050 出会い①【ジュナイ】
エイデンさんと暮らし始めて、はや三年。
最初の一年こそ色々な事があったが、その後の二年は平穏そのもので、
俺とリュウとエイデンさんの二人と一匹の日々はつつがなく淡々と過ぎた。
…惚れ合った相手といざ一緒に暮らしてみて
『こんな人だと思わなかった』と思う余裕も最近は出てきたようで、
俺も毎日のようにしみじみとエイデンさんに対して思う。
こんなにも、限りなく俺に甘い人だとは思わなかった。
元々優しい人だからと好きになったのだが、共に暮らすうちに
互いの扱いがぞんざいになるのはよくある話で、
俺とエイデンさんもいつかそうなって、倦怠期の夫婦のように
つんけんと憎まれ口を叩き合うようになるのかなぁなんて想像していたが、
実際はとんでもなかった。
魔石商社勤めをしていると、どうしても帰りが遅くなりがちだ。
俺は極力残業をしないたちだが、そこは宮仕えの悲しいところ。
先方の都合に合わせる必要があったり、取引先を接待したり、
まぁ同僚と飲み会したりもするが…
とにかく、やむをえず帰りが午前さまなんて事もある。
そんな時、エイデンさんは魔導フォン一本で迎えに来てくれる。
俺がいくら『乗り合い馬車と歩きで帰るからいい』と言っても
『駄目だ。危ないから、絶対呼んでくれ』と頑として引き下がらない。
そこまで言われちゃ仕方がないし、俺も混んだ乗り合い馬車でも
みくちゃになるのは御免なので、ありがたくお言葉に甘えている。
古びた荷馬車の姿を魔石商社前の道路に見つけると心底ホッとするし、
その御者席の隣に座って、流れる夜景を眺めながら
世間話やその日の出来事なんかを二人で話す時間は、嫌いじゃない。
なんだかすごく、愛されてるなぁと実感できるからだ。
…とまぁ、俺とリュウには特別に優しいエイデンさんだけど、
基本的には誰に対しても優しい。
遺物横丁の連中や、店を訪れる客、
青空古魔道具市で顔を合わせる同業者…
隣町に住むイーサンとレオ、
北国に引っ越したラルフ先生からも、未だに季節の手紙が届く。
その辺だけならまだしも、最近はなんと黒ギルド・グラディウスの連中も
俺が魔石商社にいる時間帯、よくレリックハートに遊びに来ているらしい。
『ねぇねぇジュナイくん!エイデンさんとお店で
たまに仲良く話してる役者みたいに綺麗な男の子達って…
あれ誰なの?何者??』
という遺物横丁のおかみさん連中からの情報提供から発覚したんだが、
エイデンさん曰く『彼らはきちんとした良いお客さんだから、
特に断る理由がなくてな』との事だった。
『二度とお前ら筋者の犬にはならない』
俺をグラディウスから救い出してくれたエイデンさんは、そう言っていた。
若い身空をグラディウスの殺し屋として生き、これは後で聞いたんだが
唯一の肉親である父親を、先代黒ギルド長の判断ミスで亡くしたらしい。
黒ギルドに対して憎しみに近い感情を抱きながら、
ヴィクター黒ギルド長やドミニオさん、マーズに対しては
傍から見て分かるくらい『仲良く』している。
さっきの言葉どおり、あの人達を
黒ギルドとして一括りに憎むのではなく、彼ら個人として評価してるんだろう。
上っ面だけの愛想や計算で人と付き合うような人じゃない。
それが分かるから、グラディウスの連中もエイデンさんに懐いているに違いない。
***
ある日の夕方。キリが良かったので早めに仕事を切り上げた。
ここんとこ帰りが遅くて遺物横丁の定食屋か居酒屋での晩飯が続いていたから、
今日はエイデンさんとリュウとで、家でのんびり食べようと食材を買い込んだ。
遺物横丁の八百屋・魚屋・肉屋はそう安くもないし、品質も駅前の商店と
大して変わらない。でもまぁ近所のよしみだし、駅前から重い買い物袋を
ぶら下げてのろのろ帰るより楽なんで、それなりに重宝している。
野菜とその他は仕入れたんで、最後に肉屋に向かう。
「こんばんは~。オヤジさん」
「毎度どうも!ご予約の牛肉ね。今夜は東洋鍋かい?」
「うん。エイデンさんと家でしっぽりしようと思ってさ」
「仲いいねぇ。あ、エイデンさんと言えば…」
「なに?」
「今ぐらいの時間、店が可愛いことになってるよ」
「可愛いこと?」
「ま、帰ってからのお楽しみだね」
何のこっちゃと思いながら、きちんと包まれた牛肉を受け取って、
遺物横丁の奥の方にある自宅に向かってぶらぶら歩く。
見るでもなしに周囲を見ると、雨戸が降りたままの店が増えた気がする。
靴屋・眼鏡屋・金物屋…
昔ながらの個人商店が消えて行くのは寂しいが、
これも時代の流れなんだから仕方ない。
それに俺としては、静かになるのはむしろ歓迎だ。
隣の家の夫婦喧嘩やガキの鳴き声なんざ聞きたくもない。
