第4話 人形師-其の肆
『週末、ちょっと一緒に行ってほしいところがあるんだけど』
真琴からそんなLINEが届いたのは慧が大学の図書館で山積みの資料を前に、固まった身体を大きく伸ばした時だった。
図書館で資料を漁ること3日。
まったく得られる気配のない手がかりに、いい加減うんざりして資料を探すのを諦めようかと考えていたタイミングで、なにか情報が得られたのかと慧は図書館を出て、すぐに真琴に電話を掛ける。
「真琴姉? 人形見つかったのか?」
『ちょ、慧、慌てすぎよ』
「何日も紙の資料に埋もれて、もう飽きたんだよ。で? 見つかったの?」
『まだだって! でも、ちょっと気になる話を聞いて、週末に人に会いに行くからついてきてほしいのよ』
「相手は?」
『うちの神社にもときどき来る人形コレクターの人よ。いつも珍しい人形が供養に出されたら教えてほしいって言ってくるの』
どうやらあまりお行儀の良い相手ってわけではなさそうだ。
確かに真琴の実家、朱鳳神社には供養のために沢山の人形が納められる。
もちろん、不要になったが捨てるには忍びない。とはいえもらってくれる人も居ないからという理由で処分のために持ち込まれる人形もあるが、亡くなった方が大切にしていた物を供養したいという想いを込めて持ってくる人もいれば、曰く付きの人形もある。
希少な物や価値のある人形だからといって、供養のために持ち込まれた物を物色するのは褒められた行為とは言えないだろう。
単に捨てられたものなら良いだろうと軽く考えているだけかもしれないし、一概に駄目とは言い切れない部分もあるが、確かにそのような相手と真琴ひとりで会うには不安になるのも理解できる。
慧が一緒に行くことを約束すると、電話の向こうで真琴が安心したようにホッと息を吐いたのが聞こえた。
そして週末。
神栖古美術店の前に停まったのは真琴の愛車、ではなく、パールホワイトのミニバン。
どこかで見た車だと思い、慧が運転席を見ると三笹が微笑みながら会釈してきたので思わず同じように頭を下げた。
「慧、お待たせ、って、ちょっと!」
スライドドアが開き、真琴が降りてきたと思えば慧を店の中に押し込んだ。
「なんでいっちゃんが居るのよ!?」
真琴が慌てて三笹から見えないように慧を店に押し込んだのは、彼の背中にしがみつきながらふんぞり返った市松人形のいっちゃんが居たからだ。
『おう、真琴。儂も行くからな』
「はぁ!?」
「真琴姉からも言ってくれよ。話を聞いてから付いていくって聞かねぇんだ」
「まずいわよ! 三笹さんも居るんだし、人に会いに行くのよ?」
当然ながら自分で動き回り、しゃべりまくる日本人形など普通にホラーだしとても人前に出せるようなものじゃない。
『そんなもの慧が腹話術の達人とでも言っておけばよかろうが。儂が行けばその人形が対の物かすぐわかる』
「腹話術なんてやったことねぇよ!」
『やかましいわ! 行けば謎が全て解けると儂の灰色の脳細胞が囁いておるのだ』
「海外ドラマの台詞パクってんじゃねぇよ。お前の頭に詰まってるのは桐の粉だろうが!」
ギャンギャンと言い争ういっちゃんと慧に、真琴が大きな溜め息を吐く。
「もう! 時間が無いからいっちゃんも連れて行くわよ」
『おう、さすが真琴じゃ。分からず屋の慧とは違うの』
「ただし! 絶対に自分で動かないこと。それから可能な限り私たち以外が訊いていないタイミングと小さな声で! わかった?」
『わ、わかっておるのじゃ。ちゃんと人形のフリをしておくわい』
「フリじゃなく人形だろうが、って、痛ぇ!」
混ぜっ返そうとした慧の脛に真琴の爪先が刺さり、ようやく騒動が収束した。
「お、お待たせしました」
「いえいえ、まだ時間はありますし大丈夫ですよ。っと、その市松人形は?」
「えっと、人形コレクターだという話なんで、うちの逸品を自慢しようかと、ははは」
「そ、そうですか」
慧が顔を引き攣らせながらなんとか言い訳を絞り出すと、三笹は困惑しつつも深くツッコんではいけないと悟ったらしくそれ以上訊ねようとはせずに車を発進させた。
「それで、今回はどうして三笹さんも? まだ対の人形かどうかわからないですが」
いっちゃんのことでいろいろ頭が飛んでいたが、改めて考えると三笹が加わっている理由がわからず慧が訊ねる。
「いや、私の方でも定岡藤治郎の縁者や寄贈された人形について調べていたんですよ。どうやら妹が居たということはわかったんですが、お千代と助蔵という名前の子供のことはなにもわかりませんでした。ただ……」
三笹の話では、人形を寄贈してくれた方に心当たりを訊ねると、元の所有者である蒐集家が人形を古美術商から買ったとき、もう一体の人形の話もされたらしい。だが、その人形は損傷が激しく、修復するには金が掛かりすぎるということで諦めたと。
