049 路拓く者④【エイデン】
「じゃあさ、俺はバーで一杯やってるから」
「ああ。ありがとう」
「ん。ごゆっくり」
ひらひらと手を振ると、
ジュナイはエントランスの片隅に設えられたバーへと歩いて行った。
「では、ご案内いたします」
「お願いします」
コンサート・スタッフの若い女性に案内され、
俺はラファエルさんの楽屋に向かった。
開演前は、ラファエルさんと会って話をしたいと思っていた。
しかし、あの演奏を聴いた今はそんな気にはなれなかった。
情けないことだが、器の違いを見せつけられたようながしたのだ。
帰ろうとジュナイに促すと
『え?ラファエル・ノーザンライトじきじきのご招待なんだから、
挨拶しないなんて失礼だって!』
そう強く言われた。
『だが、どうしたら良いのだろう…』
『まぁ見てなよ』
ジュナイはそう言うとチケットの半券と封蝋の押された例の封筒を
スタッフに見せ、何か少し話し合うと
やがて親指と人指し指で円を作ってこちらに微笑んだ。
『楽屋に案内してくれるってさ!』
改めて思うが、本当に頼もしい女房だ。
ジュナイも演奏にいたく感動していたようだったので、楽屋に誘ったが断られた。
『旧い友達なんだろ?邪魔したくないしさ、ゆっくり会って来てよ』
そう言ってジュナイはさっさとバーに行ってしまった。
そんな経緯を経てスタッフに案内された俺は、ホールのバックヤードに入る。
オーク材の張り巡らされた優美なホール内とは打って変わって、
白っぽい壁土が剥き出しになった細い廊下を案内されるまま歩く。
そう複雑な造りではない。
やがて『ラファエル・ノーザンライト様』と記された
紙の貼られた簡素なドアが見える。
スタッフがドアをノックすると、やや気だるげな声が応える。
「何かな?」
「お客様をお連れしました。ご招待されたエイデン様です」
「…ああ、通してくれたまえ」
スタッフはドアを開けると頭を下げて去った。
楽屋に一歩足を踏み入れるなり、華やかな芳香に包まれる。
シンプルに整えられた洋風の楽屋は、関係者から贈られたのだろう
色とりどりの花束で埋め尽くされていた。
その中で、一人の青年がぐったりと椅子に腰掛けている。
ラファエルさんは顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「…やあ」
「お久しぶりです」
「やはり、僕を失望させずに来てくれたのだね…エイデンくん」
「ご招待ありがとうございます…ラファエルさん」
「こちらこそ、お花をありがとう。良い色だね…とても上品だ」
メイク台の上に置かれた小さな花籠を手に持ち、
ラファエルさんはにっこりと微笑む。
それは俺が事前に遺物横丁の花屋から贈ったものだった。
白いバラと薄紫のシナノワキキョウの間から
『古魔道具店 エイデン・レリックハートより』
と記されたカードが突き出ている。
各界の著名人から贈られた豪奢な花束の中にあっては、少々恥ずかしく感じた。
「つまらないものですが…」
「そんな事はないよ」
柔らかい声音ながらも、ラファエルさんはぴしゃりと言い切った。
そういうところも昔と変わらない。
「コンサートごときで緊張など滅多にしない僕だけれどね…
この花籠を見た時ばかりは、いささか平常心ではいられなかったよ」
「……」
「…それで、どうだったかな?僕の演奏は」
じっとこちらを見詰める瞳の力に押され、俺は思うがままを口にした。
「素晴らしかったです。
そんな言葉でしか言い表せない事が、もどかしいほどに」
「……」
「最後の曲を聴いている間、何度も七年前の事を思い出しました。
…あの日が在ったから、今の俺が在るのだと…」
俺の言葉を聞き終えた後、強い瞳がゆっくりと閉ざされる。
そして細い体ががっくりと椅子の背に凭れ掛かった。
「ら、ラファエルさん?」
「はぁ~~……僕の今日の演奏…」
「え?」
「僕の今日の演奏が…今やっと、終ったよ…」
湿布と取ってくれたまえ、とラファエルさんに促され、
俺は楽屋備え付けの小さな氷室から湿布を取り出し、手渡した。
それを慣れた手つきで額に貼ると、ラファエルさんは深く嘆息した。
さしものラファエルさんもかなり疲れているようだった。