そんな事を考えていたら、子供達のきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえてきた。
しかもどう見ても、俺の自宅…『レリックハート』の前で
カバンを背負った小さな人影がちょろちょろしているのが見える。
いつ古魔道具屋から学童保育になったんだ?うちは…。
店先なら中をうかがうと、エイデンさんが子供らの相手をしていた。
子供達はコマ・ケン玉・ビー玉・メンコ…東洋の古びた玩具で遊んでいる。
そういえば以前、交換会から帰ったエイデンさんから、
古い玩具を木箱いっぱいタダ同然で仕入れて来たと聞いた気がする。
最近のガキは魔石板のゲームにしか興味がないかと思ってたが、意外だ。
「これどうやって遊ぶの?」
「ああ、これはここのゼンマイを巻いて、地面に置くんだ」
「このオモチャ、意味わかんないんだけど~」
「これはリリヤンだな。紐が編めるんだけど、ちょっと難しいぞ」
生意気盛りの子供達に囲まれながら、エイデンさんはその相手をひとりひとり丁寧に、
そして楽しそうにこなしていた。玩具に飽きて古魔道具に関心を示す子供がいると
分かりやすいよう言葉を噛み砕きながら、きちんと説明している。
「これ何?」
「これは電話だ。魔導フォンが出来る前の」
「どうやって使うの?」
「この受話器を耳に当てて、このダイヤルを廻して、ここに向かって話すんだ」
「ふ~ん…今も使える?」
「残念ながら使えない」
「な~んだ。じゃあなんであるの?」
「なんでだろう…面白いからかな」
俺は声を掛けることも忘れて、その様子に見入っていたが、
電柱の魔石スピーカーから夕方五時の区内放送が流れて、はっと我に返った。
「じゃあおじさん、ばいばーい!」
「ばいばーい!!」
「ああ、気をつけてな」
各家庭の門限なのか、塾でもあるのか…子供達は蜘蛛の子を散らすように
店から走り出て行った。それを見送った後、そこらに放ったらかしにされた玩具を
せっせと拾い集めていたエイデンさんが、ようやく俺に気付いた。
「ああ、お帰り」
「ただいま」
「今日は早いんだな」
「うん。たまにはね」
俺の手にぶら下がっていた重い買い物袋を、エイデンさんはさっと手に取る。
休日なんかに一緒に買い物に出ると、俺は荷物を持つ事がない。
この人は、何も言わずに『きついな』と思うことを助けてくれる。
「…どうした?ジュナイ」
「え?」
「ぼんやりして…風邪か?」
「違うよ。なんでもない」
「そうか」
「そうそう!早く飯にしようよ。今夜は東洋鍋作るから」
「豪勢だな」
穏やかに微笑む時に刻まれる、目元のしわが可愛い。
エイデンさんは本当に本当に、優しい人だ。
誰もがこの人を好きになる。その理由は簡単だ。
エイデンさんは誰もが欲しがるものを無償で、惜しみなく与えてくれるからだ。
黒ギルドだろうと子供だろうと、誰だろうと心から欲しがるもの…
『安心』をエイデンさんは与えてくれる。
そんな人の懐深くに落ち着ける自分は、なんてラッキーなんだろうと
思わない日は無い訳だが、そして同時に疑問もある。
エイデンさんは、どうして今まで独りだったんだろう。
こんな人を誰も放っておく訳がないだろうに。
リュウを連れた俺が、初めて彼を見たあの時の…
エイデンさんのひどく澄んだ目を思い出しながら
俺は靴を脱いで家に上がった。
***
その晩は、二人で和やかに東洋鍋を作って食って、
居間で魔石板を観ながらその日の出来事なんかを喋って、
風呂に入って、早々に布団を敷いてセックスした。
エイデンさんは俺の嫌がることは絶対しないし、
悦ぶことだけを丁寧にしてくれる。
だから安心して身も心も明け渡して、快楽だけを追っていられる。
腹の奥に放たれた熱を感じて、不意に思い出す。
夕方、楽しそうに子供達の相手をするエイデンさんの姿を。
「なんか、ごめんね…」
「何がだ?」
事後の気怠さの中で、腕枕の感触と体温を顔半分に感じていたら、
ついそんな言葉が口から零れていた。
エイデンさんが、不思議そうな顔で俺を見る。
まずったな~…と思いつつ、ここは正直に話そうと思った。
内に溜め込んでいたってしょうがないし…
それにエイデンさんは、辛気臭い話も面倒がらずに受け止めてくれる人だ。
「…俺が本当の『女房』じゃなくてさ」
「違ったのか?」
「ん~…。もし俺が女なら…
エイデンさんを『お父さん』にしてあげられたのになって」
「…ジュナイ」
「好きなんだろ?子供」
「……」
「エイデンさんなら、きっといい父親になれると思うし…」
逞しい腕と厚い胸板の間に、ぐっと抱きしめられる。
「……」
「…何もいらない」
「エイデンさん」
「俺は、お前とリュウさえいてくれたら…他に何もいらない」
