃袋に収まった。
えぐれたようだった薄い腹の皮が、今は風船のようにぱんぱんに張っている。
どこからともなく、遺物横丁の夕方五時を報せる鐘が響いた。
「あれ、今日はガキ共来なかったのか?」
「火・水・木は塾なんだそうだ」
「ふ~ん。イマドキの子どもは忙しいんだな」
「そうだな。…苦しいか?お腹が落ち着くまで、横になるといい」
「…すみません…」
エイデンさんが、座布団を二つ折りしたものを子供の首の下に宛がう。
畳の上で横になった子供の顔は、ずいぶんと血色が良くなったように見える。
ほどなく、子供はすうすうと気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
垢じみた上衣の腹の部分が少しめくれている。
そこから覗く肌の色を見て、俺は自分の想像が外れていなかった事を知った。
「…エイデンさん」
「……ああ」
「良くないね」
「…そうだな。断じて良くないな」
エイデンさんも気付いていた。
リアムの皮だけのような白い腹に滲んでいた青黒い大きなアザを。
ふちの黄緑色に変色したあれは、先天的なものじゃない。
あの子が理不尽な暴力に晒された証拠だ。
俺はリアムが大事に抱えていたハードカバーの本を手に取る。
しかしその本は、開いてもページがぱらぱらと捲れる事もなく、
接着剤か何かで固められた紙の束の真ん中が、四角く型抜かれていた。
四角い穴に詰められた小さな袋を摘み出して見せると、
エイデンさんは険しく眉をひそめた。
透明な袋の中で、白い粉がさらりと傾く。
…この子はどうやら、大層な秘密を抱えているらしい。
たとえば、今日出会ったばかりの赤の他人に何が出来るだろう。
児相なり警察なりに通報するくらいが
『普通の大人』に出来る事の関の山だろうが…。
取り敢えず俺達は二人とも……
いや、二人と一匹とも
あいにく『普通の大人』じゃあ無いんでな。