「その古美術商にも当たってみたのですが、すでに廃業していて在庫をまとめて売り払ったらしいのです」
「その相手が、今日会う人形コレクター?」
「あ、いえ、かもしれないというだけなのですが」
なんとも曖昧な話だが、そもそも蒐集家というのは家族や馴染みのバイヤー、知人以外にはコレクションしていること自体知られていないことがほとんどだ。
もし外れだとしても、コレクター同士は繋がっていることも多いからそこから辿ろうと考えたようだった。
「もし見つかったとして、買い取れるんですか?」
慧が訊くと、三笹が眉根を寄せて渋い顔をしたのがバックミラー越しに見えた。
多くの美術館や博物館は美術品などを買い取るための予算がほとんどないのが実情だ。
美術品の価格が高騰していることもあるが、それ以上にそういった施設は収蔵品の維持や保全にべらぼうな費用が掛かるからだ。
自立採算が求められる私営施設はもちろんだが、公営の施設でも税金の使い道として厳しく監視されていて、新たな収蔵品を購入することはかなり難しい。なので、多くの施設は収蔵品を増やすのを寄贈に頼っている。
「状態にもよりますが、クラウドファンディングを立ち上げることも考えています。定岡藤治郎作の対の童人形となれば保護すべき文化財です。個人的な想いとしてもきちんと揃えてやりたいですし」
『偉い!』
「え?」
「あ、いえ、何でもありません。ちょっと咳が」
「は、はぁ、その、お大事に?」
「す、すいません」
「すっげぇ家だな」
「私もちょっとビックリ」
少々のトラブル? もありつつ、真琴に教わった住所を頼りに車を走らせること1時間ちょっと。
隣の県の中核都市郊外に到着した慧たちは一軒の家の前で溜め息交じりにそんなことを囁きあう。それも無理もないほど訪れた家は立派な邸宅だった。
塀は高く両側数十メートル先まで続いていて、塀越しに見える家もまるでアメリカのドラマにでも出てきそうな大きくて豪華だ。
『何をしておる、早く呼び鈴を鳴らさんか』
三笹がまだ車の中に居るのを良いことに、いっちゃんが慧を急かす。
「わ、わかってるよ」
渋々呼び鈴を押すと、すぐに返事があった。
『はい』
「あの、神薙と申しますが、本日お約束をいただいてまして」
『ああ、お待ちしてました。お車ですよね? 門を開けますので玄関前までお願いします』
どうやら車ごと入って良いらしい。
三笹にそれを伝え、門が開くのを待って、慧と真琴はそのまま歩いて玄関に向かう。
そして慧たちと三笹がほぼ同時に到着するのを待っていたかのように玄関が開いた。
「ようこそ」
そう挨拶してきたのは40代後半くらいだろうか、身なりの良いいわゆるイケオジに分類されるような男性だった。
髭もきちんと整えられ、笑顔も爽やか。その顔を真琴に向けているのを見て慧は内心イラッとする。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。こちらは隣県の日本美術館館長の三笹さん、こっちは知人の古美術商の神栖さんです」
「おおっ! 初めまして! 専門家の方に来ていただけたのは感激ですな。どうぞよろしく。私は桜井と言います」
桜井と名乗った男は三笹や慧に対しても態度を変えることなく丁寧に挨拶をしてきて、てっきり真琴への下心があるのではないかと疑っていた慧は拍子抜けしてしまう。
まぁ、それは完全に思い込みで、真琴もそんなことは一言もいっていないのだが。
「神薙さんから聞いていると思いますが、私も少しばかり人形を集めておりまして、といっても主に西洋人形なのですが」
『西洋人形じゃと! モガッ』
「な、なんでもありません、あは、あはは」
「オホホホ、神栖さんったら、こんなところで腹話術の声出して」
慌てていっちゃんの口を塞ぐ慧と、無理矢理な誤魔化し方をする真琴。
塞いだところで別に口で声を出しているわけではないのだが、変なところで人間っぽい市松人形である。
「そ、そうですか。いや、面白い特技ですね。もっといろいろ話をしていたいところですが、まずはお問い合わせのあった人形の方を片付けましょうか」
困惑顔の桜井だったが、それ以上訊いてくることはなく、家の中に慧たちを招き入れる。
「すっげ」
慧が思わず呟いたように、外見だけでなく家の中もかなり豪勢で、まるでホテルか美術館のロビーのような広さと調度品が玄関を入ってすぐに彼らを迎えてくれる。
「こちらに飾ってあるのは今でも製造されている量産品ばかりです」
桜井がそう言いながら先導し、屋敷の奥の部屋の前で立ち止まった。
「申し訳ありませんが、黴や虫を持ち込まないようにこちらを服の上から着ていただきます」
そういって手渡してきたのは食品工場などで使われる使い捨ての衛生服だ。頭をすっぽり覆う不織布のキャップやスリッパごと履ける足カバーもある。
