第5話 人形師-其の伍
桐の箱に横たえられたボロボロの童人形。
薄汚れ、胡粉に描かれた顔も大部分が欠けたり掠れたりしているが、それでもなお名工が手がけたことを感じさせる気品を保っている。
その人形の顔に慧がそっと手を触れさせた。
『お染、具合はどうだ?』
襖が開けられると同時にそう訊ねる声が聞こえる。男の声だ。
『……兄様』
寝床で身を起こし、障子の向こうの庭をぼんやり見つめていたお染と呼ばれた女性がゆらりと振り返った。
長患いなのか、頬は痩け長い黒髪は艶がなく、顔色も青白い。
『食事もほとんど摂っていないと聞いたぞ』
『……食べたくないのです』
生気のない顔で首を振るお染の姿に、男が小さく溜め息を吐いたのがわかった。
だが男はそれ以上言わず、代わりに女のそばまで進むとその膝の上にそっと人形を乗せた。
ひとつは三笹が慧のところに持ってきた童女の人形、そしてもうひとつ。
視点が動き、お染を下から見上げるものに変わる。
『……これは?』
『お千代と助蔵の代わりにはならん。が、せめてふたりが生きていた証しを残したいと思ってな。気に入らなければ打ち捨てよ』
男はそう言って立ち上がった。
『生きよ、お染。お千代と助蔵が安心して菩薩の元へ行けぬではないか』
背中越しにそれだけ言って男は襖を閉じた。
『………………』
ポタリ、ポタリ。
人形たちの足に雫が落ちて小さな染みを作る。
『お千代、助蔵っ! ゆ、許しておくれ! 私が、私がぁ』
どこにこれほどの活力が残っていたのか、お染は両手で顔を覆い、叫ぶように慟哭した。
それは、悲しみと、悔恨と、怒りと、様々な感情が交ざり合った、まるで魂が砕け、欠片がこぼれ落ちたかのような声だった。
不意に場面が変わる。
人形は庭と空が見える場所に飾られたらしく、お染が時折穏やかな笑みを向けながら人形の髪を整えたり埃を払っている。
次の場面ではお染の両手には赤子が抱かれ、まるで人形に向かってお披露目しているように笑っていた。
別の場面では、お染が床につき、その脇に初老の男と、10代半ばくらいの男の子が膝を突いて話をしている。
お染の顔は以前のように痩せこけ顔色も悪いが、それでもその表情は安らいだ柔らかさがある。
そして、再び景色が変わる。
場所は同じかどうかわからない。
真っ暗な部屋にドタドタと慌てるような物音と、緊迫した叫び声が聞こえてくる。
わずかに見える空はまるで墨でも流し込んだかのように黒く、時折赤い炎のようなものが揺れているように見える。
「慧!」
「ん、あ? 真琴、姉?」
ぼんやりとしていた視点が定まってきて、慧が意識を現実へと戻すと、触れそうなほど目の前に真琴の顔があった。
「っ、うわっ!」
慌てて身体を離そうとした慧だったが、膝に力が入らず倒れそうになったのを真琴が支える。
「ほら危ない! 良いからゆっくり、そこに座って」
慧を抱き留めながら椅子に座らせ、真琴はホッと息を吐いた。
『見えたようじゃの』
「ああ、うん。あの人形が作られた理由はなんとなく」
いっちゃんに促され、慧はいま見た景色を真琴と桜井、三笹に伝える。
「なるほど。亡くなったお千代と助蔵の形代、というわけではなく、子供を亡くした妹を慰めるためだったのですかね」
「それだけじゃなく、定岡藤治郎自身も人形に甥と姪を重ねていたんだと思います。ただ、ふたつの人形がどうして離ればなれになったのかはわかりません。最後に火事のような雰囲気はありましたが」
慧に見えたのはあくまで定岡藤治郎が命の種を植え、お染が芽吹かせた人形の記憶の断片だけだ。
全てを知ることはできないし、知ったところでどうしようもない。
「でも、とりあえずこれが対の人形だったのは間違いないのでって、桜井さん!?」
目的は三笹のところの人形と一緒に置くことなので、まずは桜井に譲ってもらう必要があるため、慧が所有者である人形コレクターに交渉を持ちかけようとそちらを向くと、顔を涙と鼻水でくしょぐしょにした残念イケオジが居た。
「あのぉ……」
「ええ話やぁ」
「なんでいきなり関西弁!? って、それはいいですけど」
「そういうことなら絶対にふたつの人形は一緒に居させてやらなければなりません! 三笹さん!」
「は、はい!」
「日本美術を収蔵しているのなら日本人形の修復師、それも腕の良い方をご存じですよね?」
「え、ええ、仕事柄そういった方々とは懇意にさせていただいております」
「そうでしょうそうでしょう! ではこの人形を完全な形に修復してもらってください。費用は全額私が出します。そして治ったら絶対にふたつの人形を並べて展示してください。もちろんこの人形はそちらに寄贈させていただきますから! さぁ! すぐに修復師に連絡を! さぁ!!」
桜井の勢いに、というか、圧力に押されるように三笹が電話を掛ける。
人形の状態と制作者が定岡藤治郎であることを伝えると、その修復師が引き受けてくれることになったようだ。
あまりの展開の速さに慧と真琴が顔を見合わせているのにも構わず、桜井は三笹に人形の入った桐箱を手渡し、その背中を押して人形部屋を出て行ってしまった。
「…………えっと」
『騒々しい連中じゃのぅ。やれやれじゃ』
苦笑を浮かべる慧と大仰に肩をすくめてみせるいっちゃん。ちなみに、当然ながらその表情はピクリとも動いていない。
「あはは、と、とりあえず帰りましょうか」
「そうだな。ってか、どうやって帰る? 来るときは三笹さんの車だったけど」
「あっ!」
真琴は慌てて三笹たちの後を追いかけたのだった。
『さて、邪魔者が居らぬうちにここの醜悪な人形どもを……』
「させねぇよ!」
数ヶ月後。
慧と真琴は三笹から送られてきたチケットを手に美術館にやってきた。
もちろんいっちゃんはお留守番である。
盛大に文句を言っていたが、大人しくしているという約束を破ったので仕方ないことである。
日本画や書画、陶器などが並んでいるのを、せっかくだからとひとつひとつ丁寧に見て回る。
古美術商である慧にとっては勉強にもなるし、なによりこういった美術品に囲まれるのは落ち着く。
そうして一番奥にたどり着くと、突き当たりのガラスケースの向こう側に童女と童子、2体の日本人形が飾られていた。
定岡藤治郎作『童人形:姉弟』
以前神栖古美術店で見た童女人形はその時のまま。
そして桜井のところにあった童子人形は剥がれていた胡粉は塗り直され、失われた手と汚れ、破損していた着物は綺麗に、それでいて童女人形と同じ年月を重ねたように修復されている。
慧としては修復師の技量に感嘆するしかない。
「なんか、前に見たときより人形の表情が嬉しそうに見えるわね」
「ん~、そうか?」
筆で描かれた顔が変わるなどあるわけがない。
それでも、真琴の目にはふたつの人形が穏やかに笑っているように思えた。
というわけで、今回はここまでです
いかがでしたでしょうか
こんな感じで1エピソードを5話前後の連作形式で続けていきたいと思います
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基本的に毎週木曜日の週一更新で投稿していくつもりです
次回からは1話ずつとなりますが
今後も皆様と縁が繋がることを願っております
それではまた来週までお待ちください