広い背中にそっと手を回す。ときどき指に触れる小さな凹凸を
古傷だと知ったのはいつだっただろう。
グラディウスとの一件の後、俺とエイデンさんは互いの過去を少しずつ共有し合った。
その結果、俺はエイデンさんが母親の顔を知らず、十五歳から二十五歳の十年間を
父親と共に殺し屋として生きていた過去を知った。
俺も負けず劣らずだが、不完全な家庭で育った事、世間から決して容認されない
裏の仕事をしていた事が、エイデンさんに三十を半ば過ぎたその年まで
独りきりの生活を選ばせていたのか…そんな風に想像していた。
そんな想像は半分当たっていて、半分外れていたのだと、
この後知る事になる訳だが。
「それに…お前がもし女性だったら、俺はきっとお前を悲しませていた」
「なんで?」
「俺にはな、種が無いんだ」
「それって…」
「そう、子供が作れない」
「……」
突然の、しかも重大な告白に、俺はとっさに返事をできなかった。
「治療とかは…」
「医者の話では先天的なものらしく、治しようがないらしい」
「そうなんだ…」
「…昔、結婚を約束した女性が一人いたが…それが原因で、別れた」
エイデンさんの口調はいつもと変わらず静かで、
その事実を殊更に悲しんでいるようには特に聞こえない。
けれど、それだけに胸に刺さるものがあった。
俺には穏やかなその声が、
流す涙も涸れ果てた後のものだと感じられた。
「……」
「彼女は構わないと言ってくれた。二人で楽しく暮らそうと」
「…でも、断った?」
「ああ。俺には出来なかった。彼女の夢を知っていたからな…」
さっき『互いの過去を共有した』と言ったが、当然ながら
全てを洗いざらい晒し合った訳ではない。
エイデンさんの恋愛遍歴がそう多くはない事は雰囲気で分かっていたが、
俺が聞きたくなかったので聞かなかった。
こう見えて、俺はかなりヤキモチ焼きなんだ。
「彼女の夢って、やっぱり…『暖かい家庭』とか?」
「ああ」
「それはエイデンさんの夢でもあった…違う?」
「そうだな…普通の家庭への憧れは、確かにあった」
琥珀色の瞳が、じっと俺を見る。
そこに宿る光はいつも暖かくて、夕暮れに灯る家々のあかりを思わせる。
誰もがそこに帰りたいと、そう思わずにはいられない色だ。
「だがもういいんだ…俺の夢はすべて叶ったよ。
…お前とリュウのお陰で」
大きな掌に髪を撫でられて、視界がぼんやり潤む。
その感触が、あんまりに優し過ぎたから。
「…俺とリュウのおかげ?」
「ああ、そうだ」
「全然、普通じゃないよ」
「普通じゃなくても、俺は幸せだ」
「ふぅん…」
「…お前は違うかもしれないが…」
「…はぁ?!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
エイデンさんが、いきなり妙な事を言うからだ。
「なんだそれ、どういう意味?」
食ってかかる俺に、エイデンさんがたじたじとなる。
「その…俺は気が利かなくて、お前を遊びに連れ出したり、
贅沢をさせてやったり…そういう事が出来ていないだろう…」
「そんなの…!」
「お前には、大いに稼いで豪勢に遊ぶような暮らしの方が合っていると思う。
…俺はこんな鄙びた遺物横丁での暮らししか、お前に与えてやれないから…」
「~あのなぁ!!」
俺は上体を起こして、覆い被さるようにエイデンさんを見た。
我ながら怖い顔をしていたんだろうな。
エイデンさんがさらにしどろもどろになる。
「俺だっておんなじだよ!あんたと!」
「…ジュナイ」
「俺だって、あんたとリュウさえいてくれたら、他に何もいらないよ!!」
腕を引かれ、再び抱きしめられる。
毎日同じ屋根の下で顔を突き合わせていても何回セックスしても、
お互いの良いところも悪いところも、ちょっとした癖も…
なにもかも分かっているようで、なにも分かっていなかった。
俺も、エイデンさんもだ。
「…何もいらない」
「そうか…」
「仕事も贅沢も、そこそこでいいよ。…あ、でも」
「ん?」
「たまに魔法衣を着るような店とかイベントに行こうよ」
「そうだな」
「ラファエルさんのコンサート以来、
せっかくオーダーメイドしたのに、あんた全然着てないだろ」
「…確かに」
「半年…いや、一年に一回でいいよ。そういうのは」
「……」
「それで充分」
その後はどちらともなくキスをして、第二ラウンドに突入した。
なんだかんだで、俺もエイデンさんもまだ若いからな。
…この先も、二人と一匹で、この街で、静かに暮らせたらいい。
いつか皺くちゃの顔を突き合わせて、笑い合えたらいい。
どちらかが先に死んでも、思い出だけはずっとそばにいてくれるだろう。
そんなふうに生きて行けたら、それ以上望むものは何もない。
…なんて、その時は思っていた。