あの魂を削る演奏の後なのだ、無理もない。
しばらくその様子を見守っていると、
ラファエルさんは不意に上体を起こし、しゃんと姿勢を正した。
「見苦しいことろを見せたね」
「いえ…」
「まったく、今日の演奏会ときたら大聖堂より緊張したよ」
「聖法王の御前以上にですか?」
「そうさ。足が震えるなんて、何年ぶりだろうね」
冗談めかす口調に、自然と緊張がほぐれた。
基本的に気の小さい俺はともかく、
この堂々としたラファエルさんにも緊張する事などあるのかと、
失礼ながら意外に思った。
その薄紫がかった不思議な瞳には、元の力が戻っている。
花弁のような唇が、静かに言葉を紡いだ。
「あの日が在ったから、今の自分が在る…」
「……」
「それは、僕も同じだよ。
今、僕が此処にいられるのは…君のお陰なのだからね」
そう言って頭を下げようとするラファエルさんを、俺は慌てて制した。
相手が誰であれ、頭を下げるなどこの人には似合わない。
「改めて、ありがとう」
「…ラファエルさん」
「君と僕は、共に血路を拓いた同志だ。
これからも、帰郷するたびしつこくコンサートに招待するからね。
覚悟しておきたまえ」
「光栄です」
七年ぶりの握手を交わす。
ほっそりとした形の掌は相変わらずだが、感触は硬く節くれ立っている。
先ほどまで、神の域に届くかのような演奏をしていた掌。
それがこの七年の結晶に思え、感慨深かった。
「しかし垢抜けたね。パートナーの見立てかな?見違えたよ」
「ありがとうございます。…彼らは?」
「ああ、褐色が『サイ』。灰色が『サク』というんだ」
「とても綺麗ですね。それにお利口そうだ」
「当然だよ。なにしろ僕の家族なのだからね」
少しの間、写真立てに飾られた猫達の話や互いの暮らしぶりなどを
軽く話した後、俺は楽屋を辞した。
なんとなく、この後もラファエルさんに来客のある気配を察したからだ。
「では、また会おう」
「ええ。またいずれ」
来た通路を辿り、エントランスに戻る。
あっさりとした別れだが、それでいい。
胸の奥の荷がひとつ下りたような、どこか晴れやかな気分だった。
***
バーでひとりグラスを傾ける
ジュナイに声を掛けると、ひどく驚かれた。
「は?もういいの?」
「と言うと?」
「三十分も経ってないじゃん。もっと話せばよかったのに」
「忙しい人だからな、長く邪魔しちゃ悪い」
「…そっか」
「何飲んでるんだ?」
「この『シナノワ十二年』とかいうやつ」
「じゃあ、俺も同じのを」
それから暫し、ジュナイと二人でグラスを傾けた。
演奏の感想などをぽつぽつと話していたが、
不意にジュナイが珍しく口篭りつつ言った。
「…なぁ」
「ん?」
「俺、余計な事しちまったかな」
「何がだ?」
「あんた楽屋に行きたがらなかったし、本当はそんなに仲良い人じゃなかったとか…」
「いや、そうじゃない」
慌てて否定した。ジュナイは人の感情の機微に聡いので、
よくこういった細かい事を気にする。
ただ、それをこうして正直に口にすることは少ないが…。
「あの人は俺の恩人なんだ。だが…そうだな、器が違い過ぎて
会うことに少々怖気づいてしまっただけなんだ」
「…怖気づく?エイデンさんが?」
「ああ」
「意外なんだけど」
「そうか?」
「うん。すごく」
そう言ってジュナイは楽しげに笑った。
彼からは俺が一体どう見えているのだろうか。
それはともかく、いらぬ心配が消えたのは何よりだ。
「それに、お前には感謝しなければ…ありがとう」
「え?なんで?」
「俺が行かなければ、ラファエルさんは
今日の演奏を終える事ができなかったそうだ」
「なにそれ」
「さあ…ただ、彼はそう言って喜んでくれたよ」
「なんか知らないけど、よかったね」
「ああ、ありがとう」
そう言って、軽くグラスを合わせた。チンと澄んだ音が鳴る。
その後は会計を済ませ、ホール前に同じ箱馬車を呼んで帰宅した。
珍しくリュウが留守にしていたが、
魔法衣から部屋着に着替えていると二階の窓から帰ってきた。
にゃあにゃあと何やら興奮気味に鳴いている。
しきりに足元に纏わり付いてくるので、踏まないように苦心した。
彼にも、何か良いことがあったらしい。