真琴は戸惑っていたが、三笹も慧も特に何も言わずに受け取って着る。衛生管理の厳しい美術館や研究室、こだわりの強いコレクターならそこまでする人も珍しくないからだ。もちろん桜井は率先して着込んでいた。
そうして全員が衛生服で覆われたのを確認して、桜井は部屋の扉を開ける。
「うぉっ! これはすごいですね」
部屋の広さは50坪ほどもあり、窓はなく、人形が収められたガラス棚が整然と並べられている。飾られている人形の数はちょっと見ではわからないほどだ。
ビスクドールと呼ばれる素焼きの陶器人形が多いが白磁人形やウッデンペグドール(木製人形)などもある。
「ちょっとした博物館並みだな」
「どんな仕事してたらこんなに集められるのかしら」
また騒ぎ出さないように、いっちゃんの頭はハンカチでグルグル巻きにされた上で慧の帽子が被せられている。
「ははは、会社をいくつか経営してまして。あとは投資も、ですが」
真琴の言葉が聞こえていたらしく、桜井は苦笑しながら教えてくれた。
「まぁ、この趣味のせいで奥さんからは三行半を叩きつけられましてね。子供も居ませんし、親しい親戚も居ないので私が死んだらどこかの博物館にでも寄贈するつもりですよ」
「あの、そんなにお金があるのにどうして神社の供養に出された人形を?」
これだけの人形を収集して保全できる資金があるならわざわざ供養に出された人形を、持ち主と交渉してまで集める必要も無いように思える。
「ああ、あんまり良いことじゃないのはわかってるんですけどね。人形狂いとしてはせっかく生まれたのに焼かれてしまう人形が居るのが悲しいので、さすがに全部は無理ですが希少な人形だけでも残しておきたいと思いまして。ああ、もちろん故人の思い入れの強い人形や、持ち主が望まないなら無理に譲ってもらったりはしてませんよ」
桜井がどこか恥ずかしそうに言いながら頭を掻く。
案外ちゃんとした礼儀を弁えて? いるらしい。
「えぇと、お探しのものかどうかはわかりませんが、こちらが私が数ヶ月前に手に入れた日本人形です」
そう言って桜井が抱えてきたのは長さが60cmほどの桐の箱。
部屋の隅にあった机の上に置いて、蓋を開けようとしたその時。
『ぷはぁ! もう我慢できん! 不細工な西洋人形など儂の魔法で、ぶぎゃ!?』
「大人しくしてろって言っただろう! ってか、魔法なんて使えないだろうがオマエは!」
慧の背中で顔を覆われていたいっちゃんが、急に手足をバタバタさせたかと思うと、顔を塞いでいた帽子とハンカチをかなぐり捨てて怒声を上げる。
が、即座に慧に引っ叩かれていた。繊細な日本人形とは思えない扱いである。
ただ、当然のことながら、彼らの目の前には桜井と三笹が居る。
「も、もう! また腹話術の真似事なんか」
「い、いやいやいやいや、それは無理があるでしょう!」
「に、人形が喋った。私の、いや、人類の夢が」
大混乱である。
しばらくしてようやく落ち着いた面々に、慧はいっちゃんを紹介する。
「つ、付喪神、ですか」
「本人がそう言い張ってるだけで、できることと言えばやたらくっちゃべるのと動き回るくらいですけど」
『まがりなりにも神の末席に座る儂になんという言い草じゃ!』
「ま、まぁ、夜中に泣く人形があるくらいですからね。古い人形が動いたとか髪が伸びるなんてのはよく聞く話ですし、それほど不思議では無いのかも?」
聞いた大人ふたりはどうやら現実逃避することにしたようだ。
咳払いして強引に話を戻す。
「その、いくつかの人形をまとめて引き取ってくれないかと馴染みの古美術商を通じて話があったので買い取ったのですが、破損がひどかったのでどうしようかと思っていまして」
桜井がそう言って箱を開けると、中に入っていたのは煤のようなもので汚れてところどころ着物が破れ、片手が無い童子人形だった。
人形の命である顔の部分も3分の1ほど胡粉が剥がれ落ちており、よくこの状態で処分されずに残っていたものだと感心してしまうほどだ。
「私は日本人形にはあまり造詣はありませんが、作りはしっかりしていますしなにより残っている顔の部分がとても美しかったので名のある人形師の手によるものではないかと思って修復できる方を探そうと……」
『これじゃの。あの人形と糸が繋がっておるわ』
桜井の説明を途中で遮り、いっちゃんが断言する。
「間違いないか?」
半ば確信しながら慧が念を押す。
さすがにこれほど破損していては一目で定岡藤治郎の作かどうかを判断できない。
『触れてみればよかろう。そなたなら視えるじゃろうよ』
いっちゃんの言葉に、慧は桜井に目を向ける。
「……なにが何だかわかりませんが、どうせこのままでは人形が可哀想ですからね。どうぞ」
事態についていけない様子ではあったが、桜井が頷くと慧は手袋を外して童子人形の顔にそっと触れた。




